その『歌声』が聞こえない②
十数体居たクリスタルドールたちは、強さで言えば湖底迷宮の下層に出現したサハギン・マフィアよりも少しだけ強い程度だった。
だから朱音が主力となって、剛志や圭太郎と連携を取ることで難なく対処できた。
問題は、倒しても倒しても魔法陣から新しいクリスタルドールが出現する事だ。
「くっ! こいつら! 圭太郎!」
「分かってるってば! 朱音姉! あの魔法陣を消さないとこいつら無限に出続けるよ!」
ゲーム知識に明るい剛志と圭太郎が、そのギミックに気がついた。
だが朱音はその言葉に唇を噛み締める。
「んなこと言ったって! ここを離れる余裕なんてないっつーのよ!」
この場で大河以外に動ける──戦えるメンバーはこの三人だけ。
悠理の張る【防護】のドーム内には、二十を超える調達班メンバーが居るが、みな気が動転しているのか、それとも『大河』に手を貸す気が無いのか。
一向に動く気配が無い。
「なんで! なんでみんなぼぉっとしてるんですか!? 戦わないと、ここに居る人だけじゃない! 子供たちも湖の呑まれて死んじゃうんですよ!?」
顔を真っ赤にして涙目の悠理が、そんな不甲斐ないメンバーらを相手にずっと怒鳴っている。
怒りがあった。
呆れがあった。
一番危険な場所で、一番怪我をしていて辛いはずの愛しい大河が戦っているのに、動ける人──しかも大河よりも年上である筈の大人たちが動かない。
こんな馬鹿げた事があってたまるか、と。
「で、でも──」
「でもなに!? 大河が全部悪いって言うの!? あの人は最初から最後まで、ずっとみんなの為に頑張ってきたのに! あんなに傷ついて、あんなに血を出して戦っているのに! 大人として恥ずかしくないの!?」
ようやく口を開いたかと思えば、なにか言い訳をしようとしていた大人に向けて、悠理の感情が爆発する。
「ここに来たのも! 陽子さんがああなってしまったのも! 全部偶然じゃない! 大河がわざとそうしたわけでもないのに! 全部を大河のせいにして、自分たちは何もしないの!? そんなに怖いの!? 陽子さんを殺すって責任を、そんなに取りたくないの!?」
その綺麗な黒髪を振り回しながら、悠理は激昂する。
自分が大河を助けに行けるのなら、それで事態が好転するのならとっくに駆け出している。
本音を言えば、今でもその隣で同じように傷を負い、同じように血を流し、同じ痛みを背負いたかった。
でも、それは逆に大河の命を脅かす行動になるのを悠理は知っている。
ヒーラーズライトのアビリティは、回復魔法の回復速度を上げる効果があるが、その代わり血に触れてはいけないという制約を持つ。
傷ついた大河を癒せるほどの魔法を持つのはこの場において悠理だけであり、その手段を失うという事は大河の命を危なくさせるという事だ。
だから悠理はここから動けない。
自分の役割が、どのようにして大河を助けるのかを、冷静に考えているから。
「許さないから! 貴方たちを、私は絶対に許さない! 自分たちの都合で大河を利用して! 全部の責任をあの人に押し付けて! 戦える筈なのに怖気付いて、あの人をたった一人で戦わせてる! そんなの絶対に許せるはずない!」
泣いている。
大河の行動で、自分の言葉で心動かない大人たちを見て、悠理は絶望して泣いている。
「ゆう……り……ちゃん」
そんな悠理を、瑠未はじっと見つめていた。
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「ふっ! ぐっ!」
新たに複数の回復アイテムでブーストし終えた大河が、胸と肩の痛みに顔を顰めながら隠れていた柱から飛び出る。
「う、うぉおおおおおおおおおお!!」
口からは血、そして気合いを吐き出しながら結晶の槍を紙一重で交わし、封印結晶の間の中央に浮遊するディーバに向かって駆けていく。
急所である頭部、喉、股間、つまりは正中線にさえ槍が当たらなければそれでいい──捨て身の特攻じみた肉薄である。
驚異的な集中力で四方八方から迫り来る結晶の槍をすべて認識し、かといってディーバの動きにも注意を払い、神懸った回避能力を駆使して距離を詰める。
(探せ! これはシューテングゲームで言うところの弾幕! こんな隙の無い連続攻撃なんて、綾のこだわりが許すはずが無い! 絶対に何か、どこかに安全地帯──もしくは攻撃する起点となる場所があるはずだ!)
今の東京、つまり【東京ケイオス・マイソロジー】を妄想したのは、凝り性でこだわりの強い親友だ。
物心ついてからずっと一緒に育ってきた綾の性格など、本人が嫌がる部分さえ知り尽くしている。
無数のゲームを持ち、多彩なジャンルを幅広くプレイしていた綾にとって、理不尽なゲームバランスと言う物は『悪』である。
レトロゲーマーでもあったが故に、テレビゲーム最初期の鬼畜じみた難易度をも愛していた綾ではあるが、本人が一番好んでいたのは『考えてプレイすれば絶対に攻略できる神バランスのゲーム』だ。
そんな綾が、自身の妄想していた『最高のゲーム』に対して、理不尽な難易度をプレイヤーに押し付けるとは到底思えない。
あの無限回廊が、正しいルートで通ればなんてことないダンジョンであったように。
あのラティメリア・ファミリアにも、きちんと弱点が設定されていたように。
きっと『水野陽子』にも対処法が存在するはず。
(ここで陽子さんが言ってた事、今見てるモノ、全部がヒントだ! 考えろ! 考えるんだ!)
アイテムによるブーストには時間制限がある。
今の大河はその制限を新たなブーストによって延長させているだけ。
すでに三度目のドーピングを行い、その無理が身体の不調として現れ始めている。
後頭部と目の奥の鈍痛が、定期的なモノから断続的なモノへと変わっている。
気を抜けば視界が霞み、足を止めれば再び動き出すのに苦労するだろう。
限界が近い。
それは大河の身体と、あのセイレーン湖の水位両方の意味の限界を指している。
「【アッパースラスト】!!」
ディーバの背後に回り込んだ大河の身体が、横に構えたハードブレイカーと共に中空へと急加速する。
「ぐっ!」
オーラを纏ったスキルによる一撃が、いつの間にか結集していた交差した結晶の槍に弾かれた。
「【シールドチャージ】!!」
亀裂の入ったラウンドシールドを顔の前に構えて、密集する結晶の槍に向けて空を走る。
「うぉおおおおおおおっ!!」
複雑に交差していた結晶の槍が、【弾き】効果のあるオーラによってバラバラに解かれて四方に飛び散っていく。
(──だけど!)
ようやく出来たディーバへの攻撃導線、しかし大河の身体はスキル使用時の硬直によって動けない。
その間も、ディーバは両手を振り回して無数の結晶の槍を操作し、大河へとその鋒を向ける。
「ぐっ!」
数秒後に来るであろう痛みに耐えようと、大河は唇を噛み締めた。
しかし──。
「──【シャドウライン】!」
大河の直下にある自身の影から、圭太郎がその姿を現した。
そして大河の身体に自らの身体をぶつけ、弾き飛ばす」
「なっ、圭太郎!」
「ぐぅううううううっ!」
両腕を交差した圭太郎の身体の至るところに、結晶の槍が刺さっていく。
「っ馬鹿野郎!!」
いち早く床に着地した大河はすぐに移動し、血まみれで落ちてくる圭太郎の身体を受け止める。
「このっ、何考えてんだお前!」
「つっ、ぐぅうっ」
右腕、右太腿、左脇腹、そして左の足の甲。
圭太郎に突き刺さっているそれらの結晶の槍。
痛みに悶える圭太郎は、大河の言葉に返事すらできない。
「【牙咬み】!!」
「【シールドバッシュ】!!」
足を止めた大河と圭太郎に襲いかかろうとしていた結晶の槍を、朱音と剛志がスキルで弾き返した。
「あ、朱音さん! 剛志まで!」
大河を囲むように構えた二人は、血と汗を拭って息を整える。
「遅れてごめん!」
「お、俺らも戦います!」
大河と圭太郎の姿を見ようともせず、二人は空を舞う結晶の槍を目で追いながら応える。
「──ち、違う! 陽子さんは俺が! 俺がやらなきゃダメなん──!」
「──大馬鹿野郎はオマエだっ!!」
大河の言葉を、朱音の怒声が遮った。
「お前が大馬鹿野郎だし、アタシらはもっと恥ずかしい何かよ!! ここで陽子を殺……倒さないとみんなが死ぬんでしょ! じゃあアタシらだって戦わないとダメでしょうが! たとえ陽子をこ、殺す事になろうと!!」
「大河兄がっ、ずっと俺らの為に頑張ってきたってっ……俺っ、知ってますから!」
朱音の声に、悲痛の色が混じっている。
剛志の身体が、恐怖と混乱で震えている。
そして、圭太郎が大河の腕を強く握った。
「け、圭太郎……」
「い、池袋のことは……オレらの責任だから……陽子姉の事は……オレらのことだから……だから大河兄じゃなくて……オレらが……オレがっ……!!」
圭太郎は力なく起き上がり、地面に落ちていた快刀・乱麻を拾う。
「オ、オレらが、やらなくちゃいけないんだ! だって! オレら……陽子姉のこと! 大好きだからぁ!」
泣きながら、圭太郎は快刀・乱麻を構えた。
「大河ぁああああああっ!」
遠くから聞こえる悠理の声に振り向くと、【防護】のドームを囲むように飛ぶクリスタルドールの姿と、それらと剣を交えている調達班の面々の姿が見れた。
「陽子さん──『カース・セイレーン・ディーバ』の弱点はっ……弱点はっ! この部屋の奥にある大きな結晶! それがセイレーンの本体だよ! ディーバとクリスタルドールは、ただの複製でしかないから! いくら倒しても本体にはダメージが入らないっ!」
悠理が【観察】アビリティにより解析した情報を叫ぶ。
その傍らに、悲痛な──しかし強い決意の光を瞳に灯した瑠未が立っていた。
『くそっ! くそぉ!!」
『うぅっ、陽子っ、こんな! こんな!』
『一人で戦うな! 絶対に二人以上で相手しろ! こいつらは強さ自体は大したことないから!』
『俺らだって! 俺らだってなぁっ!』
誰も彼もが、悲しんでいる。
しかし、もう戦わないといけない局面だと理解している。
覚悟を固めるのに時間がかかった。
すべてを大河のせいにして、大河に全てを押し付けようとさえした。
しかし──瑠未が立ち上がったのだ。
誰よりも陽子を愛し、誰よりも陽子を想っている瑠未が、その腕に『咎人の剣』を持ち戦おうとしたのに、自分たちがそれをただ黙って見ているなんて真似は出来ない。
この場においてもっともレベルが低く、戦闘経験の無い瑠未を、戦場に立たせるなんて、出来る筈が無いのだ。
「大河くん!」
震えている──しかし凛とした声で、瑠未は大河の名前を呼ぶ。
「お願い……陽子を止めて……陽子に、子供たちの命を奪わせないで!」
目尻に光る涙の粒の大きさが、瑠未の悲しみを覚悟を明確に示している。
大河はその言葉にしばらく呆け、やがてゆっくりと立ち上がって首を縦に振った。
「……わかった」
その決意の言葉に、皆が気持ちを奮い立たせる。
ただ一人、椎奈だけが、未だ涙を流して陽子だけを見つめている。




