災禍の牙
「小僧、準備は良いか?」
「お、おう」
翌日。
時刻は正午過ぎ。
大河は廉造や大勢のドワーフたちに見守られて、芝生が綺麗に生えそろった広場の中央に立っていた。
そこは中野の駅から少し離れた公園。
辺りを見回すと、区役所や有名な大学。
そして中野ブロードウェイなどの立派な建築物に取り囲まれている。
「こ、ここじゃなきゃ駄目だったのか?」
大河は少し離れた場所で相対するドワーフの職長に対してそう問いかけると、にわかに走る緊張感に耐えきれず一度生唾を飲み込む。
「うむ。正直言ってな。打ったワシらにもこの剣の持つポテンシャルの底が見えぬ。お前と赤晶剣の相性が良すぎるのか、それともお前の今までの戦いが苛烈すぎたのか。なんにせよ、今のお主の力量に釣り合うかどうかも怪しい。そんな剣ができあがってしまった」
「大丈夫なのかよそれ……」
「心配するな。〝咎人の剣〟はワシらが鍛え磨き上げる事で強くなったが、お前の精神が具現化した器物である事に変わりはない。最初は多少手に余るだろうが、じきに慣れる。ワシが心配しているのは、この剣の強すぎる力を持ったことでお主の身体が過敏に反応し過ぎることじゃ。だからここへと場所を移した」
職長はそう言って、なにやら鮮やかな黄色い布で巻かれた、長く分厚く幅が広い物を大河へと差し出す。
「こ、このぐるぐるに巻いている布はなんだ?」
その布には、聖碑に刻まれている物と同じ楔形の文字がびっしりと書き込まれている。
書かれている内容は『封印』だとか、『静まれ』だとか、どこかおっかない単語の羅列だった。
「封縛布で抑えていないと、その溢れる力の奔流で周囲に被害が出そうだったんでな。なぁに、お前の右手に戻しさえすれば、すぐに馴染む。ほれ、これがお前の〝剣〟の新しい姿……赤晶剣、ファング・オブ・カラミティじゃ。古い呼び名じゃと、災禍の牙と呼ぶ」
「災禍の、牙……」
どっちも厨二感溢れる恥ずかしい名称だが、ファング・オブ・カラミティなんて長ったらしい名前よりも、災禍の牙の方が幾らか呼びやすい。
そんな事を考えながら、大河は職長が差し出した剣を恐る恐る両手で受け取る。
「……っ!」
瞬間、全身に迸る凄まじい力の奔流。
体中の筋肉が強ばり、熱を帯び、強く意識しなければ思わず気を失いかねないほどの──激しい感情の渦が大河を襲う。
「こ、こいつは……」
剣を持つ手が小刻みに震える。
滲み出た脂汗が、火照る身体が、そして今すぐにでも剣を持って暴れ出したいという強烈な衝動が、この剣の持つ力の強大さを物語っている。
「気を付けろ小僧。この剣は常に怒り狂っている」
職長は懐からずんぐりむっくりとしたパイプを取り出し、右手の親指と人差し指をスナップして火花を作ると、パイプへと投げ入れた。
煙草の葉はすでに入っていたのかすぐに煙を口内に蓄えて、大きなため息と共に吐き出した。
「工房の全員でなんとかなだめようとしたんじゃが、最後までワシらの話なぞ聞かんかった。この剣は確かに強い──じゃがそれ以上に、怖い」
「じゃじゃ馬じゃったの」
「これほどまでに荒れ狂う災禍の牙は見たことも聞いたこともないのぅ。多少気難しい剣であるのは間違いないんじゃが」
「合成に使ったのが『憤怒』を司る赤水晶だったのもあるが、それ以上に小僧の気質が強く表れておる。お主そんな大人しい見た目をしておきながら、結構溜め込むタイプじゃったんじゃな」
大河を取り囲む他のドワーフ職人たちも、しみじみとした感想を述べながら大きくため息を吐いた。
「気性の荒さはさておいて、ワシらが今まで手がけてきたどの災禍の牙よりも強い剣である事は間違いない。なので万が一を想定して、工房では無くここで受け渡すことにしたんじゃ」
職長のそんな言葉に、周囲のドワーフ職人たちは三度頷く。
「手のかかる奴じゃったが、その分手応えも充分じゃった。こいつはここ最近でも一番の出来の良さじゃぞ?」
「ああ、これぞ職人の腕の見せ所と年甲斐にもなくはしゃいでしもうた。小僧、やはりお前は良い巡礼者になれる」
「師匠たちの腕を再確認しながら、良い勉強になったぞ。あとで工房にある日用品を幾つか持って行け。本当に感謝しとるでな」
そんなドワーフたちの言葉を聞く度に、一番端っこで黙って見ていた廉造の表情が怪訝な物へと変わっていく。
「……なぁ。大丈夫か? このおっさん達、さっきからなんかおっかない事しか言ってなくない?」
大河の護衛として付いてきた廉造は、自分が譲り渡した合成アイテムで剣が成長した事もあって、どこか責任を感じているのだろう。
ドワーフの口から出てくる単語一つ一つに不穏な物を感じ取り、戦々恐々としている。
「……」
「……おい、大河?」
「……」
廉造の言葉になんの反応も返さず、大河はその手に持つ災禍の牙をじっと見つめている。
それはまるで魅入られたかのような、しかしその両の目には強い光が宿っていた。
喜んでいるのか、驚いているのか。
その目の光に込められた感情は、廉造には読み取れない。
確かなのは、廉造の声すら耳に届かないほど、大河の意識は災禍の牙に集中している事だけ。
「な、なぁ! 大河ってば!」
「──なにか、来る」
廉造が大きな声で大河の名前を呼んだのと、大河が急に首を持ち上げて遠くの空を見上げたのはほぼ同時だった。
「ふむ、分かるか。ここは中野で唯一のワイバーン・ドレイクの餌場でな。どこかで狩った餌をわざわざここに持ってきては食い荒らして行きよる。ちょうど飯の時間だったようじゃな。試し切りには持ってこいの相手じゃ。存分にやれ」
職長の声を聞きながら、大河はもう一度視線を災禍の牙へと移し、そして慌てて黄色い布──封縛布を解き始めた。
やがて中から現れたのは、刀身が全て透き通った赤い水晶で形作られた大剣。
馬鹿みたいに大げさな、馬鹿みたいに大きく、馬鹿みたいに大雑把なその剣のシルエット。
まるで漫画の中から飛び出してきたかのようなその剣は、とてもじゃないが実戦に向いているとは思えない取り回しの悪さが一瞥するだけで理解できてしまう。
今まで使っていたハードブレイカーは、両手剣であるため普通(何をもってして普通かはさておき)の剣よりも一回りほど大きかった。
だがこの剣──災禍の牙はそんなハードブレイカーよりも二回り以上のサイズ。
とてもじゃないが、人間が気軽に振り回せるような代物ではない。
だが大河はそんな災禍の牙の柄を右手で握り、腕を伸ばして軽々と支えた。
「……凄い」
大河の頬が、朱に染まっているように見える。
「う、嘘だろ…………」
恐れ慄いているのは、廉造だ。
封縛布から解き放たれた災禍の牙は、離れた場所に立つ廉造にも分かるほどにその力の存在感を放っていた。
大河の足元に生えた芝生が、大河を中心とした外側へと向かうように倒れている。
廉造の背後にそびえ立つちょっとした大きさの植樹の細い枝が次々と高く乾いた音を鳴らして折れていく。太い枝ですら、僅かにしなって曲がっている。
「落ち着け小僧。お前の精神がざわついておるせいで、災禍の牙が興奮しておる」
そんな職長の静かな声も、大河の耳には届かない。
新しいおもちゃを買って貰った子供の様に──なんて月並みな表現で言い表せる事のできる大河の顔は、喜びに満ち満ちていた。
「ふむ、まぁ……一度大暴れさせんと無理か。分かっておったが、まだ未熟じゃなぁ」
職長はそう言って、ゆっくりと廉造の方へと歩を進めた。
「よし、離れるぞ。後は小僧の好きにやらせりゃええじゃろ」
その言葉に他のドワーフ職人たちも一緒に動き出し、公園の出口へと向かい始めた。
「ほれ、お前もじゃ馬鹿もん。ぼやぼやしとったら巻き込まれてしまうぞ」
「え、う、うん……」
職長の短い足で脛を蹴られた廉造が、ちょっと痛かった脛を摩りながら動き出す。
その顔は、未だ災禍の牙へと見惚れている大河から離せない。
「あ、あのさ。アイツ大丈夫なの?」
先を行く職長の背中にそう問いかけると、職長は一度ちらりと大河を見て、嘆息してまた振り返って歩きだす。
「ほおっておけ。大きな力を手にした巡礼者など大概あんなもんじゃ。その強い力に身も心も魅入られるか、それとも力を従え使いこなすかは小僧次第。ワシら職人やお主ら仲間にはもうどうすることもできん」
「そ、そんな……」
あまりにも冷たい職長の言葉に、廉造は驚きを隠せない。
短い付き合いだが、このドワーフの職人たちの長の性格は把握しているつもりだった。
口は悪いが根は優しい、そんな創作物の職人のテンプレートみたいな人物だと評価していた。
なのにその口調は、聞いている廉造の身が竦むほどに寒々しい。
「これは試練なんじゃよ小僧」
そう廉造に告げたのは、職長では無く一番若いドワーフ──中野の工房主だ。
「生きて巡礼の旅を続けておれば、巡礼者は必ずその力を手にする。姿形も、手に入れる時期も、そして手に入れる目的も別じゃが、例外は無い。お前も近い将来、その集音小剣なんぞとは比べものにならないほどの強い力を手にする筈じゃ。生き延びる事ができればじゃがな。お主のツレにとって、それは今日じゃった。それだけの話」
中野の工房主の言葉に、職長や他のドワーフ職人達が無言で頷く。
「そうなってしまえば、もうワシら職人の口を挟む余地は何一つ無い。巡礼に対する心構えも、力に対する責任や義務も、ワシらが何を言おうと無駄じゃからな」
「……」
工房主の言葉に、廉造は黙って耳を傾ける。
その言葉に、おそらく間違いは無い。
「手に入れた力をどう使おうと、それはもうお主ら次第じゃ。ワシらはただ、望まれるままに剣を打つだけ。それがドワーフと巡礼者との正しい距離感。女神アウロア様の望んだ事じゃ」
工房主がそう告げると同時に、南の空から金切音が響く。
廉造が振り向いて顔を上げると、遠く遠くの空に巨大なシルエットが──五つ。
不自然に横幅の広い顔と、細長い首。
でっぷりとした胴体の背中から、蝙蝠に似た大きな翼が広げられている。
尻尾の先は──蛇の頭だろうか。
長い舌をチロチロと動かしているのが、今の廉造の立つ場所からでも良く分かった。
「お、おいおい。あんな強そうなの……大河一人で……」
一匹ならまだしも、五匹。
大河の強さは良く理解しているが、流石に初見のモンスター相手に一人では分が悪い。
「まぁ、余裕じゃろ」
「なんだったら、お主一人でもギリ勝てるかもな」
「本当に危なかったらワシらが助力するから、まぁ見ておれ」
思わず大河の元へと駆け寄る寸前だった廉造を、ドワーフ達の声が制止した。
廉造が振り返ると、ドワーフ達はいつの間にか公園入り口にそびえ立つ大樹の根元に腰掛けている。
その手には大きな木製のジョッキ。
まるで野球観戦でも始めるかのような気安さで、廉造へと手招きをしていた。
「み、見た目ほど強くないってこと?」
「ああ、アレは竜種の中でも底辺に近い。そこら辺の雑魚よりは手強いが、戦い方次第ではお主らレベルの巡礼者なら倒せる筈じゃ。まぁ、お前だとさすがに五匹は骨が折れそうじゃが、あの小僧なら──災禍の牙を持つ巡礼者なら倒せてしかるべき、じゃな」
職長はそう言って、ジョッキの中身を勢い良く呷った。
「──ぷはぁっ! うむっ! 一仕事終えた酒は格別じゃな!」
「ちゃんとした献杯は工房に戻ってからじゃぞ職長」
「ここでは一杯だけじゃ。我慢せんとな」
「まぁ、この酒が無くなる前に片は付くじゃろ」
のんきなドワーフ達の声を聞きながらも、廉造は心配そうに大河を見つめる。
どこか緩慢な動きでゆらりとワイバーンドレイクへと向き直った大河が、またあまりにもゆったりとした所作で剣を右肩に担いだ。
「──すぅううううっ」
その背中が徐々に膨れ上がる。
吸い込んだ息が肺を満たし、息を止めると同時に全身を力ませた。
「やってやれ小僧」
職長が言葉を発したのと、ワイバーンドレイクの群れが大河めがけて急降下したタイミングは正しく同時であった。
「──――ふぅううううううあああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
ビリビリと空気を振動させ、破裂すらさせる大河の雄叫びが公園中に響き渡る。
振り下ろされた災禍の牙の赤い軌跡が、その水晶で形作られた刀身の軌道が──廉造の目には、とても綺麗に見えた。