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東京ケイオス  作者: 不確定 ワオン
東中野ブロック
175/232

穏やかな時間が流れる


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「おらぁ! 祐仁! テメェなんだその()()り腰は!」


 ケイオスのアジトから少し離れた市街地に、海斗の怒号が響き渡る。


「ご、ごめんなさい!」


「怖いなら怖いで良いんだけどよ! 中途半端な攻撃は自分の首を絞めるぞ! ちゃんと踏み込んでおかねーと、体勢崩して避けられるもんも避けられねーだろうが!」


「わ、わかりました!」


 海斗と祐仁、それに十数人のケイオスのメンバーは、モンスターとの遭遇(エンカウント)率の高い場所で戦闘訓練と並行して食材採取を行なっている。


「敵から顔を逸らすな! 怖いんだったらちゃんと敵の隙を見極めてから慎重に動け! 中途半端に度胸見せて無謀に突っ込むのが一番ダメなんだ! お前は自分がビビりって自覚してんだから、ビビりならビビりなりに考えて動け! 良いな!」


「は、はい!」


 元ヤンである海斗の凄みのある怒声に、祐仁はすっかり萎縮してしまっている。


 しかしその内容に理不尽は無い。

 相手は弱いフィールドモンスターとは言え、一歩間違えれば祐仁は死ぬのだ。


 みなそれを分かっているからこそ、海斗の言葉に反論したり捻くれたりもせず、素直に従っている。


「大丈夫だ! お前らが本当にヤバい時は絶対に俺がなんとかする! だからやけっぱちで動くな! 敵がどう動くかしっかり見て、しっかり考察してから動け! よし! 次の狩り場に急ぐぞ!」


 周りに散乱するモンスターたちの死体を一瞥して、新たな敵の気配が無いと判断した海斗は皆の先頭に立って歩き始めた。


 祐仁や他のメンバーは肩で息をしながら、その背中に連なって進む。


 早朝から始めたこの戦闘訓練もすでに四時間ほど。


 成果と言えば、そこそこであった。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「お洗濯物を干しますよー! みんなお手伝いしてくださーい!」


 ケイオスアジトの屋上から、千春の元気な声が学校中に響いた。


『はーい!!』


『えー! もう少しだけー!!』


『ダメだよ! 休み時間終わりだもん! ちゃんと手伝わないと、愛蘭お姉ちゃんに怒られるよ!』


『ちぇー!!』


 グラウンドでサッカーをしていた男の子たちや、花壇近くでゴム段をしていた女の子たちからも、同様に元気な返事が聞こえてくる。


 お昼を食べ終えた後の長い休み時間。

 まるで本当の学校生活の様に決めたそれに、子供たちは従ってくれている。


 香奈(かな)(かおる)、そして他の大人たちが教科を分担して授業の真似事のような事もしているが、どうやらそれも子供たちにとっては楽しい事のようで、今の所このアジトでの生活は順風満帆と言える。


「い、いくみもお手伝いする……」


 グラウンドで遊ぶ子供たちを嬉しそうに眺めていたいくみが、千春のシャツの裾を引っ張った。


「本当ですか? いくみちゃんは偉い子ですね!」


「え、えへへ……」


「じゃあ千春が洗濯物を運んで来ますので、いくみちゃんは子供たちと一緒に物干し竿に干しちゃって下さい! 年長の女の子たちが教えてくれると思いますので!」


 このアジトに引っ越してきてもう三日。


 学校という特殊な建物を住居にした事で子供たちだけでなく大人たちも、不思議な高揚感に包まれていたりする。


 そんなふわふわしたお昼下がりのケイオスアジト。


 校門前では今日の立番である大人たちが、調理班の作った弁当を交互に食べながら、大河や海斗に気を抜きすぎるなと厳命されているので少しばかり緊張感のある顔つきをしていた。


「水場が屋上にあるのは楽で良いですよねー。あとは洗濯機が欲しいところですが、贅沢は言ってられません。みんなでやればあっという間ですから。千春的には大浴場があればさらに嬉しかったんですが」


 千春はそう言って、洗濯籠の中からリネンを取る。


 屋上の床に付かないよう慎重に広げ、小さな背を目一杯伸ばして物干し竿へとリネンをかけ、丁寧に丁寧に広げた。


「い、一階のダンジョン部分は……主人(あるじ)様といくみで簡単に部屋の配置とか、内装とか変えられるけど……二階以上は工務チケットっていうアイテムが無いと変更できないの……。だ、大浴場は普通のチケットじゃなくて、大きい部屋用のチケットと素材が幾つか必要になる……かなり、高い……」


 いくみはそう言って女児用の下着をパンパンと広げ、洗濯バサミがたくさんついた四角形のハンガー、通称ピンチハンガーに一つずつ干していく。


「うえ、い、今の千春のワガママはリーダーには内緒でお願いしますね。なんだかんだで、千春や子供たちのお願いを聞いたら無茶でもなんとかしちゃおうとするからあの人……」


「あ、主人様は……すごい優しい人……」


「はい! みんなの頼れるリーダーですよ!」


「えへへ……良い人に貰われて、いくみは嬉しい……」


 千春といくみはテキパキと洗濯物を干しながら、なんて事ない雑談にのんびりと花を咲かせた。


「いっちばーん! 千春お姉ちゃん! お手伝いに来たよ!」


「いっくん階段登るの速いよ! 転んだら危ないんだからね!」


「お姉ちゃん、私こっちの洗濯籠やるね?」


「いくみちゃん! 女の子の洗濯物と男の子の洗濯物は別にしないとダメだよ!!」


「ぎゃ、ぎゃああ!! だ、男子一旦あっち向いてー!!」


 屋上に次から次に集まる子供たちの声で、大分騒がしくなってきた。


 千春はそんな喧騒に苦笑しながら、頭上に光る正午の太陽を見上げる。


 こんな穏やかで心休まる日々が、自分達に再び訪れる事なんてもう無いと思っていた。


「……リーダーの、お陰ですねぇ」


 ぼそりとそんな事を呟いて、千春はやんややんやと喧嘩をし出した子供たちを諌める為に振り返る。


 少し離れた場所で大河と廉造が人を殺しているなんて、微塵も感じさせない。


 ここに流れる空気は、とても穏やかだ。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「あれ?」


 小皿に口を付けて味見をしていた悠理が、ふとその手を止める。


「ん? どうしたの悠理ちゃん。味の調整間違えてたかしら」


 少し離れた場所で大量のトマトを切り分けていた郁が顔を上げて悠理に問いかける。


 ここはケイオスアジト、その三階。


 学校最上階の校舎のちょうど真ん中あたりに、家庭科実習室はある。


 調理班のメンバーが主に使用している、いわゆる台所の役割を担う場所だ。


「いや、スマホからなんだか聞き慣れない着信音が」


 ケイオスはクランとしては小規模だが、それでも在籍メンバーが三十人を超える大所帯だ。

 なので献立は必然的に一度に大量に、そして調理のしやすい物になる。


 悠理の目の前には大きな寸胴鍋が火にかけられており、その中には具沢山の肉じゃががぐつぐつと煮込まれている。


 味見中だったので右手に持っていた小皿と、左手に持っていたお玉をガスコンロ横のテーブルにそっと置き、新宿で大河に選んで貰ったお気に入りのエプロンのポケットからスマホを取り出す。


「えっと……」


 手早くスマホを起動し、『ぼうけんのしょ』アプリを開く。


「……【調理】技能……レベル1を獲得?」


 一番最初に表示されたメッセージウインドウを読み上げて、悠理は首を傾げた。


「なにそれ」


 蛇口で軽く手を洗った郁や、他の調理班の女性たちが次々と悠理の周囲に集まってくる。


「わかんない……あ、ヘルプアイコン……」


 ウインドウの一番下に、デフォルメされたアニメ調の女の子が指を振っているアイコンが表示されている。

 悠理は面識が無い(遠目で一度見ただけだ)からわからなかったが、それはシステム天使の一人、地雷天使レナをモチーフにした物だ。


 人差し指でそのアイコンに軽く触れると、スマホのスピーカーから抑揚のない女の子の声が流れ始めた。


『おめでとうございます。巡礼者(プレイヤー)成美悠理は非戦闘技能(スキル)、【調理技能】を獲得しました。これは食材を用いて一定回数調理を行い、熟練度が溜まった際に獲得できる技能(スキル)です。技能による恩恵は技能の説明欄をご覧ください』


 そんな短い説明が、画面に表示される同じ文章のテキストと共に流れる。


「えっと、これかな?」


 テキストボックスを消して、ステータス画面を開く。

 新たに獲得した事を示す赤文字で書かれた【調理技能】をタップすると、説明文が表示されたウインドウが現れた。


「食材の持つバフ効果が1.2倍。加熱時間の短縮が1.1倍。食材消費が微減に、戦闘時に得られる食材ドロップが微増……これ、凄いのかな?」


「私、そういうのあんまり詳しくないのよね」


 郁や他の女性陣に聞いても、あんまりピンと来ていない。


「うーん……大河とか廉造くんなら知っているかな」


「そうね。もうそろそろ帰ってくると思うし、急ぎましょ」


 その場で疑問が解決しないと判断し、調理班の女性たちはゆっくりと自分の持ち場へと戻った。


 悠理も再び寸胴鍋へと向き直る。


 牛肉とじゃがいもを甘いしょうゆベースの割下で煮込んでいるので肉じゃがと言い張っているが、実は消費期限が怪しい食材をごった煮している。


 腐らせるぐらいなら美味しく消費しようという、涙ぐましい主婦(?)の知恵であった。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「おおおあああああああああっ!!」


「ひっ!」


 鬼気迫る大河の雄叫びに気圧された男は、構えた剣ごとその胴体を切断され絶命する。


「大河! お前飛ばしすぎだ!」


「こんな奴らに時間なんか掛けてられるか!」


 少し離れた場所で歌唱スキルを使用していた廉造が、歌うのを一度止めて大河へと声を荒げた。


「お前なぁ! 一々キレてたら身が持たないぞ!?」


「分かってる! 俺は冷静だ!」


「それが冷静な奴のツラか! あー! 兄貴も連れてくるんだった!」


 ここはアジトから1キロほど北に離れたとある会社の倉庫。


 情報収集も兼ねて周辺の散策をしていた大河と廉造は、たまたま素行の宜しくなさそうな集団を見つけ、こっそりとその後を尾けてここに辿り着いた。


 倉庫はどうやら物流系の倉庫で、大きな荷物やケージが散乱している雑多な空間だった。


 その奥には、顔をボコボコに腫らせた中学生程度の女の子や、身体中が痣だらけの女性たちが数人。


 どの女性も服を身につけていない。

 首には雑に鎖が巻かれ、身に着ける衣服は一切無く、そしてみな生気を失った虚ろな目をして泣いている。


 つまりここはそういう女性たちを監禁し、そういう行為を行っていた場所だったのだろう。


「ま、まって! まってくれ!」


(うるさ)い!」


 集団のリーダーらしき振る舞いをしていた長身痩躯の男を一喝し、有無を言わさずその腹めがけてハードブレイカーで突き刺す。


「おごっ、がっ、ゆっ、ゆるしてっ! おねがいじます! ゆるしてぐださいっ!」


 激痛に顔を(しか)めて、口から大量の血を吐き出しながら、男は大河に許しを乞う。


「──ふざけるなよ! ふざけるなよお前らぁあああああっ!」


「ああああっ、ぎゃああああああっ!!」


 ハードブレイカーの柄をぐるりと握り回し、横に薙ぐように引き抜く。

 まろび出る臓物と大量の血で、倉庫の床が汚れた。


「ふっ、ふっ、ふぅうううっ!!」


 怒りで茹だる思考を冷まそうと、浅い呼吸を繰り返す。


 自分でもなぜこんなにも苛立っているのか、大河は理解していない。


 たまたま、乱暴された女性の中に悠理に雰囲気が似ている娘が居たからかも知れない。


 それとも、まだ自分の中にこういった悪行に対する正義感が残っていたのかも知れない。


 新宿で、そして池袋で。

 こういった女性たちの悲劇を何度も聞いていた筈だ。


 こういう事もあると、覚悟していた筈だ。


 だが実際にその現場を見たのは今回が初めてで、その想像を超えた凄惨な光景に一瞬で頭が沸騰してしまった。


 血塗れになった自分の身体を一通り眺め、そしてゆっくりと倉庫の奥──女性たちへと視線を向けた。


「……あ」


「た、たすけて……殺さないで……」


 目の前で人が死んだ。

 自分達を虐げていた悪党が、無惨に殺されたというのに。


 女性たちの目には怒りも、恐れも、喜びも。

 何も無い。


「──っ!」


 大河は唇を噛み締める。

 ハードブレイカーを握りしめるその手に力を込めすぎて、手のひらに爪が食い込んだ。


 殺した相手と自分の血が手の中で混じり、倉庫の床にポタポタと落ちた。


「……大河、アジトから女の人を呼ぼう。メッセ送っとく」


 悪漢どもの最後の一人の首を容易く跳ねた廉造が、エコーにこびり付いた血を振り払って大河の肩を叩いた。


「……ああ、俺が迎えに行くから、お前はこの人たちに服と、あと飲み物とか……色々頼む」


 そう言って大河は倉庫の出口へと歩を進めた。


(分かってたはずだ。愛蘭さんだって、郁さんだって瞳さんだってそうだったじゃないか。これが今の東京で──中野ではありふれたことだって、割り切ってたはずなのに……抑えきれなかった……)


 いまだに激しく拍動する心臓は、(はらわた)まで煮えたぎるほどの苛烈な怒りがそうさせている。


 服の上から自分の心臓を抑える。


 倉庫の入り口から差し込む外の光は、暗闇に慣れた大河の目にはあまりにも眩しすぎた。

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