同盟者①
大河が『咎人の剣』を工房に預けてから、四日が経った。
その間にもケイオスが打ち立てた〝同盟〟プランは着々と進行しており、東中野第二小の近辺の小規模・中規模ビルのいくつかにはすでに同盟を締結させたクランたちが拠点を移動し住み始めている。
「……暇」
第二小の屋上。
そこに設置されている横長のベンチの上に寝転んで、大河はあくびをかみ殺しながらぼそりと呟く。
仰ぎ見る空は、亜熱帯の中野の環境に珍しく晴天。
ここ中野は雨が非常に多く、そしてそれに比例して湿度も高い。
だが今日に至ってはやたらとカラッとした天気であり、雲一つ見当たらない空から直射日光が容赦なく照らされている。
そこに居るだけで汗ばむ熱気。
大河が今身につけている半袖のTシャツも、そしてスウェットも、すでにじんわりと濡れてきている。
「かといって……中に居たら怒られるしなぁ」
皆が忙しそうに家事や雑務をこなしているなか、一人何もせずに手を遊ばせていることに、大河は耐えきれない。
ついつい作業を手伝おうとしてしまい、その度に何もするなと愛蘭や香奈に怒鳴られる。
だから仕方なく、ここでこうやってしたくもない日向ぼっこなどに興じているのだ。
枕代わりにしていた自分の腕を解いて、仰向けの状態からごろんと横たわる。
屋上のフェンス越しに見えるのは、第二小の向かいに立つ中規模マンション。
そのマンションの多くのベランダから、室内でなにやら作業をしている人々が見えた。
「あっちは……たしか昨日引っ越してきた鷺宮方面のクランだっけ……」
海斗と廉造が連れてきた、若い男性が多く在籍しているクラン。
同盟を締結したクランのリーダーとの顔合わせは、この休み期間における大河の数少ない仕事の一つだ。
この四日はクラン関係の報告も少なめにされているので、詳細までは知らない。
ケイオスのリーダー専用の部屋として使われている校長室の机の上に、郁や瞳などの事務作業が得意なメンバーが纏めてくれた報告書がそれなりに積まれているはずだ。
この休みが開けたら、一番先に大河がこなさなければならない仕事が、まさにその報告書を読む事。
「……少しくらい、仕事させてくれてもいいだろうに」
先日、そう愛蘭に苦情を申し立てたらあっさりと却下された。
普段から過剰に働き過ぎる大河の傾向を見抜かれている。
竹を割ったようにさっぱりとした性格の愛蘭は、こうと決めた事を絶対に譲らないし、曖昧になどさせない。
休むと決めたのなら全力で休ませる。
若干の押し問答の末、ようやく同盟クランのリーダーとの顔合わせまではなんとかもぎ取ったが、それも不承不承と渋面で頷いていた。
「えっと、確か11時にも顔合わせがあるんだっけか」
もぞもぞと身体をくねらせて、スウェットの右ポケットに雑にしまってあるスマホを取り出し、画面を起動させて時間を見る。
「もうちょいか……」
現在の時刻は10時45分。
起きたのが5時で、朝食を取ったのが7時前。
贅沢にも朝風呂に興じたのが8時頃なので、最低でも二時間は暇を持て余していた計算になる。
体感としては五時間にも匹敵する時間の間延びであったが、なんとか耐え切れたようだ。
「ほっ」
腹筋の力だけで上半身を引き起こし、ベンチから降りて室内用に使っているサンダルを履く。
「んーぅうううううっ」
ベンチから立ち上がり、ぐいっと背伸びを一つ。
ポキポキと背骨の関節が小気味よい音を立てた。
「……っはぁ」
そこで一度脱力し、ぷらぷらと手を揺らし足首を捻る。
「……降りるか」
顔合わせに使う応接室は、一階の職員室の隣にある。
有事にはいくみの力によってまるまるダンジョン化する第二小の一階部分も、今は普通の小学校の姿のままだ。
『ボールとってこよーぜ!!』
『えー! またサッカーするのー!?』
『今日はキックベース!!』
『人数足りるの?』
『新しく来た子たちにも声をかけておいたから大丈夫だよ!』
『いくみー! 女子たちにもキックベースやろうぜって言ってきてー!』
休憩時間を迎えた子供達が、元気な声でグラウンドに躍り出てきた。
ケイオスの何人かのメンバーにより午前と午後の二時間づつ、年齢に応じた授業のような物を行っている。
教員資格を持っている者はケイオスのメンバーにはおらず、また高等教育を指導できるほどの成績を持つ者も居なかったので、最高でも中学二年生程度の年齢の子にしか授業は受けさせられていない。
「……どっかに、先生できる人とかいないかなぁ」
もちろん、大河や悠理、廉造に祐仁と言った本来は高校に通っているはずの年齢のメンバーは、授業など受けられない。
中学を卒業してから進学していない大河は、高校の授業と言う物にかすかな憧れを抱いている。
異変を経て変貌してしまった廃都・東京では普通に運営されている学校など高校に限らず存在しない。
少なくとも、今まで大河が旅してきた街には一つも無かった。
行きたくてももう二度と行けなくなったであろう高校に、その学校生活に少しばかりの夢想を抱きながら、大河はとぼとぼと屋上を出口まで歩き始めた。
「あ、大河。そろそろ時間だよ」
校舎内中へと続く扉のドアノブに手をかけようとしたタイミングで、その横にある開かれた窓から悠理が顔を出した。
「おう、今から降りようと思ってたんだ」
大河と同じように休暇を言い渡されていた悠理であったが、大河とは違って仕事を手伝っても誰にも文句は言われない。
なので普通に朝昼夕の調理や掃除、洗濯などの雑事をこなしている。
普段よりも多少は休ませて貰っているが、やはり悠理も他の人が働いているのに何もしないのは座りが悪かったようだ。
「今日はどこのクランだっけ?」
「弥生町の方。最近できたクランなんだって。たしか廉造くんが交渉に行ってたところ」
ドアノブを捻って扉を潜り校舎内へと入った大河は、そのまま階段をゆっくり降りていく。
悠理は大河のすぐ後ろに付き添いながら、同じように階段を降り始めた。
「ああ、あの襲撃された三つか四つのクランの生き残りが集まってできたとかいう……」
昨日の夕飯時に廉造から報告された内容を思い出す。
「やっぱりそこも、ケイオスへの加入を求めてきているんだっけ」
「みんな言うよなそれ……さすがにそんな沢山の面倒なんて見切れないっての……」
今日までに同盟関係となったクランは合計20。
ケイオスを除いた人数でも、すでに二百を超えてきている。
これは〝同盟〟プランを考案した時から予想していた事であるが、やはりどこのクランも同盟の盟主であるケイオスがかなり裕福なクランに見えているようだ。
実際は今いるメンバーの食料をまかないつつ、ドロップ素材を売却しても少額の貯蓄がかろうじてできている程度しか余裕は無い。
それだって悠理や愛蘭、瞳や郁などのやりくり上手が日々頭をひねり、海斗を中心とした食材調達・兼戦闘班が休み無くモンスターを狩り続けているからできることだ。
これ以上のメンバーの増員は、現在の拠点の周囲の環境から言っても難しいだろう。
大河がメンバーの増加ではなく〝同盟〟プランを打ち立てたのも、現実的に考えての事である。
人は生活苦に陥った場合、奮起し働き出す者と、他者に依存し自分では決して動かない者にはっきりと別れる。
大河はその事を、島という男をリーダーとしていた『東新宿共同組合』というクランに世話になった時に実際に見て理解していた。
かのクランは今のケイオスよりも遙かに多くのメンバーを抱えていて、島の手腕によって円滑に運営されては居たものの、実際には働く少数の者が働かない大多数の者をギリギリで養ってバランスを保っていた。
現在のケイオスメンバーの場合、ほぼ全ての成人(大河は高校生以上を成人と捉えている)は例外なく仕事を割り振られていて、手を空けてサボっている者は一人も居ない。
これはケイオスに在籍している未成年、つまり働きたくても働けない存在が多いことに起因している。
守るべき者の多さと、大河を筆頭とした愛蘭や香奈のリーダー性が、今のケイオスの効率性と各々の責任感を支えているのだ。
「……どいつもこいつも、こっちに色んな事を任せようって魂胆が透けて見えるんだよなぁ」
一階に辿り着いた大河が、大きすぎるため息を吐いた。
「食料調達とか、オーブ稼ぎとか、大変だったり危険な事を私たちに任せておきながら、自分たちの役割ははっきりさせようとしないもんね……」
この四日間、大河と同盟クランのリーダーとの顔合わせに同席してきた悠理も、同じ様な感想を抱いていた。
「こんなこと言いたかないけど、負け犬根性が染みついているっていうか……」
自分たちは弱者であり、虐げられてきた者たちなのだから、多少の便宜は図られてしかるべき。
どのクランのリーダーも、直接は言わないにしろ遠回しにそう言った意味合いの主張をさりげなく織り交ぜてくる。
かつてのケイオス──アンダードッグと名乗っていたこのクランにもかすかに存在していた諦念から来る弱者気質が、以前の庇護者よりもかなり優しいケイオスと言う後ろ盾を得た事で悪い方に成長してしまっている。
「まぁ、そういう図々しい奴らの方が、いざって時に切り捨てやすい」
別にケイオスだって、完全な善意から同盟関係を打診しているわけではない。
双方にメリットがあってこそだ。
だからこそ顔合わせの際に『僅かなら食材の支援も行えるが、それにも限界がある』事と、『同盟間でのオーブの受け渡しはしない』事をきちんと明言している。
あくまでもクラン・ロワイヤルが終わるまでの庇護関係。
ケイオスの保有する戦力が同盟者を庇護する代わりに、少しでも数的不利を補うためだけの結束である。
同盟相手がケイオスにとって、クラン・ロワイヤルの勝利にとって障害となるのなら、その時は潔く関係を破棄しうるとも、大河ははっきりと伝えている。
なにより、大河は他のクランの人間を100%信用してはいない。
上位クラン達が滅多に動かないこのファーストステージにおいて、その戦略が読めない以上、同盟に紛れて間者が居ても何もおかしくないと考えているのだ。
「さて、今日の人達はどういう無茶を俺らに言ってくるかな」
一階の廊下に、大河のサンダルの音がペタペタと響く。
外ではキックベースを始めた子供たちの楽しそうな声。
窓からグラウンドを見ると、どうやら男女混合に2チームに分けたらしい。
審判役はいくみのようだ。
その顔は喜色にあふれていて、子供達の遊びに自分が混ざれてこれ以上無く嬉しいのだろう。
「大河。分かってると思うけど、何言われても怒ったり怒鳴ったりしたら駄目だからね?」
「ああ、もうしないよあんなこと」
二日前、ケイオスが同盟を募っているとどこかで聞き及んだ弱小クランが、自発的に第二小に訪ねてきた事があった。
そのクランは男性ばかり10名ほどで、お世辞にも善人とは言いがたい風貌の男をリーダーに据えたガラの悪い集団だった。
『戦闘に積極的に参加するから、俺らに女を何人か都合して欲しい』
たしかそんな事を言われた瞬間に、大河の怒りが沸騰し、剣を持っていない事も忘れて殴りかかってしまった。
大河の持つ【解放者】の称号の効果があったから良かったが、もしその効果が無ければ返り討ちにあっていたかもしれない。
図らずも、称号の効果は『咎人の剣』が無くともその肉体に発動する事が判明したのが怪我の功名。
剣の抜剣時に比べるとかなり弱体化はしていたものの、低レベル帯であれば剣が無くとも称号効果の発動で圧倒できるのは嬉しい情報だ。
「あの時は寿命が縮まるかと思ったんだから」
「一応、なんとなくイケるって確証はあったんだよ。本当に」
理屈でなく、おそらく本能。
大河からしてみれば、称号を持つ者にしか分からない実感と確信があっての暴走だったが、知らない者から見れば武器を持たず無防備に喧嘩をしていた様にしか見えない。
もちろん、相手のリーダーの顔面をボコボコに整形し終えた後で、悠理だけでなく愛蘭や廉造、海斗にまで説教されたのは当然の事だろう。
それ以来、顔合わせの際は応接室の外に戦闘班のメンバーが三人待機するようになった。
「よう、もう相手さん来てるぜ」
今日は手の空いている海斗と健栄が、その待機メンバーらしい。
「今日のクランはかなり若い奴らで構成されいるようだな。敵意もなく礼儀も正しかったから何も心配いらんと思うが、くれぐれも勝手に暴れてくれるなよリーダー。相手が無礼だったらまずワシらを呼べ」
早くも剣をハードブレイカーから次の姿へと成長させたばかりの健栄が、どこか自信満々にそう言った。
新しい剣の力強さに少しばかり興奮を抑えきれなかったようで、ここ数日戦闘への意欲に溢れている。
「わかってるって」
もう何度も言われている注意に辟易としながら、大河は海斗と健栄の間にある応接室の引き戸にその手をかける。
「最近のお前は危なっかしいから言ってるんだよ。お前ならきっと自覚しているんだろうが、こう言った忠告はちゃんと聞いておけよな」
「リーダーの事は信用しとるが、念には念をな」
ケイオスの成人男性代表格の二人にそう言われてしまえば、大河はもう何も言えなくなる。
苦々しく強張ってしまった顔を無理矢理なんとか解し、少しでも好印象に受け取って貰えるよう表情を作る。
「さて、と」
そして大河は、扉を開けた。