指導②
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苛立ちが募る。
(ボクじゃダメなんだ)
苛立ちが募る。
(ボクじゃ、けーくんは頼ってくれない)
苛立ちが募る。
(あのヒトじゃないと、けーくんはあんな顔してくれない)
どうにもならない苛立ちが、抑えきれない嫉妬として表層化して、心の奥底でぐつぐつと煮えたぎる。
渡井 椎奈は変化を好まない。
それは小学校から中学へと進学する時も顕著だった。
学区の違いから今まで親しかった友人達と別れ、新しい環境を一人で過ごさなければならなくなった時も、同じ様に絶望を味わった。
小学生6年間をかけてゆっくりと構築した人間関係が無くなった時、新しい友人の作り方がわからず、周りの全てを恐れた。
自分のことを知らないヒトたちが、知らない癖に勝手に決めつけ、コミュニケーションという名の詭弁によって自分の気にしている部分に触れてくる。
背が小さい事がコンプレックスなのに、背が小さいと小馬鹿にされた。
他の女の子より発育が遅い事がコンプレックスなのに、自分達よりも子供だねと嗤われた。
一人静かに読書をする時間が大好きなのに、誰ともおしゃべりしない事を諌められた。
運動が苦手で鈍臭いと自覚しているのに、もっと気をつかえと注意された。
自分のことを『ボク』と呼ぶことを揶揄われ、変だと言われた。
椎奈はバカではない。
鈍くもなければ、空気が読めないわけでもない。
だから椎奈は椎奈なりに、彼女の速度で周囲に溶け込めるよう努力していたのだ。
だがその速度と、周りの成長の速度があまりにも違いすぎた。
椎奈の一歩と、他の同級生の一歩の歩幅の違いが、より椎奈の劣等感を刺激する。
中学も一年が過ぎる頃、もはや全てが手遅れだったと諦観した頃。
一つ歳下の従弟、圭太郎が同じ中学に入学して来た。
幼い頃から手を繋いで歩き、自分のことを姉のように慕ってくれる、自分の理解者。
圭太郎は椎奈に似ていて穏やかな気質の持ち主だ。
だが椎奈と違うのは、騒がしさを嫌い、孤独を恐れず、他人と自分の違いを容認しそれを気にも留めず生きていける強さを持っている事。
校内で顔を合わす度に話しかけてくれた。
昼休みに図書館で読書をしていると、何も言わず隣に座り、黙って一緒にいてくれた。
下校時間になると約束もしていないのに自分を待ってくれて、寂しい帰り道に側にいてくれた。
椎奈にとっての中学生活は、そっくりそのまま圭太郎と過ごした時間に置き換わる。
だから今、そんな圭太郎が自分を見てくれていないという事実が、何よりも恐ろしい。
(醜い……)
心中の嫉妬に、ひとつまみの自己嫌悪が混じる。
(身勝手で、卑屈で、穢らわしい……)
違う種類の自己嫌悪が、次々と心の奥底に累積していく。
(けーくんはただ、強くなりたいだけなのに……ボクがそれを一番理解して、支えてあげないといけないのに……)
異変が起きた直後から、二人だけでずっと支えあって生きて来た。
椎奈が頼れる相手は圭太郎だけで、圭太郎が守りたい相手は椎奈だけ。
圭太郎がより生存率を上げるために他の人とパーティーを組んだ時も、椎奈はずっと一緒に行動をしていた。
気が合うとは言えあったばかりの他人よりも、従妹である椎奈の方が大切であったし、優先順位が高かった。
それはサンシャインから水が溢れ出し、洪水が池袋を襲った後も変わらない。
生存効率を上げるためにどこのクランに所属するかで意見が割れ、パーティーが自然消滅した後も、二人は寄り添い支え合いながら生きて来た。
洪水の第二波が池袋を襲い、陽子に誘われてあのマンションに避難した後もそうだ。
一番レベルが高く戦闘経験が豊富な圭太郎が、ダンジョン攻略の先頭に立って皆を導く姿に感動し、その支えになりたいと恐怖を押し殺して必死に戦って来た。
臆病で怖がりな自分が、醜悪なモンスターを前にして物怖じせずにやってこれたのは、圭太郎の存在があったからだ。
圭太郎の役に立ち、側に立っていたかったからだ。
側に居れば自分のことずっと見てくれる。
側に居さえすれば、ずっと圭太郎の特別でいられる。
そんな打算は間違いなくあっただろう。
だが自覚が無かった。
日々を懸命に生きすぎたせいだろう。
そんな自分の胸中を顧みる余裕すら無かったのだろう。
それだけ充実していて、満たされていたのだろう。
だけど、大河がやってきた。
自分より遥かに強く、頼れる年上。
誰かに憧れる圭太郎の表情なんて、生まれて初めて目にした。
(あのヒトが来なければ、こんな思い……気づかなかったのに……)
本来、歳上としての威厳をもって圭太郎に尊敬されるのは、自分の役割であったはずなのに。
だけど今の今まで成し得なかったそれを簡単に達成した大河に、それに嫉妬している自分に気づいてしまった。
圭太郎が自分を見ず、大河ばかりを追いかけていることに苛立っている自分に、気づいてしまった。
自分との会話の中で大河の名前が出る度に、話題を逸らす自分の浅ましさに気づいてしまった。
もとより低かった自己評価が、大河の出現により更に低く減点されていく。
(わかってるのに……悪いのはあのヒトじゃなくて……ボクだって……)
それでも大河へと抱く悪感情の肥大を止められず、自己嫌悪の悪循環は日に日に加速していく。
椎奈はもう、自分の事が嫌いで仕方がない。
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「よし。とりあえず最初に決めてた分の食糧は確保したし、ここらへんで切り上げて池袋に帰ろうか」
「うん!」
「うす!」
「……はい」
大草原への遠征狩猟は、夜間に一泊して次の日の昼に終わった。
大河は戦闘にはほとんど参加せず、指示を出したりどうしても手が足りない時に助太刀をしたりと補助に回っていた。
(自分で戦うよりも疲れた気がする……)
圭太郎に関しては特に言うべき事も無く、放っておいても勝手にコツを掴んで初見のモンスター相手に順応してくれた。
なので大河が意見をしたのは主に剛志と椎奈だ。
敵が多くなるとテンパりだす癖のある剛志はまだ目が離せず、椎奈に関しては大河が何かを言う度に分かりやすく不機嫌となった。
年齢的にはまだ高校生なのに、まるで中間管理職の悲哀のような気疲れを覚える。
(強く叱りつけるのもダメだとは思うんだけど、これは命に関わる事だからなぁ……)
やる気だけはあるのに物覚えの悪い部下を持った上司と、明らかにこちらに悪感情を抱く部下を指導する上司。
どちらも指導が難しく、一手間違えるとあっという間にパワハラ扱いされるケースである。
結局、剛志に関して言えばとにかく場数を踏ませて戦闘に慣れさせる事しか解決手段が見つからず、椎奈とは最後まで折り合いがつかなかった。
「えっと、帰りに馬場の営業してるケーキ屋によって、チビたちにケーキを買って帰ろうか」
「え!? いいの!?」
「あれだけの人数のケーキなんて幾らかかるんすか!?」
大河の提案に圭太郎と剛志が大袈裟に驚いた。
「お前らが戦ってる間に俺が倒したモンスターのドロップが結構溜まってるんだ。一番デカいホールケーキならまとめ買いしたらそれほど高くないし、なにより土産持って帰るって約束しちゃったからな」
スマホを操作してアイテムバック内の素材一覧をスワイプして確認する。
「うん、問題無し」
高値で売り捌けるレアドロップ品がいくつかと、売値こそ低いものの数があるドロップ品が多数、そこに名を連ねている。
全て売ってケーキを購入したとしても、かなりのリターンを確保できる算段だ。
「甘いもんなんて、いつぶりだろうな。圭太郎……!」
「妖精たちの売っているケーキ、足元見られてるのかわかんないけどめちゃくちゃ高いもんな!」
さっきまで敵の返り血を浴びながら切った張ったしていたはずの二人が、年相応の子供らしさを見せて喜んでいる。
(こういうとこ見せてくれると、可愛げがあるんだよなぁ)
そんな二人を見て微笑む大河は、その後ろに立つ椎奈へと視線を移す。
「大人組は日頃の労いも込めてちょっと高いケーキにしちまおうかって思ってるんだけど、椎奈が選んで貰ってもいいか?」
日頃休みもほぼ取らず、生活の雑事やダンジョンの攻略、子供達の世話をしている数少ない大人たちにむけてのサプライズプレゼントの意味合いもある。
「ぼ、ボクが……?」
「ああ、前に悠理が美味しいって言ってたケーキ屋で、種類もたくさんあるんだ。俺あんまりケーキに詳しくなくてさ。それにこの訓練が終わった祝いってことで、俺らだけでこっそり食っちまおうと思っているから、椎奈も好きなのを好きなだけ選んでいいぞ?」
「わ、わかりました……ありがとう……ございます」
丸一日、寝ている時間を抜けばほぼ戦い通しだった三人だ。
これくらいの役得は、モチベーションの維持という名目で許されて然るべきだと決めつけた。
もちろん、未だにどう接して良いかわからない椎奈に対しての、餌付けの意味合いもある。
「俺は池袋に戻ったらちょっと用事で二、三日留守にするからさ。その詫びってことで」
「留守?」
「どこか行くんすか?」
「ん? 大した事じゃねぇよ。新宿の世話になった人の所に顔を出しとかないと行けないんだ。一人の方が早く動けるから、着いてくるとか言うなよ?」
大河は近くに放置していたマジックストラップ付きの自分のリュックを肩にかけ、目白に向かって歩き出す。
「ほら、目白の聖碑を使って馬場に跳ぶんだから、さっさと行かねぇと日が暮れちまうぞ」
「うす!」
「しー姉! 何食べる!? しー姉の好きなミルフィーユとかあるかな!?」
「う、うん。楽しみ……だね」
テンションの上がりきった圭太郎と剛志が先に歩き出し、椎奈がその後を追う。
その複雑な表情から読み取れるはずの負の感情を、浮かれきった圭太郎は気付けていない。