愚者の保身
「く、クラン・ロワイヤルを勝ち抜くって……流石にそこまでは無理なんじゃ……」
大河らの今まで会話を黙って聞いていた香奈はかなり引いている。
アンダードッグのメンバーらが望んでいたのは、今までのような搾取される立場からの脱却。それだけだった。
低すぎる平均レベルからもわかる通り、アンダードッグに十二分に戦えるような戦力は無い。
元々のリーダーであった布良のレベルが10。
これはこの南中野ブロックのエンカウント率の低さを考慮し、一人でもフィールドモンスターを殲滅して帰還できるギリギリのレベルだ。
女・子供が多いアンダードッグは他のクランで虐げられていたり、馴染めなかった者が布良の耳障りの良い言葉に騙されて集まり、そして結成された経緯がある。
つまり、戦闘に対して忌避感や嫌悪感、恐怖心を抱えているものがほとんどなのだ。
「でもこの中野に居続けるかぎり、たぶん永遠に他のクランからの攻撃に怯えなければならないと思うんです。他の街でも多少はそういう危険がありますが、それでも中野ほど極端にクラン同士が争っていなかった。この地獄から抜け出すには、やっぱりクラン・ロワイヤルを勝ち進むしか無い」
大河の答えに、海斗と憐が無言で頷いて同意する。
「あ、愛蘭さん」
返答に困った香奈は隣に座る愛蘭に意見を求める。
大河をリーダーにしようとした意図は、シンプルにその強大な戦闘力を盾に他のクランからの干渉を少しでも遮ろうとした意味以外は無く、それ以上を望んでいなかったのだ。
「ウチは──」
「香奈さん! 佐上さん! 大変だ!」
愛蘭が何かを告げようと口を開きかけた直後、院長室の扉が勢いよく開けられ、血相を変えて取り乱した若い男性が飛び込んできた。
「皆本くん!? どうしたの!?」
香奈はソファから立ち上がり、入って来た若い男性──高校生の皆本祐仁の両肩を掴みその身体を支える。
「ま、ままま、松木さんのスマホに『新中野ファラオ』の奴らから連絡が来てた! アイツら、布良さんが死んだことを知って、それでここにオーブや女の子を受け取りに来るって言ってる!」
「──っ!? い、今すぐってこと!?」
「今から向かうから準備しておけって、書いてあった!! に、逃げないと、女の子たちを逃さないと!」
祐仁の声の大きさに、そしてその半狂乱の姿に、院長室の外で話し合いが終わるのを待っていたクランメンバーらがざわつき始める。
「──香奈、松木から詳しい話を聞き出すわよ。常盤くん、貴方たちも同席を頼めるかしら」
「あ、ああ」
愛蘭はソファを立ち上がり香奈の肩に手を置くと、大河に向かってそう投げかけた。
いまいち状況が飲み込めていない大河が、慌てて首を縦に振って立ち上がる。
愛蘭を先頭にして次々と部屋を出る面々の中で、悠理だけが浮かない顔をしている。
「……また、大河がぜんぶ背負いこもうとしてる」
ぼそりとそう呟いて、悠理は前を歩く大河の背中に右手を当てた。
その声は、まだ誰にも届いていない。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「わ、私が彼らと交渉しよう! い、いや、させてくれ!」
パイプ椅子に座った状態で麻縄により縛り上げられている松木は、椅子を大袈裟に揺らしながら愛蘭に向かって叫んだ。
「あのね松木さん。貴方は今私たちから信用されていないわけ。司と一緒になって女の子たちを奴らに献上するような真似をしといて、今更貴方をどう信じろっていうのよ」
場所はおそらく手術室だったであろう場所。
建物の二階部分の長い通路を、北西に歩いた先の突き当たりだった。
室内灯の半分ほどが割れているため、とても暗い。
松木はその部屋の奥に放置されていて、今は愛蘭や大河たちに取り囲まれている。
「でも君らは彼らと私たちとの間に決められていた取引の内容を知らないのだろう!? 彼らは布良くんの手腕をかなり信頼していて、これまで目立つような搾取を私たちにはしてこなかった! 内容こそ酷く聞こえるが、それは事実だ! 彼らがその気になれば私たちのような弱いクランはとっくの昔に一方的に蹂躙されていたはずだ!! それを水際でなんとか思い留まらせていたのが、布良くんや私なんだ! 君らにはとても辛い思いをさせたが、私たちにだってそれなりの葛藤がもちろんあったんだ!」
その分厚い口から唾が飛び出すのも厭わず、松木はペラペラと弁明なのかなんなのか分からない事をのたまった。
愛蘭の横でそれを黙って聞いていた香奈の拳が、固く強く握られていく。
「お前……愛蘭さんを前にしてよくもそんな……」
「だが事実だ! そして私には彼らと布良くんを取り持って来た実績が、彼らからの信用がある! 彼らはおそらく、フレンドリストの名前が暗くなった事で布良くんの死を知ったはずだ! 今までみたいな面倒な手順を挟む必要も、私たちを生かしておく必要もないと判断したのだろう! なにせ布良くんが死んだことで、上納金を稼ぐ手段が無くなったからな! 加藤くん! 今となってはこのクランで一番レベルが高いのは君だ! だけど君一人で、今までのようなオーブを稼げるかね!? モンスターと戦えるのかね!? 戦えないだろう!? じゃあどうするんだ!」
どこか強気に見える松木は、語気を強めてさらに椅子を大きく揺らす。
「それはもう常盤くん──」
「──香奈、ちょっと待って」
自分よりも強い大河がリーダーとなってくれたと、松木に対して言い返そうとした香奈を、愛蘭が止める。
そして松木に見えないように口の前で指を立てた。
(ああ、俺のことをあんまり伝えたくないんだろうな。この人、どれだけ信用されていないんだ)
大河はそのやりとりを手術室の入り口付近、室内灯が当たっていない影となった部分から眺めていた。
「松木さん、貴方が交渉に出るとどういった結果が得られるわけ? またウチや他の子を奴らに抱かせるの?」
「ち、違う! 布良くんはこの建物の付近──中野富士見町のどこかに、モンスターから得たレアドロップアイテムを隠していたはずだ! クランのバトルリザルトを自分だけが開けるように設定していたからな!」
(そんなことができるのか。なんの為に──ああ、アイテムの持ち逃げを防ぐ為か? でもそんな、いかにもなやり方、よく他の人が許したな)
きっとそれが当たり前になるように、この松木と前リーダーである布良がクランの空気を操っていたのだろう。
大河はそう勝手に判断し、また大人しく愛蘭と松木のやりとりを眺める。
「その量は駅前で換金すれば、かなりの金額となるはずだ! そしてその隠し場所の目処を立てられるのは私しか居ない! 布良くんの単独行動をある程度知らされていたのは私だけだからな! それを彼らとの交渉材料とし、上納金の期限を引き延ばす! 任せてくれ! 『新中野ファラオ』のクランリーダーである畑瀬とは、それなりの関係を構築している!」
松木の言うそれは、つまり彼らとかなり懇意になっていた事を意味している。
その発言がいかに香奈や愛蘭の心象を下げているのかを察せていない松木が、とても哀れである。
「じゃあ教えて。司はどこにそのアイテムを隠しているの? バトルリザルトってことは、ウチらが倒した分も含まれているってことよね?」
「お、教えるわけがないだろう!? この情報は私が君達に許される生命線となるんだ! そして『新中野ファラオ』との交渉を有利に済ませた暁には、私をここから出して、今まで通りにさせてくれ!」
そんな松木の必死な表情に冷ややかな視線を送り、愛蘭は香奈の服をつまんで部屋から出るように促した。
「──今の話、今の所全然信用できないけど、これからみんなで話し合うわ。時間が無い。またウチらがここに来るまで、せいぜい祈ってなさい」
愛蘭は最後に松木にそう告げて、大河らにも部屋を出るよう指示を出した。
「キチンと冷静に考えるんだ! 今の私たちに、『新中野ファラオ』に逆らえるような力も蓄えも無い! 生き残るためには、私の力が絶対に必要になる! 佐上くん! そこのところをよーーーーく踏まえて、正しい決断を!!」
手術室に虚しく響く松木の声が、誰の耳にもとても滑稽に聞こえた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「で、どう思う?」
手術室を出た一向に、愛蘭が問いかける。
大河は海斗、そして憐と顔を見合わせ軽く頷いた。
「アイツは裏切ると思う」
「アレは間違いなく裏切るな」
「誰がどう見ても裏切るでしょあんなの」
三人の意見がものの見事に一致した。
「やっぱそうだよねぇ」
愛蘭は大きなため息を吐いて、通路の壁にもたれかかった。




