狂騒
門の内側に広がる景色は、たくさんの建物が乱立する果ての見えないビル街だった。
だがその建物のほぼ全てが植物による侵食を受けていて、なおかつ外壁がひび割れていたり、窓ガラスが全て破られていたりと廃墟然としている。
門の外側の密林にも似たように朽ち果てたビルが存在していたが、それと違う点として建物の入り口に、手製と思われる燭台の上に大きな松明が並べられていたり、なにがしかのシンボルマークの様なモノが描かれたボロボロの布が貼り付けられていたりと、およそ平穏とは言い難い物品で飾り付けられている事だ。
そしてなにより大河と悠理を戦慄させたのは、その建物群の窓一つ一つから夥しい数の人影が顔を出し、二人に向かって口汚い罵声や怒声を放っていた事だった。
「──っ! 悠理! 逃げるぞ!」
「うっ、うん!」
悠理の身体を横抱きに抱え、大河は一目散に走る。
「ど、どこに行くの!?」
「わかんねぇ! わかんねぇけど、とりあえず人の居ないところを探す! 舌を噛むから口閉じてろ!」
「は、はいっ!」
口どころか目までぎゅっと閉じて、悠理は大河にしがみつく。
その身体が安定したと判断した大河が、両足に力を込めて地面を蹴った。
右手に握られているハードブレイカーをよりキツく握り、大河はビル群の空を大きく跳躍する。
「逃げやがった! 追え!」
「なんだあの身体能力! アイツ、只者じゃないぞ!?」
「俺らなんかとは比べものにならないくらいレベルが高いんだ! そうとわかりゃ、余計に他のクランに渡すわけにはいかない!」
「てめえら! 邪魔するな!」
「あぁ!? お前らこそ俺らの邪魔をするんじゃねぇ! 殺すぞ!」
「こうなりゃ乱戦だ! 一人でも多く他のクランの奴らを殺せ!」
地鳴りの様に響く大量の足音と、憎悪と殺意が織り混ざった喧騒が中野を包んだ。
大河の腕の中の悠理が恐る恐る目を開けて、眼下の景色に視線を移すと、そこには──。
「ぐぁああっ!!」
「やっ、やめっ、降参っ! 降参するから!」
「死ね死ね死ね死ね! 邪魔する奴はみんな死んじまえ!」
「ここにコイツらが居るって事は、こいつらのアジトにゃ女・子供しか残ってないはずだ! 今がチャンスだぞ!」
「ははははははっ! 久しぶりの女だ! 久しぶりのまともな飯だ!!」
「触るな変態! 殺すぞ! 女だからって馬鹿にするな!」
「ふははははっ! 震えてんぞお前! 大丈夫だって! ぶっちゃけ俺の好みの顔じゃねぇが、プレイ中は多少は優しくしてやっからさぁ! 俺物持ちいい方なんだよねぇ!!」
「俺の女に触るな! 俺のだ! 誰にも触らせねぇぞ! 全部俺のだ!」
「奪え! 根こそぎ全部奪っちまえ! ここじゃそれが許される!」
「痛ぇ! ちくしょうあの野郎! 俺の目を! 俺の目がぁああああっ!」
数えきれないほどの人間たちが、『剣』を手に殺し合いを繰り広げていた。
大河がビルの壁を蹴って空中を移動している間に、たくさんの死体が積み上がっていく。
「悠理! 下を見るな!」
「ふっ、うっ、うん!」
悠理の身体が恐怖で震え出した事を察して、大河がその身体をより強く抱く。
「ちくしょう! なんだってんだ本当に!」
ビルとビルの隙間を壁を蹴る事で飛び続け、二人は喧騒から遠ざかるまで逃げ続けた。
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先ほどの喧騒から遠く離れ、一見して静かな雑居ビルの屋上に到達した大河は乱れた息を深呼吸を繰り返して落ち着かせる。
運動によって疲れたからでは無く、唐突に始まった大勢での殺し合いに激しく動揺した意味合いが大きい。
悠理も恐怖と驚愕でバクバクと高まる心臓を抑え、気持ち悪さも込み上げてきて口元を覆っている。
「……大丈夫だ。ここなら大丈夫。しばらくここで休もう。な?」
そんな悠理を宥めようと、大河は横抱きにした悠理の身体をビルのコンクリートの屋上に立たせ、背中から抱きしめた。
「う、うん。うん、だ、大丈夫。大丈夫だから。もう少ししたら、お、落ち着くから」
悠理は腰に巻かれた大河の腕をぎゅっと掴み、震える身体をなんとか落ち着かせようと目を閉じて大きく息を吐いた。
二人でゆっくりとその場に座り、しばらく無言の時間が続く。
「……平気か?」
「……うん、ごめんね?」
背後に座る大河の身体の熱が、悠理の気持ちを穏やかにする。そっとその腕を解いて立ち上がった。
大河はそんな悠理の様子を見てもう大丈夫だと判断し、同じ様に立ち上がった。
屋上の縁部分にあまり近づかないよう注意しながら、階下の様子を探る。
さきほどまで居た場所からは1キロほど離れた場所、耳をすませばまだ地響きの様な怒号が聞こえる。
「クラン・ロワイヤル……クラン同士で殺し合いをしているって事か?」
「覇王って、なんだろうね……」
大河は額から流れ伝わる汗を右手で拭き取った。
屋上に吹く風は、池袋の街や目白の荒野と違い茹だる様な熱を帯びている。
じっとりと汗ばむ肌は、しかしどこか冷えているようにも感じる。
きっと生まれて初めてあんな、モラルも理性も感じないたくさんの狂気に晒されたからだろう。
「スカウト、か。つまり俺らみたいに無理やりこの街に誘導された巡礼者を勧誘して、クランの戦力を増やそうとしているのか。それで断られたら、他のクランに入らないよう殺して……」
「あの感じだと、これまでも同じ様に人を殺したりしてたんだろうね」
「この街では、それが普通って事か……入っちまった以上出る方法を調べないといけないんだけど、みんなあんな殺伐としたクランばかりだったらまともに情報収集をするのも難しそうだ」
大河はそう言いながら、ビルの周囲をグルリと見渡す。
東西南北に遠くビル群が乱立している今の中野は、大河が本来知っている中野の景色に近い。ただその面積が、記憶の中の数少ない中野の景色とイマイチ合致しなかった。
「広がっているのか……? あっちが初台方面で、あっちが高円寺……んであの線路がJRで、向こうが目白で、あれは……」
異変前の東京の地理と現状を照らし合わせながらなんとか位置関係を把握しようと探っていると、それが目に映った。
遥か遠く、霞がかった雲がうっすらとビルをにじませるその向こうに、忘れたくても忘れられないあの奇怪なシルエットがポツンと立っている。
それはここ中野から見るととても小さく見えた。
だが強烈なトラウマが、身体に染み付いた恐怖が、その巨大さをしっかりと覚えている。
「西新宿の巨人……」
大河と悠理にとっての始まりとも言うべきその巨体が、乱立するビルとビルの隙間からその姿を覗かせている。
東京都庁を薙ぎ倒し、コンクリート片とガラス──そして多くの人間を西新宿中に降らせたあの鎧巨人が、今もなおその姿を西新宿に留めている。
あまりにも遠景すぎて定かではないが、最後に見た姿は巨大な大剣を振り下ろしたままの姿で静止した姿であったが、今は腕を組んで仁王立ちしているように見えた。
「こんだけ歩き回っても、俺らはまだ……こんな場所に居るのか……」
半年かけた。
あの日新宿駅に迷い込み、高田馬場と目白を経て池袋に至り、しかし今は中野に居る。
良く知る東京の地図上では池袋がある豊島区も、そしてここ中野区も、新宿の隣の区でしか無い。
「あれだけ色々あって、まだ……」
かつてそこにあっただろう東京都庁──東京の生活のシンボルであった建物を思い出し、大河は胸中に芽生えた虚しさに息苦しさを覚え、上着の胸元をぎゅっと握った。
「大河……」
そんな大河に寄り添い、悠理は無言でその腕を抱きしめる。




