未来とごめん
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやくんですか。こうも休憩時間がぴったり合うとは、奇遇ですね。今日の課題はもう終わったんですか?
おや、まだでしたか。君の性格ならゆとりをもって終わらせて、好きなことに打ち込む……というスタイルかなと思っていましたが。
――最近は切羽詰まらないと、エネルギーが出ない?
ほうほう、それもひとつの在り方ですね。
僕も締め切りが近くなったほうが、やる気が出る、というより片づける気になれるといいますか。
これまでなまじ、直前に追い込まれても乗り切ってきてしまった経験があるものですから。どこかしら危機感が希薄になってしまうんですよね。
とにかく終わらせればよし……そのために、どれだけの未来が犠牲になってきたんでしょう。
同じことをやるにしても、後に控えるものがあるとないとでは、取り組み方もまた違ってくる。それによって得られたものも変わってきたでしょうに。
――今日はいつもに増して、説教臭い香りがしてくる?
ああ、すいませんね、ついつい。
つぶらやくんがネタに困っていたと思いましてね。提供しようと用意したんですが、いやはやそれが「未来」に関する話でして。
もしかすると、関係しているのかもなあと、ふと感じてしまいまして、つい。
その話ですか? まあ、おおむねこのようなものなのですが。
僕の父の学生時代の女友達に、やたらと未来を気にする子がいたとのことです。
小学校時代に一緒のクラスだったという彼女は、学校では必要最低限なアクションしかとらない子だったといいます。
暗い、というよりも機械じみている印象を受けたそうですね。求められること以外では、ほとんど動きを見せない子だったとか。
なにせ休み時間とか、トイレに立つ時以外はずっと席に座ったまま。おしゃべりどころか、本を読むとか授業の準備をするとか、そういうのが一切なし。
ただ手にひざを置き、椅子に腰を下ろしての直立不動。はたで見ていると、なんとも生気を感じられないふるまいだったとか。
ロボットと疑うには、彼女の成績や運動能力は父たちクラスメートの中でも凡庸にすぎます。
意図的に手を抜くようプログラムされているのでは……と、根強い改造ロボット派は持論を展開しますが、その論を疑わしいものにする、彼女の習慣があったんです。
お祈り、いや謝罪といいますか。
彼女は何かしらアクションを取るとき、小声でぼそぼそと何がつぶやいたらしいんですね。人目の少ないところでは、手を合わせるような仕草もとります。
「ごめんなさい」
父が聞く限り、彼女はそうしてしきりに謝っていたらしいのですね。
いったい、何に謝っているのか。
少なくとも、彼女は人に頼まれるか、必要なことでない限り余計な行動を起こしません。悪いことをする余地があるようにはとても見えないのですが。
そこを父が突っ込むと、彼女は答えてくれました。
自分は「未来」に謝っているのだと。
選ばれない限り、未来は目の前に無数に横たわっています。
彼らはいずれも息をし、選ばれるか、選ばれるかと待ち望んでいる。
でも、自分が動いてしまうということは、その中からひとつを選ぶこと。つまりは、他のみんなを見捨ててしまうこと。
その日、その時は二度と戻ってこない。だから、このタイミングで選んであげられなかった数多の未来に、謝っているのだと。
「突き詰めると、学校に来るというのも『来ない』という選択を潰しているんだよね。でも来ないを選んだら、今度は『来る』が立たない。いつだって、私たちは謝るべきことをしっぱなし。
だったら、必要な時以外は動かないでいて、無数の未来に少しでも長い時間、自由を与えたいんだ」
――ちくしょう、小難しいことを考える女だぜ。
父はちょっぴり、尋ねたことを後悔する。
この手の極端な考えに走るのは、父個人としてはどうにも理解しがたい点だったからだ。
言い分は少しは分かった。ようは現実になりそうだったのに、パラレルワールドになってしまった未来に対して、謝りたいというのだろう。
正直、気にするだけ無駄じゃねえかなあ、と父は思ったらしい。
自分の身体が一個しかないんだから、選べるのだって当然一つだけ。ごく当たり前でどうしようもないことを気にするより、自分のやりたいことへ少しでも意識を回したほうがいい。
適当にあいづちを返す父に、彼女は付け加える。
「もし、あたしが休むようなことがあったら、代わりに謝っといてくれない? 未来のみんなに」
そのようなことがあってから、一か月くらい。
彼女が家の用事とのことで欠席をしました。父は彼女からの頼みを覚えてはいましたが、その考えに乗ることはどうにも気が向かず。いつも通りにその日を過ごそうとしたのですが。
まず体育の時間ですね。
短距離走がありまして、父が走る時にスタートで転びそうになったんです。
体勢を大いに崩し、まわりから置いていかれますが、元より父は俊足の持ち主でして。ゴールまでにみんなをごぼう抜きして、一着だったみたいなんですね。
しかし、ゴールをしたとたん足に痛みが。見ると、両膝こぞうが血で真っ赤になっていたんです。
信じがたい気分だったそうです。確かに転びかけこそしましたが、実際に転んだのでない限り、このようなケガを負うような筋合いはなかったからです。
そう、もしあそこで本格的に転んでいたならば……。
父はふと頭に考えが浮かび、学校の他のみんなの様子を見て、確信を得ます。
落としてしまったはずのものが、手の中におさまったままだったり、その逆で壊しかけて間一髪で避けたはずのものが、瞬時に壊れた姿を見せたり。
――選ばれなかった未来が、現実とごっちゃになってきてる、というわけか。
謝られなかったことで、どの未来もこの現実に殺到し、自分が席巻しようとひしめいている。
おかげで自分たちは首尾よく行った時と行かなかった時とを、因果関係もなしに、一足飛びでつなげられ続けてしまっているのだろう、と。
そう思いながらの移動教室からの帰り道。
父は階段を無事に降りきったはずが、急に足をひねったときのような痛みに、踊り場へうずくまってしまいます。
おそらくケガする未来が、現実に横入りしてきたんでしょうが、それだけにとどまりません。
階段上から、ぬっと姿を見せたのは別のクラスの生徒。
机をさかさまにして、二段重ねにしていましてね。えっちらおっちら、危うい足取りでこちらへ降りてくるところだったそうなんです。
もう、父もこれから起こりえることは、想像がつきました。
自分の足は治る様子を見せません。このまま回避行動をまともに取れず、取ったとて、あとからぶつかってくるような事態を避けるには……。
「ごめんなさい」
彼女がそうしていたように、謝るのが最善と考えました。
結果的に、机運びは何事もなく父の横を通り過ぎていったそうです。
それから父は、何かアクションをするたび。さらには目につく誰かがアクションをしそうになるたび、逐一謝っていったそうですね。
その甲斐あってか、彼女が登校してくるまでの間、あの脈絡ない現実の混乱は起こらずに済んだのだとか。
我々もふとした拍子に、選ばなかった未来に襲われるようなことは、避けたいものですね。