王サマ③
「ゆ、ゆうじんくん……な、なにを言ってるんですか……?」
冷え切った沈黙を破ったのは、千春のか細い声だった。
困惑したまま笑うその姿は、おそらく祐仁の言葉の意味を上手く咀嚼できていないから。
ゆっくりと祐仁の肩に手を置こうと動く千春を、海斗の右腕が無言で静止する。
「か、海斗さん……」
「──今は動くな。黙ってろ」
険しい目つきで祐仁を睨む海斗。
顕現させたままのハヤテマルに左手を添えて、腰を少し落とす。
「海斗さん、さっきも言ったけどさ。何もする気は無いから安心してくれ。ここで戦っても無駄なんだって。海斗さんや大河がどれだけ強くても俺には攻撃は当たんないし。なによりここまで盛り上げたクラン・ロワイヤルが無駄になっちまうだろ? ケイオスのメンバーが全滅しちゃうとさ。それは俺的にも避けたいんだ」
楽しそうに、愉快そうに。
祐仁はヘラヘラと笑いながら周囲を見渡す。
「んー、でもやっぱ名残惜しさはあるな。なんだかんだでケイオスは居心地の良いクランだったよ。人間関係も悪くないし、なにより連帯感があった。中野の他のクランと違って、勢いと同じだけ実力もあったしね」
その顔は、その言葉の軽さは。
今朝までの──さっきまでの〝ケイオスの祐仁〟のままで。
しかし目の前に居るこの男は確かにケイオスの──【解放者】の敵。
誰しもが押し黙る。
食堂に充満するのは息の詰まるほど張り詰めた空気。
祐仁──と今まで呼んでいた男はそんな空気をまるきり無視して、また大河へと向き直り右手の平を差し出した。
「だからさ。座ってくれよ大河。決戦が始まってしまえば、俺らとケイオス──俺と大河のどっちかは確実に死ぬんだ。だからこれが最後の機会かも知れない。話したいことや聞きたいこと、俺にもあるしそっちにもあるだろ?」
どこまでも飄々と、そして余裕を見せる祐仁の姿に困惑したまま、大河はテーブルに災禍の牙を立てかけて、ゆっくりと座る。
「みんなもさ。色々と俺に文句はあるだろうけど、今は我慢して聞いててくれよ。まずはクランリーダー同士──【征服者】と【解放者】で話をしよう。あ、瞳さん。長くなると思うから、お茶とか出してくれると有り難いかな?」
祐仁に突然話しかけられた瞳が、びくっと肩を揺らす。
ゆっくりと愛蘭、そして大河を見て、最後に悠理の顔を伺った。
「……私が煎れてくるよ。少し待ってて」
悠理は大河の右肩にそっと手を置き、そして食堂を出て隣の調理実習室へと向かう。
瞳もその後を追って部屋を出て行った。
「さて、じゃあ大河。何から聞きたい? 答えられる物は全部答えるぜ? 答えられない物はちゃんと内緒って言うからさ。嘘は吐かないよ。信じて貰えるわけないけど」
足を組み替え、片肘をついて、祐仁は薄い笑みを浮かべたまま大河の目をまっすぐに見つめる。
その視線に、悪意も敵意も感じない。
今朝までの祐仁の、さっきまで味方で合ったはずの祐仁の姿のまま、大河の【征服者】はそこに居る。
「……最初からって、どういう意味だ。俺がケイオスに──アンダードッグのみんなと出会ったのは偶然だ。アンタは俺が来る前からアンダードッグのメンバーだった……筈だ」
「同じ事の繰り返しになるけど、最初からって言うのは大河が中野に到着した時から……俺の放った刺客たちの攻撃を避けるために中野区の壁を超えた時からだ」
大河の脳裏に、初日に受けた襲撃の様子がリフレインする。
中野と外界とを隔てるあの壁と門。
急な襲撃をやり過ごす為にまんまと誘い込まれてしまったあの時を。
「俺はさ。あの祭壇の上でずっと見てたんだ。クラン・ロワイヤルの優勝者に与えられる特権の一つに、〝中野区情勢地図〟って言う特別なアイテムがあってさ。中野区の各地のモンスターの出現率をいじったり、オーブを支払って土地を拡大したり、色んな機能があるんだ。基本的に祭壇から動かせないから、あそこに居ないと確認できないのが難点なんだけどな。それを通じて中野の住人一人一人の動向を細かくチェックできるようにもなってる。一度に見れる情報は3人までって制約はあるけど、便利なんだぜ? あれ」
ちらりと、祐仁は大河の肩越しに窓の外を見た。
その方向には中野駅──そして〝覇王〟の拠点であるピラミッド状の建築物、〝征服者の祭壇〟がある。
「最初はさ。とんでもなく強い奴が外部から来た! って興奮して見てたんだ。これで前回──俺らが優勝した時の焼き直しになりそうだったクラン・ロワイヤルに変化が起きるってさ。いやー、喜んだね。あんなにわくわくしたの、中学の修学旅行で初めて彼女が出来た時以来だったんじゃないかな」
くくく、と。
年齢としては高校三年生。大河よりも年上のはずの祐仁が、まるで子供の様に屈託なく笑う。
「迷わず地図の機能を使ってマークしてさ。逃げた先に使えそうなクランは無いかって探してたら、アンダードッグを見つけたんだよ。〝覇王〟の傘下の傘下──末端の末端クラン。カノーに色々と聞いてみたらさ。ケツモチしてる新中野ファラオってクランに良いように使われている上に、クランリーダーが率先してワルイコトに加担してるって話じゃん? これは使えるって思ったよね。その時ばかりは俺って天才なんじゃないかってさ」
不敵な笑みを浮かべた祐仁は、香奈へと視線を向けた。
「まずはファラオの連中に指示を出して、アンダードッグへの締め付けを強くしたんだ。奪える物は全部奪え、最悪皆殺しにしても良いってね。んで次はカネ──〝覇王〟のメンバーの一人のスキルを使って、布良って奴に暗示をかけたんだ」
「司に……?」
愛蘭が低い声で唸るように呟く。
ケイオスの前身、アンダードッグのクランリーダーであった布良司は、愛蘭の恋人──元彼だ。
とっくの昔に愛想を尽かして……いや、憎んですらいた相手だが、やはりどこか思うところはあるのだろう。
「そう。と言っても、そんな複雑な暗示じゃないぜ?〝ファラオに全部奪われる前に、先に美味しいとこだけ摘まんじゃえば?〟くらいのちょっとした誘惑だ。それで大河たちの逃げる先を予測して、そこらへんのモンスターの遭遇率を最低まで下げて、最後に布良にこっそりとその場所を教える。〝ここらへんはモンスターとかの邪魔が入らないらしいぞ〟ってさ。そしたら──」
「その場所で……香奈さんを強姦しようとした……」
祐仁の言葉に、廉造が続けた。
「そう! いやーまさかあそこまで上手くハマるとは思わなかったよ! 神懸かってたよな! あの筋肉ダルマが好色だってのはカネの情報にあったんだけど! まさかあの程度の暗示で思った通りに動くなんて! 愛蘭さん! アンタの元彼、想像以上の馬鹿だったよ!」
狂った様に手を叩いて喜ぶ祐仁の姿に、その言葉に、愛蘭は小馬鹿にされた怒りよりも先に、何か悍ましい物を目の当たりにした様な恐怖を抱く。
気の強い愛蘭ですらそうなのだ。
他のみんな──特に千春が誰よりも怯え、祐仁からまた一歩後ずさった。
「もし大河が強姦されかかってる女をスルーするような奴なら、まぁ期待外れだってなるだけだったんだけどさぁ! これがまた俺の望んだ英雄像のまま動いてくれたよね! 海斗さんの乱入って予想外はあったけど! そうなんだよ! あそこで助けに入っちまうのがさぁ! この中野の地獄から人々を救い上げちまう英雄の姿なんだよ! 俺はもう嬉しくて嬉しくて! 慌てててその後のプランを頭の中で組み上げたよね!! どうしたらこの男を間近で観察しながら、その英雄譚を見届けられるのか! どうしたら俺にとっての最高の終わりを迎えられるのか! もうわっくわくでさぁ!!」
手を、机をバンバンと叩き、満面の笑みで頭まで振って。
祐仁はまさに狂喜乱舞している。
「んで!! アンダードッグに俺と歳が近い皆本祐仁くんって男が居たわけ! 背は俺の方が高かったから、そこが違和感のとっかかりになったら少し不味かったけど、全力でスキルを重ねがけしてさぁ! 〝俺が皆本祐仁として、前からアンダードッグに存在していた〟って言う概念を、カネと二人で作り上げたってわけ!!」
「……は?」
その言葉に、香奈が反応した。
「ど、どういうこと? 本当の祐仁が別に居たって……こと?」
震えている。
声が、身体が。
目の前の異質な男の、見慣れている筈なのにまるで違う生き物の様に感じられる狂った男の言動に、香奈の全てが恐怖で震えている。
「居たよ?」
あっけらかんと、祐仁は言い放つ。
「確かにあの日、香奈さんが大河に助けられた日の夜までは元気にみんなの夕食を作っていたんだ。みみっちい食材を必死に丁寧に下拵えして、少ない量をいかに嵩増しするかを頭を捻って考えていた祐仁くんは確かに存在した。まぁ、俺が〝食っちまった〟けど」
「……食った?」
ドスの効いた声で、刺すような視線を向けて。
海斗はハヤテマルの柄を軽く持ち上げ、いつでも抜刀できる姿勢に腰を下げながら問いかける。
「ああ、そっか。催眠スキルの事をどこの誰から聞いたかは知らないけど、大河でも俺のスキルは知らないのか」
また口元の前で両手を組んで、祐仁は不敵な笑みを浮かべる。
「大河が知ってる催眠スキルはさ。俺じゃ無くてカネが持っている剣のスキルなんだよね。俺の方はこっち──【抜剣】」
テーブルの上に、まるで生き物みたいな拍動を打つ、ピンク色のグロテスクな肉片が顕現した。
それは剣の刃部分に大きな口を持ち、柄の部分が鋭い棘でびっしりと埋め尽くされた──とてもじゃないが武器には見えない〝咎人の剣〟。
「この剣の名前は【擬態剣 シェイプシフター】。相手の肉片を一定量、剣と自身に取り入れる事でその姿を相手そっくりに変容させる事のできる──不気味な剣だ」
そんな不気味な剣を、祐仁は誇らしげに自慢した。




