黄金の蜘蛛①
「おぁあああああああああっ!」
裂帛の一閃。
雄叫びと共に薙ぎ払った『咎人の剣』が、巨大なカナブンを二分割した。
飛び散る白い体液が大河の身体を濡らす。
構えも作法もへったくれもない、素人が繰り出す素人丸出しな拙い剣。
腰が引けている。
脇が開いている。
姿勢が安定していない。
剣の腹で叩いている時すらあった。
それでも大河がもうかれこれ三十分も、次々と迫り来る虫の群れと対峙して無事だったのは、『咎人の剣』から与えられた常人離れした膂力と反射神経、肉体強度、感知能力と体力の賜物だった。
今の大河が本気を出せば、小型の原付程度なら片手で持ち上がる。
今の大河がその気になれば、短距離なら鳥よりも早く駆け抜けられる。
今の大河ならば、小型のトラックがある程度の速度で衝突しても、ぎりぎりで耐えられる。
集中し緊張している今なら、死角からの虫の奇襲も事前に察知し対処できた。
すべては大河が右手に持つ剣から与えられた力。
それはありがたくもあり、同時に恐ろしくもあった。
なにせ、虫たちがあまりにも脆すぎる。
「っああああああ!!」
出鱈目に振った剣が、巨大なカマキリの構える鎌をその胴体ごと切り裂いた。
大河の目の前で人を、ガラスを、そして鉄をも切り裂いた鋭利で頑丈な筈だった鎌だ。
それがいとも容易く、箸で豆腐を割るかの如く切り裂ける。
巨大なツノを持つカブトムシが、中央通路の奥から充分な距離を取って突っ込んでくる。
一直線に、弾丸の様に、最も加速の乗った一撃を大河にお見舞いしようとツノを突き出して。
「ぐぅっ!」
しかしその一撃を、大河は同じ様に突き出した『咎人の剣』で迎え撃った。
カブトムシの頭の中央。その一点に狙いを定めて、ツノを避けつつ串刺しにした。
これが普通なら、勢いに乗ったカブトムシの一撃を受けても簡単に負けて後方へと吹き飛ばされていただろう。
なにせカブトムシの大きさは、他の生き物で例えるなら大型犬程。
そのサイズの重量を持った物体が、一般車道の速度制限並みの速さでぶつかって来るのだ。
吹き飛ぶだけじゃなく、体が木端微塵に千切れてもおかしくはない。
だが大河はその速度を、前のめりの姿勢から足を踏ん張る事で相殺した。
物理法則、人体の限界、それらを無視して大河はカブトムシを処理する。
「兄ちゃん無事か!?」
空調服を身につけた作業員風の男性が、近くで大河と同じ様に『剣』を振って虫と応戦している。
「こっちは任せろ! お前が一番長く戦ってるんだからあんま無理すんな!」
「くそ虫どもが! 人間様を舐めんな!」
また別のところで、ホスト風の青年二人が背中合わせで『剣』を持って虫たちを切り捨てている。
「はっ、はい! まだ大丈夫です!」
大河は顔にかかったカブトムシの体液を乱暴に拭い、肩で息をしながら返答する。
今この新宿駅構内、中央通路で『咎人の剣』を持って戦っているのはざっと二十人ほど。
大河が『剣』を持って虫と応戦しているのを目撃し、自分も戦いたいと行動に移した人たちだ。
大河が『戦いたい人は右手を前に出して抜剣と唱えてください!』と何度も叫んだことで、その数は少しずつ増えていった。
虫たちの数も最初に比べれば明らかにその数を減らしていて、今では束の間の息継ぎができるまでになっていた。
「はあっ、はぁっ!」
大河は荒い息づかいを、小刻みに空気を取り入れる事で整えようとする。
最初に『剣』を手にした時の万能感、無敵感はもはや無い。
時間が経つにつれ徐々に、血が昇っていた頭が冷やされる様に冷静になっている。
(わかる。自分の体力の限界が。『剣』がもうすぐ消えそうになっているのが)
一回剣を振るうごとに、実感できるレベルで疲れている。
それは大河が戦う事に不慣れである事も起因しているが、明らかに、『剣』に少しづつ体力を奪われていると頭で理解できた。
(そりゃそうか。こんだけ強い力だ。デメリットが無いわけないよな)
汗と虫の体液が混ざった滴が、目の横を通って顎で溜まり、そして地面に落ちていく。
左手の甲でそれを拭い、また乱暴に『剣』を構えた。
(これはチュートリアルだって、最初にあの『声』が言っていた。だから多分、勝てないレベルのモンスターは出てこない──と思う。そうでなきゃゲームにならない)
大河や他の人間の頭の中で、今の新宿がテレビやスマホのゲームじみた様相に変わっているとすでに理解できていた。
根拠として最初のスピーカーからの音声と、『ぼうけんのしょ』の存在がその理解に肉付けしている。
(モンスターも最初に比べて明らかに減ってる! 多分どっかで湧いてんだろうけど、ここでリポップしていないってことはいつかは一時的に枯れるはず!)
大河自身はあまりゲームを嗜んで来なかったが、ゲーム好きだった亡き親友を通して得た知識がある。
今はその知識が正しいものと信じて戦うしかない。
最初こそ一人で孤軍奮闘するつもりで悠理と別れたが、今大河の周りには多くの共に戦う人たちがいる。
状況も悪くない。
生き残るのは、不可能な話で無くなった。
「で、でかいのが来た!」
「なんだありゃあ!」
通路の奥、改札の向こうから金色に輝く蜘蛛が顔を見せた。
それは巨大な他の虫より、さらに輪をかけて巨大な蜘蛛だった。
蜘蛛故の細長い脚を巧みに利用し、改札を壊す事なくぬるりと中央通路まで侵入してくる。
八本の脚はそれぞれ先端が槍の形状をした爪が尖り、歩くごとに他の虫を串刺しにしながら迫ってくる。
通路横いっぱいに広がる体躯。
口吻の前にある鎌状の鋏角から滴る黄色い液体が、タイルとコンクリートの地面を溶かし抉っていた。
尻から伸びる白い蜘蛛の糸は長い尾となって伸びており、所々にコブに似た形の大小様々な繭が連なっている。よく見るとその中身は、人間の様だ。
うっすらとした人影のシルエットが透けて見える。
それは動かないモノもあれば、のたうち回るように動くモノもあった。
それらを引きずりながら通路を悠々と歩く金色の蜘蛛は、やがてその八つの目をまっすぐ、大河に向けた。
大河と蜘蛛の距離は、他の人たちよりも遠い。
すぐ近くの自動販売機の影に隠れている学生服を着た青年には一切目もくれず、蜘蛛は大河へと狙いを定めた。
もしかしたら、弱っている人物を優先的に襲う習性なのかも知れない。
それとも、単に大河が蜘蛛にとって好みの食材に合致していたのかも知れない。
そんなどうでもいい思考を振り払って、大河は両腕に力を込めて『剣』を構える。
その場からどいて距離を取るという考えは全く無かった。
なぜなら大河の居る場所は女子トイレ前。
そこには大河の言葉を信じて震えて待っている、悠理がいる。
乱戦となったこの中央通路で、もし一匹でも大河が虫を取りこぼして、女子トイレに侵入されたら。
大河はそれを許せない。
「来るなら来いよ化け物」
もう体力は限界に近い。
息も絶え絶えとはこういう状態のことを言うのだろう。
恐怖を無理やり制しようと、大河は笑顔を顔面に貼り付ける。
蜘蛛もそんな大河を見て、なぜか嬉しそうに嗤う。
虫の感情や表情が大河に分かるはずもないが、なぜかそう感じた。
そして蜘蛛は動きだす。
ついでとばかりに、自動販売機に隠れていた学生服の青年を脳天から貫き殺し、その身体を喰みながら。
間違いなく、大河だけを標的に据えて。