王サマ②
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『というわけで!! 最終決戦は三日後の午後十七時!! 場所は俺らの拠点である〝征服者の祭壇〟前な!! ケイオスのみんな、特に常磐大河には急な話になって申し訳ないけど、楽しんで行こうぜ!! ではお相手は皆のお耳の妖精!! DJカノーがお送りしたぜ!! そうそう、決戦まではこの生放送もお休みだ! みんな元気でなー!!』
ぶつっと、マイクのハウリング音が遠く彼方の空まで響く。
大河は──いや、廉造や海斗も。
その音が残した耳鳴りを聞きながら、息を呑んで黙りこくっていた。
がやがやと、外の喧噪が騒がしくなる。
第二小の周囲のビルを拠点としている同盟──今では解放同盟と呼ばれ始めていた彼らが、DJカノーの放送で告げられた事態に着いて来れず、しかしその衝撃に興奮し始めていた。
「サードステージ……突破……?」
廉造がぼそりと呟いたのと、食堂の外から大勢の足音が聞こえ始めたのはほぼ同時だった。
大河は一旦大きく息を吐いて肩を落とし、途中だった昼食をもそもそと食べ始める。
「大河! 聞いてた!?」
食堂に一番最初に飛び込んできたのは愛蘭と悠理、続いて郁と瞳と香奈。
少し遅れて健栄も血相を変えて到着し、さっきまで静かだった食堂は一気に人で溢れかえった。
「……聞いたよ。サードステージ不戦勝だってさ」
最後に残していただし巻き卵をぱくりと口に咥えて、大河はもぐもぐと咀嚼しながら応える。
「……お前、あんま驚いてねぇな」
「もしかして、セカンドステージであんな大暴れしたのって……これを見越して?」
海斗と廉造の問いに、だし巻き卵をゆっくりと飲み込んだ大河が静かに頷く。
「いや、こんな上手く行くとは思ってなかったけど……上から強い順にクランを壊滅させて行けば、最後の残った弱いクランは絶望して棄権とかしてくれないかなーとは考えてた」
「まぁ、よう考えなくてもあの大手クラン共を一人で潰した奴に勝てるとは思えんわな。それにしたって、他の三つのクランが一気に解散・内部分裂・無抵抗での降参を宣言するとは……」
大河の言葉に健栄は神妙な面持ちで呟いた。
「それは俺も予想外。いくらなんでも俺らに都合が良すぎる気がする」
災禍の牙のアビリティによる攻撃性の上昇というデバフの中で、戦闘行動に関しての思考だけが妙に研ぎ澄まされていた。
その中で組み上げた今後の展開の一つが、圧倒的すぎる戦果を強調することで他のクランを萎縮させる試みだった。
上手く行けば100点。
上手く行かなくても、既に大手や武闘派のクランは潰してあるので、サードステージの憂いなどとっくに無い。
今後の無駄を省くと言う意味での行動だったが、まさかここまでの効果を発揮するとは大河本人にも驚きである。
「ていうか、棄権って出来たんだな」
「それ、俺も思った。クラン・ロワイヤルのシステム的にさ。どの戦闘も強制参加だと思ってたんだ。だから相手の戦意を下げる事はできても、サードステージ自体は回避できないとばかり思ってたんだけど──」
海斗の疑問に同調し、大河は食べ終わった皿や茶碗を重ねながら思案する。
(〝覇王〟が、承諾した? このクラン・ロワイヤルは、運営しているあいつらの意向が強烈すぎるほど反映されている……なら、サードステージをやる意味は無いって……アイツらが判断したなら……可能性としてはあり得るか?)
「みんな集まっているみたいだな」
「リーダー! カノーの放送聞きましたか!?」
ガラガラと、引き戸が音を立てて開く。
食料確保の為にシティフィールドに狩りに出かけていた祐仁や千春が、他の戦闘班も皆も引き連れて急遽戻ってきていた。
また食堂内が一層騒がしくなる。
「外はもう大騒ぎでしたよ! ケイオスコールと大河コールまで聞こえてきました!」
「この中野からの脱出に現実味が出てきたからな。今まで虐げられていた人たちにとって、大河はまさに救世主って感じだ」
そういって祐仁はパイプ椅子を一つ取り、海斗と廉造の間に置いてわざわざ大河の正面へと座る。
「リーダーの名前と解放者って称号。今じゃもう中野で知らない人は居ないんじゃないですかね?」
「セカンドステージでカノーがさんざん叫んでいたもんな」
座る場所が無かった千春に席を譲って立ち、廉造は腕を組んだ。
「ケイオスの名前もそうだけどさ。今からでも同盟に入れないかって言ってくるクランもあるんだ。勧誘した時は頑なに首を縦に振らなかった奴らもだ。現金な奴らだよほんと」
「そういうもんだろ。実績もへったくれも無かったんだから」
「で、どうすんの? 入れるの?」
「さすがにこれ以上同盟クランを増やしたらウチらのキャパじゃ扱い切れないわよ。海斗、狩場ってもうパンパンなんでしょ?」
「いや、大河がセカンドステージでクランを潰しまくったお陰で、ここの周辺から中野駅の手前ぐらいまでフリーっぽい範囲が増えた。そっから先は遠すぎて俺らがすぐにフォローに行けないからな。弱い同盟クランにあてがうにはあまり良いとは思えん」
「杉並向けの区の境はもう完全に僕らの縄張りで良いと思うよ。第二小に近い場所を同盟に振り分けて、ケイオスが遠くの効率の良さそうな狩場を使うってのも有りだと思う」
「狩場はそれで良いんだけど……これ以上同盟の人が増えたら喧嘩も増えそうで怖いなぁ。今でも時々私たちに仲裁をお願いしてくるじゃない? 海斗と健栄さんが頑張ってくれてるけど、あれ結構な手間よね」
「そうだな。隣人トラブル程度ならまだ良いが、本気の喧嘩にまで発展すると人死にが出そうで怖い。全員が剣を持っているからな」
「俺が殴って黙らせる分には簡単に終わるんだが、それで解決ってのもなぁ。今までの悪党とやってる事変わらなくなっちまう」
「兄貴、結構我慢して話聞いてあげてるもんね」
「おう、ストレス半端ねぇぞあれ。やれ誰々の態度が悪いだの。見下された気がしたとか、狩場の質が贔屓されてるとかよ。んなわけねぇっつんだよ」
「みんな、今まで狩場なんてあってないような立場の人たちだったのに、急に贅沢になりましたねぇ……千春たちだってアンダードッグの時は、他のクランの人に見つからないよう色んな所に狩りに出かけてたのに……」
「人は満たされると更に欲しくなる性だからな……衣食住のある程度をケイオスに用意されて、なまじ余裕が出来たのも原因かも知れん」
ざわざわ、がやがやと皆が思い思いに話し始めているのを、大河は腹を満たした余韻に浸りながらぼぉっと眺めている。
脳裏には先ほど廉造と海斗に説教された内容や、セカンドステージでの出来事がハイライトとして繰り返し流れた。
虎武羅、ダハーカ、ユニオンなどの大手クランを皆殺しにした時の高揚感。
疲労感を伴いながら中野の空を駆けていったあの陶酔感。
セカンドステージ終了を告げられた時のあのなんとも言い表せない虚脱感と、そして自分のしでかした事に対する罪悪感。
自らが手に掛けた全ての敵対巡礼者の顔を、大河はぼんやりとしか覚えていない。
新宿や目白で暴漢を殺した時とはまた違う、作業じみた殺戮。
生きた人間をまるでゲームのモブのように扱い、その命を弄んだ自分に──ここまで壊れてしまった自分に嫌気と、そして諦念が生まれる。
(慣れていくと……腐っていく……か)
唯一、顔と名前を覚えた敵の言葉を思い出す。
『ああ、言っておくぜ常磐大河。今のお前は俺よりマシかも知れないが、きっとお前もこうなる。間違いなくな。人間、慣れていくと腐っていくんだ。濁っていくんだ。かつての理想とか、夢とか。自分の信じた正義とか、正しさとか──捻れていくんだ。歪んでいくんだ』
最大手クラン〝ユニオン〟のクランリーダーであった城頭の言い遺した言葉が、なぜか大河の胸にじんわりと浸透していく。
(そういや、あのおっさんから結構大事な情報を手に入れたっけ……まだみんなに伝えてないな……すぐに確認して……んで対策をしないと……)
満腹が眠気を引き起こし、緩慢になった思考の隅っこで、大河の何かが警鐘を鳴らしている。
(……何かが……気になる)
中野に来てから。
香奈を暴漢から助けてから。
アンダードッグを非道な悪党クランから解放し、リーダーを任されてから。
拠点を引っ越す事を決め、第二小ダンジョンを攻略してから。
災禍の牙を手に入れ、その力に溺れかけてから。
セカンドステージを戦い抜き、そして勝ち残り──今に至るまでの全てに、違和感がある。
(俺の名前と、【解放者】の事を知っていたDJカノー……そこそこ有名になりかけていたのに、大手のクランにはなぜか伝わっていなかったケイオスの事……)
セカンドステージ開始前、弱者の間ではかなりの話題になっていた筈のケイオスに関して、虎武羅もダハーカも、そしてユニオンも全くと言って良いほど警戒していなかった。
だからこそ、大河単騎での奇襲がああまで上手く行ったと言っても過言では無い。
対策を取られていても負ける気はしなかったが、もう少し手間取っていた筈だ。
(俺の動向に関して詳しすぎた実況……催眠系のデバフ……ユニオンや他のクランへの指令……仮面のエロ女……DJカノー……王サマ……)
城頭から得た断片的な情報が、意味を成さない文章となって大河の思考を走り回る。
何も確証は得ていない。
だが、試さずには居られない。
テーブルに右手を立てて、頬杖を突き、左手で寝癖でぼさぼさの髪を掻きむしる。
「大河……どうしたの?」
いつの間にか背後に立っていた悠理が、両肩に手を置いてそっと優しく撫でた。
「ん、いや」
身をのけぞって、悠理の胸に背中を預ける。
未だ冷房を点けていない第二小の室温は、窓を全開にして風通しを良くしていてもとても暑い。
そうでなくても、今この食堂に集まっているメンバーの数は15人を超えている。
熱気が籠もる程に会話を弾ませるみんなを眺めた。
外からは元気に遊ぶ子供たちの声と、同盟クランのメンバー達のケイオスコールが重なる。
だから大河はなんとなく、なにげなく、あくまでも自然を装って……語りかけた。
「やっぱさぁ。今俺がぼおっとしてんの、催眠スキルのせいなのかな」
脈絡もへったくれもない。
突然、誰かの会話のどこかの文脈に引っかかるのを期待しての放言。
まだ〝覇王〟が催眠系のスキルを持っているという情報は、誰にも伝えていない。
廉造に言っても、海斗に言っても、愛蘭に、郁に、瞳に、健栄に、千春に、そして悠理に言っても伝わるわけが無い。
だけどもし──もしかして、この人物なら。
「いや、催眠スキルは自分より高いレベルのプレイヤーには効かないからな。大河相手じゃ一秒も──」
そう言葉を紡ぎかけ、彼は自分の言葉が何を意味するのかを瞬時に理解し、驚いた顔で大河の目を見つめ……やがてにやりと笑った。
「やられた。上手いな大河。まんまと嵌められちまったか」
ガタンと大きな音を立てて、大河は席から立ち上がる。
小声で【抜剣】と唱え、慌てて災禍の牙を顕現させて──その鋒を〝敵〟へと向けた。
「だけどよ。それだと俺らの手が回ら──お、おいおいどうしたどうした!?」
「た、大河!? お前何を!!」
一番速く反応したのは、海斗と廉造だった。 災禍の剣の赤い透き通った刀身に蛍光灯や日の光が当たり、キラキラと輝く。
「大河!?」
「リーダー!? どうしたんです!?」
悠理と千春が大河の背中や腕に手を添える。
愛蘭や健栄、郁や瞳も椅子から立ち上がり、他のメンバーを席から遠ざけるように一歩下がった。
「……はぁっ、はぁああっ! はぁっ!!」
喉から吐き出される息が熱い。
心臓がバクバクと強すぎる拍動を刻む。
大河自身にとっても予想外だったのだ。
本当になんとなく、試しにと口にしただけだ。
判明した今となっても、信じられない──信じたくない。
だけど目の前の〝男〟の顔が、その口ぶりが、この結果を物語っている。
「……ああ、別に気づかれていた訳じゃなさそうだな。その様子だと。じゃあこれ、俺のチョンボか。いやぁ、ミスったなぁ。もう少し引っ張って、決戦直前にバラした方がドラマティックだと思ってたんだけどなぁ。ああ、剣を向けても無駄だって。決戦が始まるまでは〝俺ら〟は中野に守られてる。どんな攻撃も通らない。安心してくれ。だからってこっちから一方的に攻撃したことなんて今まで無いんだから。と言っても、信用できるわけないよな。逆の立場なら俺だって信じないわ」
この状況を楽しんでいるのか。
それとも自信の現れなのか。
大河と対面している〝敵〟は、余裕の笑みを崩さずに右手の平を差し出した。
「まぁ座ってくれ大河。落ち着いて話をしようぜ? こうなっちまったからには、隠し事なんてそんな無いんだ。俺らからしてみたらな? 聞きたい事、気になっている事があればなんでも答えるよ」
「──なんでっ、どうやって!」
相手の落ち着いた声に対して、大河の言葉は荒く弱々しい。
「どういう質問なのかちょっとわからないけど、いつからかと言われたら最初から。どうやってと言われたら俺の剣とスキルの力で。大河が初めて中野に来たその時から、俺はずっとアンタに目を付けていたんだ。そしてここまで見続けてきた。ああ、何もズルはしてないぜ? 本当さ。俺は見ていただけだ。一番良い席で、一番観客として楽しめる席で、アンタがこの中野の救世主になる過程を楽しみたかっただけだ」
足を組み、肘を立て、手を握って。
皆本祐仁は薄い笑みを浮かべて大河の目を見つめ続ける。
「改めて自己紹介をしようか。本名はもう捨てたから言えないが、今は〝王サマ〟って呼ばれている。この中野を支配する役割を担ったクラン、〝覇王〟のクランリーダーだ。持っている称号は【征服者】。つまり【解放者】──常磐大河の倒すべき敵って事になるな」
熱気蒸す高温多湿の中野の気候の中で、余りにも冷たすぎる静寂が食堂を支配した。
 




