荒野のビバノンノン③
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「あぁ〜生き返ったぁ〜」
少しレトロな壁掛けの扇風機の前に椅子を置いて座り、気の抜けた声で大きく息を吐く悠理。
しっとりと濡れた黒髪や火照った肌がやけに艶かしくて、さっきまでまじまじと見ていたはずなのに急に恥ずかしくなった大河は手持ちのバスタオルでガシガシと頭を拭いた。
「いつまでもそんな格好してると風邪引くぞ」
身体の水分を拭き取ってからすぐに下着を身につけた大河と違い、悠理は何も身につけず扇風機の風に当たっている。
大浴場に入って三時間以上、時々水を浴びたりして身体の熱を冷ましてはいたが、それでも湯船に浸かっていた時間は長かった。
ちなみに、公序良俗に反する事はナニもしていない。
ビニールマットも借りてないし、コンドームの出番も無かった。
かなり危ういところではあったが。
「ごめんもうすこしだけ〜」
だらしなく破顔した悠理の声が、扇風機のファンに当たって揺れる。
「せめて髪を拭けって」
これを機に新品のスウェットを卸して身につけた大河が、悠理の頭からバスタオルを被せた。
「大河、お願〜い」
旅で酷使した筋肉だけでなく思考まで風呂で解してしまったのか、悠理は気の抜けた声で大河におねだりをした。
「はいはい、かしこまりましたお嬢様」
そう言って大河は悠理の頭に掛かったバスタオルを手に持ち、広げる。
「んふふ〜。幸せだ〜」
トロトロに溶け切った悠理の顔に、大河は思わず苦笑した。
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「ふぅうううう〜。あたたたたまったししししし、コココーヒー牛乳うううもご飯もももも美味しかったししししし。完璧だだだだだね〜」
大河と色違いのスウェットとトレーナーを身につけた悠理が、黒い革張りのマッサージチェアの上で振動している。
一回30分、100オーブで利用できるマッサージチェアは見た目こそどこにでもある物だが、なんと【疲労回復(中)】と【快眠(小)】の効果があった。
ちなみに大浴場にも施設効果が色々と付随しているが、大河らがそれに気づくのは明日の事である。
「悠理、さっき飯食った畳の部屋あるだろ。あそこを宿泊に使って良いらしいぞ」
妖精の一匹となにかを会話していた大河が、かなりだらけきった悠理に向かって声をかけた。
「ほんとおおおおお〜? やったぁあああ」
「ここの聖碑は小さすぎてファストトラベル機能が無いらしいから、野宿も覚悟してたんだけどな」
身綺麗にしたついでに高田馬場に飛び、剣の修繕などもしてやろうと目論んでいたのだが、どうやらそこまで甘くないらしい。
「当店の前の聖碑は聖域の維持しかできないのです! 大変申し訳ございません! その分、イートインコーナーである座敷で寝泊まりして頂いても結構でございます! はい!」
「ちゃぶ台を退けても六畳もない小さな小部屋でございますが、お外で野宿するよりマシかと思われます! はい!」
「我々妖精は事務所の二階にある従業員用の巣箱で寝泊まりしておりますので、お客様の『おたのしみ』の声は届きません! はい!」
「料金もしっかりとお勉強させていただきます! はい!」
大河と話していた妖精の言葉に続けて、食器を片付けていたり脱衣所を清掃していた妖精が順番に声を上げた。
「モンスターを警戒しないで済むってだけで充分ありがたいよ」
この二週間余りで狩ったモンスターは二百を余裕で越える。
その全てを大河が一人で相手しており、夜間の襲撃すら対応していた。
レベル上げと称号によるステータス増加のおかげで余裕だと思っていたが、風呂に入った事で大河自身気づけない疲れがあったと判明した。
悠理ほどではないが、大河もかなり脱力しているのだ。
「ふぅ〜、気持ちよかったぁ〜」
悠理はマッサージチェアから立ち上がり、大きく背伸びをする。
「お、じゃあ次は俺だな」
マッサージチェアが一台しか無いため悠理に先を譲り、順番待ちをしていた大河が期待を込めた目で座ろうとする。
「ううん、大河のマッサージは私がするから。大丈夫だよ」
それを、悠理に止められた。
「え?」
「大河のマッサージは、私が、するから」
同じ言葉をもう一度繰り返し、悠理は大河の肩をガシっと掴む。
「え、いいよ。俺も──」
「大河の、マッサージは、私が、するの」
「ゆ、ゆうり?」
「大河の身体を、優しく解きほぐすのは、私の役目なの」
「そ、そうだよな? う、うん。じゃ、じゃあお願いしようかな〜?」
その目に得体の知れない決意と情動と執着心を感じ取った大河の歴戦の感覚が、危険を知らせている。
しかし悠理からは逃れられない。
「それでは清掃も済みまして! 二十二時となりましたので閉店となります! お客様の貸切はこの時間を持ちまして終了ですが、他にお客様もいらっしゃらないのでどうぞご自由に店内をお使いください! 御用がございましたら番台の呼び出しベルを鳴らして頂ければ事務所に待機しております当直の妖精がすぐに対応致しますので、なんなりとお申し付けくださいませ! 一番風呂は早朝七時には入れるようになります! はい!」
「宿泊後の清掃も料金に含まれておりますので! お気になさらず!」
「店内を暗めにしておきますです! はい!」
「店内BGMも音量を下げて、ムーディーな曲に変えておきますので! はい!」
「それでは我々はここでお暇させて頂きます!」
「ごゆっくりどうぞー!」
『ごゆっくりどうぞー!』
そう言って十数匹の妖精は妖精は店内の隅にある扉に向かって一斉に飛んでいく。
「あ、おいお前ら──」
大河はそのあまりの唐突さに、思わず呼び止めようと動いた瞬間。
「さぁ、大河。上着を脱いで横になって」
隙だらけとなった背中から腕を回され、上着である厚手のトレーナーを剥がれた。
「ゆ、ゆうりさん?」
「……あのね、正直に言うとね?」
イートインスペースの畳の部屋に優しく押し倒された大河の腹の上に、悠理が跨った。
「私、結構我慢してたんだよ? この二週間」
「いや、それはもう隠し切れてなかったけど……じゃなくて、えっと」
すでに冷ましたはずの肌の火照りを取り戻した悠理が、上唇をぺろりと舐めながら自分の上着を乱暴に脱いだ。
「大河」
「は、はい」
この半年を経てすっかり筋肉質となった大河の胸板を右手の指先ですーっと撫でて、悠理は妖しく微笑んだ。
「いただきます♡」
そうして、自重しない夜が始まる。




