プリズンミミック
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「御出立ですかー!?」
「ああ、世話になったな」
翌日、午前九時。
大河は番頭台にちょこんと座って小さな湯呑みでお茶を飲んでいた妖精と挨拶を交わす。
「とっても良いお湯でした。銭湯って初めてだったけど、大満足です」
大河の背後で悠理がにこやかに頭を下げる。
朝風呂もしっかりと決め、併設のコインランドリーで洗濯まで済ませた大河と悠理は、この快適な空間を抜けて旅に戻る事にした。
あまりにも至れり尽くせりな上にレトロな趣が謎の安心感を醸し出すこの銭湯は、二人にとってかなり居心地が良く気を抜くとグダグダと長居しそうになる。
急ぐ旅では無いのでもう何日か滞在しても懐事情的にも問題ないのだが、荒野を早めに抜けると最初に決めた以上はそうも言っていられない。
なんだかんだでこの二人は真面目なのだ。
「いえー、ご満足いただければ我々としても嬉しい限りでございますー」
どことなく昨日よりテンションの低い番頭妖精が、間伸びした声で会釈をする。
「あ、そういえば」
悠理が手に持っていた黒い革製の二つ折りの財布を番台の上に置いた。
「これ、私たちが寝ていた部屋の窓の縁に落ちてたんです。他の人の忘れ物ですかね」
それは昨晩の激しすぎる『おたのしみ』後に、悠理が偶然見つけた物。
小部屋の窓の縁に目立たないように挟まれていた物だ。
なぜそれを見つけられたかと言うと、あまりにも篭りまくった熱を換気しようとしたからなのは余談である。
「ふむ、もう四ヶ月ほど他のお客様はお見えになられていないのですが。申し訳ございません。中身を確認したいので開いて頂いてもよろしいですか? はい」
「良いのかな」
他人の財布の中身を勝手に見る事に抵抗のある悠理が、大河の顔を見て小首を傾げた。
「良いんじゃないか?」
すでに四ヶ月も経過している物だ。
もとより盗む気など毛頭無いが、なにより今の東京では円やクレジットカードの類は使い物にならない。
「じゃあ……」
そう言って悠理は黒革の財布を再び手に取り、両手で開いた。
「えっと……あ、免許証があるな」
悠理の横から財布を覗き見していた大河が、パンパンに詰まったカードポケットを指差す。
入れる順番ごとに少しづつ上がっていくタイプのカードポケットの二枚目に、免許証特有のフォーマットで書かれた名前欄が見えていた。
「すいません、拝見しますねー」
悠理はここに存在しない持ち主に一応断わりを入れつつ、ギチギチにカード類が詰まったカードポケットから免許証らしき物を引き抜いた。
「えっと……遠藤忠治さん。おじさんだね」
「昭和六十年生まれ、住所は豊島区長崎……」
書かれている文字を律儀に読み上げる二人。
証明写真には、くたびれたチェック柄のシャツを身につけた眼鏡の中年男性が、ぎこちない表情で写っていた。
少し肥満気味で、なおかつ無精髭が目立つ。
素直な印象としては失礼になるが、小汚い様相をしていた。
「あーっと、それは!」
不意に背後から飛来してきた売店の売り子担当の妖精が、財布を手に持つ悠理の横から顔を出した。
「知っている人?」
悠理は免許証を妖精の身体の前に持ってくる。
「知っているもナニも、これは私の転身前の姿でございます! はい! いやー、なにもかもが懐かしいですなー!」
「はい?」
小さい身体で免許証を受け取った売り子妖精が、写真に映る人物を見ながら鼻息を荒くした。
その発した言葉に、悠理は固まってしまう。
「え、え?」
「見てくださいこの情けない顔! 正気を全く感じられない! 自分の事ながら見てられない! これはすぐにでもボイラーの中に処分してしまいましょう! 見つけて頂いてありがとうございます! はい!」
そう言って売り子妖精は悠理の手から財布を受け取り、両手両足で器用に挟みながら飛んでいってしまった。
「は?」
去っていく妖精の後ろ姿を目で追い、続いてぎこちない動きで番台妖精へと顔を向ける。
「どうやら従業員の転身前の所有物だった模様ですなー。我々も所持品の全てを処分したつもりでおりましたが、いやこれはもしかしたらまだどこかに残っているのかも知れません。今日の終礼にでも議題にあげましょう。ありがとうございます。はい!」
「え、あの、て、転身って?」
のんびりと湯呑みを傾ける妖精に、動揺を隠せない悠理が問いかける。
「ああ、お客様は転身した妖精と会うのは初めてですかな? 当銭湯の従業員はみな半年前までお客様と同じ巡礼者だったのですよ。私も転身前は加藤拓司と言う名前のしがない水道工でして、いやはや今となっては遠い過去の話にございます。はい」
見た目可憐な女の子の姿の小さい妖精が、さも当然のようににこやかに答える。
「な、なんでそんな姿に……?」
その話の内容に分かりやすくドン引きしている大河が、聞いた情報を処理し切れず完全に固まってしまった悠理に変わって質問を続けた。
「はい! 我々は元々、要町にて異変に見舞われ集団で逃げてきたのです。最初は百名を超える人数だったのですが、荒野を進むにつれどんどんとモンスターに食われ、ここにたどり着いたのは二十名弱でして、もう荒野を旅する気力も考えも残っていなかったのですね。はい」
番台妖精は湯呑みを小さなテーブルの上に置き、代わりに細かく割られた煎餅のかけらを両手でつかんでパリッと口にした。
「もぐもぐ。この銭湯はですね。巡礼者の精神を弛緩させる効果がありまして、簡単に言えば昨晩のお客様方のように、店内に居る巡礼者の理性を少しばかり緩めるスキルを持っているんですよ。そのおかげで我々はこの銭湯に依存するようになりました。なにせここはオーブを支払えば食事もできますし、お風呂は気持ちいいですからね」
「ス、スキル……?」
「はい。この銭湯は少量のオーブを糧にしていますから。内に入れた巡礼者を持て成すかわりに、少しばかりのオーブを手に入れて繁殖するのです」
「は、繁殖……?」
妖精の説明を聞いても、いまいち要領が掴めない。
「もぐもぐ。何名かは家族の安否が心配でここを出て行きましたが、おそらくもう生きてはいないのでしょうね。それで残った我々はここでのんびりと生きていく事を決めました。荒野のモンスターは怖いし、明日を生きる食糧だって外では手に入りずらい。なにせ皆、逃げるだけで戦おうとしなかったものですから。レベルが低かったんですね」
口の周りに付いた煎餅のカスを小さなハンカチで拭いて、そしてまた湯呑みを手に持つ妖精。
「手持ちのオーブは大体一週間ほどで無くなりましたが、我々はそれでもここから出れなかった。臆病者しかおりませんでしたから当然でしょうな。やがて空腹に耐えかねて一人また一人と倒れていきました。いやー、もう薄ぼんやりな記憶でしか残っておりませんが、アレは辛かった……はい」
目を閉じてうんうんと頷く番台妖精。
「それでまぁ最終的にはみなここで死んだのですが、目を覚ますとこの姿になっていたのです。この銭湯はそうして自分の身体を世話してくれる奴隷を捕まえているのですな。はい」
あっけらかんとそう言い放った妖精は、天井を見上げる。
「もう転身前の思い出もかなり薄れてきましたが、皆今の姿に満足しております。この仕事は我々の天職ですよ。はい」
そう言い終えた番台妖精は、またのんびりと湯呑みを傾けてお茶を飲み始めた。
大河は必死に今の話を脳内で整理し、要点を纏める。
「え、えっと。この銭湯は巡礼者をもてなして、オーブを貰う事で繁殖する。中に入った巡礼者は銭湯のスキルで理性が緩んで、銭湯に依存するようになる。依存した巡礼者は手持ちのオーブが尽きても銭湯から離れられなくなって、いつかはここで餓死する……餓死した巡礼者は妖精になって、銭湯を整備する奴隷になる……つまり、この銭湯は……」
「プリズンミミックというモンスターの亜種です。名前は妖精湯、そのまんまですな。はい」
番台妖精はケラケラと笑いながら、そう告げた。
途端に大河の背中にものすごい悪寒が走る。
意識を緩やかに支配され、行動の自由選択を奪われ、そして隷属化する。
番台妖精や他の妖精たちがそれを嘆いている様子も、悔やんでいる様子もない。
転身後になにかの偏向的な思想洗脳が施されるのか、人間だった頃の元の性格も無くして完全に妖精である自分に納得し、満足している。
それは、なんと恐ろしいことなのだろうか。
知ってしまった今となっては、この一日で受けた過剰なまでのサービスが善意から来るものではなく、かと言って商機からくるものでもなく、ただひたすらに内に取り込んだ獲物を逃がさない為の処置であると気づいた。
「悠理! ここを出るぞ!」
「──はっ、う、うん。えっと、わ、私。今の話があんまり理解できてなくて」
「後で説明するから!」
未だ呆けている悠理の手を取り、入り口の引き戸を乱暴に開け放つ。
「またのご来店をおまちしておりまーす! はい!」
「お客様のおかえりでーす!」
「当銭湯をどうぞご贔屓にー! はい!」
店内の至るところから、元人間たちの元気な声が聞こえてくる。
大河にはもうその声が、囚われた囚人たちの叫びにしか聞こえなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
妖精湯を出て数十分程度、二人はようやく足を止めた。
大きな岩に腰掛けて、アイテムバックからペットボトルを取り出し一息吐く。
「あ、あんなタイプのモンスターも居るんだね……」
「本当に気が抜けねぇな……廃都は……」
悠理には歩きながら番台妖精の話を要約して説明した。
「甘い話には裏がある、かぁ」
「昨日のお前、考えてみたらなんかおかしかったもんな」
基本的に理性的な女子である悠理が、大河以外にあそこまで欲望を包み隠さず曝け出す姿を見せる事は無い。
悠理が暴走するのはいつだって二人きりの時だけだ。
「うう……意識したらなんだかとても恥ずかしい。なんてはしたない事を……」
悠理は真っ赤になった自分の顔を覆い、嫌々と頭を振った。
「まぁ、過ぎた事は忘れて……ん? なんかここらへん、暑くないか?」
防寒効果(中)のダウンジャケットを脱ぎ、中のインナーだけの姿になった大河が岩から立ち上がる。
「あ、本当だ。さっきまですっごく寒かったのに」
悠理も同じようにダウンジャケットを脱ぐ。
「……あれは」
少し離れた小高い場所に立って周囲を見渡していた大河が、何かを見つけた。
「大河、なにか見つけた?」
丁寧に折りたたんだジャケットをアイテムバッグに仕舞いながら、悠理が問いかける。
「なんだあれ、ピラミッド……か?」
ここよりかなり離れた場所に、鬱蒼とした密林が広がっている。
その密林の更に向こうに、ここからでもわかるほど巨大な建造物。
それは頂点が平たい、四角錐台。
苔むした灰色の石造りのピラミッドが、密林の中に鎮座していた。




