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東京ケイオス  作者: 不確定 ワオン
日の出の塔 封印結晶の間
120/233

その『愛』の結末

 

 遠くから見ているだけでもすぐに分かるほど、大河は傷つき、そして普段の様子とは大きくかけ離れた危ない挙動を取っていた。

 

 だからこそ悠理は、結晶(クリスタル)が割れ周囲のクリスタルドール達が一斉に動きを止めた瞬間に、我慢できずに大河へと走り寄り、その倒れ行く身体を受け止めた。


 祈祷剣杖ヒーラーズライトのアビリティ、【清浄なる祈り】の発動条件である『血に触れると回復魔法の効果が減衰する』という制約すら忘れる程に、それほどまでに大河は血を流しすぎていたのだ。


 自らの咄嗟の行動にようやく後悔し始めた悠理は、スマホを操作してアイテムバックからベッドマットを取り出し大河を優しく寝かせた後、身を清める為に飲料用のペットボトルの水で手にこびりついた大河の血を必死に洗い流す。


「悠理! 大河は──!」


「近づかないで!」


 悠理と同様に大河の身を案じて駆け寄ってきた朱音を、悠理は普段聞いた事もないほどの声量で静止する。


 大粒の涙を流しているその瞳から、明確な怒気と敵意が朱音と──そして他のメンバーへと向けられた。


「今はお願いだから! この人を放っておいて!」


「──ゆ、悠理……?」


「許さないんだから。みんなで、みんなして大河だけを責めて。こんなに、こんなになるまで一生懸命だった大河を、まるで大河が悪いみたいに責めて、絶対に、絶対に許さないんだから」


 朱音の困惑の声を全て無視し、悠理はブツブツと何かを呟きながら一生懸命にペットボトルの水で手を洗い続ける。


 傍に置いたスマホの画面には、悠理のステータス画面が表示されたまま。

 そこに映る【穢れ】という赤い文字が消えるまで、悠理はまるで度を越した潔癖症のように一心不乱に手を洗い続けた。


 やがてようやくその文字が消えたのか、地面に両膝を立てて、気を失っている大河に向かい【看護(ナーシング)】を施す。


「大丈夫だよ大河。絶対に大丈夫。死なせないもん。絶対に治してあげるからね。ああ、こんなに傷ついて、こんなに……こんなに……」


 まるで自分に言い聞かせるように呟きを止めない悠理は、決して止まることのない涙を潤ませた瞳で、大河だけを見つめ続ける。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



「……陽子」


 結晶のドレスが水のように溶け、一糸纏わぬ姿となって呆然と佇む『水野陽子』に、瑠未がゆっくりと近づいていく。


「ああ、終わってしまったのね。私の役割(ロール)が、子供達やみんな、そして貴女との、愛しい日々が」


 困ったようにはにかんで、『陽子』は瑠未へとその視線を向けた。


 そしてゆっくりと周囲を見渡して、倒れ込む椎奈を抱えた圭太郎を見た。

 次に地面にあぐらをかいて力なく項垂れ、弱々しい目で自分を見上げる剛志を見た。

 

 他の調達班の大人達の顔を一人づつ名残惜しそうに眺め、そして瑠未を見た。


「もっと、みんなと笑い合っていたかったなぁ」


 一粒の涙がその目から零れ落ち、白い頬を伝う。


「悪戯をした子を叱ってあげたかった。お手伝いをした子を褒めてあげたかった。怖い夢を見たら優しく抱き上げて、温かいその身体を撫でながら子守唄を歌ってあげたかった。ずっとずっと、見守ってあげたかった」


 自分で自分の身体を抱きしめ、『陽子』は小刻みに震える。


「あぁ、ああああっ、陽子っ!」


 瑠未はたまらず、その細い身体を抱きしめた。


「ごめんね瑠未ぃ……何も本当の事を伝えられなくて……貴女を騙し続けてていたことを、どうか許して……」


 瑠未の胸に額を埋めて、『陽子』は謝り続ける。


「ずっとずっと、この瞬間が怖かったの……このイベントを成立させるためだけに産み落とされた私は、結局は貴女の……みんなの命を脅かす敵でしかないのに……だけど自分の正体を曝け出すことすら、私には許されていなかったの……」


「陽子っ、良いから! 私は、私はっ!」


「子供達を、貴女を愛しているの……これは嘘偽りのない私の感情(おもい)、どうか……どうかそれだけは疑わないで……だからこそずっと、私は心の中で叫び続けていたのよ……謝り続けていたのよ!」


 止まらない涙が、瑠未の上着に擦られそして溶けていく。


「ああ瑠未、死にたくない! 消えたくない! 貴女と、子供達とずっと一緒に、生きていたい! でもできないの! 私はあの子たちの親を、大人達の多くを騙して殺したから! あの子たちに、恨まれてしまう! それが、それが何よりも怖い!」


 池袋に設定されていた『都市解放イベント』の第一段階は、多くの人間を敵対させる事。

 4つの大型クランに抗争を促す事で、そこに在籍する巡礼者(プレイヤー)たちの平均レベルを上げさせる事が、あの洪水を引き起こす第一目標だった。


 セイレーンの姫の分身体という設定を持つ『水野陽子』たちは、その目標を達成させる事を義務つけられてた。

 だからこそ言いたいくない虚言で人を騙し、巡礼者(プレイヤー)たちの疑心を煽った。


 そこには、パークレジデンスに避難している子供たちの親も含まれている。

 家族連れで池袋に来ていたタイミングで『異変』に見舞われた子の、その両親も少なくない数含まれている。


 自分で引き離し、自分で死ぬように促した相手の子供を世話し、そして共に生活をする。


 これがどれほど狂った行為なのか、パークレジデンスの『水野陽子』はちゃんと理解していた。


 他のコミュニティを率いていた『水野陽子』も同様だ。


 それぞれのコミュニティに集めた人間たちの属性は違えど、みな同じようにして人々を騙した。


 パークレジデンス池袋は、子供を中心として。

 とあるコミュニティの『水野陽子』は、介助の必要がある老人を。

 他のコミュニティの『水野陽子』は、素行のよろしくない若者たちを募って。


 今池袋に存在する、60を超える数のコミュニティにはそれぞれ『水野陽子』が存在し、違った手段、内容の虚言を持ってクランを運用していた。


 巡礼者(プレイヤー)たちの中に紛れる為に、異変前の東京の知識と人間らしい感情を与えられた『水野陽子』たちは、心中の罪悪感に押し潰されても、それでもイベントNPCとしての役割(ロール)を全うするしかなかった。


 気を狂わせる事すら、許されていなかった。


 そして一番最初にこの変容したサンシャイン60──封印結晶の間に到着したクランの、それを率いていた『水野陽子』が結晶(クリスタル)守護者(ガーディアン)を任命され、あのカース・セイレーン・ディーバへと転化するのだ。


 今他のコミュニティの『水野陽子』たちは、サンシャインから溢れる水が止まった事で自身の役割(ロール)が終わった事を察しているだろう。


 そして自分が作り上げてきたコミュニティにイベントの種明かしを、すこしだけ演技くさい説明と共に語り終えて、まるで人間のように静かに息絶える。


 そこまでが、この都市解放イベント。

 イベント名──『水没都市池袋ルーインズオブセイレーン』の結末だ。


「ああ、瑠未……貴女を愛しているわ。これはNPCとしての役割でもなんでもない、『水野陽子(わたし)』の本当の想いなの。お願い、信じて。貴女に、貴女に嫌われるなんてそんな……そんなの……耐えられないっ……」


「ええ、分かってる。分かってるわ陽子。大丈夫……大丈夫だから。私も貴女を愛してる。大好きよ、陽子……」


 徐々に熱を失っていく陽子の身体が、その仮初の命の終わりを示している。


 温かい肌の感覚が消えてしまわないように、ずっとその腕の中に抱きしめてられるようにと、瑠未は強く『陽子』の身体を抱きしめた。


 しかしゆっくりと、だけど確実に、その命の熱は冷めていく。


「る、み……こどもたち、を……どうか……」


 弱々しく顔を上げ瑠未を見つめる『陽子』の声には、もはや幾許(いくばく)かの力も残ってはいなかった。


「ええ、ええ! 何も心配しなくて良いわ! 私がっ、私があの子たちをちゃんと見守っていくから! 貴女の分までずっと、ずっとよ!」


 震える声を陽子に悟られぬよう、瑠未は力強く叫ぶ。

 だがその二つの瞳からこぼれ落ちる涙は瑠未の眼鏡のレンズを歪ませる。


「うん……う……ん……」


「──っ、陽子! ねぇ待って陽子! まだっ、まだ行かないでっ! ねぇ陽子! 陽子ってばぁっ!」


 色を失い虚ろとなった陽子の瞳に、瑠未の顔が映る。

 その冷たい頬に手を当て、身体を摩り、揺らし──だけどもう、『水野陽子』は何も言わない。


「うぅううううっ、うぁあああああっ、わぁああああああああっ!!」


 もう完全に陽は落ちて、星灯りと月明かりだけに照らされた静かな封印結晶の間に、瑠未の悲痛な叫びが木霊した。


 椎奈を腕に抱える圭太郎も、自分の無力さに打ちひしがれている剛志も、何も言えず、何もできなかった他の大人たちも、あまりにも痛々しい瑠未の慟哭を聞く事しかできない。

 

 朱音はそれを、一人遠くから見ていた。

 胸を締め付けるような痛みに耐えきれず、己の上着の胸元をぎゅっと握り締める。


 今この場で涙を流していないのは、気を失っている椎奈と、大河だけだった。

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