池袋での日常②
「しぃちゃんは、大河くんのこと苦手なの?」
「え?」
良く晴れた午前、屋上にて。
もう時期冬が本格化してくるこの季節、湖面を走る風はとても冷たい。
空は快晴で雲一つ無く、絶好の洗濯日和。
だから今、このパークレジデンス池袋の屋上では大勢の子供達に手伝ってもらいながら、大量の洗濯物を干している最中だ。
そんな中突然、瑠未から投げかけられた言葉に椎奈は一瞬手を止めて固まってしまった。
「な、なんで?」
「んー、なんとなく避けている気がしてね。ああ、別にどうこう言う気はないわよ。人間関係なんて、合う合わないはどうしたってあるもの」
瑠未は新品のメガネに陽光を反射させて、子供服を丁寧に物干し竿に通し、皺にならないように広げる。
「……苦手なのかな。なんかあの人、たまに何考えているかわかんない時があるから」
「そう。てっきり私は、けーくんを取られて拗ねているんじゃないかって思ってね」
「ボクっ、そんな子供っぽいことしないよっ」
椎奈は足元の洗濯籠から水色の枕カバーを手に取り、両手に持って大きく振り下ろす。
「ふふっ、ついこの間までしぃちゃんにべったりだったのに、最近は剛志くんと二人で大河くんを取り合ってずっと後を尾け回しているわよね。だからしぃちゃん、寂しがっているんじゃないかと思ってね?」
「ちっ、違うって! けーくんは、強くなりたいからあの人に色々と教わってて……だから、ボクはそんなけーくんを応援しているの! 寂しがるだなんて、そんな……」
広げた枕カバーを物干し竿にかけ、大きな洗濯バサミで固定する。
「けーくんは、ボクを守るためにずっと戦ってばっかりだったから……最近は楽しそうで、邪魔なんかできないよ……」
下ろした長い髪を二つ束ねておさげにした髪を、左右それぞれの手でぎゅっと掴む。
これは椎奈の幼い頃からの癖で、不安やストレスを感じた時に自然と掴んでしまう。
「そう、変な事聞いちゃったわ。ごめんね?」
瑠未は目を閉じて謝罪をすると、足元の洗濯籠から今度は子供用の下着を取り出した。
「ふぅ、やっぱり洗濯機、どうにかして買えないかしらね」
洗濯機なんていう気の利いた家電はこのマンションには存在しない。
昔ながらの金だらいに水と洗剤を入れ、これまた昔ながらの洗濯板でごしごしと手洗いをし、人力で脱水して屋上に運び、一気に干す。
たかが洗濯にとてつもない労働力が必要で、このマンションでは嫌がられる作業の一つだ。
嫌だ嫌だと言っても、遊び盛りの子供達が多いせいで日々大量の洗濯物が出るので、当番制にして雨が降らない限り毎日欠かさず洗うようにしている。
一応、新宿などの『営業』している家電量販店にて洗濯機が売りに出されていたりするが、その値段は高価で、食料品の備蓄ですらギリギリなこのマンションではとてもじゃないが手が出せない。
「脱水だけでも機械がやってくれたらとても助かるよね」
椎奈はまた新しい枕カバーを手に取り、大きく振り下ろして皺を取る。
「ええ……陽子と相談してどうにか購入資金を捻出できないか──って、こらアナタたち! せっかく洗ったお洋服が汚れちゃうでしょ!」
瑠未の視線の先には、小さな子供達二人が洗濯物のハンドタオルを使ってチャンバラごっこをしていた。
「わっ!」
「ごめんなさーい!」
「まちなさい! この悪戯っ子め!」
悪い遊びが見つかって笑いながら逃げる子供たちを、瑠未が追いかける。
「……別に、寂しがってなんか……ボクは……ボクは……」
渡井 椎奈は渡井 圭太郎の従姉だ。
椎奈の父と圭太郎の母が兄妹であり、住んでいる場所も近いとあって物心着く前からずっと一緒に育ってきた。
読書が好きで運動が苦手で、そして身体が小さく大人しい椎奈は、中学進学の際に仲の良い友人と別れてしまって以来、新しい友人が作れないでいた。
小柄な事を男子に茶化されたり、一人称が「ボク」であることを同学年の女子に揶揄われたりと、学校という場所は椎奈にとって居心地の悪い場所になってしまっていた。
たまたま学区が重なった一つ歳下の圭太郎が入学してきた事で、少しばかりの居場所を見つけられたように思える。
昼休みの度に二人は図書館で落ち合い、言葉少なめに読書などをして過ごす。
自分の教室の喧騒が苦手だった椎奈にとって、それは学校生活で初めて見つけた安心できる空間であり、そんな場所を作ってくれた圭太郎に少なくない感謝の気持ちがあった。
年は自分の方が上だからお姉さんぶりたい気持ちはあるが、小さいとは言えなんだかんだで圭太郎は男の子だ。
まだ成長期を迎えておらず、声変わりもしていないとは言え自分よりも筋肉質で頼もしい。
それは『異変』が起きてからも変わらず、椎奈は圭太郎に守られて生き延びてきた。
チュートリアルクエストを達成できたのも、今の東京がゲーム的なシステムで構築されているとすぐに理解した圭太郎の素早い適応のおかげだし、『剣』を一段階成長させる事ができたのも、身を守る術が必要だと判断した圭太郎がオーブを譲ってくれたからだ。
このマンションに避難するようになってみんなの食糧をどうにかして調達しなければならないと、圭太郎がダンジョン攻略を提言した時、椎奈は真っ先に同行することを志願した。
椎奈の持つ『儀礼剣 ルナアーチ』は魔法攻撃に特化した剣で、前衛で飛び回って相手の隙を突く圭太郎の戦闘スタイルと合致していたし、するように行動してきた。
それは大河と悠理の関係に少し似ている。
大河も圭太郎も、守るべき者の為に前に出れる男だ。
悠理も椎奈も、守られるだけを良しとせず戦える女だ。
だからこそ、圭太郎は境遇も性格も自分と通じる所を見出した大河に惹かれていて、そして椎奈はその憧れが自分と圭太郎を引き離すのではないかと懸念を抱いている。
(けーくんが、あの人に着いていくって言ったら……どうしよう……)
ここに椎奈が居る以上、圭太郎がそんな事を絶対に言う筈が無いが、椎奈は自分という存在にまるで価値を見出していない。
友達のいない、寂しい女。
なにもできず、歳下に庇護されている情けない女。
あまつさえ微かな独占欲を自覚していて、束縛する女。
それが今の椎奈の自分に抱くイメージだ。
(ボク……どうしたら……)
マンションの屋上に拭く風は冷たく、空虚な心に吹き荒ぶ。
洗濯後の悴む手をぎゅっと握って、椎奈はまた自己嫌悪に陥った。




