それは悲劇の中からこそ生まれ出づる①
「相手そっくりに……変容……?」
祐仁の言葉に、大河は動揺を隠せない。
催眠スキルの厄介さどころの話では無い。
今まで会話をしてきた相手、その全てを疑わなければならなくなった。
現時点で情報が漏れる事のデメリットはあまり無いが、目の前の祐仁だけでなく、今後この廃都・東京で出会う全ての巡礼者に猜疑の目を向けなければならないと来たら、その〝剣〟の持つ特性の恐怖は明らかだ。
「たーだーしー!!」
どこか芝居がかった仕草で、祐仁は大きく首を振る。
「もちろん、こんな厄介な能力を持っている以上、難儀なデメリットと制約が三つもある!」
ビシッと、右手の人差し指を立てた。
「一つは、あくまでも変化するのは見た目だけ! 背丈や性別特有の特徴は模倣できない! どんな姿に真似ても俺の身長のままだし、胸が生えてきたりはしないし記憶や身体の癖までは読み取れない! つまりどんな相手になろうが、ソイツの普段の歩き方とか、趣味嗜好なんかは完全にスキル保有者の演技次第って事!」
自分の胸や鼠径部に近い股付近を嬉しそうにポンポンと叩きながら、祐仁は続いて指を二本立てた。
「二つ目! スキル保有者がたとえ高レベルだったとしても、変身後は模倣した相手のレベルにまで身体能力が落ちてしまう事! ただし戦闘スキルや〝剣〟は模倣できる! 相手に合わせてスキルを変えて戦うのがシェイプシフターの強みであり弱みだ! この剣自体には【喰擬】ってスキルともう一つしか無いから、食べて変身してソイツのスキルを奪って──っていう戦い方しかできない!」
ばんっと机を叩き、最後に指を三つ立てた。
「三つ目! 自分よりレベルの低い相手なら指先程度で済むけど、相手のレベルが自分より高ければ高いほど必要とする肉片の量が増える! たとえば──千春くらいならまだなんとか拳大くらいで良いんだけど、大河だとその姿を真似るのに多分身体丸ごと食わないといけなくなっちまうかな。剣自体にもちょっと食わさないといけないから、マジで髪の毛一本も無駄にできないかも」
海斗の後ろで怯えながら話を聞いていた千春が、その言葉に口元を押さえ苦悶の表情を浮かべた。
感受性が豊かすぎて、食われている自分や大河を想像してしまったのだろう。
「……つまり、それは──」
「おっ、さすが大河! 今の言葉で気づいた!? そう! 実は俺ら、そんなにレベルが高くないんだよな! 〝覇王〟で一番レベルが高いのがミヤって奴なんだけど、そいつでも大河ほど高くは無い!」
大河の相づちに楽しそうに頷いて、祐仁は言葉を続ける。
「俺らはさ。俺の擬態やカネの催眠で敵クランの懐に潜って内部からめちゃくちゃにするってやり方で前回のクラン・ロワイヤルを勝ち抜いて来たんだよ。それにネットもテレビも無い今の中野じゃ、情報の操作も楽でさ。カノーなんかはそういう目的と趣味を両立させてあの生放送とかやってるし、もう一人、ジュリって奴は自分の快楽を優先しながらハニートラップで相手の中枢に居る奴を殺して回ってる。それでも戦闘要員は一人必要だろ? だから殆どのオーブはミヤにつぎ込んで戦力を確保してたんだ。それでも大河ほどの強さは得られなかったんだけどさ」
ふふんと、自慢げに鼻を鳴らした祐仁は腕を組んでふんぞり返った。
「大河や海斗さん、廉造クラスに擬態しようとしてもさ。俺の強さじゃ不意打ちや騙し打ちをしても勝ち目はないだろ? ああ、心配しないでくれ。決戦に相応しい戦いができるよう、俺らも色々考えてるし覚悟も用意もできてるからさ」
祐仁がそう言い終わったと同時に、トレーに湯呑みを一つ乗せた悠理が食堂へと入ってきた。
その顔は険しく、どこか冷たい視線で祐仁を見つめている。
「……おまたせ」
「お、ありがとう悠理! あれ? 俺の分だけ?」
「大河は、あんまり熱いお茶が好きじゃ無いから」
怯えも怖れも無く、悠理は乱暴に祐仁の目の前に湯呑みを置いた。
使われているその湯飲みは、縁が欠け底がくすんでいる使い古した物。
誰も使わない見た目が悪い、いずれ処分する予定だったその湯呑みに茶を煎れてきたのが、悠理にとっての精一杯の祐仁に対する敵意だったのかもしれない。
悠理はすぐに大河の側へと移動しながら、自分のスマホを操作して清涼飲料水のペットボトルを取り出す。
それは大河が中野に来てから好んで飲むようになったスポーツドリンクで、悠理のアイテムバックに一定量ストックされている物だ。
「はい、大河」
祐仁に対して発した声色は真逆の、明るく優しい声。
ここまではっきりと態度で嫌悪感を示す悠理を、大河は久しぶりに見る。
「ありがとう……」
祐仁から視線を外す事なく、大河はそのペットボトルを受け取った。
一瞬ですら、目の前のこの異質過ぎる男から目を離す事が怖かったのだ。
「おっと、どこまで話したっけ……そうだそうだ。祐仁くんに成り代わった所までだったよな。いやー、祐仁くんが陰の薄い男で助かったよね。あまり他の皆とも打ち解けてなかったみたいで、思い出とかそういうのもそれほど無くてさ。誤魔化すの楽だったなー」
祐仁は湯呑みを一度右手で握って持ち上げた。
だがどうやら想像以上に熱かったようで、再びテーブルの上に置いて、右手をぐにぐにと握った。
「かなりすんなりアンダードッグに潜り込めた俺は、ファラオの突然の態度の急変を唯一察する事のできる松木っておっさんにだけ注意すれば良かった。大河達の近くに居たら、勝手に新入りだって勘違いしてくれたよ」
大河はふと、思い出す。
アンダードッグの副リーダー的立場に居た松木を別室で監禁していた時、その監視役を買って出ていたのは確かに目の前のこの男だった。
そして松木は確かに言ったのだ。
『えっと、君たち……君たちはそういえば誰だったかな? 新入りか?』
あれは大河と海斗や廉造に向けて言い放った言葉だとばかり思っていたが、あの時の松木にとっては目の前のこの男の事も含められていたのだろう。
「それからは簡単だったな。大河は勝手にケイオスのクランリーダーになってくれたし、俺が前から目星をつけてた拠点候補も疑う事なく攻略してくれたし、同盟を作ろうと言った時は内心小躍りしたくなったほどさ! 慌てて条件に合う近隣の弱小クランを検索しまくったな! アンタのやることなすことその全てが! 俺の中の〝中野の救世主〟的にぴったり一致していたよ! アンタは俺の思い描く理想の救世主として100点満点だ! 本当に!」
「そういや……ここを見つけて来たの、アンタだったな……」
憎々しげに祐仁を見つめ、大河は歯噛みする。
アンダードッグの拠点から今の第二小に引っ越しをすると決め、何組かの班に分けて情報収集を始めた時、確かにこの男がこの場所へと誘導するように動いていた。
中野の生まれだからと大河よりも地理に詳しいと言われるがままを信じ、案内を頼んだ事を覚えている。
考えてみれば、全てが上手く行きすぎていた。
香奈との出会い方から、新中野ファラオによるアンダードッグへの襲撃のタイミング。
拠点となり得る物件の速すぎる発見から、順調すぎる同盟クランの増加まで。
その全てが、この男のお膳立て。
悔しさを抑えきれず、奥歯がギリギリと鳴るほどに食い縛る。
「ふふふ、本当に楽しか──」
祐仁は目の前の湯呑みを掴み、悠理の煎れた茶を一口啜る──直前で動きを止めた。
バチン! と、何かが爆ぜるような音が食堂に響く。
「なっ!」
大河と海斗、そして廉造だけがその音に反応し身構える。
「──いやー、びっくりだ。悠理、アンタ意外とやるね」
飲みかけの湯呑みをテーブルの上に置き、祐仁は嬉しそうに目を細めて悠理を見る。
「だけど残念。言ったろ? 今の〝俺ら〟は中野に守られている。どんな方法であろうと俺にダメージは通らないし、勿論毒も効かない」
「──毒!?」
大河は慌てて悠理を見た。
険しい目つきで祐仁を睨むその顔には、祐仁に対する恐怖など無く、ただひたすらに憎しみが籠もっている。
「別に。もしかしたら効くかもって思っただけだよ。大河や色んな人たちを弄んだクソ野郎を、私の手で殺せたら最高だって思っただけ。貴方がこの中野を、こんな殺伐とした地獄に変えたんでしょう?」
つらつらと言い放つ悠理の言葉に、大河は思い出す。
悠理に預けたアイテムバッグの中に、新宿や目白で手に入れた様々な素材が入っていた。
その中に植物由来の毒や、調合された毒薬などが確か存在していた筈。
「そうだね。確かに俺らは意図的に中野を今の形に整えたよ。俺らの〝征服者〟としての在位期間はまだ半年だけど、それでもかなりの完成度になったと自負していたりする」
ぺろりと舌を出して、祐仁はおどける。
「強者が弱者を、生かさず殺さず。弱者がいなければ強者が成り立たず、強者が居なければ弱者が飢える。そういう街を目指したんだ。アンタらは知らないだろうけどさ。どんなクソみたいな悪党共でも、この中野の食物連鎖のサイクルに組み込まれていたんだぜ? そうなるように俺らがちょくちょく指導したり、指示を出したり、言うことを聞かない奴らを懲らしめたりしてたんだ。弱者だけじゃ満足に食材が手に入らない。だから時に女子供とか僅かな上納金で、食材を融通したりさせてたわけ」
祐仁は右手の人差し指をくるくると回す。
「人間、下が見えると心に余裕が生まれるんだ。自分らよりも立場が弱い者。好き勝手におもちゃにしていい存在を設定しないと、中堅クラスが生きない。俺らみたいなトップ層だけが得をしちゃう構造だと、中途半端な力量の奴らが役に立たなくなる」
その言葉に、食堂に居る全ての者の気配が変わった。
皆怒りに震え、その視線に憎しみを孕んでいる。
「実際、〝覇王〟を頂点とする三角形の権力構造は長い目で見れば上手く機能していたんだ。底辺の人らは相当辛いだろうが、かろうじて生をつなぎ止めていれただろう? まぁ、時々俺らの言うことも聞けない馬鹿が遊び半分で殺しちゃってたりしたけど、そういうのはしっかりと責任を持って処分してた。身体と金。対価さえ用意出来る覚悟があれば、この中野は生きていける街なんだ」
「──アンタらが、弱い人たちを助けていれば、そんな支配構造なんて要らない」
善良な支配者なら──独裁者でも僅かでも人の良心を持っていれば、今の中野のような歪な街にはなっていない。
大河はそう続けようとして、だが次の言葉が言えなかった。
なぜなら──。
「──施しを待つだけの人間なんて家畜以下のゴミだろうが」
先ほどまで薄ら笑いを絶やさなかった祐仁の顔が、濃い怒りの色で染まる。
「俺はね。大河。弱者である事を罪とは言わない」
祐仁は右手の人差し指でトントンと、テーブルを叩く。
「だけど、弱いままで良しとする弱者は罪だ。生かしておくわけにはいかない。弱者である自分を良しとして、強くなる努力を怠り、ただひたすらに施しを受けるだけ受け、何も与えず、権利だけを主張し喚き騒ぐ。醜い家畜共……」
大きく振りかぶった右手には、おそらく祐仁の持つ力の殆どが籠められている。
そして食堂中に。
いや、第二小の他のフロアを含めた全てに響きかねない程の大きな音を鳴らして、祐仁はテーブルを叩いた。
「──俺はそんな弱者の群れを目覚めさせ、選別し、この中野の外へと連れ出してくれる……そんな英雄をずっと待っていたんだ」
祐仁の放つドス黒くも眩い虹彩の輝きに、大河は心臓を鷲掴みにされたような錯覚を覚えた。