信賞必罰②
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「しかしまぁ、信用されすぎてる気もしないでもないな?」
一階の階段に腰を下ろして、海斗はハヤテマルを肩に担いで嘆息した。
「しょうがないんじゃない? このクランに他に取れる選択肢は無いんだからさ。このまま黙っててもアイツらに好きに弄ばれるだけだし、逆にあの人たちだけで戦ったらあっという間に全滅するだけだし」
今はもう動かなくなったエレベーターの扉にもたれて、廉造は頭の後で両手を組んだ。
「俺らに頼るしか選択肢は残されていない……か。まぁ、俺らからしても、取れる行動はそう多くないし、良いんじゃないか?」
大河は一人、一階受付ロビーに数台設置されているベンチ型のロングソファの背もたれに腰を乗せて、玄関の先から歩いてくる『新中野ファラオ』の面々と松木の姿を注意深く観察している。
「そろそろだ。海斗さん、あの一番偉そうな奴、多分畑瀬って奴だと思うんだけど、そいつともう一人──弱そうな奴は生かしておいてくれ。色々と知りたい事がある」
「了解了解。なんだお前、なんだかんだでリーダーっぽい事言えるじゃねぇか。
「やるんなら本気でやるよ。俺だって死にたくないし、悠理を危ない目に合わせたくない」
「へっ、かっこいいねぇ彼氏ぃ。俺ぁ一緒に戦うならそういう肝の座った奴が良い。廉造、今のうちに気持ちアゲておけよ。お前のスキル、そういう前準備が面倒なんだから」
階段から腰を上げて、海斗は大河の側で腰に手を当てて笑った。
「任せてよ兄貴、僕はいつだってどこだって歌って踊れて観客を魅了できる──アイドルなんだぜ?」
廉造もまた、二人に続いて腕を組んで仁王立ちをした。
そして──。
「止まれ!」
開けっぱなしとなったガラス製の自動ドアに、『新中野ファラオ』の一人が足を踏み入れた瞬間、大河が大声を上げた。
「何の用だ──ってのはわざとらしいか。ここのクランの人たちはもう充分傷ついている。これ以上、俺らに関わるのは止めて貰いたい」
大河の声に足を止めた先頭の金髪の男──この茹だるような暑さの中、スタッズがいっぱい付いた真っ黒な革製のジャンパーを着ている。
見た目だけでもそうとう暑苦しいのだが、汗ひとつ掻いていないところを見ると、何かしらの熱気を遮断するアイテム効果が付随しているのだろうと大河は推測した。
「いや、誤解だぜ兄ちゃん。俺らはお前らのリーダー……いや、前のリーダーと約束をしていたんだ。お前らのケツを持って他のクランから襲われないよう守ってやるかわりに、俺らにすこーーーーーーーーーーしだけ、良い目を見せてくれよってな?」
金髪男のその言葉に、その後ろに控えていた他の男たちがゲラゲラと笑った。
「このおっさんに聞いた話じゃ、布良は俺らが一度で良いから会わせてくれよって頼んでいた姉ちゃんに酷い事をしたらしいじゃねぇか。いや、ほんとアイツはクズ野郎だよなぁ? 誰かのお手つきになる前に自分が喰っちまおうとするなんてよぉ? それで反撃されておっ死んじまったんじゃ、どうにも救えねぇ馬鹿だぜ。なぁ松木のおっさん」
「あ、ああそうだとも畑瀬くん! 布良は心底救いようの無い奴でな! えっと、君たち……君たちはそういえば……誰だったかな? 新入りか? まぁ良い。なんだったら、私の口利きでこっちのクランに移籍させてやるから、そこをどきたまえ」
今更になって大河らの姿を認識した松木が、頭を捻る。
(このおっさん、よっぽど他のクランメンバーの事とかどうでも良かったんだろうなぁ。多分、女の人以外のメンバーの顔と名前、あんまり覚えてないと見た。あの布良って人は、香奈さんがこいつらに指名されちゃったからその前に自分だけ良い目を見ようとしてたのか。なるほど、やり方が強引だって感じたのは、つまりそう言うことか)
色々と考え込む大河の目には、目の前で何かをぎゃあぎゃあと喚く小太りの初老の男がとんでもないく薄汚い肉袋にしか見えなくなっていく。
頭の中のスイッチが、パチンと音を立てて切り替わるような感覚がした。
徐々に身体の熱が冷めていく。
「それにさぁ、布良くんってば、俺らに支払うべきオーブを数ヶ月間まだ支払ってないわけ! かなり良心的な金額だったのにさぁ、滞納されちゃうとこっちとしても困るのよ! 優しい俺らだって、こうやって怒鳴り込んでくる程度には頭に来てるんだよねぇ!」
金髪の男──畑瀬の後ろに控えていた一人が、楽しそうに身を乗り出して笑いながら告げる。
「悪いな。このクランにはお前らに支払えるような財産はほぼ残っちゃいねぇんだ。無いものを出せって言われても困る。ここは大人しく引いてくれたら、穏便に話は終わるんだがな?」
海斗がつまらなさそうに答えた。
肩に担いだ鞘に収まったままのハヤテマルの柄を握る手に、ゆっくりと力が込められていく。
「それに滞納ってのも疑問だよね。僕らはこの松木っておっさんがゲロするまで、そっちに金や女の人を寄越していたことすら知らなかったんだ。吹っかけているだけじゃない?」
ケラケラと笑いながら、廉造が続いて話しかけた。
その左手に隠し持っている小さなナイフに付けられている鈴が、リンと音を鳴らす。
「言うねぇ。兄ちゃんたちは、俺らが嘘を吐いていると思ってんだ」
「嘘っていうか、アンタら要するにここに略奪をしに来てるわけだろ? もう良い加減アホらしい茶番は辞めようぜ。時間が勿体ない」
畑瀬の言葉を聞いて、ソファに寝かせてあったハードブレイカーを持ち上げながら大河が呆れたようにため息を吐く。
「松木さんだっけ。そっちに居るってことは、そういうことだと思うけどいいよね?」
「アンタも相当な人でなしだよな。こっちの連中を陰で散々食い物にして、分が悪くなったら速攻で切り捨てるとかよ。まぁ、アンタみたいなクズの方が気兼ねなく切り殺せるってもんだ。他の連中も大概だけどな?」
廉造が小さなナイフを口元に添えると、それを見た海斗もハヤテマルを腰のベルトに差し込み、深く腰を下げた。
「くっ、くくくっ……あははははっ! 馬鹿かてめぇら! この人数を前にして何をイキってやがるんだ! おいお前ら! 我慢はここまでだ! 存分に暴れて良いぞ!」
『しゃあっ! あの瞳って女は、俺が最初だからな!』
『じゃあ俺は愛蘭で我慢すっかな! アイツ無反応だからあんま楽しくないんだが、見た目だけはかなり良いからよ!』
『ぼ、僕も良いんですか!? 本当に良いんですよね! あの、前から可愛いなって思ってた女の子が居て、千春って娘なんですけど!』
『ああ良いぞ新入り! お前も好きなだけヤリまくれ! ガキだろうがババァだろうが選り取りみどりだ! ロリコンだろうがペドだろうが、今の中野じゃ関係ないからな!』
畑瀬の号令と同時に、後ろでソワソワしていた『新中野ファラオ』のメンバーたちが騒ぎ出した。
皆その手に『咎人の剣』を顕現させ、目を血走らせている。
「おうお前ら! あの香奈って奴には手を出すなよ! 一番最初は俺がヤるんだからな!」
「畑瀬くん、そういえば新しい女の子を見たぞ。アイツらと一緒に居たかなり可愛い子だ。黒髪を腰まで伸ばした、清楚そうな子だった。高校生くらいかな? 君の好みだと思う」
「へぇ!? そりゃ良いことを聞いたぜ! でかした松木のおっさん! そのメスガキをぶっ犯すときゃあ、できるだけアンタにも回してやるよ!」
そんな畑瀬と松木の会話が、完全に大河の琴線に触れた。
冷え切った思考が、瞬間的に沸騰する。
「おいおい、冷静になれよ大将──って、無理か」
そんな大河の横顔をちらりと見て、海斗は冷や汗を流した。
据わった瞳から感じる感情は漆黒の怒り。
大河は無言で頷き、力強くその足を踏み出した。
「かかって来い人でなし共……皆殺しにしてやる……」
重く低い声色で、大河は騒ぎ続ける悪党たちへと呟いた。
もちろんその声は、隣に居る海斗と廉造にしか届いていない。
「た、たいがー? あの畑瀬って奴ともう一人は生かしておくって、さっきいってなかったけー?」
「止めとけ廉造。もうプッツンしてやがる。大河! 一応聞いておくけど、作戦は!?」
その気迫に気圧された二人が、若干引きながら大河に指示を仰いだ。
「まずは全員をこの建物から引き剥がす。こいつらは外で殺そう。そうしよう。そうすれば上のみんなにも見てもらえる」
海斗には目もくれず、畑瀬と松木をじっと見つめながら大河は呟いた。
「了解。んじゃあまずは下っ端の俺が行くかね。 廉造、頼んだ」
鞘に収まったままのハヤテマルの柄頭に手を添えたまま、じりじりと歩き始めた。
「んんっ、おほん! んじゃあ一曲目! 景気の良い奴で行こうか! 【闘いの詩】!」
口元に構えた小さなナイフ──『集音小剣 エコー』に向けて、廉造は大声を張り上げた。
「進ーめ銀河の向こうまでー♪ 悪漢どもーをやっつけろー♪ 平和な未来を掴み取れー♪ 戦え戦えキングワン♪ 行け行けキング! 勝て勝てキング! 僕らの味方♪ 強ーい味方♪ 宇宙大帝キングワンー♪」
廉造の右手に握られたエコーが、その歌声をなぜかド派手な伴奏付きで周囲に響かせた。
「廉造! 気が抜けるからアニソンは止めろって言っただろうが!」
「仕方ないだろ!? 闘いに関する歌って言われてパッと連想できるのがこれなんだから! 贅沢言うな!」
「じゃあせめてもっと新しい曲にしろよ! それ俺の親父世代のアニメだぞ!?」
「キングワンを馬鹿にするなよ! めちゃくちゃ面白いんだぞ!」
ガクッと脱力した海斗の非難を浴びながらも、宇宙大帝キングワンのオープニング曲『たたかえぼくらのキングワン!』の二番が始まろうとしている。
(これは……凄いな)
海斗に遅れて歩き出した大河が、廉造のスキルの効果に目を見開いた。
(一応説明は聞いていたけど、かなり強いスキルなんじゃないかこれ)
廉造が持つ剣、『集音小剣 エコー』はその小さい刃渡り故に攻撃力と間合いがかなり心許ない。
しかしその真価は物理攻撃では無く、歌うことで味方の身体能力を底上げしたり、精神を高揚させたり、また相手に不利を押し付けることのできる『歌唱スキル』にある。
使用条件として効果に見合った内容の歌を歌わなければならないという制約こそあるものの、元々アイドルとして活動していた廉造は古今東西、和洋限らず豊富な歌のレパートリーを揃えているので、問題にはなっていない。
今使用している【闘いの詩】は、その歌声を聞いた味方の精神を鼓舞し、また膂力や脚力を一定時間二倍にするという破格の効果を有していた。
「なんだテメェ死にたいの──」
「──邪魔ぁ!」
「──ぐはぁあっ!?」
刀身を鞘から解き放ったハヤテマルの一閃が、玄関に詰まっていた『新中野ファラオ』のケダモノ共をまとめて屋外へと吹き飛ばした。
剣風だけだ。
刃そのものは誰の身体にも接触していない。それだけでこの効果である。
大河に次いで20レベルと高い海斗と相手らの身体能力の差が、圧倒的な力量となって現れている。
「こんな狭いところじゃなくて、お外で楽しもうぜ!」
獰猛で凶悪な笑みを顔に貼り付けながら、海斗は一番近くで倒れていた『新中野ファラオ』の一人の顔に、ハヤテマルを突き刺した。
その男は断末魔の声すらあげる間も無く、身体を一度びくんと大きく跳ねさせ、そして絶命した。
「おらおら! ぼぉっとしてるとあっちゅう間におっ死んじまうぞ!」
楽しそうに振り回されるハヤテマルの剣撃は、もはや『ファラオ』の誰の目にも捉えられていない。
一人、また一人と、まるで身体に真っ直ぐな線を引かれたかのように身体が二つに分たれていく。
「なっ、なんだこいつ! なんなんだぁ!」
海斗に遅れて到着した大河が、渾身の力を込めてハードブレイカーを横に薙いだ。
受けたのはなんとか立ち上がり、体勢を持ち直そうとしていた三人。
だがその意識が切られたと自認するより早く、ハードブレイカーはその身体を二つに両断した。
三つの上半身が遥か遠く、車道を挟んだビルの壁に打ち付けられぐちゃりと潰れる。
残された三つの下半身から、噴水の様に血が噴き出した。
「うん、これなら俺と海斗さんでなんとでもできるな」
左手を閉じたり開いたりしながら、大河は廉造の歌により増強された力を確認する。
「じゃあ、せいぜいみっともなく足掻いてくれよ。その方が見ている人たちもスッキリするだろうからさ」
にこりと笑いかけた大河の姿を見て、未だ吹き飛ばされたまま立ち上がれないでいる、残された三十人弱の哀れな人でなし共が戦慄した。




