黒い意思、黒い剣
静まりかえる。
ケイオスのメンバーの視線が、全て大河に集まり、そして皆固唾を呑んでいる。
それは海斗も、廉造も、健栄も、瞳も郁も愛蘭も香奈も、そして悠理ですら。
キーンとした、耳鳴りに似た静寂が続く。
大河は背中に伝うじっとりとした嫌な汗を感じながら、詰まらせた息を吐き出すようになんとか声を振り絞った。
「異変の原因を知っているわけじゃない。ただ、少しだけ心当たりが……もしかしたら……それぐらいの小さな……その……」
言い淀む。
大河だって全てを知っているわけじゃない。
ただ、確証だけは得ている。
それは地雷天使レナの口から、水野陽子の口から。
そして親友がかつて語ってくれた妄想の内容から。
今の東京の変容が架空のゲーム、『東京ケイオス・マイソロジー』を元に歪められたモノだと、知っている。
だけどそれは、大河がまだ胸に秘めておかなければならない事実。
レナが言う、創造主さまの妄想を歪ませた存在が何なのか、どこにいるのか、何故東京を変えてしまったのか。
そんな説明に必要な事柄が全て空白のままでは、きっと何をどう取り繕っても皆は綾の事を憎むだろう。
もしかしたら目の前の祐仁より──直接この中野を支配し、苦しめた男よりも。
大河はそれが、何よりも怖い。
「上手く説明は出来ないんだ。それになんでこうなったかも分からないし、そもそもこんな、世界がまるごと変わってしまうような、現実離れした、あの、まるで漫画やアニメみたいな出来事を、説明できるわけないじゃないか。ただ、俺は……俺は……」
大河が言葉を、単語を一つ発する度に、食堂の空気が冷えていくのを感じる。
皆、この廃都で地獄を見た。
例外などない。
今東京で生き残っている人々は一人残らず、かつての退屈な、しかし安穏とした生活から一転し、いつ突然死んでもおかしくない殺伐とした世界に放り投げられた。
もしその原因があるのなら。
もし誰かの意思でそうなってしまったのなら。
その者を恨む事に、なんの疑問があるのだろうか。
「ふーん……まぁ、そこは少し気になるけれど……まぁ、いっか」
しかし祐仁はすんなりと話題を放棄した。
「他にも隠し事があると思うんだよね。アンタは時々、とても自暴自棄に……いや、自分の命の価値をとんでもなく下に見る時がある。ケイオスのメンバーや悠理の命に関しては酷く臆病な程過保護になるのに、自分が危険な場所に行くのに躊躇わない。もしかしてさ、小さい頃に親に虐待とか、されてたり──」
「──良い加減にして!!!」
祐仁の言葉を遮ったのは、悠理の怒声だった。
「人の心を土足で踏みにじるな!! アンタみたいなクソ野郎に大河の何が分かるって言うんだ!!」
悠理は知っている。
ほんの僅かだが、大河が抱えている心の闇の一端を、把握している。
それはかつて、酒に酔った大河がポロリと零した弱み。
母親の喪失と、それにともなう父親の錯乱。
そして、実父を刃物で刺した事による……深い悔恨。
たとえ今の東京にそれ以上の悲劇が溢れかえっているとしても、かつての大河が負った心の傷を抉るような真似は、悠理には許せなかった。
現に、大河は祐仁の言葉に過敏に反応を返している。
太ももの上で痛いほど拳を握り、唇を噛みしめて、何かに耐えている。
「……ん、まぁ。不躾で無礼だったよ。そこは謝る。すまなかった。今の大河の顔色を見ればなんとなく理解できたから、それで今日の所は充分かな」
椅子から立ち上がり、祐仁は軽く頭を下げる。
「でも、より一層アンタの事が好きになったよ大河。アンタは今この土地で誰よりも強者だけど、それでも弱者の気持ちを誰よりも理解していた。きっとそれは、かつての辛い記憶がそうさせたんだろうね。きっとアンタは社会的に誰よりも弱者だった時があるんだ。かつての弱い自分を知って、それを拭い切れていないから……強者として完璧に振る舞うことができない。まさにそれは、俺が追い求めた理想の救世主の精神だ」
顔を上げた祐仁の表情は、とても晴れやかだった。
「じゃあ三日後。場所はあの祭壇の下で。このクラン・ロワイヤルを締めくくるに相応しい、派手な殺しあいをしよう」
ひらひらと手を振って、祐仁はポケットからスマホを取り出しながら振り向く。
「ん──? あ、ごめん。ズルはしなかったってさっき言ったけど少し訂正。サードステージの不戦勝なんだけどさ。三つのクランとも俺の仲間がちょっと扇動したら勝手に仲間割れとか起こしちゃったみたいだね。どっちかのクランが多分、後でクランリーダーの生首を持って降伏と服従を宣言しに来ると思うってさ」
おそらくは『ぼうけんのしょ』のメッセージを読み取ったであろう祐仁は一度振り返り、悪びれもせず笑ってそう告げた。
「結構強めの暗示をかけたら、予想以上に掛かりすぎて内紛が勃発しちゃったみたい。まぁでも、元々どこのクランも大河や海斗さんには勝てる可能性が無かったから、結果としては何も変わらないよな。んじゃ、そういうことで」
最後にそんな、まるで友人との軽い別れのような調子で。
祐仁は──祐仁の姿形をした〝覇王〟のリーダーは、この中野の征服者は食堂から退出した。
その場に残されたケイオスのメンバーは、みな何故かピクリとも動けず、去って行った祐仁と、そして俯いたまま顔を上げない大河を見比べて、困惑している。
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夕暮れなずむ中野市街を、鼻歌交じりに軽快に歩く男が居た。
車が往来しなくなって久しい大きな四車線の車道のど真ん中を、嬉しそうに、楽しそうに。
肩を弾ませて、祐仁はにこやかな表情のまま今にも踊り出しそうなほどに浮かれていた。
「王サマ」
背後からの声に軽やかにターン。
自分の事を王サマと呼ぶ人物など、心から信頼している〝覇王〟の仲間しか居ないと知っているから、何一つ警戒などしていない。
「お! ミヤ、カネ!」
「すんません王サマ、情報収集するつもりで観察してたんですけど、ちょっと暗示をかけ過ぎちゃいまして」
根元が黒くなり始めている金髪を揺らして、小柄な金井はぺこりと頭を下げた。
「どいつもこいつもあんまりにも卑屈すぎて、カネがイライラしてたからさ。俺がやっちゃっていいよって言ったんだ。王サマだってあんな弱虫たちを目の前にしたら、絶対に殺してるって思ったから」
大柄で無骨な三宅は、猫背にまるめた背中をぐっと伸ばして、金井の頭をポンポンと叩いた。
「ああ! ぜんっぜん良いよ! どうせ放っておいても無様に敗北してたような弱者だったんだよな? 俺もちょっとだけ調べたけど、どのクランもケイオスや常磐大河と戦ってもサードステージを盛り上げてくれるようなドラマは期待できそうに無かった。セカンドステージのあの完膚なきまでの大暴れの後じゃ、逆に萎えるだろきっと!」
腕を組んで、胸を反らして。
祐仁は快活に笑った。
「さっきもメッセ入れたけどさ! もう正体バラしちゃったから、そのスマホと金井くんと三宅くんは処分しちゃっていいよ!」
「つい5分くらい前に初期化されましたよ。カノーがやってくれたんでしょうね」
カネはそう言って、ポケットからスマホを取り出し道に投げ捨てた。
「まぁ、もうそろそろ餓死すると思ってたしちょうど良いんじゃない?」
同じように、ミヤもスマホを取り出して投げ捨てる。
「念のためと思って、二人と似た名前の巡礼者を拉致ってて良かったな! 本人が生きている限り『ぼうけんのしょ』アプリが初期化されず、本人以外にも所持できる裏技! これのお陰で二人がケイオスに怪しまれず観察できた!」
「死なないように定期的に飯食わせたりしないとアカンのがめんどいですけどね?」
基本的に、異変が起きてからのスマートフォンに指紋認証・顔認証・暗証番号入力などのセキュリティは存在しない。
本来の所持者が死亡した場合、本体の初期化が行われる。
廃都・東京は、殺人などでのアイテムの強奪がシステム的に積極的に推奨されている。
たとえば子供などのまだスマホを所持していない巡礼者がスマホを手に入れる手段の一つとして、敵対者からの強奪が用意されているのだ。
店売りしているスマホはどの機種も高価であり、通常生活ではかなり敷居が高く設定されているのも、略奪が推奨されている証左であった。
カネとミヤがケイオスのメンバーの目を欺く為に用意した『金井』と『三宅』という巡礼者のスマホは、本人が生き続けている限りその身体能力やレベル、スキルや所属クランが表示され続けるというシステム的矛盾を突いた、いわば裏技である。
愛称で呼び合う二人が、名前の相違という違和感で正体がバレないようにと、あえて本来の名前に似た巡礼者を拉致監禁し、最低限の食料や水だけを与えて生かし続けていた。
当然、正体がバレた今となっては完全に用済みであるので、処分しても何も問題は無い。
「あ、あの!」
カネとミヤの遙か後方で、浮かない顔で立ち尽くしていた飯野──ケイオスの同盟クランである鷺宮ジャンクのクランリーダーが声を張り上げる。
「も、もう良いだろう!? アンタらの茶番に充分協力したはずだ! お願いだ! 娘を! 惠美を返してくれ!」
ふふん、と。
祐仁は軽く鼻を鳴らした。
「ああ、そういえばそういう話だったけな。と言っても、アンタの娘はセカンドステージが始まるちょっと前に、首を括って死んだらしいぞ」
カネとミヤが己の身分を偽る為にこの飯野に結成させた、鷺宮ジャンク。
仮初めのクランを形だけでも成立させる為に、雑務担当として選ばれてしまったのがこの飯野である。
先月から行方がわからなくなった娘の安否を知っていると、保護していると言い聞かせて、それをネタに従順に動かしていた。
そしてその娘は──大河が殲滅していた悪漢どもに良いようにオモチャにされた後、人生に絶望し、同世代の友人と共にケイオスのアジトで首を括って自死した、あの中学生たちであった。
「な──なんで!? そんな! アンタらが保護してるって言ってたのに!」
飯野の瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が零れる。
絶望の叫びが、静かな中野の街に遠く響く。
「アカンやん。飯野さん。僕らみたいな胡散臭い奴の話を簡単に信じるようでは、今の世界を生きようなんて土台無理な話やん?」
「大切な娘さん、死んじゃったのは悲しいけれどさ。良い教訓になったよね」
カネとミヤは、そんな飯野へ憐憫の視線を向けながら、微かに微笑む。
「なっ、なにを……っ! 何を言っているんだ! このっ、この人でなしどもっ! 惠美を返せ! 返してくれ!!!」
娘を失った父の怒りがそうさせる。
その手に持ち慣れていない『咎人の剣』を持ち、無謀にもこの中野の支配者である三人に向かって、誰が見ても弱々しく頼りない姿で、父が娘の為に命を賭ける。
「……自分の弱さを、人の所為にすんなよな」
そう小さな声で零したのは、ミヤ。
本当の名前を宮間という、大柄の男だった。
続けてぼそりと呟いた【抜剣】の詠唱でその手に顕現したのは、柄から剣先までを真っ黒に塗りつぶしたかのような長剣。
甲高い金属音を鳴らして、その黒い剣は飯野の剣を軽々と防ぐ。
「王サマ、良い?」
「ああ、もう要らん」
短い言葉で意思の疎通を行い、祐仁の姿のままの征服者は興味なさげに振り返って道を歩き出した。
「ジュリ姐さんももうアジトに帰ってきてはるらしいですよ」
「お、じゃあ久しぶりに五人全員揃うな! 今夜はごちそうにしよう! 飯を上手く作れそうな奴、まだ何人か息してるだろ?」
「カノーに伝えておきますわ。ミヤ、あんまり遊び過ぎちゃアカンえ!」
また軽やかな足取りで歩き始めた征服者の後ろに付き従うように、カネ──こちらも本当の名前を金森と言う小柄な金髪の男が続く。
「了解、と言っても。オジさんじゃ、あんまり楽しませてくれそうもないけど」
怒りに震え、しかし恐怖でも震えている飯野の姿を見下ろして、宮間はまた小声で呟く。
「ひ、ひっ」
一合。
たった一度剣を打ち合わせたそれだけで、殆ど戦闘経験が無い飯野ですら理解してしまった。
自分と、目の前に立つ大男との間にある絶望的な力と、殺意の差を。
「オジさんとは、ちょっとだけど一緒に行動した縁もある。だから教えてあげるね?」
宮間は黒い剣をゆっくりとした動きで構えて、どこか優しい声色で飯野に語りかける。
「俺はさ。相手が痛がる姿が大好きなんだ。だからちょっとずつ、ちょっとずつ肉をそぎ落とすような殺し方をしちゃうんだよね。すぐに殺してあげた方が良いんだろうけど、一度楽しんじゃうとどうしても自分じゃ我慢が効かなくてさ。だからオジさん」
その声に、徐々に愉悦が混じり始める。
「──怖くなったら。自分で自分の首を掻き斬った方が良いよ。その方が無駄に苦しまなくて済むからさ」
「ひっ、ひぃいいいいっ!!」
もはや怒りも敵意も殺意も消え失せた飯野の悲鳴が、虚しく中野の空に響く。
そして始まる、一方的な殺人ショー。
死にたいと、殺してくれと飯野が思うようになった頃にはその手足は胴体に一本も存在せず、もはや自死という選択肢は残されていなかった。
2000ポイント達成あざます!!!
ここ数日は日間ランキングとかにも(200位後半だけど!)載ってて、承認欲求がギュンギュン高まってました!!
皆様のブクマ、評価ポイントのおかげです!!
ありがとうございます!!
本当は200話達成や2000ポイント記念に【地雷天使姉妹による東京ケイオス・マイソロジーFAQ】ってSS書こうとしてた(書きかけ)んですけど、間に合いませんでした!!
マジで不甲斐なくて申し訳ないです!!
中野編が今クライマックスなんで、次の章に突入する前には書き上げられるよう頑張ります!!
本当は前みたいに、毎日更新したいんじゃよ……?
まだ評価なんかしてない方も、もしよろしければこの機会に評価ポイント入れてくれたらとても嬉しいなーって(露骨)!!
では次回もお楽しみに!!