負け犬たち②
すいません、設定ミスをしました。
海斗の元々の職業を左官屋から水道工に変更します。
ごめんなさいυ´• ﻌ •`υ
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「なるほど、大河たちは吉祥寺に行きたいのか」
「ああ、俺は昔住んでただけだけど、悠理は家がそっちだからな」
車道と歩道を分けるガードレールに腰掛けて、海斗と大河はお茶を飲んでいる。
香奈が仲間に説明すると病院に入って、もうじき三十分が経とうとしていた。
「私たちは新宿に居る時に異変に遭ったんだけど、海斗さんや憐くんは練馬なの?」
悠理は大河の対面にある自動販売機の横に敷物を敷いて座っている。
「俺は大泉学園の現場に入ってた時だな。水道管通すために道を掘ってたら、中からこう、スライムがうじゃあっと出てきて、あっという間に監督とか先輩を飲み込んで溶かしちまったんだ」
悠理の問いかけに、海斗はジェスチャーを交えて答えた。
「うわ……それは、あんまり見たくない光景だね」
「ビビったなぁ。パイプで殴ってもランマーをぶつけても、全部飲み込んで溶かしちまうもんでよぉ。周りを見たら排水溝とか公園の蛇口とかからも次々とスライムが現れてな。これはもう無理だと思って、一目散に逃げたんだよ。監督たちには、申し訳なかったんだがな……」
もう冷め始めているお茶を啜りながら、海斗はどこか遠い目で空を見上げた。
今日の中野の空は快晴。
太陽が眩しい光を放っていて、肌がじりじりと焼け付くほどだ。
「憐くんは?」
「ぼ──俺は……その、ごめん。あんまり思い出したくない」
海斗の横でガードレールに座り会話をぼんやりと聞いていた憐は、悠理の問いかけにゆっくりと頭を振った。
「あ、ううん。いいの。悪い事聞いちゃったね……」
「いや、なんか気を使わせちゃったか。ごめんごめん」
パッと顔を上げた憐が、照れ臭そうに笑う。
「俺らは蒲田を目指してんだ」
少しだけ沈んだ空気を変えようと試みたのか、海斗は明るい口調で話題を変えた。
「蒲田? そりゃまた、なんでそんな遠いところ」
この東京都を地図で見た時、蒲田のある大田区は一番下部に位置する区だ。
埋立地である羽田空港などで東京湾に面していて、神奈川県と接する県境でもある。
中野からでもかなりの距離があるのに、練馬からと考えると変化した地形を考慮してとんでもない距離になっていると簡単に予想できた。
「俺の家が蒲田にあるんだ。結婚したばっかでよ。嫁の事がどうしても心配でな」
あっけらかんに言い放つ海斗の顔を見て、大河は脳裏に湧いた『奥さん、もう死んでいるかもしれないよな』と言う考えを必死に掻き消した。
そんな可能性など、この廃都を半年も旅してきた海斗がなによりも理解しているだろう。
それでも帰りたいと、妻が待っていると言ってのけると言う事は、まだ生きていると信じているからだ。
だから大河はあまりにも失礼な自分の考えを恥じた。
「俺は無理やり連れていかれるんだけどね! 行きたくもない蒲田に!」
「いいじゃねぇか。お前だって練馬から離れたがってたし、他に行きたい場所も無ぇんだろ?」
「そりゃそうだけどさ! 兄貴は有無を言わさず俺を引き摺ってきたじゃないか!」
「お前があまりにもウダウダ悩んでたからだろうが。あざとくチラチラと顔色を伺うような気色悪い真似して」
「そ、そんな事してないだろ!?」
「いーやしてたね。行きたいなー、でも怖いなー。どうしよっかなー。兄貴に無理やり引っ張ってって欲しいなーって、そんな顔してたわ」
「し、してないってば!」
言い合いを始めた海斗と憐の様子を見て、大河と悠理は顔を見合わせて苦笑した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「布良くんが……そんな、まさか……」
香奈の目の前で、小太りで小柄な初老の男性が驚愕している。
場所は病院のロビー。
そこにクランメンバーのほぼ全てが集合し、香奈の説明を聞いていた。
「襲われた私が言っても、信用してくれないの?」
香奈はその男性に向けて、厳しい視線を送る。
よろよろとパイプ椅子に腰掛け項垂れているこの男性──松木は、リーダーである布良の腹心に位置するクランのサブリーダーだ。
体育会系の大学生だった布良は、元々の身体能力の高さとメンバー内で最も高いレベル、そしてそこそこの統率力を持ってこのクランを結成した。
戦闘面を布良が、細かな実務面をこの松木が担うことで、アンダードッグという弱小クランはなんとか運営されていたと言っても過言ではない。
クランメンバーの総数は32名。
中野に無数に存在する弱小クランの中でも、頭数だけはかなり多い。
モンスターを狩って手に入る食糧の配分もそうだが、物資調達や狩り場の制定に関する他のクランとの細かい交渉など、雑務はかなり多い。
「い、いや。そ、そうじゃない。そうじゃないんだが……幾らなんでも殺さなくても……」
「私はあの人に殺されそうになったのよ!?」
顔を覆って蹲った松木に、香奈はキツく言い放つ。
「す、すまん。配慮に欠けていた……し、しかしどうしたら良いんだ。アンダードッグは『新中野ファラオ』の庇護下に入った事で、『覇王』系列のクランから守られてきたんだ。それもこれも、布良くんが『新中野ファラオ』への上納金を稼げていたから……それが払えなくなったら、私たちみたいな弱いクランはあっというまに奴らのオモチャに成り下がってしまう……」
松木の言う『新中野ファラオ』とは、新中野駅近隣にある『ファラオ』と言うパチンコ店をアジトにする中堅クランの名称だ。
クランメンバーが四十名弱と多い事と、素行があまり良くないことで名を知られている。
それは中野区の現支配者である『覇王』の傘下クランの一つで、つまり『アンダードッグ』は『覇王』のいわゆる三次団体──末端組織と言う事になる。
これは初回のクラン・ロワイヤルが終了した直後から中野に浸透した独自の文化だ。
頂点である『覇王』の傘下に就いたクランが、その特権を行使して他の小さなクランを隷属させる。
時に安全を餌に、時にストレートに暴力で。
そうしてまさにピラミッド型になった権力構造を軸として、今の中野は形成されている。
上納金などを払えないクランの末路は、想像に難くない。
「死んでしまったものはしょうがないじゃない。そんな心配よりもみんなでどうするかを考えるのが先でしょう?」
小刻みに震える松木から視線を逸らして、香奈はその後ろにずらりと控えるアンダードッグのメンバーたちを見た。
「……そう、だね。司のクソ野郎が死んだのは戦力的には痛いけど、その死を嘆くよりも先にウチらに何ができるかを考えなきゃ」
最初に口を開いたのは、金髪の長い髪をくるくると巻いた見た目が派手な女性──佐上愛蘭だった。
「佐上くん、き、君は布良くんの彼女だろう!? どうしてそんな冷たい事を言えるんだ!」
愛蘭の言葉に勢いよく顔を上げ、松木は叫びにも似た非難を浴びせる。
「彼女〝だった〟のよ。三ヶ月前まではね。もう死んじゃったから言っちゃうけど、アイツは自分の身の安全を確保するためにウチらを『ファラオ』に献上したクソ野郎。殺せるんならウチがこの手で殺してやりたかったわ」
鼻でフンっと息を吐き、愛蘭は腕を組んで松木を見下す。
「松木さん、どうせアンタは知ってたんでしょう?」
「そっ、それはっ…それは……おっ、おぉおおお……」
松木は再び顔を両手で覆い、咽び泣き始めた。
「佐上さん……それ、本当……?」
愛蘭の言葉に驚きすぎて、香奈は言葉が出てこない。
襲われる前までの布良は、『少々口が悪く人使いが荒いが、メンバーの事をちゃんと守ってくれる良きリーダー』。
そういう印象を香奈は持っていた。
「か、香奈。本当だよ。私も売られた一人だから……」
ざわつき始めた人波をかき分けておずおずと顔を出してきたのは、香奈の友人である瞳だった。
やぼったい前髪の向こうから小さい涙を流し、瞳は香奈の目をじっと見る。
「ひ、瞳! どうして、どうして言ってくれなかったの!?」
「だって、そうしないとこのクランのみんなが」
香奈に強く肩を掴まれて、瞳はそっと顔を逸らした。
小刻みに震えるその身体は、痛々しく辛い記憶を思い返したからだろう。
「脅されてたのよ。ウチも、瞳ちゃんも、他の皆んなも」
瞳の肩に置かれた香奈の手を優しく解きながら、愛蘭は香奈を諭す。
「奴らに献上されていた女の子たちに、司は『お前らさえ我慢すればみんな助かる』って説き伏せていたわ。『おおっぴらになればみんな殺される』とも付け加えてね。だからウチらは黙っているしか無かった。犯されるだけまだマシだって、使い潰されて惨めな殺し方をされた他のクランの女の子たちに比べたら、まだ耐えられるって慰め合いながら」
気丈に振る舞っている愛蘭の目尻にも、涙が浮かんでいる。
「そ、そんな……そんなの……」
愛蘭や瞳以外にも数名、大声を挙げて泣き始めた女性が居た。
おそらく彼女らも『ファラオ』に献上されていたのだろう。
他のメンバーはその女性たちの肩を優しく抱いて、みな無言で怒りを噛み殺している。
「松木! お前ぇええっ! お前らはぁあああっ!!」
香奈はいまだパイプ椅子に座っている松木のシャツの襟元を掴み、勢いよく引っ張り立たせた。
「し、仕方ないだろう! この中野で私らのような弱者が生きていくには! 強者に従順に従うしか道は残されていないんだ! 布良くんも私も、仕方なく!」
「どうだか! 結局布良は私を襲ったわ! 何度も何度も顔を殴られて! 服を破られて胸を弄ばれた! お前もアイツも、どうせ『ファラオ』の奴らと一緒になって甘い汁を啜っていたんだろ! この人でなし! クソ野郎!」
「ち、違う! たしかに布良くんはそうだったが! 私はきっぱりと断った! 本当だ! 信じてくれ! 逆に私はキミを守っていたんだぞ!? 布良くんは何故かキミに執着していたんだ! いつか絶対にモノにすると、興奮して私に言い放ったのをしっかりと覚えている! しかしそんな布良くんを説得したのは私だ! 彼に次ぐ戦力であるキミの反感を買えば、このクランは終わると説き伏せたんだ! だからキミは彼からも、そして『ファラオ』からも守られていたんだ!」
「何を恩着せがましく! お前はアイツと一緒になって瞳や愛蘭さんを泣かせている! 女にとってなによりも辛い仕打ちをしたじゃないか! そんな言葉が信じられるか!」
香奈は泣きながら松木の首を締め上げ続ける。
異変が起きる前からの友人である瞳。
その派手な見た目に反して誰よりもメンバーに優しく、面倒見の良かった愛蘭。
他の泣いている女性たちはみな若く気が弱い、大人しい子ばかりだ。
香奈が何よりも憤っているのは、今の今まで彼女らの苦しみに全く気づけなかった、己の鈍さだった。
「覚悟しろっ……! アンタは私が、被害にあったみんなが殺す! 絶対にだ! ここから逃げようなんて思うな!!」
「ま、待て! 誤解なんだ! 私は本当に! し、信じてくれ!」
いつの間にか他のメンバーが用意してくれた麻布で、松木は縛り上げられていた。
その間もぎゃあぎゃあと無実を訴えていたが、やがて男性メンバーの手で鍵の付いた別室へと送られ、ロビーには数人の女性の啜り泣く声だけが響いている。
「それで、司が持っていたクランのリーダー権限なんだけど。香奈ちゃんが持っているの?」
うっすらと目を赤らめている愛蘭が、鼻声で香奈に声をかける。
香奈はあまりにも強いその気丈さに感心すると共に、心配の色を宿して愛蘭の目を見る。
「……心配しないで。ウチは大丈夫。中野を生き抜くために、強くなるって決めたの」
「うん……えっと、私は布良が死ぬところを見てないの。瞳からメッセージを貰って、それでフレンドリストを確認して初めて名前が暗くなったのに気づいたから」
「そう、困ったね。リーダー権限がどこにあるかわからないと、あとあと色々大変になりそうなのに」
香奈と愛蘭は同時に顔を伏せて項垂れた。
「あの、『ぼうけんのしょ』のクラン画面のどっかに、リーダーの名前載ってたよな?」
そう切り出したのは、メンバーの一人である高校生男子だった。
草食系の見た目と細い体格から戦闘要員に選ばれなかった、クランの炊事当番の一人である。
「本当? えっと、どこかな」
愛蘭は身につけているショートパンツの右後ろポケットからスマホを取り出し、素早くロックを解除して『ぼうけんのしょ』アプリを開く。
「えっと、そんなに見つけにくい場所じゃなかったと思うんだけど……なにせこの画面、項目が分かれすぎてて……」
気づけばそこに居たほとんどのメンバーがスマホを片手に、リーダー名の項目を探し始めていた。
一番最初にソレを見つけたのは、まだ目を赤く腫らせている瞳だった。
「香奈。知らない人の名前なんだけど、多分これだと思う」
「どれ?」
香奈は瞳のスマホを覗き見て、その名前を探す。
「これ。名字が難しくて読めないんだけど」
瞳の指差した部分に、その名前は書かれていた。
「ああ、それは〝ときわ〟って読むんだよ」
香奈の反対側からスマホを覗き込んでいた男子高校生が瞳に、読みを教えてくれた。
「そうなんだ。じゃあこれは……〝ときわ たいが〟って読むのか。香奈、この名前知ってる?」
様々なクランのデータが羅列された画面の、一番上。
そこに堂々とその名前は記載されていた。
【クランリーダー 常盤 大河】




