27 契約の書き換えと代償
「その結論はまだ早いだろう」
オスカーの声は落ちついていて、救世主のように聞こえた。
「世界の摂理。契約の無効化ではなく、契約の変更により、グレース・ヘイリーの子孫が幸福を奪われないようにしたい」
『ふむ。契約を知るヒトの子か。して、代わりに何を代償とする?』
「逆に、何を差しだせば納得するんだ?」
『ふむ……、我が眠りを妨げた代償も含め、なんらかの愉悦をと思うが……』
(眠りを妨げた代償……?)
その言葉はどうにもゾッとする。
少しの間を置いて、世界の摂理が驚いたように続けた。
『なんと、汝らは魂のつがいか』
「魂のつがい?」
『まれに、魂がつながったままこの世界に産まれ落ちる者がいる。双子とは異なり人格は完全に別となるが。出会った瞬間に互いに深く惹かれなんだか?』
「……私はそうですが。そういう運命論的なもので片づけられたくはないです」
「ジュリア……」
視線が重なったオスカーにひとつ頷く。
出会った時から惹かれていた。けれどそれは彼が彼だからだ。産まれながらにどうではなく、オスカー・ウォードという人格を愛している。
彼がつむぐ言葉のひとつひとつ、彼がくれる思いや重ねた時間。オスカーが与えてくれたたくさんのキラキラな宝物を軽んじないでほしい。
『おもしろい。我への望みは契約の書きかえだったか。しからば、人類に魔法を授けた代償として、魂のつがいの半身をもらいうけよう。どちらがいいか……』
ゾワッとした。前の時にオスカーを失った光景が目の前に広がる。
(どうあっても、私を彼といさせてはくれないの……?)
「……ジュリア、ここを出よう。他の手段を探すんだ」
オスカーに手を引かれる。今すぐ彼を失うくらいなら、それが正解な気がする。
「ちょっと待ってよ、ムンドゥス。それはいくらなんでも底意地が悪すぎない?」
自分たちと祭壇の間に立って、スピラが言った。
「まあ、ムンドゥスの性格が最悪なのは昔から知ってたけどさ。グレースとの契約も、性格悪くなかったら思いつかないような内容だもんね」
『否。明らかにヒトの子の利が大きい契約であろうに』
「誰か一人に全ての損を被せる契約でしょ? 契約者本人ならまだしも、意思の確認が取れない子孫から一方的に負債を徴収するのはどうなの?」
『祖先の契約を子孫が履行するのは当然であろう。加えて、もし履行前に血筋が途切れた場合にはヒトが一方的に得をする。これ以上によい話はなかろうに』
泣いている場合ではないのはわかっているのに嗚咽が止まらない。交渉相手であって敵だと思ってはいけないのに、どうにも相容れないと心が拒絶する。
オスカーが抱きしめてくれる。この温もりを失いたくないだけなのに、なぜこんなにも難しいのか。すがるように彼の服をにぎりしめる。
「ぼくもいいかな?」
言葉が続かないスピラの横にルーカスが立った。
「方向としては契約の書きかえをお願いしたいんだけど、代償はもう少し違うものにならないかな? 命以外なら、なんでも探してきて納めるから」
『否。我に所有という概念はない』
「それは欲しいものはないっていうこと?」
『是』
「代償も、べつに欲しくてとってるわけじゃないっていうことかな?」
『代償なくして成るものはない。それが世界の摂理である』
「うーん……、じゃあ、こういうのはどう? この世界が滅びないことを、人類に魔法を授けた代償とする」
『意味がわからぬ』
「ジュリアちゃんは一回か二回くらいこの世界を滅ぼせる魔法使いらしいし、ペルペトゥスさんはもっと軽々とやれるらしいからね。
交渉が決裂したら、ぼくは二人をけしかけて確実にこの世界を滅ぼそうと思う。ムンドゥスさんまで届くかはわからないけどね。
まあ、ぼくが何もしなくても、代償って言ってオスカーを連れて行った時点で、ジュリアちゃんはこの世界を許しはしないだろうけど。激怒した彼女を全面的にサポートして、何もかもをなくしてしまったら、それでムンドゥスさんは満足かな?」
声の調子は軽い。まるで悪い冗談のようなのに、ルーカスは本気な気がする。あまりに想定外な交渉で、涙がひっこんでいく。
『我を脅すか、ヒトの子よ』
「あはは。そんなつもりはないよ? 未来の保証が代償なら、過去につりあうんじゃないかなって思っただけ」
『そも、一回や二回はこの世界を滅ぼせる魔法使いとは……、ヒトの子にそれほどの力は授けておらぬが。……ふむ。確かにこの魔力量は異常よのう。
しからば、異例ではあるが、その娘の魔法を代償としてもらい受けるとしよう』
「……私の魔法、ですか?」
「それはジュリアが魔法使いではなくなるということだろうか」
『是』
「それは……」
「それならいいです。人類が魔法を授かった代償として、私の魔法を返却します」
「ジュリア?」
驚いたように呼ぶオスカーに笑みを返す。
「私が魔法使いでなくなっても、そばにいてくれますか?」
「それは、もちろんだ」
「なら、なんの問題もありません」
『ふむ。人類に魔法を授けた代償としては弱いが、世界の未来の保証を合わせて是としよう』
その言葉を聞き届けたのと同時に体が光に包まれる。それが収まると、当たり前のように感じていた自分の魔力の感覚がなくなった。
(オスカーの命の代わりなら、安いものね)
これで何の心配もなく彼のそばにいられるのだ。元々今回は魔法使いにならないで彼にも会わないつもりだったのだから、上出来ではないだろうか。
「ジュリア。大丈夫か?」
「はい。もう二度とあなたを失わないで済むことが、とても嬉しいです」
「ん……」
オスカーから笑みが返って、そっと唇が触れあうキスをもらう。積み重なっていた緊張がとけて、体に温かさが戻った気がする。
『……魂のつがいよ。我を起こした代償として、余興につきあうがよい』
「え」
「なっ……」
思いがけない言葉が聞こえて、世界がぐるりと回った感覚があった。
(世界の摂理を起こした代償……!)
ペルペトゥスが、世界の摂理は気まぐれだと言っていた。スピラは性格が悪いと言っていた。祭壇巡りで会うことや、契約の書きかえとは別に、寝起きの機嫌の悪さの代償を求められたということだろうか。
オスカーと離れないようにしっかりと彼を抱きしめる。オスカーからも、離すまいとするかのように抱きしめられた。
「フェアリー・プロテクション」
防御魔法を唱える彼の声がする。先にこちらにかけられた。それから彼自身へ。いつでもこの上ないほど大事にされていると思う。
(『余興』が何かわからないけど……、絶対に、オスカーは守る)
言葉が通じても同じだと思ってはいけない。世界の摂理に対しては、レジナルドの言葉に全面的に賛成だ。
▼ [ルーカス] ▼
「オスカー! ジュリアちゃん!!」
二人が黒い渦のようなものに呑まれるようにして消えた。こちらからの声はもう届いていない気がする。
「ふむ。ムンドゥスの領域に呼びこまれたのであろう」
ペルペトゥスが状況を教えてくれて、スピラが続く。
「グレースの時もそうだったから大丈夫だと思うよ。いつ帰ってくるのかとか、確実に帰ってこられるのかとかはわからないけど」
「連れて行かれた二人を信じて帰りを待つしかないってこと?」
「うむ」
「……絶対、返してね」
空に投げた声に反応はない。
「ムンドゥスはもうこっちと話す気はなさそうだね」
「聞いてた以上の強敵だったよ。ラスボスってかんじ」
「本来ならばこちらから干渉できる存在ではない故。アレとしては十分によくしておるつもりであろう」
「半年くらい戻れない可能性は聞いてたからね。ぼくはこっちに残してもらおうと思ってて、交渉の余地はなかったけど偶然でも残れてよかったよ」
「ルーカスくん、一緒に行きたくはなかったの? 私は一緒に行きたかったよ?」
「ぼくも一緒に行っちゃったら、こっちの世界が大騒ぎになっちゃうでしょ? 戻ってきた時の居場所がちゃんとあるように、二人が消えたことをごまかす人が必要だからね」
「そっか。ヒトの世界ってそういうめんどうくささがあったんだっけ」
「うん。すぐ戻れても、何年後に戻ってきても、二人がちゃんと帰れるようにするのがぼくの役割だと思ってる。
ま、一緒に連れて行かれたら連れて行かれたで、戻ってからなんとかするしかないんだろうなとは思ってたけどね」
まずはこの部屋のカギの返却からだ。
自分が残れたことで、周りへの波紋を最小限にできるのを、今は上々とするしかない。




