30 二人の行方
あふれて止まらない涙とは別のところで、頭が高速で回る感覚があった。
(混乱している場合じゃない。まだ体は繋がってる。あの時のようにこま切れじゃない。落雷から生還した人もいたはず。まだ助けられるかもしれない。最上級の回復魔法をかけて蘇生を試せば……)
最上級の回復魔法を使える魔法使いはこの街にはいない。過去に戻った今の自分を除いては。
(誰にも邪魔されないでオスカーを治療するにはどうすればいい??)
あふれて止まらない涙とは別のところで、頭が高速で回る感覚があった。
(混乱している場合じゃない。まだ体は繋がってる。あの時のようにこま切れじゃない。落雷から生還した人もいたはず。まだ助けられるかもしれない。最上級の回復魔法をかけて蘇生を試せば……)
最上級の回復魔法を使える魔法使いはこの街にはいない。過去に戻った今の自分を除いては。
(誰にも邪魔されないでオスカーを治療するにはどうすればいい??)
辺りに闇が落ちる。
都合がいいと思った。この状況で相手が次に唱える魔法は予想できる。
空間転移魔法。
素質によるところが大きい上級魔法で、使える魔法使いは限られる。父も使えない。
呪文が長く集中力もいるため、戦闘中はすきを作らないと使えない。そのために詠唱が短い暗闇魔法を挟んだのだろう。
詠唱者とその触れている者を、行ったことがあり明確に思い浮かべられる地点へと転移させる魔法だ。
「テレポーテーション・ビヨンド・ディスクリプション」
敵の声に合わせて、つぶやくように唱える。
オスカーの体を大切に抱いて転移した先は、クルス家の夏の別荘だ。安全なだけでなく、オフシーズンは無人なのも都合がいい。
空間転移先としてこの歳の自分も来ている必要があるのかはわからないけれど、確実に来たことがあるはずの場所だというのもよかった。
オスカーを床に横たえる。
「アルティメット・ゴッデス・ケア!!!」
最上級の回復魔法を重ねがけして惜しげもなく使う。魔力なんて尽きてもいい。
(オスカー! オスカー……っ!!!)
彼が助かるなら、自分の命を代わりに捧げてもいい。
ほどなくして体の損傷はきれいに元に戻った。焼けた髪まで元通りだ。見た目は寝ている状態と変わらない。
少しだけ息をついた。
回復魔法で傷が治るのは、体が完全には生命活動を停止していない証だ。例え心臓が動いていなくても、彼はまだ生きようとしている。
回復魔法によって、心臓が動く準備はできているはずだ。
(次は心肺蘇生)
はるか昔に学んだ知識を総動員する。魔法協会にいた頃は、年に一度は緊急対応の講習があった。
服は脱がせるまでもなく、多くは残っていない。
「エンハンスド・アームズ」
女性の力だと足りないことがあるから、腕の身体強化をかける。胸の真ん中に手のひらの下部をあて、肘を伸ばしたまま真上から強く押す。
「オスカー……」
心拍は戻らず、名を呼んでも反応はない。
(ダメ……っ、絶対ダメ……! 戻ったことで彼の寿命を縮めるなんて。こんなところで彼が死ぬなんて。……絶対にダメっ!!!)
「エンジェル・ケア」
心肺停止による身体への影響を魔法で回復させながら、胸骨圧迫を繰りかえす。
彼の奥、その心臓まで力が届くように。
「オスカー。……戻ってきて」
気道を確保して、直接唇を重ねた。最大限の息を吹きこむ。
回復魔法、胸骨圧迫、人工呼吸を繰りかえす。
あふれる涙をそのままに、できる限りの手を尽くす。
▼ [オスカー] ▼
気がついた時、辺りは薄暗かった。夜の暗さではない。夕方の空の色でもない。
(……早朝か……?)
手を動かしてみる。問題ない。痛みもない。
かけられている布団の上に手を出して、ゆっくりと眺めてみる。
(無傷……?)
雷魔法の直撃を受けた記憶がある。普通なら一撃で命を失うような。
回復魔法も回復薬も万能ではない。死んだ人間を生き返らせる魔法はないし、重症者を完全に回復させるには相当な魔力量、あるいはかなりの数の上級回復薬が必要だ。
そのため、大抵は、自然治癒できるくらいの傷はそのままにする。ケガの程度がひどければひどいほど、残す割合は多い。
(……服も新しいな)
自分が元々着ていた服の袖ではない。動きやすい日常着という感じの、覚えのない服を着ている。
(あの後どうなったんだ……? クルス嬢は無事か……?)
何か手がかりはないかと、もっそりと体を起こす。少し重いけれど、動くのに問題はない。
「!」
驚いた。
すぐそこに思い描いた姿がある。
うつ伏せで、上半身はベッドの上、下半身は膝をついた状態のようだ。遅くまで様子を見ていて力尽きた、そんな印象だ。
あの日の破けたドレスのまま身なりを整え直していないし、どこか憔悴したような顔なのに、神々しいまでに美しく見える。
「……あなたが、助けてくれたのか」
方法はわからないけれど、大切に治療されたのはわかる。深く愛されていると感じるのには十分だ。
(それに……)
まだ変装用のローブをまとっていた時に正体を見抜かれている。
「自分があなたを見つけてしまうように、あなたも自分を見つけるのだな」
心の奥がむずがゆい。
まさかあれほど姿を変えたのに見破られるとは夢にも思わなかった。自分が変装した彼女に気づいたのと同じ理由なのかと思うと胸の奥が熱くなる。
彼女の顔にかかっている髪をそっとすくってどけた。
指先がかすかに触れたのか、彼女が目を覚ます。
「……オス、カー?」
寝ぼけたように名を呼ばれて、その親しみのこもった音への驚きより、嬉しさが勝る。鼓動が早い。
思えば最初から、彼女は気を抜くと自分を名前で呼んでいた。
その音が、ずっと愛しい。
呼ばれた名を短く肯定する。
「ああ」
「オスカー! オスカー。ケガは? 痛みは? どこもなんともありませんか??」
「ああ。問題ない」
「……った。よかったあ……」
大つぶの涙をあふれさせて、すがりつくように抱きつかれた。ふわりと彼女のいい香りがする。彼女がそのまま子どものように泣きじゃくる。
おそるおそる、そっと髪をすくように頭を撫でると、彼女から甘えるように頭をよせられた。
小さく息を飲んだ。
彼女といると、この上なく愛されているような気がしてしまう。望んではいけないとわかっているはずなのに期待せずにいられない。願ってはいけないとわかっているのに、彼女の全てがほしいと思ってしまう。
そっと頭を撫で重ねながら、彼女が落ちつくのを待った。
涙が出きると、彼女はハッとしたように身を離した。
「……ごめん、なさい」
近い距離で視線が絡まる。
なぜこんなにも熱く焦がれるような、それでいてすべてを諦めたような目で自分を見るのか。
そっと涙の跡をぬぐう。
はにかんだような気恥ずかしそうな顔が、かわいくてしかたない。
聞きたいことがたくさんあるのにうまく言葉を選べないまま、沈黙の中で音にはならない言葉を交わす。
ほほえむと、彼女がホッとしたように息をつく。
「……食べるものを用意してきます」
「ああ。ここは……?」
「クルス家の夏の別荘です。普段は無人なので、体力と魔力が戻るまでここで過ごしてもらって大丈夫です。
あ、先に体力が戻らないと魔力は戻らないので。一週間くらいは魔法を使わないでください」
「……わかった」
あの戦闘をどう抜けだしたのか。
ルーカスとフィンはどうなったのか。
あの時、自分はどうなったのか。
知りたいことは色々あるのに、聞きたいと思えない。
本当に聞きたいことは別にある。それが大きくて、でもそれは聞けない。
クルス嬢が部屋を出て扉を閉める。
ふうと息をついた。
あれほど身を委ねられたのは初めてだ。柔らかな体の感触が、心地いい香りが、全身に絡みついて残っている。彼女に染まって何も考えられなくなりそうだ。
(また謝られてしまったな……)
どこまでも思われているかのようなのに、彼女の心に触れようとするとこぼれ落ちてしまう。
(幸せになってはいけない業……)
彼女が口にしていたそれをどうにかしない限り、近づくことは許されないのだろう。わかっているのに、どうしようもないほどに惹かれてしまう。
「クルス嬢……」
弱そうでいて強い、強そうでいて弱い、小さくてかわいい女の子。
できるなら、そんな彼女を守れる男でいたい。そんな彼女の力になりたい。愛しさと同じくらい、その思いもある。
「……ジュリア」
自分には呼ぶことを許されていないその名をそっと口にする。甘く、音が熱を帯びる。
コントロールが効かない感情を抱きしめるかのように、頭を下げて膝を抱えた。