大河の笑顔
「これがフラッグか」
「うん。昨日まで無かったのに朝ここに来たらもう置かれているんだもん。びっくりしたよ」
東中野第二小の三階。
食堂として利用している部屋で、大河と瞳が並んで一つの物を見つめている。
ファーストステージが終了して翌日の早朝。
それを見つけたのは、いつも誰よりも早く目を覚まし朝食の準備を始めている瞳だった
三角形の真っ白な布地に、どこか狼に似たシルエットのエンブレムが真っ青な染料で描かれている。
大きさは布地だけでも大河の背丈を超えるサイズ。
それが三メートルはあろう金属製のポールで掲げられている。
発見された場所は食堂として使っている理科室のど真ん中で、器用にテーブルなどを避けた場所に置かれていた。
瞳からの報告を受けて寝間着のまま駆けつけた大河は、フラッグをペタペタと触りながら考え込む。
「それで、まずはこれをどこに設置するかだよなぁ」
「出番……?」
大河の呟きに、いつの間にか背後に立っていたいくみが眠そうな目を擦りながら応えた。
「なんだお前、無理して起きてこなくても大丈夫だったのに」
「ん、だいじょぶ……フラッグが出現した気配を感じて、半分くらい起きてたから……」
いくみは普段から女の子部屋で子供達と一緒に寝起きをしている。
男子と女子の子供部屋はここ三階の一番端。
階段から最も遠い場所だ。
「どこに、移動させる?」
いくみはあくびをかみ殺しながら大河を見上げる。
「そうだな……屋上……いや、やっぱ室内が良いよな。視聴覚室かな」
子供たちの部屋とは真逆の、三階の一番端の部屋。
以前まではそこに校長室が存在していたが、大河が執務室として利用するようになってからは場所が不便だと一階に移動させている。
代わりに現在一番利用していない、もっとも広く分厚い壁の部屋が校長室と入れ替える形で配置されていた。
それが視聴覚室である。
大きなプロジェクターが設置されており、階段状の座席があるので大勢で映像などを観るのに適した部屋ではあるが、今の中野にそんな娯楽があるわけはなく。
というより、探せば必ず見つかるのだろうが、娯楽を探すのに労力を割く余裕が今のケイオスには無い。
なので必然的に、現在もっとも不要な部屋となってしまっている。
いずれ余裕が出来たら、子供達の為にアニメ映画などのDVDなどを探しても良いかもしれないが、それもクラン・ロワイヤルを無事に終えて、別の街に引っ越してからの話だ。
「わかった。ちょっと待ってね」
ぺたぺたと裸足で床を歩き、いくみはフラッグのポール部分を両手で触る。
「あれ? お前、スリッパはどうした?」
数日前に子供達の衣類と一緒に、愛蘭や香奈が購入してきたはずのいくみ用のスリッパ。
いくみは管理核である自分に新しい衣類や靴などは必要ないと言い張っていたが、見た目はどこからどうみても小学生低学年。
そんな子供に靴の一つや二つ買ってやれないのは、大人としてのプライドが許せないと愛蘭に無理矢理押しつけられていた。
「昨日子供達と砂場で遊んで汚しちゃったから、洗って屋上に干してるの。愛蘭に怒られちゃった」
「違うよいくみちゃん。愛蘭さんが怒ったのは、砂まみれなのに外で落とさないで室内に入ったこと。スリッパは汚しても良いけど、校舎は綺麗に使ってね? いくみちゃんの身体でもあるんでしょ?」
「うう、ごめんなさい……」
瞳に注意されたいくみが、眉を落としてうなだれる。
「小さい子たちが、いくみちゃんの真似しちゃうの」
瞳は苦笑して大河にそう報告し、大河も釣られて笑った。
このケイオスのリーダーは大河だが、本当の意味でメンバーを取り纏めているのは間違いなく愛蘭だ。
見た目は褐色の派手なギャルなのに、意外にも家庭的で面倒見も良く、そして怖い。
彼女よりも年齢が高い健栄や、レベルが高い大河・廉造・海斗ですら、愛蘭にはあんまり頭が上がらなかったりする。
「んしょ」
いくみがなんとも気の抜けたかけ声を発すると、目の前にあったフラッグが一瞬だけ眩く発光してその姿を消した。
「おっけー……視聴覚室の扉もカーテンも全部閉めたし、新しい鍵も掛けておいたよ。はい主様。これがスペアキー」
「ありがと」
いくみが差し出した右手の中に、至って普通の銀色の鍵が握られていた。
大河はその鍵を受け取り、スマホを操作してキーケースをアイテムバッグから取り出す。
「ずいぶん増えたな……」
新たな鍵をキーケースに収めて、またアイテムバックに戻す。
キーケースの中には、目視だけでも10を超える鍵が束になっていた。
この学校内の全ての部屋を遠隔で管理できるいくみは、その全てのマスターキーを身体の中に保存している。
施錠する度に新規に鍵を作り替え、スペアを生成し管理者に手渡すのも、管理核の役割の一つだ。
例えばスペアキーを紛失したり敵に奪われてしまった場合、いくみに報告さえできれば瞬時に鍵を交換できる仕組みである。
「じゃあ私は朝食の準備に戻っちゃうね?」
「うん、報告ありがとな瞳さん。もう少しで悠理も起きてくると思うからさ」
「うん、わかった。いくみちゃんもまだ眠っていても大丈夫だよ?」
「だいじょうぶ。もうそろそろ、みぃちゃんが起きてくる頃だから、いくみも起きてる」
みぃちゃんとは、ケイオスのメンバーの中で一番幼い女の子──美守の事だ。
まだ三歳の美守の事を、いくみは過剰に溺愛している。
父親を前回のクラン・ロワイヤルで亡くし、クランの仕事で忙しい母親の代わりにと、甲斐甲斐しく世話を買って出ていた。
この見た目が幼い学校型生体管理核は、とにかく子供が大好きなのだ。
「俺も目が覚めちゃったから、今日使うとこの掃除でもすっかなぁ」
瞳といくみが食堂から出て行くのを見送って、大河は大きく背伸びをしながら窓の外を眺める。
今日の中野の朝も、濃い霧に包まれていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「全員揃いましたか?」
大河の声に、にわかにざわついていた室内が一瞬静まりかえった。
第二小の一階。
ここは職員室。
そこには大勢の大人の姿があった。
教員用の大きなデスクの上にあった大量の書類やファイルの束は、愛蘭や悠理などのケイオスの女性メンバーが数日掛けて撤去してあるので、何も置かれていない。
デスクとセットになっていた無数のキャスター付きの椅子や、体育館の壇の下に収納されていたパイプ椅子を部屋の壁にそってぐるりと設置し、一つ一つに同盟を結んだクランのリーダーや主たる人物が座っている。
部屋の上手と言えばいいのか、一番奥に設置されている他の物より少しだけ大きいデスクには、大河がどこか恥ずかしそうに、所在なさげに腰を据えていた。
大河の後ろには、壁一面ほどもある大きなホワイトボード。
そこには駅前の書店で購入した住宅地図を模写した中野の全体図が、手書きで描かれている。
頑張ったのはケイオスで一番絵が上手い、若い女性メンバーだ。
大河を挟むように愛蘭と悠理が補佐役として立ち、海斗・廉造・健栄・香奈・千春・祐仁たち戦闘班が壁際に二手に別れて睨みを効かせている。
(なんか、こういう絵面……叔父さんがたまに観てた任侠映画であったな)
そう頭の中でおどける大河は、未だに自分がここに居るのがとても場違いに思えて、非常に居心地が悪い。
「じゃあ時間なんで、クラン・ロワイヤルのセカンドステージ。フラッグ防衛戦の戦略会議を始めま──んんっ、ごほん! 戦略会議を始める」
同盟の盟主としての威厳を出せと皆に口酸っぱく言われている大河は努めて真顔で声を低くする。
敬語も使わずとにかく偉そうにふんぞり返れとは、海斗の言だったか。それとも廉造の言だった。
とにかく精一杯の見栄を張って、ケイオスのリーダーとして相応しい立ち振る舞いを心がける。
「今皆さんが座っている席の列……俺から見て右の通路側が1班。中央が2班。左の窓側が3班。これがそのまま持ち場を担当する組分けになる」
大河の言葉に、同盟クランのリーダー達はお互いの顔を見合わせた。
室内に流れる、微妙な空気。
愛想笑いを浮かべる者も居れば、舐められないようにと厳しい表情を作る者。
様々な反応を見せるクランリーダー達のざわめきが収まるのを少し待って、大河はまた口を開いた。
「この拠点の三階に設置されているフラッグを敵に奪われたら、俺らの負け。だから皆にはそれぞれの拠点近辺の持ち場で陣地を作成して、攻め込んでくる敵の足止めに専念して貰いたいんだ」
大河はそう言ってチェアから立ち上がり、ホワイトボードに描かれた中野の地図の中央を右手の人差し指で示した。
「ここが中野駅」
大河の指さす場所に、愛蘭が大きな赤い丸マグネットを置く。
「んで、ここがこの拠点」
中野駅を示す赤いマグネットからすーっと指を動かして、第二小。
悠理が大きな青い丸マグネットを置いた。
「俺らの拠点は、中野と杉並の区界にある。皆も知っているだろうけど、区の境には中野と外を隔てる大きな壁があったり、見えない力場で遮断されているから、杉並側からの敵の侵攻はあんまり考えなくても良い。絶対では無いから、少しは防衛戦力を割くけど」
そう言いながら、大河はデスクの上に準備していた道具箱から幾つかのマグネットを取った。
新一年生などが使う、おはじきや定規などが入ったおもちゃみたいな学習セットだ。
そのマグネットを愛蘭と悠理に手渡し、デスクの上に置いてあったメモを拾って広げた。
「それで、今まで集めていた情報とか昨日のDJカノーの放送を元に推測した、ファーストステージ突破クランの拠点の位置が、ここと……」
メモを読みながら大河が指で示す場所に、愛蘭と悠理が次々とバッテンマークのマグネットを地図上に配置していく。
「えっと、いち……にぃ……うん。これで全部か。全てが正確と言うわけじゃないけど、敵チームの拠点の位置は大体こんな感じになる。これを攻めるのは、主にケイオスの戦闘班。俺やそこの海斗さんや廉造、健栄さんって事になる──んだけど……」
大河はちらりと廉造を見た。
視線を送られた廉造は、なんとも言えない不満そうな顔をして目を閉じ、大きなため息と共に頷く。
そんな廉造を、海斗や健栄は不思議そうに見ている。
「ちょっと事情が変わったんだ。攻めに出るのは俺一人だけにして、他のメンバーはここで班ごとの防衛陣地の指揮を取って貰おうかなってさ」
「……はぁ?」
ドスの効いた低い声で唸ったのは、海斗だ。
「おい大河。なんだそれ。俺聞いてねぇぞ」
「ウチもよ」
海斗に続いて、愛蘭も少しだけ苛立ちが籠もる声色で大河に詰め寄った。
「……今初めて言ったからな」
海斗と愛蘭の圧に怯むことなく、大河を少しだけ口元を笑みで歪ませて答えた。
「説明、してくれるんだよね?」
悠理もまた、不安そうな顔で大河の服の裾を摘まんで引っ張った。
「ああ、もちろん。これはついさっき、会議が始まるギリギリまで俺と廉造で話し合って決めたことだ。だから俺の独断ってわけじゃない」
「廉造」
ケイオスのメンバーの視線が、一気に廉造に集まる。
「……本当だよ。仕方ないっていうか、そうしないといけないって言うか。確かに最終的に僕はこの案に了承した」
大きなため息と共に、廉造は首を一度縦に振った。
「大河の新しい〝剣〟。スキルやアビリティの内容に、戦い方。それを全部踏まえて考えるとこれが一番効率が良いし、確実だ。なにより、メンバーの負担が一気に減るのがデカい」
「そんなに……か?」
疑問が多分に含まれる海斗の言葉に、廉造はまた首を縦に振る。
「うん。凄まじかった。そしてあの剣は乱戦。一対多の戦いでこそ最もその強みを発揮するって言うか……最悪、一人で戦った方が強いまである」
苦々しい表情で大河を見る廉造。
対して、大河はどこか余裕そうに笑っている。
「もし大河が全力で戦ったとしたら、多分味方を巻き込んじゃうんだ。あの剣のスキルやアビリティは強力だけどどれも敵味方の識別ができない上に、攻撃範囲が馬鹿みたいにデカい。味方の位置を気にして戦うより、最初から一人の方が確かに効率が良い」
「一応さ。後詰めで誰かを連れて行く事も考えたんだ。だけど今回のフラッグ防衛戦。長引けば長引くほど戦況が見えなくなってくる。だからこその短期決戦。俺が一人で突撃して、敵クランの拠点を片っ端から潰して回った方が良い。だけどそうなると、今度は俺の全速力についてこれるメンバーが居ないんだ。新しい剣を手に入れた今の俺の身体能力は、殆どの数値が海斗さんの二倍近くあるから」
そう述べながら不敵に笑う大河を、悠理は眉を顰めて見つめ続ける。
「本当に大丈夫なんだよね? また一人で無茶しようとしてないんだよね?」
「ああ、心配すんな──ってのは無理だよな。でも他のメンバーを拠点の防衛に回すことで、ここの守りは多分どのクランよりも堅くなる。頼りになる人が多いからさ。それに俺も気兼ねなく大暴れできるだろ? これメリットの一つかな?」
悠理の白い頬に右手を添えて、大河は柔らかい笑みを浮かべた。
この短い時間で次々と表情を変える大河。
悠理はそんな大河の姿を、おそらく初めて目にする。
どこかふわふわとしているようにも見え、しかし過去のどの大河よりも安定しているようにも見え、それがまた悠理の胸中に不安として積もっていく。
「……ウチらに相談無く決めた事とか、この場で初めて報告した事とか色々文句は多いけど、戦闘に関して言えば大河と廉造より詳しい人はいないから……とりあえずは良しとしとくわ。だけど、後で説教だけはするからね」
ジト目で睨み付けてくる愛蘭に困った様に苦笑して、大河はまた顔を同盟のリーダー達に向けた。
「というわけで、それぞれの班にケイオスの戦闘班を指揮官として配置する。皆さんはその指揮官の指示に従って動いてくれれば良い。1班は海斗さんと健栄さん。2班は廉造と千春。3班は香奈さんと祐仁さん。んじゃあ、これから班ごとに分かれてミーティングをしよう」
場にいまいちついて行けなかった同盟のリーダー達が、徐々にざわざわと騒がしくなっていく。
「海斗さん達指揮官役は、それぞれの班の戦力とか構成人数とかを把握したら俺に報告してくれ。陣地の場所や構築に関してはそっから詰めよう。時間もあまりないし、言い合ってる場合じゃ無い。手早く済まそうぜ」
「リーダー、本当に一人で行くつもりですか?」
大河の周りに集まってきたケイオスメンバーの中で、千春がおずおずと声を上げた。
「ああ。今の俺は……まぁ、今中野に居る
巡礼者の誰よりも強いんじゃないかな? 調子に乗ってるとかじゃないんだ。確証があって言っている。心配してくれるのは嬉しいんだけど、もっとお前らのリーダーを信用しろって」
千春の頭をくしゃくしゃとなで回しながら、大河はまた笑った。
「廉造」
その様子を見ていた海斗が、静かに廉造の肩を押した。
「言っている事は間違ってないし、慢心したりテンパってるってわけじゃない事は僕が保証する。今の大河はかなりクレバーだよ。だから一応あの作戦に承諾したんだ。ただ、不安が全くないってわけじゃない。僕だって、最初は反対したんだからな」
廉造は大河の顔を見つめたまま、そう答える。
「ほら、みんな動こうぜ? 俺はこれから、どの順番で敵拠点を攻めるかルートを構築しないとだし」
ここに居る皆の不安を知ってか知らずか、大河は明るい口調で振る舞う。
これより三日間。
ケイオスと同盟クランは忙しなく動く事になる。
一抹の不安と、緊張感を抱きながら。




