負け犬たち③
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「常盤くんに私たちのリーダーになって欲しいの」
「はぁ?」
大河たちが病院内にようやく呼び出されたのは、あれから二時間が経過した後だった。
ここは建物内二階の一番奥、東南向けに細長く伸びた通路の先にあった、『院長室』と言うプレートが掛けられていた立派な部屋。
そこには香奈と、愛蘭という派手目な女性が二人。
他のクランメンバーは、部屋の外でこの話が終わるのを真剣な表情で待っている。
「みんなと相談して決めた事なの。常盤くんは半年もの間この東京を旅して経験も豊富だし、何より強い。それに悠理さんから聞いた話では、過去に他のクランを率いて指揮していたって聞いて──」
香奈は大河の目をまっすぐに見て、話を続ける。
部屋の中央に置かれた豪華なテーブルと対面している二つの革張りのソファ。
片方に香奈と愛蘭、もう片方には大河と悠理が座っている。
海斗と憐は大河たちの背後、ソファの後ろで壁にもたれて立っていた。
「──率いていたって、それはちょっと意味が違うだろ」
大河は慌てて、隣の悠理を見る。
「えっと、昨日香奈さんと二人の時に、私たちの今までのことを簡単にお話しはしたんだけど……」
詳しい内容まではさすがに省いたが、怯えて震える香奈を安心させようと自分たちがどれほど強いか、そして安心できるかを伝えたつもりだった。
確かに若干、いや大分。大河がどれだけ凄いか、どれだけカッコいいかをエピソードや実績を交えて熱弁したのは確かだ。
話を盛ったり、美化したりはした記憶は無いが、悠理が感じた事をとても素直な言葉で惚気たっぷりに披露した。
そのエピソードの一つとして、池袋での事──パークレジデンス池袋の調達班の面々への戦闘指導とレベル上げの補助、戦闘での指揮をした経験を語ったのは確かだ。
「あれは別に指揮していたってわけじゃないし、いや確かにモンスターとの戦闘ではああしろこうしろって偉そうに言ってたけど……」
「私たちより強くて、集団戦闘に慣れているのは確かよね?」
香奈の隣の座る金髪の巻き髪の女性──愛蘭が脚を組み直しながら大河へと問いかけた。
「今のアンダードッグで一番レベルが高いのは香奈の6。殆どのメンバーはまだ3とか4で、他のクランと比べてもかなり低い。昨日までリーダーだった布良司はみんなが稼いだオーブを横領して影でコソコソとレベルを上げていて10。常盤くんのレベルが幾つかはわからないけれど、間違いなくウチらなんかよりかなり高いわよね?」
「だ、だからって俺にリーダーなんか、そんなの──」
「お願い。司は今まで優しそうな顔して私たちを統率していた裏で、オーブや女の子たちを他のクランに上納してこのクランの立場を保っていたわ。本当に癪だけど、そのおかげでウチらは今までこの中野で生きてこられた。でももう、そんなメンバーの誰かを犠牲にするなんて生き方……耐えられない。そのためには貴方みたいな強い人が先頭に立って、全員で強くなるしか道は無いの。お願いします。ウチらを、このクランのみんなを助けてください」
愛蘭がそう言って頭を下げると、香奈も同様に頭を下げた。
「だ、だからって俺なんかがリーダーなんて、無理だって! そ、そうだ海斗さん! 海斗さんなら俺と同じくらい強いし、歳も俺より上だ!」
慌てた大河が振り返り、腕を組んで話を聞いていた海斗の顔を見る。
海斗はどこか楽しそうに笑みを浮かべていた。
「いやぁ、無理じゃねぇか? 喧嘩っ早くて人の話を聞けねぇ俺がリーダーになんざなっちまったら、大変な事になるぞ?」
「兄貴、自覚あったんだね」
「まぁな。それに俺の見立てで言えば、喧嘩慣れって話なら確かに俺の方が強いんだろうが、レベルやモンスターとの戦闘経験では大河の方が圧倒的に上だろ?」
「俺ら基本的にモンスターとの戦闘は避けてここまで来たからなぁ。どうしても逃げられなかったり、倒さないと先に進めなかったりって時は頑張ってたけどさ」
合間合間に憐が海斗の話に補足を入れてくる。
「あんまりじっくりと見ちゃいないが、大河の動きは明らかに初見のモンスターと戦うのに慣れている奴のソレだったし、なによりこいつは常に冷静だった。すぐ熱くなっちまう俺なんかより、よほどリーダーの素質があると思うぜ?」
海斗はニヤリと笑いながら、頭を上げた愛蘭と香奈に向かってそう告げた。
「大河の事は知らないけど、海斗兄貴が人を動かすのに向いてないってのは俺が保証するよ。なにせこの人、戦うってなったら突撃する事しか考えてないからね」
「な、なんで楽しそうなんだあんたら……」
そんな海斗と憐の姿を見て、大河はがっくりと肩を落とした。
「ぶっちゃけて言うと、現状すでにこのクランのリーダー権は常盤くんが持っているの」
「──はぁ!? な、なんで!?」
香奈の言葉に、大河が慌てて顔を上げる。
「なんでかは私たちにも分からないけど……『ぼうけんのしょ』のクラン画面には、確かに貴方の名前がリーダーとして表示されているわ」
大河は慌てて自分のスマホをポケットから取り出し、画面を起動して操作をする。
「ほ、本当だ……」
今まで滅多に開いたことのない【クラン】という項目を選択するとそこには間違いなく、大河の名前が書かれている。
その横に堂々とクランリーダーという名称が並んでいた。
「な、なんで──あっ!!」
「なんだ。思い当たる節があるのか?」
大河のスマホを背後から覗き込んでいた海斗が問いかけた。
「お、俺があの布良って人にトドメを刺したから……か?」
海斗に吹き飛ばされて首の骨を折った布良に、確かにその手でトドメを刺した。
その後にスマホに通知されたPK──プレイヤーキル後の略奪画面を、大河は新宿や目白の時と同じく特になにも気にせず全て受領した。
巡礼者を殺害した後に出てくる略奪画面は、アイテムバック内のアイテムを選択して略奪する方式と、ワンボタンで全てを奪える方式の二つが用意されている。
その項目の中に、クランのリーダー権の強奪が含まれていても、何もおかしくは無い。
過去に殺害したことのあるクランリーダーと言えば、パークレジデンス自治組合──つまりあの水野陽子が居る。
しかし陽子はNPC。
スマホこそ持っていたものの、そこには『ぼうけんのしょ』アプリがインストールされておらず、実際のリーダー権限はサブリーダーであった瑠未に自動的に引き継がれていた。
今までで知り得たこの廃都のゲームシステムを考えれば、その権利を強奪できるのは自然な事である。
「ああ、くっそ油断してたぁ……これ、他の人に譲歩とか……海斗さん!」
「送られても承認しねぇからな俺は」
すでに昨日の内にフレンド登録を済ませてある海斗になんとかリーダー権を押し付けようにも、相手側が受け取りを受諾しないと突っ返されるだけだ。
「憐! 俺とフレンド登録を──」
「──昨日言ったろ。俺は誰ともフレンドになる気はないって。ていうか俺も承認しないし」
なぜか頑なにフレンド登録をしようとしなかった憐が、食い気味に拒否する。
「あぁ……なんでこんなことに……」
ついに大河は頭を抱え始めた。
もとよりコミュニケーション能力が不足している男だ。
悠理と出会い、この東京を旅して来たことにより表面上はなんとか普通を装えてはいるが、今でも初対面の人間と会話するのに勇気がいるし、相手が女性──しかも歳上ともなれば隠しきれない恐怖心が露呈しだす。
そんな自分にクランのリーダーなんて到底できないと、大河は苦悩する。
このまま全てを無視してこの場を離れるという考えが思いつかないのは、ひとえに大河のお人好しの性格が作用しての事だ。
「て言うか、私たちの目的はこの中野を脱出する事なんです。ここに長居するわけじゃ無いのに、みなさんのリーダーなんて……」
「いや、良いんじゃねぇか?」
悠理の話を遮って、海斗がソファの背もたれ越しに身を乗り出した。
「俺らが中野を脱出する確実な方法は、クラン・ロワイヤルを勝ち抜く事だ。ってことは、信用できる仲間を今から集めてクランを結成しなきゃならねぇ。もしくは今すでにあるクランに加入する事だな。つっても、この中野に知り合いが居るわけでも無いし、信用できる仲間だとかクランっつーのも見抜くのは難しいだろ?」
大河の頭をポンポンと叩き、海斗は話を続けた。
「その点、このアンダードッグは明確に今〝困っている〟わけだ。リーダー不在で戦力も無く、かと言って今まで受けた過酷な仕打ちから逃れる方法も無い。なにせこのままだと、その上納金や女を寄越せっていうクランにみんなどうにかされちまう訳だしな? 今から他のクランの内実を探るよかよっぽど手っ取り早いし納得できる困りごとだ。じゃあ、みんな纏めてお前が面倒見て、この中野から連れ出しちまおうぜ?」
「このヤンキー上がりは……時々こういうこと言うんだよなぁ」
憐がひくひくと口をひくつかせて、呆れている。
「面倒見るったって、他のクランとの人数差や戦力差はたぶんめちゃくちゃ離れてるだろうし。クラン・ロワイヤルだってあの『覇王』ってのに勝たないと意味ないわけでしょ? いくらなんでも楽観視しすぎだよ」
「だとしても、今から他のクランを見極めたりメンバーを募集したりするには時間が足りねぇだろ。ファーストステージの二週間を勝ち残れずに居たら、そっから少なくとも半年はこの中野から出れないんだぞ? お前、耐えられるか?」
「……この街に半年は、しんどいなぁ」
「だろ?」
海斗と憐の話を聴きながら、大河も考え込む。
この殺伐した中野で、『覇王』を頂点とした暴力的な権力構造で、今から信用できるメンツをかき集めるのは至難だ。
なにせ時間が足りない。
そうでなくても、今の中野を生きている人々は長らく『覇王』やその傘下のクランに隷属することに慣れすぎている。
好戦的で野心的なクランも、この街に到着した時のあの罵声や怒号を思い出せばそれなりに存在するのだろうが、そんなクランが新入りの大河に──特に悠理に対してどのように接するのかなんて、分かりきっている。
間違いなく悠理はその整った容姿のせいで下卑た視線を送られ、常にその身を危険に晒され続けるだろう。
ずっと大河の側に居続けるのも現実的ではない。
なにせクラン・ロワイヤルは、そのゲームルールからして乱戦を想定されている。
ロワイヤルを勝ち抜くためには、大河はその戦闘力を持って常に前線に出続けなければならない。
その間、攻撃手段を持たない悠理は後方で他の人間と共に待機することになる。
そこに布良のように善良を装いつつもその内心、欲に塗れた人間が居ないとは限らない。
ならばこのクラン──アンダードッグはどうか。
この院長室に来るまでに見たメンバーの男女比率は若干女性が多い気がした。
しかも子供の数も多い。
布良によって〝上納〟された過去を持つ女性らは、それに耐えきれないと大河を頼って来ている。
(そう考えると、悪くはない……か……?)
深く考え込む大河の顔を、悠理は心配そうに見ている。
「上位のクランの強さがどれほどのもんか知らねぇが、今まで中野の外を旅して来た俺らや大河より強い奴なんざそういねぇはずだ。それだけの自負があるほど、俺らの旅は辛かった筈だしな。それに悠理、たぶんお前が一番重要になる」
「え、私?」
海斗に急に話を振られた悠理が、びくんと身体を揺らした。
「ああ、そこの香奈ちゃんの怪我を治したあの回復魔法。あれは相当のもんだ。なにせ怪我を全部治し切るまでに10分もかからなかった。これは大きなアドバンテージだぜ? 俺と大河の戦闘力、憐の歌と踊りのバフ効果、そして悠理の超速な回復魔法。ぶっちゃけこれが全部揃っているんなら、クラン・ロワイヤルを勝ち進むのも不可能じゃないって俺は思ってる」
海斗のその言葉を聞いて、大河の覚悟が固まった。
ソファから立ち上がり海斗と憐、そして悠理の顔を見て、最後に香奈と愛蘭へと相対した。
「この話、俺受けます」
そんな大河の姿を隣で見る悠理の胸が、締め付けられるように痛んだ。