42 この世界で二人で生きる未来
朝食をとりながらオスカーと対策を話して、改めて火山の洞窟に向かった。
ファイアドラゴンとは戦うのではなく、やりすごす方針だ。具体的には、身体強化で一気に駆け抜ける。そのためにもしっかり暑さ対策をしておく。
オスカーは上をシャツ一枚にしていて、自分はドレスも着ている。首にハンカチを巻いた状態で定期的に全身を濡らして気化熱で冷やしていくのと、昨日もしていたように氷を口に含み続けるのとで、短時間ならスピードを出しても大丈夫なようにした。
残りの服はロープでまとめて浮遊魔法だ。安全を優先して置いていく案も話しあったけれど、もし次に寒い場所に飛ばされでもしたら逆に危ない可能性があるため、持っていくことになった。最初に買ってもらった思い出のホットローブをなくしたくない気持ちもある。
(シャツってけっこう透けるのね……)
オスカーが文字通りの、水もしたたるいい男になっている。上をすべて脱いでいた昨日とはまた違った色気があると思う。
(昨日、大丈夫だったかしら……?)
ドレスを脱いだ時、濡らしてはいなかったけれど、汗で下着は濡れていた。それどころではなかったから意識していなかったが、もしかしたらあのくらい見えていたかもしれないと思うとかなり恥ずかしい。
(オスカーは紳士的に、こっちを見ていなかったから大丈夫よね……?)
今日は冬用の厚手のドレスなため、濡れていても透けはしない。含んだ水分が体温より高くなる前に冷たい水をかけてもらっているから、そこそこ快適だ。汗のにおいの心配もないし、なぜ昨日思いつかなかったのかと思う。
目印のとおりに進んでいくと、昨日引き返したポイントまではそう遠くない。
「今のところ、それらしい姿は見えませんね」
「ああ。遭遇せずに行けるといいのだが」
遭遇するまでは慎重に歩いていくことにしている。息を飲んで、昨日巨大な影が見えた曲がり道に差しかかる。強化がかかっている視力でよく見るが、それらしい姿はない。
「……今日は大丈夫そうだな。場所を変えたか」
オスカーがホッとしたようにそう言った時、広くなった壁面に大きな影が伸びてきた。昨日見たのと同じものだ。
「っ、あっちです!」
影とは反対の方を指さす。が、そこにドラゴンの姿はなく、ひときわ明るいマグマが上から下へと流れを作っているだけだ。
「あれ……?」
「……ジュリア。原因はアレじゃないか?」
「あ」
オスカーが示す影の起点をよく見ると、ピカテットくらいの大きさのトカゲのような、ドラゴンにも似た姿があった。かなり光源に近いため、後ろに伸びた影が大きく見えていたようだ。
「サラマンダーか?」
「だと思います。影だから大きかったんですね。お騒がせしてしまってすみません……」
サラマンダーとドラゴンを勘違いして騒いでいたなんて、恥ずかしいにもほどがある。
「いや、自分もファイアドラゴンの可能性があると思ったし、昨日はあのタイミングで引き返して正解だったから、気にしなくていい」
オスカーが優しすぎる。神様がいるとしたら、それは世界の摂理じゃなくてオスカーだ。
「それより、サラマンダーを刺激しないうちに先へと抜けよう」
「そうですね。荒ぶるとけっこうやっかいな相手ですものね」
サイズが小さいため気を抜いてしまいがちだけど、魔物の危険度のランクづけでは、エレメンタルのドラゴンとそう変わらないはずだ。普段はドラゴンより温厚だけど、いざ怒らせるとエレメンタル以上に手に負えないのだったか。
話していたところで、ふいにサラマンダーと目が合った。きょろっとしてかわいかった目つきが一気につり上がる。
(あ、これ、ダメそう)
「走るぞ」
オスカーも同じように感じたのか、そう言ったのと同時にパッと手を取られた。服を抱えこんでから彼の加速をイメージして思いっきりスピードを上げる。オスカーはこちらの速さに合わせてくれた感じか。
瞬間的にサラマンダーの前を通り抜け、直後、サラマンダーの体が一気に膨張するようにして巨大な炎に変わった。さっきまでいた少し広い空間が完全に火に包まれている。
二人同時に息をついた。セーフだったけれど危なかった。
「しばらくこの道は戻れないな」
「ですね……」
戦いにはならなかったけれど、ある意味ではファイアドラゴンよりやっかいかもしれない。
幸い、他の道は調べ終わっている。この先にゴールがあると信じて前に進むしかない。
そう思って再び歩き始めたのに、そう経たずに足を止めるしかなかった。
「行きどまり……?」
「のようだな……」
分岐はない、いくらか曲がった道を歩いた先には何もなかった。
「意図的に作られたダンジョンだと強い魔物の先にはゴールがあるのがセオリーなので、ちょっと期待していました……」
体の力が抜けてへたりこみそうになったのをオスカーが支えてくれる。それは嬉しいけれど、これからどうしていいかがわからない。オスカーも困り顔だ。
「……とりあえずひと息入れようか」
「そうですね……」
「ウォーター」
オスカーが地面に、四十センチ四方くらいの立方体の水を出す。手で触ってみると、中に入りこむことなく乗せられる。水温は低いが、この場所だとむしろありがたい。
「すごい! できましたね」
「ああ。イメージトレーニングを重ねてみたのだが。このくらいの大きさならなんとかといった感じだな」
オスカーが少しだけ離れたところにもうひとつ出して腰かける。自分も座ると、ちょうど手をつなげるくらいの距離だ。心地いい位置だと思う。
「……なんだかもう、この世界で生きてもいい気がしてきました。食べ物には困らないし、あなたがいるし」
「クルス氏が発狂しそうだな……」
「このまま帰れなかったら駆け落ちしたとでも思うのでしょうか」
「そのへんはルーカスがうまくやってくれそうだが。ルーカスが一緒に送られて来なかったのは、よかったんだか悪かったんだかという感じがするな」
「そうですね……、いつも私たちとはちょっと違う世界が見えていそうでしたものね」
「そうだな」
「まだこっちに来て三日目なのに、何ヶ月も会っていないような気がします」
「この三日が濃かったからな……、いろいろと……」
「本当に……」
「ルーカスにもさみしい思いをさせるかもしれないが。ジュリアと二人でここで暮らすというのも、最終的には選択肢としてアリだとは思っている」
「いいんですか? お義父様やお義母様も心配しますよね?」
「できるなら戻れるに越したことはないが。手を尽くしてもどうにもならないなら、できる最善は二人で幸せになることだからな」
「……すみません、巻きこんでしまって」
「いや? ジュリアを手に入れられるなら本望だ。自分たちの後の世代が生きていけるように、子どもはたくさんいた方がいいだろうな」
「え……」
そこまでは考えていなかった。それはこの世界に人類を、自分たちの子を根づかせるということか。
(人って最大何人まで産めるのかしら……?)
つい真剣に考えてしまう。大変そうだけど、彼と、彼の子どもたちとならなんとかなる気がしてくるから不思議だ。
「そんな未来も考えた上でなのだが。まずはもうひとつ、試してみないか?」
「もうひとつ、ですか?」
「ああ。話しているうちに、向こうにいた時も世界の摂理の祭壇は目に見える場所にはなかったのを思いだした」
「あ……!」
(なんでそんな初歩的なことを忘れていたのかしら……?)
彼に言われて思いだす。世界の摂理、ムンドゥスの祭壇を開くには呪文が必要だ。
「一緒に唱えてみましょう」
「ああ」
立ち上がってオスカーと手をつなぎ、壁を見据える。顔を見合わせてうなずきあってから、唱え慣れた呪文を同時に音にする。
「アド・アストラ・ペル・アスペラ」
古代魔法言語で、『苦難を通じて栄光へと至る』というような意味の言葉だ。
唱え終わると、何もなかった行きどまりの壁が輝いた。




