ヴォルテクス②
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「終わらない……か」
五つ目のクランフラッグは、開けた公園のど真ん中に設置されていた。
取り囲むように敷設された塹壕らしき段差や、トーチカのような簡易建造物。自動車や瓦礫を積み上げて形作られた遮蔽物のなにもかもを災禍の剣で薙ぎ払い、そして跡には何も残っていない。
もはや永遠に物言わぬ、数分前までは〝人〟であった大勢の亡骸の山を背に、大河は空を見上げる。
セカンドステージを勝ち残れるのは10組のクランと言われていた。
だが、大河が落としたクランフラッグはこれで5つ目。
ケイオスを含めて10のクランが今の中野に現存している事になるが、DJカノーの実況は大河の圧倒的な戦果に対する賛美や皮肉ばかりで、セカンドステージ終了の文言は聞こえてこない。
「……物足りねぇって事か?」
思わず、大河の口元が歪む。
もっと暴れろと、もっと殺せと、第二回クラン・ロワイヤルの主催者であるクラン〝覇王〟が告げている。
大河はどこか確信めいた直感で、DJカノーの実況からそのメッセージを受け取った。
「……上等だよ」
セカンドステージが始まってからずっと抑え続けていた、心臓の鼓動。
考え無しに暴れ回りたいという、破壊的な衝動。
己を律し続けていたフラストレーションを、漸く解き放つ事の出来る解放感。
それらが今、腹の底からグツグツと煮えたぎり、胃から喉、そして口内から外へと熱として吐き出される。
災禍の牙を右肩に担ぎ、身を屈める。
ここから一番近い敵クランの拠点へは、今の大河なら10分も掛からない。
「……やってやるさ」
前提となっていたルールが覆された今、もはやどこまで、いつまでがセカンドステージなのかは誰にも分からない。
時間を掛ければ掛けるほど、ケイオスの拠点である第二小への脅威が増す。
ならばもう、遠慮は要らない。
この殺し合いを高みから見下し、楽しんでいるであろう〝覇王〟の気の済むまで、暴れるのみだ。
なにせ大河は、今日一日──もっと言えば、災禍の牙を手にしたあの日からずっと我慢していたのだ。
あの剣を手にすれば、抑えきれない力の奔流に飲み込まれ、己を見失ってしまうと自覚していたからこそ。
些細な事で苛立つ感情を必死に飲み込み、手に入れた余りにも大きな力を心のままに振るう誘惑に負けまいと、強い自制心で今まで耐えてきた。
だがもう、無理だ。
敵対し潰した五つのクランはどいつもこいつも粗野で野蛮で、そして悍ましいまでの悪党ばかりだった。
今日に至るまでの中野で確立した強者としての地位を楽しみ、弱者を弄び、隷属させ、遊ぶ半分で殺す──そんな奴らばかりだった。
そんな連中相手に、冷静になれと言うのが無理な話なのだ。
殺しても良い、居なくなっても良い。
むしろ、居なくなった方が良い。
人の心を失った獣が数百匹、今の中野にはうじゃうじゃと生息している。
そんな害獣を殺したとて、大河の心は毛ほども痛まない。
ならばもう、己の心の望むがままに。
正しいと判断した、正義のままに。
今の東京で無限に湧き続けるモンスター、それ以下の連中を殺しても、誰も大河を咎めない。
「……ふぅううううううううううううう」
大きく深呼吸。
目的地はもう定めている。
目指すは〝覇王〟傘下で一番巨大で、一番悪名高い大規模クラン〝ユニオン〟。その拠点である中野駅前の商業ビル。
目を見開いて、その方角の空を見据え、そして息を止める。
「──フッ!!」
浅い呼吸と共に右足に力を込めて地面を蹴った。
土が舞い上がり、小さなクレーターの様な窪みが出来上がる。
頬を刺す熱風。
靡く髪。
遠く響く耳鳴り。
真っ白に染まりつつある思考。
右肩に担ぐ災禍の剣の透き通った赤い刀身が、その内側から徐々に光を放ち始める。
まっすぐ。
ただまっすぐに、憤怒の剣に突き動かされるままに、生まれたばかりの新しい獣が、心の底から湧いてくる殺意のままに中野の空を駆けていく。
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中野ブロードウェイ。
その付近に高くそびえ立つ、上層階にホテルを内包した商業ビル。
複数の反社会的組織が結託して結成された最大手クラン──〝ユニオン〟の主要メンバーが、地上十五階にある大広間に集合していた。
「……く、来るか?」
「間違いなく俺らを狙ってくるだろ……」
「虎武羅にダハーカ……大手ばっかり率先して潰してやがる。んじゃあ次の標的はもう俺らしか残ってないじゃねぇか」
「お、落ち着けお前ら。調査に出してた構成員は全員呼び戻して、一階ロビーや途中の階に配置してある。いくらなんでも、二百名を超える数をたった一人でなんて……」
「ダハーカの連中も、そう思っていたんだろうな……」
DJカノーの実況が中野に響く度に、ユニオンの幹部達の表情が暗くなっていく。
「な、なんなんだよアイツ……なんであんな化け物が……」
「いくらなんでも、力の差が有りすぎる……常磐大河って奴、確かついこの間中野入りした奴だろ……?」
「お、俺らが中野でウダウダやっている間に、外の世界でちゃんとこの東京を〝攻略〟していたら、こうまで違うのか……」
「だ、だからってこんな理不尽あるか!!」
「どう頑張っても勝ち目無いじゃないか! ダハーカや虎武羅の連中と俺らは、こっちの方が人数は多いが戦力的には拮抗していたんだぞ!?」
「……降参するか、それとも抵抗するか。さっさと決めないと時間はもう無いぞ?」
「降参……させてくれるのか?」
「DJカノーの言っている事が本当なら、虎武羅もダハーカも幹部連中全員が殺されてる……他のクランも、主要メンバーや戦える奴を狙って……」
「ど、どうする親父……」
広間に集まった幹部メンバー、十七名の視線がたった一人に集まった。
クランネーム〝ユニオン〟──正式名称、『中野広域連合会 城頭組』のリーダーである城頭は、押し黙ったままじっと手元を見つめている。
元々は新宿を縄張りとする指定暴力団の幹部であり、たまたま中野駅近辺に愛人宅があったため、中野で異変に巻き込まれた男だ。
年齢はもうそろそろ四十。
時に若頭にどやされ、時に組長に脅され、厳しくも険しい極道をまっすぐ順調に進んでいた。
異変により新宿に戻れなくなり、かつて得た権威や動員力を失った男は、それでもなお暴力の力を信奉し、この中野で自分をトップに据えた新しい組を作り上げた。
たった半年、短い夢だった。
城頭はすでに観念している。
力で──暴力で人を支配してきた人間は、より大きな力によって潰される。
それは極道に限らず、長い人の歴史が証明してきた道理だ。
まだ青年だった頃に見た任侠映画に憧れてこの広間に設置した大きすぎる円卓が、どこまでも滑稽に見える。
いつかは自分もと願い続け、意気揚々と大きな和紙にしたためた自作の掛け軸が、とてつもなくチープに見える。
粗野で野蛮だが信がおける人でなし達だと自らが任命した幹部の誰もが、酷く愚かな人間に見えて仕方ない。
血と暴力の道を進むと決めたその日に、こんな結末もあり得ると覚悟できた筈だ。
「……一階の戦力を増やせ、レベルが高ぇ奴らにはここを守らせろ。こうなりゃ破れかぶれだ。俺らにも意地があるって事を、一匹狼気取りのガキに教えてやろう」
やがて城頭がゆっくりと口を開くと、幹部連中がざわめき始めた。
「じょ、冗談じゃない……っ!!」
「お、俺はアンタに着いていけば! ずっと良い思いができるって言うからっ!」
「お、親父! 駄目だやっぱ逃げよう!」
「逃げるたってどこにだよ!」
「今からでもケイオスに和解と、同盟の使者を送ろう!!」
「駄目だ……ケイオスの同盟に参加しているクランには、俺らが今まで虐めてた奴らも大勢居る……」
「ケイオスに尻尾振ったってなりゃ、〝覇王〟は俺らを簡単に見捨てる……ケイオスと覇王、どっちが勝ち残っても……」
わかりやすく狼狽え始めるみっともない部下達を、城頭は冷めた目で見つめる。
(分かりきってたはずだ。コイツらは所詮、中野の路地で拾ってきたチンピラ風情……本物の極道じゃない……悪党としての覚悟もなにも持ってねぇ奴らばかりだってのに、俺は一体何を今まで……)
今自分が腰掛けている高級なチェア。
柔らかなクッションと背もたれに、丁寧に彫られた装飾のそれが、あまりにも空虚な代物に思える。
たまたま悪党としての経験が生きて、たまたま覇王の傘下に収まることができ、たまたま多くのチンピラを抱え込み、たまたま今日までその威を纏えた。
どこまでも偽物。
この半年かけて築き上げてきた自分の城は、とても脆く、歪で、空っぽだった。
昔の仲間や親と慕った組長が今の城頭を見れば、きっと鼻で笑ったに違いない。
「幹部の皆さん!!」
広間の無駄に豪華な扉を勢い良く開いて、末端の構成員の一人が顔を青ざめさせながら飛び込んできた。
「あ、現れました!! 常磐大河です!!」
静まりかえる広間。
彼らにとっての悪夢が、彼らの命を終わらせる為にやってきた。