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東京ケイオス  作者: 不確定 ワオン
日の出の塔 封印結晶の間
114/233

彼女の役割

 結晶のドレスを身に纏い、空を優雅に泳ぐ人魚姫。


 今大河の視界に映る陽子は、皮肉にもとても美しく、そして神秘的だった。


 夕暮れのセイレーン湖の水面に乱反射する光が、封印結晶の間の全体を照らす。


 水晶により屈折した赤い光が、部屋全体をキラキラと輝かせていて、現実味を一切帯びない幻想的な光景が、しかし悲痛な現実となって一向へと今襲いかかろうとしていた。


 瑠未や椎奈、圭太郎や剛志は、口を大きく開けてその光景に呆けている。


 彼ら彼女らの良く知る、水野陽子はもう居ない。


 そんな事実が受け入れられず、この場にいる殆どの人間が動けないでいた。


 だが、大河だけは違う。


「朱音さん!! みんなを守れぇええええええっ!」


 ハードブレイカーを顕現させ、大河は一直線に水野陽子──『カース・セイレーン・ディーバ』へと駆ける。


 両手でハードブレイカーの柄を握り、大上段に構え、渾身の力を込めて床を踏み抜く。


「うぁああああああああああっ!!」


 その雄叫びは、決して雄々しい響きではない。

 悲嘆が篭っている。

 後悔が篭っている。

 非難が篭っている。

 だが倒すしか──『水野陽子』を殺すことでしか、もはや事態は収まらないと分かっているから。

 だから大河は悲痛な雄叫びを挙げながら、ディーバに向かって飛びかかった。


「……そう、もうそれしか方法は無いのよ」


 ハードブレイカーの刃が、大河とディーバの間を遮るように飛んできた結晶の槍によって阻まれた。


「ぐっ!」


 硬い敵やオブジェクトを相手取った場合、切れ味を増すという性質を持つハードブレイカーの一撃が、完全に弾かれる。

 それはつまり、現時点での大河の攻撃力よりも、結晶の硬度の方が高い事を指していた。


 中空で姿勢を崩した大河は床に強かに打ちつけられるも、うめき声ひとつ挙げる事なく転がりながら体勢を整える。


「圭太郎っ! 剛志っ! 死にたくなかったら動けっ! みんなを守るんだああああっ!」


 未だ朱音はおろか圭太郎や剛志、そして椎奈が動けていない事など、振り向かなくても分かる。

 

 だから大河は喉が枯れるほどの声で叫ぶ。


「俺を恨んでくれても良いから! あとで目一杯殴らせてやるから! だから今は死ぬな! 死なせるな! 子供たちのためにも動いてくれぇええええっ!」


「──っ【抜剣(アクティブ)】!」


 大河の叫びと同時に我に返ったのは、圭太郎だった。


 顕現させた二対の短刀、快刀・乱麻をそれぞれの手で逆手に持つと、大河とは逆の方向へと走り出す。


 それは瑠未の後方から迫る、無数の『水野陽子』が変異した結晶体──クリスタルドールが今まさに瑠未に飛びかかろうとしていたからだ。


「たぁりゃああああっ!」


 クリスタルドールの鋭い手刀が瑠未の頭部を貫く寸前、交差した快刀・乱麻がそれを紙一重で弾く。

 

「剛志っ! 動け動け動け動け動けぇえええ!」


「う、あ、あああああ……ああああああっあああああああああ!! 【抜剣アクティブ】!!」

 

 圭太郎の声に、剛志が叫びながらハードブレイカーを顕現させた。


 剛志の目尻に、徐々に涙が溜まって行く。

 滲む視界の端っこで圭太郎が、こちらも今にも泣きそうなほど歪んだ顔で快刀・乱麻を奮ってクリスタルドールの攻撃を凌いでいた。


 だから剛志は動ける。

 他の誰でもない、同じ学年で同じ歳で、それなのにずっと背中を追い続ける事しかできなかった、身近な憧れ──そんな圭太郎が戦っているのに、自分が動けない事が許せなかった。


「ちくしょう! ちくしょう! ちくしょぉおおおおっ!」


 乱暴な大振り。

 しかしその刃は正確にクリスタルドールたちの攻撃をいなしていく。

 混乱する頭、それでもなお大河によって教え込まれた戦い方が、何度も何度も繰り返してきた経験が、剛志の身体を無意識に突き動かしていた。


「──ぁあああああああっ、くぁああああああああっ!」


 圭太郎と剛志の叫びに呼応して、朱音が動き出す。

 腰を落とし、両拳を握って腹の下に力を込めた。


「ふぅうううああああああああっ! うわああああああああああああっ!」


 地を蹴り、右拳を引いて、目を見開いて。

 まだ動けず呆然とディーバを見上げている椎奈へと振り下ろされるクリスタルドールの足刀を左腕で受け止めた。


「せぇりゃああああっ!」


 そして伏龍を身につけた右の正拳が、クリスタルドールの腹部を貫く。


「だぁああああああああっ!」

 

 止まらない。

 左右の拳撃による乱打(ラッシュ)が、クリスタルドールの身体を宙に縛り付ける。


「【龍掌打ドラゴンパァァァム】っ!!」


 最後に繰り出された龍の掌打が、目の前の敵を粉微塵に粉砕した。


「圭太郎! 剛志! 全員を囲めっ! ここはアタシらが守るわよ!!」


 震える声で、朱音は圭太郎と剛志を見ずに指示を出した。

 陽子の身がどうなったのか、大河がつまり何を言っているのか、言葉は理解できても意味が理解できなかった。

 だがただ一つ分かっているのは、今動かなければ誰かが死ぬという事だけだ。


 本能で動いた。

 それが自分の長所であり、短所であると自覚している。


 大人として何も理解できないでいる事を恥じる。

 自分より年若い大河が、その背中に何か大きいモノを背負って、あの陽子だったモノ──ディーバに一人立ち向かっていった。


 年齢で言えば、そして陽子の友人という立場で言えば、ソレはきっと朱音の役割だった筈だ。


 それを未だ理解できず、大河に任せる事しかできないい自分を、何よりも恥じる。


「悠理ぃいいい!」


 複数の結晶の槍をハードブレイカーでいなし続ける大河の声に悠理の瞳は応えた。


 続きを言わなくても分かる。

 大河は今、自分にこの場を護れと伝えている。


「【防護プロテクション】!!」


 放たれる守護魔法の範囲(ドーム)は、未だ呆けたまま動けないでいる調達班の面々の半分をカバーしている。


「朱音さん! みんなをここに!」


「任せて!」


 悠理の声に即座に動いた朱音はその素早さを最大限に活かし、範囲外にいる調達班の面々を、時に襟首を掴んで放り投げ、時に前蹴りの要領で蹴り飛ばし、最後に力なく地面にへたり込んでしまった瑠未の身体を優しく横抱きにして、【防護プロテクション】の範囲(ドーム)内へと運んだ。


「瑠未さん!」


 朱音から瑠未の身を受け取った悠理は、その両肩を掴んで強く揺らし呼びかける。


「──よう、こ」


「瑠未さんお願いしっかりして!」


 悠理の呼びかけに、しかし瑠未の意識は遠くディーバの姿を捉えたまま動かない。


「今貴女がしっかりしないと、他の人も動かない! 誰も死なせたくないなら! お願い瑠未さん! 覚悟を決めて!」


 圭太郎と剛志、朱音と悠理。

 今ここで動けているメンバーは大河を含めてたった五人。

 

 椎奈も、そして他の二十人弱の調達班も、陽子を失った現実を否定したまま動けないでいる。


 こういう時、コミュニティの意思決定を担っていたのは他の誰でもない──陽子と瑠未だ。

 

 クランリーダーである陽子と言う存在が居なくなった今、他の面々を鼓舞し指揮し動かす事ができるのは、陽子の右腕としてすべてを補佐してきた瑠未ただ一人。


 彼女が戦う意志を固めるのなら、きっと他のメンバーも従ってくれるはず。

 悠理はそう考えて、瑠未の名を呼び続ける。


「もう陽子さんを倒すしか、子供たちを救えない! 瑠未さん!」


「あ、あ……ああぁああ」


 瑠未の両の瞳から、大粒の涙が溢れ出す。


 愛していた。


 同性を慕い、頼り、心を寄せたのは陽子が初めてだった。

 未曾有の異変により変貌した池袋で、太陽のように輝く彼女の存在が、瑠未の心の拠り所だった。

 いつも朗らかに笑い、暖かな包容力で皆を包み、そして自分を強く想ってくれた。

 この胸に空いた大きな空洞は、その大きさそのものが陽子だ。

 心と身体に溶け込んで一体化した、水野陽子という愛する者を失ったことで空いた穴だ。


 それはとても痛く、そして辛い喪失だった。


 だから瑠未は動けない。

 動かなきゃならないと、皆を叱咤激励し、戦えなくとも戦陣に立たなければならないと分かりながらも、指先ひとつ満足に動かせない。


 だって──愛していたのだから。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「ぐうっ!」


 悠理により回復された事で、活力は漲っている。

 しかし大河の身体はとても本調子と言えない。


 四方から襲いくる結晶の槍を弾き、躱し、時に頬や腕に掠らせて、大河は怪我を増やし続けていた。


「──大河くん」


 頭上に浮き大河を見下ろしているディーバが、『水野陽子』の顔で、声で大河の名前を呼ぶ。


 その間も何本もの結晶の槍は休む事なく大河を襲い続けている。


「大河くん、私ね? 貴方のことを恨んでいたのよ?」


 返事はできない。

 する余裕もない。


 降り注ぐ結晶の槍を目で追い、対応することだけで意識は全て奪われいる。


 しかしその声は、不自然なほどクリアに大河の耳に届いた。


「私が『水野陽子(わたし)』と言う役割(ロール)を持って生まれた時、全てに絶望したわ。だって考える頭があったの。感情があったの」


 結晶の槍は確実に、大河に致命傷を与えんと急所をめがけて飛来してくる。

 だから大河は必死にその絶え間ない連撃を捌いている。


「人が死ぬと悲しいわ。人が泣いてると泣き止ませなきゃって思うの。人が争っているところを見ると、胸が締め付けられるように痛む。でも、『水野陽子(わたし)』は役割を果たさなければならない。いくら私が嫌がっても、私の『役割(ロール)』がそれを許さない」


 ディーバは結晶の槍を凌いでいる大河の周りをゆっくりと飛ぶ。


「クラン抗争を起こすために色んな人に嘘の情報を教えて回った時、私は自分という存在の罪深さを思い知ったわ。だって、心があんなにも拒絶していたのに、この口と身体はいとも簡単にありもしない話をペラペラと語り出したんですもの。他の『水野陽子(わたし)』が何を考えていたのかなんてわからないけれど、きっと皆同じような絶望を抱いたんじゃないかしら」


 ソレを語る人魚(ディーバ)の顔を、大河は見ることができない。

 そんな余裕など全く無い。

 だけど声色から、どんな表情をしているのかは、容易に想像ができた。


「子供たちは好きよ。心から愛しているわ。それは何も偽っていない私の本心。でもこの池袋解放イベントは、私の死か子供たちの死、必ずどちらかを持って終了となるの。それは私と愛する子供たちとの、逃れられない別れを意味する」


 ディーバの声は、とても柔らかい──温かみのある声だった。

 陽子が子供たちと接している時と同じ、慈しみに溢れている、あの声だ。


「だから私は、本能に強く訴えてくる『役割(ロール)を全うしろ』って声に抗っていたの。みんなのレベルを上げるのを極力遅らせながら、それでも他のコミュニティにいる他の私は『役割(ロール)』に忠実に動いちゃうから、湖の水位はどんどん上がっていく。だからギリギリで攻略できるレベル水準をなんとか見極めてマンションをゆっくり延伸しつつ、少しでも長く子供たちと、瑠未と一緒に居られるようにって……ずっと頑張ってきたの」


 その声が、徐々に熱を帯び始めていく。


「なのに、貴方たちがやってきた!」


 ディーバの叫びに呼応して、結晶の槍が一斉に天井付近まで上昇していく。


 そこでようやく、大河は『水野陽子(ディーバ)』の顔を見た。


「貴方がこのエリアに入った事で一気に上がったダンジョンレベルに対応できず、潜っていた圭太郎君たちの命が危ぶまれた! 貴方が皆に戦い方を教えたせいで、もっと後に到達するはずだった階層まであっという間に辿り着いてしまった! 貴方達が、貴方が他の『水野陽子』でなく、私のところに来てしまったせいで! ディーバになってしまったのは私だった!」


 泣いていた。


 顔を真っ赤にして、止めどない涙を流しながら、『ディーバ(陽子)』は泣いている。


「私の所じゃなければ! 他の『水野陽子』の元に辿り着いていれば! あの子たちに私を殺させるなんて酷いことを! させなくて済んだのに!」


 結晶のドレスを見に纏い、煌びやかに宙を泳ぐセイレーンの姫。


 そんな神秘的な存在が、両手で顔を覆い、自身に降り注いだ運命を嘆き、悲しんでいる。


 大河の心が、徐々にひび割れていく。

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