終焉を望むモノたち
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現在の中野では、ほぼ全ての巡礼者がクラン・ロワイヤルに参戦している。
一人で生きていく事がとても難しいこの中野では、どこかのクランに所属しなければ日々の食事や寝床にもありつけない。
シティフィールドしか存在しない中野では、食料を確保できる手段が都市部に出現するモンスターを狩って食料品をドロップするか、もしくはハズレ枠の素材アイテムを大量に集め、駅前にあるショップや工房で売り捌き僅かなオーブを手に入れて食料品を購入するかのどちらかだ。
それには中規模クラン同士の縄張り争いが関わってくる。
下手に凶悪なクランの縄張りでモンスターを狩ろうものなら、たとえそれがごく少量の食料品であろうとも制裁が加えられてしまう。
だからこそ中野にいる弱い巡礼者は、複数人で身を寄せ集まってクランを作り、中野区の端で見窄らしい生活をするか、強者に付き従い物乞いのような生き方をするかしか選択肢が無いのだ。
必然的に弱者・強者に関わらずどこかしらのクランに属する事になり、そしてクランを結成すると言うことは、強制的にクラン・ロワイヤルへの参戦が付随する。
中野に傍観者は存在しない。
全ての人間が当事者である。
大中小と無数に存在するクランの頂点。
三角形のピラミッド状の権力構造の一番上に立つのは、初回のクラン・ロワイヤルの覇者である『覇王』。
そんなクラン『覇王』のメンバーや人数構成を知る者は少ない。
東京が異変に見舞われ、全てが崩壊した直後に開かれた初めてのクラン・ロワイヤルは、誰もが拍子抜けするほどあっけなかった。
〝ルールを飲み込めた者〟と、〝現実を飲み込めなかった者たち〟。
それが勝負の明暗を分けた。
クラン・ロワイヤル開戦初期、突然言い渡された殺し合いに多くの者が戸惑い、動けず事態は拮抗していた。
無理も無いだろう。
かつての東京で事務用品以上の刃渡りを持つ刃物を持った経験がある者など殆どおらず、人を殺す事はおろか暴力と縁の無い者ばかり。
路上に突如として現れるフィールドモンスターですら恐怖の対象なのに、更に殺しあいをしろと言われてすぐに動ける方がどうかしている。
しかし、例外は必ず存在するのだ。
停滞していた第一回クラン・ロワイヤルが活発化したのは、開戦から一週間ほど経ったファーストステージ。
それはたった5人のクラン──現在の征服者『覇王』が、中野の片隅から突如として急速に勢力を拡大していった。
討ち取った相手クランのメンバーを強引に傘下に引き入れ、従わないクランは徹底的に潰す。
当時の中野のクラン情勢は現在のクランのそれとは違い、家族であったり、職場の同僚や友人同士でなんとなく組んだ小さなクランが数え切れない程乱立していた。
たった五人から始まった『覇王』は、それらのクランを一切の慈悲も無く虱潰しに殲滅していった。
彼らがどんな大義名分を掲げ、どんな思想を持ち、どうしてクラン・ロワイヤルを勝ち抜こうと思ったのかは誰も知らない。
知っている者は、すでにこの世にいないから。
無数のクランを従え、隷属させ、今をもってなお傘下を増し影響力を広げ続けている『覇王』のクランメンバーは、最初から最後まで創設者である5人だけ。
時々一人や二人クランに加入する事はあるが、用済みとなった時点で例外無く抹殺されている。
傘下クランとの橋渡し的なポジションに就く窓口係が一名。
戦闘に特化した兵士役が一名。
クランの戦略を担う軍師役が一名。
トリッキーに立ち回り、場をかき乱す斥候役が一名。
そして、その四名を圧倒的なカリスマで指揮するクランリーダー、通称『王サマ』。
この情報だけが、中野に存在する巡礼者に開示された全てである。
徹底した情報統制。
『覇王』の強みは、そこにある。
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「ただいまー」
薄暗い室内を照らす、無数の松明の火に当てられて、全裸の女性のシルエットが浮かび上がった。
赤・青・紫・金と様々な色のエクステで飾られた彼女の髪は、汗と埃と、そして夥しい量の血で濡れている。
「おかえりなさいっす。久しぶりっすね」
部屋の一番奥。
古ぼけて所々に穴が空いたボロボロのソファに座っているのは、うだるような暑さの中野に似つかわしくない厚手のニット帽を被った、年若い男だった。
成人しているかしていないか、見た目だけでは判断に迷う容貌をしている。
「うん、一週間ぶりくらいだっけー? あれ、カノーだけ? みんなは?」
目の前の古びたチェアーに腰掛けた女性が大胆に足を組むと、カノーと呼ばれた青年は気まずそうに目を背けた。
下着も何も一切身につけず、様々な〝液体〟で汚されたその真っ白な肌を隠そうともせず、逆にカノーに見せびらかすようにして女性はチェアの上で身体をくねらせる。
「うっす。ミヤさんもカネさんも、王サマに呼ばれて遊びに出ちゃいました」
女性の動きの意図する所を熟知しているカノーは、湧き上がる劣情を必死に抑え込みながら問いかけに応える。
「えー、ずるーい。なんでアタシも呼ばないのー?」
前のめりに身を屈めた女性の大きな胸が、カノーの視界でぶるんと揺れた。
「ジュリ姐さん、一度出てったら連絡つかないんすもん。お楽しみ中だったら申し訳ないですし」
「まぁ、最中に邪魔されたらそれはそれでムカつくよねー。そっかー」
ジュリと呼ばれた女性は、その小さな口元に人差し指の長いつけ爪を押し当てる。
「ん? 王サマは良いとして、カネとミヤも? めっずらし!」
「うっす。面白そうなクランが急に勢力を伸ばしているから、観察しようって王サマに誘われたんすよ。カネさんとミヤさんはずっと暇してたからノリノリで出て行ったっす」
カノーはそう言って、右手に持っている物を掲げた。
「俺はほら、夕方の生放送で忙しいっすから」
木で形作られたそれは、持ち手の上に円錐状の筒が横に設置されている。
拡声器、メガホンとも呼ばれる物である。
「良く続くよねーそれ。なんのご褒美もないしやれって言われた訳でもないのにさー」
「配信者魂って奴っすよ。まぁ、これで最高の決勝戦を実況してやりますから見ててくださいって」
右手の拡声器を愛おしそうに布で磨きながら語るカノーの瞳は、まるで愛しい恋人を見るソレと同じで。
頬を朱に染め、熱い吐息を漏らし、うっとりと見つめている。
「ていうかジュリ姐さん、そろそろ服を着てくれません?」
「ん? なんで?」
「いや、俺もぶっちゃけ男なんで。目のやり場に困るっす」
その惜しみなく曝け出される裸体から顔を背けるカノーの姿に、ジュリは楽しそうに笑う。
「んー? そういえばカノー、童貞だったけー? どうする? ここで可愛いジュリちゃんに我慢できなくなっちゃっても、アタシは怒んないよ?」
チェアから立ち上がったジュリは、ゆっくりゆっくり、身体をくねくねと動かしながらしなをつくり、カノーへとにじり寄る。
「いえいえ、結構です。大事な初体験の後にあんな死に方したくないんで」
冷や汗を一つ垂らして、カノーは顔のすぐ横にまで近寄ったジュリの血に濡れてもなお白さが際立つ腹をチラチラと横目で見る。
「んふふー。お利口さんなんだねーカノーは」
カノーの頭を優しく抱いて、その髪を優しく撫でた。
「死にたくなったらいつでも言ってね? 最高に気持ちいい状態で、最高に苦しく殺してあげるからさ」
「……相変わらず、ド変態っすねジュリさん」
「好きなんだーアタシ。セックスじゃなくて、アタシの中で男の人が死んでいくのが最高に気持ちいいの。アタシを好き勝手に使って、アタシを屈服させて、アタシを蹂躙しようと目を血走らせていた〝強い男〟が、一番無防備な時に逃げられない死に怯えてみっともなく狼狽えるのを中で感じるのが、もう病みつきになるほど」
その右手の人差し指のつけ爪が、怪しくキラリと光る。
「ほんと、世界がこんなにならなきゃ気づけなかった性癖よね。こんな素敵なネイルも、『娼婦』とかいう最高にイカれてるジョブも、アタシの為に用意されていたんじゃないかなって思うわ」
「それで言えば俺の〝ノイジーフェアリー〟もっすねぇ。俺ら五人、それぞれ本当に自分にぴったりの剣やジョブを見つけられて、マジで運命感じちゃうっす」
血や様々な液体で汚れているジュリの胸元に抱かれているのに、カノーは嫌な顔一つ見せずその豊満な胸に頬を寄せた。
「王サマがわざわざカネやミヤを一緒に連れて行ったって事は、期待しちゃってるの?」
「たぶんそうっすね。いやぁ、意外に早かったすね。前回のロワイヤルから半年。長いようで短い、楽しい時間だったっす」
二人の間に、無言の時間が流れる。
それはどこか寂しげで、だがどこか楽しげで。
「……じゃあアタシらもがんばらなきゃね。王サマに最高の〝最後〟をプレゼントしてあげなきゃ」
「……うっす。俺らにも、相応しい終わり方を」
ジュリの胸に抱かれたままカノーは薄く目を閉じた。
脳裏に流れるのは、この半年で行ってきた己の非道の数々。
殺した。
踏みにじった。
弄んで、騙し、欺き、嘯き、自分たちの望む中野を作り上げる為に頑張ってきた。
本音を言えば、もう少しだけ時間が欲しかった。
まだ満足していない。
もっと準備できたはずだし、もっとお膳立てできた筈。
クランリーダー、自分たちが『王サマ』と呼ぶほど心酔した彼に最高で最低で、でもとてもドラマティックな最後を迎えさせる為には、もっと出来ることがあったはずだ。
だけど『王サマ』は見出したのだろう。
自分を殺してくれる、最高の英雄を。
ジュリとカノーは顔を見合わせて、恥ずかしそうに笑った。
壊れてしまった自分たちが可笑しいのか、それともまるで恋人の様に抱き合うこの状況が恥ずかしいのか。
どちらにせよ、彼らの感情には何一つ、ネガティブな物は含まれていない。
時刻はもうすぐ17時。
この中野に『覇王』が支配者として君臨してから毎日欠かさず行ってきた生配信まで、もう残り僅かだ。