弱者クラン④
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「アンダードッグ?」
「そう、それが私たちのクランの名前。リーダーだった布良さ──んんっ、布良が自虐を込めてそう命名したの。『弱者』って意味」
時刻はそろそろ深夜。
場所は会議室。
全員がキャスター付きの椅子に座り、大きなドーナツ型のテーブルを挟んで女性と男性に別れて対面している。
あれから落ち着きを取り戻し、悠理が作ったじゃがいもとベーコンのスープにピラフを平らげた香奈はなんとか仮眠室を出て大河らと顔を合わせることができた。
お互い一通りの自己紹介を終えて、今はこの中野に起きていることを説明してもらっている。
「なんでそんな卑屈な名前にしたのさ」
おやつがわりのビーフージャーキーを噛みながら、憐が眉を顰める。
ちなみにビーフジャーキーは海斗のアイテムバックの中に保存食として大量に入っているので、ここで消費しても問題は無い。
「メンバーのほとんどが低レベルだったり、他所のクランから迫害されて逃げ出した人だったり、子供や女の人ばかりだからよ。この中野ではクランネームにすらいちゃもんをつけて他人を虐げる人ばかりだから、目立たない意味でもあまり強い名前にできなかったのよね。私たちみたいな弱小クランが今の中野にはたくさんあるわ」
そういって香奈は悠理が入れてくれたココアの入っているマグカップを傾けた。
「他のクランからは嘲笑と侮蔑を込めて『弱者クラン』って呼ばれてる。まぁそれは、私たちだけじゃなく立場の弱いクラン全部に当てはまるんだけどね」
「弱者クランねぇ……」
海斗が椅子の背もたれを大きく反らし、気に食わないといった表情で呟いた。
「他の街がどうなのか知らないけれど、この中野ではクラン・ロワイヤルというイベントで頂点に立ったクランと、その傘下に入ったクラン以外はほとんど奴隷や家畜みたいに扱われるの。第一回のクラン・ロワイヤルを制した『覇王』ってクランが今の支配者。その傘下に降ったクランは7つ。どれも総数五十名を超える大型クランばかりよ。彼らが時にいたずらに弱者たちを弄んだり、無茶な命令を下したりしながらこの街は運営されているの。それはもう、地獄よ……」
「なんでみんな、そんな理不尽な状況を受け入れてるんですか? 普通に考えてその覇王ってクランと傘下のクランの総数より、その他の中野の住民の方が多いと思うんですけど……」
大河の問いかけに、香奈は悲しそうな笑みを浮かべた。
「勝てないのよ。何人集めようと、どれだけ戦力で上回ろうと、クラン・ロワイヤルで頂点に立ってこの街に『征服者』と認められたクランには、絶対に勝てないようにできてる」
「それは、なんで?」
噛みちぎった棒状のビーフジャーキーをふらふらと揺らしながら、憐が聞き返す。
「クラン・ロワイヤルを勝ち抜いて優勝したクランは、その特典として『三つのルールの制定』という破格の報酬を得るの。それはあらかじめ決められている条文の中から三つを選んで、中野に居る全ての巡礼者に強制できるとても強い特典。今の征服者であるクラン『覇王』は前回のクラン・ロワイヤルを優勝した時に、『征服者たちに対するいかなる攻撃行動は、その意図がなんであれ認められない』というルールを選択したの。そのルールの効果で、たとえどんな強力な剣やスキルで『覇王』のメンバーを攻撃しても、絶対にダメージが通らない」
「……は?」
「お、おいおいそれは」
「ち、チートじゃんか!」
大河、海斗、憐が同時に声を上げた。
「二つ目のルールは『征服者たち以外の巡礼者は、征服者の盟主の許可なくこの都市を出ることは許されない』──つまり彼らに従順になって気に入られないかぎり、中野を出ることができない。他の手段として高額のオーブを献上することで一回限りの脱出権を買えたりするんだけど、あまりにも高すぎて現実的じゃないわね。なにせ400万オーブもするんだもの」
「400万って、無理だよそんなの……」
今まで黙ってココアを飲んでいた悠理が、小声で呟いた。
「そう、だからこの半年で中野を生きて出た巡礼者は一人も居ないの」
香奈はそっと目を閉じて顔を伏せる。
「どうしても出たいと『覇王』に頼み込んで、無茶な条件を提示された巡礼者は何人も居るわ。例えば〝10対1で戦って生き残る〟とか、〝若い女性を五名献上する〟とか、ああ……自分の奥さんや彼女を差し出せと言われて拒み、結局は殺された上にパートナーも慰み者にされた人も居たわね。そうして死んだ人たちは、最後の情けだとその死体だけが中野の外に出れたわ」
「胸糞が悪ぃ話だな」
海斗の顔がどんどんと険しくなっていく。
眉間の皺が深くなっていき、瞼の筋肉がぴくぴくと痙攣を始めていた。
「ええ、だから『覇王』のメンバーとその恩恵を受けている傘下クランは、他の巡礼者からは激しく恨まれているわ。最後のルールは『この都市に住まう全ての巡礼者は、一月に付き一人当たり一万オーブを征服者たちに支払わなければならない』……要するに、税金を払えってことね」
「わぁ……絵に書いたような圧政者。なんの捻りもない悪者じゃん『覇王』……」
憐はビーフジャーキーを口に咥えたまま、テーブルに突っ伏した。
「一回の額としては大した事ないけど、それが全巡礼者からの徴収ってなると、とんでもない額になるね」
「しかもそのオーブを使ってまた『覇王』メンバーが強化されるんだろ? こりゃ無理ゲーだな……」
悠理の言葉に、海斗が頷いた。
(いや、そんな解決しようの無い理不尽を設定するなんて、綾っぽくない)
大河だけが無言で顎に手を当てて考え込む。
この廃都、東京が親友の綾の妄想上のゲームを元に作られていることを、大河だけが知っている。
凝り性でゲーム好きな親友が、そんな無理をプレイヤーに強いるとはとても考えにくい。
「それがそうでもないの。徴収された税金はどうやら自分達の強化には使えないみたいで、街の拡大とか設備の強化や食糧品の購入、あと住民への最低限の食糧の配給とか住環境の改善にしか使えないみたいでね。要は都市を運営する際の予算みたいなもので、そこまで好き勝手できるものでは無いみたい。貴方達も見たと思うけど、中野駅前にあるあの大きなピラミッド──『征服者の祭壇』って場所があるわ。そこには大きな掲示板があって、今まで徴収したオーブの総額が大きく掲示されているのよ。それはリアルタイムで更新されててこの半年で大きく減ったりはしてないの。まぁそれは、『覇王』が中野の住民になんの施しもしてない事を意味するわけなんだけどね」
「あ、それで今の中野がこんなに大きく……」
「そう、最初の頃に征服者の立場に慣れていない『覇王』たちが試行錯誤した結果だと思うんだけど、その時に中野は今の姿にまで拡大しちゃってね。中野駅を中心に東西南北のブロックに向けて広がって、その外周まで含めてとても大きくなったわ。そのおかげで大手のクランと狩り場が被らないようになったから、その点だけはありがたい……かな?」
大河の返答に香奈は困ったように笑った。
その笑みは、決して手放しで喜んでいるというわけでは無い事を示している。
「それで、今は半年に一度のクラン・ロワイヤルのファーストステージ開催期間の三日目。この中野でクランに入っている巡礼者には、みんなこのマーカーが身体のどこかにあるはずよ」
そう言って香奈はTシャツの襟元を伸びないようにゆっくりとひっぱり、自分の鎖骨を大河らに見せた。
マーカーは香奈の右の鎖骨の少し上に存在していた。
それは血のように赤い大きなリング状になっていて、中に『1』という数字がやけにおどろおどろしく描かれている。
「ファーストステージはポイント制。期間は二週間。敵のマーカーに触れることができれば、中に書かれているポイントが所属しているクランに入る仕組みね。まぁ、大体の巡礼者は相手を殺して無力化してから触っているみたいだけど……」
Tシャツの襟を元に戻しながら香奈は話を続ける。
「中に書かれている数字って、1だけじゃないんですか?」
「基本的にはみんな1ポイント。でもクランリーダーだけは10ポイントに設定されているわ。二週間を終えた時点で50ポイントを獲得したクランが、セカンドステージに進めるの」
「なんかまわりくどいシステムだな」
「そう? ルール的には単純じゃない? まぁ、海斗兄貴みたいな単細胞には理解するのが難しいかも知れないけれどね。ははっ──痛ったぁ!?」
「お前はいつも一言余計だよなぁ」
憐の頭を拳骨で強めに殴った海斗が、悪そうな笑みを浮かべている。
「セカンドステージは三日の時間制限付きでサドンデスありのフラッグ戦。クランのリーダーを降伏させるか与えられたアジトにあるフラッグを奪えば勝利で、それが一切の休憩もなく最後の10チームになるまで延々と続くわ。サードステージはクランから代表を五名選出しての勝ち抜きのトーナメント戦。それらに全て勝ち残れば、一番最後に現在の征服者である『覇王』と戦える資格が与えれれるの。『覇王』のメンバーに危害を加えられる機会は、唯一その時だけ」
「なるほど、だからこんなにこの街は殺伐としてるのか……」
大河が顎に手を当てて顔を俯かせて呟いた。
「大河?」
大河の小声に気づいた悠理が、心配そうにその顔を伺う。
「あ、ああ。なんで俺らが到着した時に、あんなに必死になってスカウト──もしくは殺されそうになったのかがようやく分かった。多分ほとんどのクランが『覇王』の圧政に対してかなりの不満と憎しみを持っていたんだな。それか単純に次の『征服者』を目指しているかのどっちか。だからどのクランも戦力が必要で、逆に戦力にならないならどこかのクランに入る前に殺してしまった方が良い」
「まぁなぁ、今の説明を聞く限り、嫁や娘──彼女とかを理不尽に奪われた男がかなり居そうだし、逆に旦那や彼氏を殺された女だって居らぁな。そりゃあれだけ殺気立つわけだ」
「『覇王』だってそれは分かっているんだろうね。今の立場が奪われたら、あっというまに集団リンチまっしぐら。多分一人も残さずぐっちゃぐちゃの挽肉になるんじゃない?」
大河、海斗、憐と立て続けに聞かされる男達の説明に、悠理は心底嫌そうな顔をしてココアを啜った。
「つまり──」
大河が椅子から立ち上がり、大きく背伸びをする。
「──この中野を確実に脱出するためには、俺らもクラン・ロワイヤルに参戦して勝ち進まなければならないわけだ」
そして大きく脱力して、げんなりとした声色でそう悠理に告げた。
「だな。こんなおっかない街、さっさと出るにはそれしかねぇか」
「他のクランが征服者になったとしても、この街から出してくれるとは限らないしねぇ。ほとんどの人が日頃から理不尽な目に遭っているだろうし、次の『覇王』に成り代わってこの街で好き勝手したいと思っている奴が居ても不思議じゃないわけだし」
海斗と憐も、大河の言葉に賛同する。
「また、物騒な事に巻き込まれちゃったなぁ……」
両手でマグカップを強く握りしめる悠理の言葉に、香奈以外の全員が項垂れた。