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15 どくしんのルーカス


「ジュリアちゃん、オスカーとつきあっちゃえば?」


 ガシャン。

 陶器のカップが落ちて、テーブルに炭酸水が広がった。

 落としたのはオスカーだ。


「! 拭くものを借りてきます」

「あ、ああ。すまない」

 弾かれたようにテーブルを離れて、店の奥に店員を探しに行く。

(助かった……)

 オスカーが助け船を出してくれたのか、ただ動揺しただけなのかはわからないけれど、あの爆弾発言を流せてよかった。


 それにしても問題はルーカスだ。なんということを言ってくれたのか。

 その気はないと一言言えば済むのかもしれないと、ひと呼吸置くと思えなくもないけれど、聞いた瞬間は頭が真っ白になった。


 借りた布巾を手に、呼吸を整えながら席に戻る。

 テーブルをふき始めると、

「自分が」

 オスカーが伸ばした指先がわずかに手の甲に触れた。それだけで電流が走ったかのようで、ドキドキが止まらない。


「……すまない」

「いえ。……お任せします」

 もう事故が起きないように手を引く。

 オスカーが拭いている間に、店員が新しい飲み物を運んできた。

 誰のものかという視線に答える。

「余計かなとも思ったのですが。オ……、ウォードさんへ」

「……ありがたい」


 席に座り直して、オスカーが一気に炭酸水をあおる。むせそうになって咳払いでごまかしたのがかわいい。

(やっぱり、好き。どうしようもないくらい……、大好き)

 なんの憂いもなくルーカスの提案を受けられるなら、前の時のように彼と一緒の時間を過ごせるなら、どれだけ幸せかわからない。


 そんな期待がよぎるのと同時に凄惨せいさんな光景が目の前に浮かぶのだ。

 これは呪いだ。身に宿した呪いだけじゃない、記憶という呪い。

(やっぱり断らないと。誰よりも彼のために)

 その結論は変わらない。

 これだけ時間が経ったのだから、あの爆弾発言は忘れてくれていないかとも思う。何もなかったかのように流せたらそれが一番だ。


「じゃあ、もう一回言うね」

 ルーカスが笑顔で切りだしてきて、内心で頭を抱えた。

「ぼくは、ジュリアちゃんがオスカーとつきあっちゃうのが一番じゃないかと思うんだ。その理由を聞いてから判断してくれていいから」

 さっきとは少し違う提案に、迷ってからうなずく。一切聞かないとつっぱねるのは、それはそれでめんどうな気がした。

「……わかりました」


「クルス氏のさっき言ったような状態は、ジュリアちゃんが元気になれば解決でしょ? で、ジュリアちゃんが元気になるにはそれが一番だと思うんだ」

(それができるならその通りだけど)

 できないから泣き明かしているのだ。今更でしかない。


「なんでオスカーなのかっていうところだけど……、まず、オスカーはかなりいい男だと思う」

(当たり前じゃない。世界一カッコいいもの)

 横でオスカーがむせた。

「きっときみのお父さんに負けないくらいきみを大事にして、誰よりも幸せにしてくれる」

(……間違いないわ)

 誰よりも幸せになった結果があの惨劇で、二度とそうならないことが自分の願いなのだから。


「それを裏づけるエピソードになるかはわからないけど。

 ぼくが女装してるのは、適任だろうって先に指名されたオスカーが、その気がない女性とそういうふりはできないって言いだしたからなんだ。

 見ての通り、ぼくは男にしては小さい方だから。こういう化粧もできたりするから引き受けたんだよね」

 初耳だ。


(ちょっと待って。それって……)

 前の時、部長同士で話しあって自分とオスカーが指名されたのだと思っていた。けれど、もし同じように先にオスカーに話が行って、彼が同行者として自分を選んでいたとしたら。

 研修期間中は研修生用の部屋で授業を受けることが多かったから、他の研修担当者といる間に話されていた可能性がある。

 もしそうだとしたら、そういうことだとうぬぼれていいのだろうか。

 あの頃にはまったく気づかなかったけれど。

 さっきまでとは違う意味で顔が熱くなりそうだ。


「一応言っておくとぼくの趣味じゃなくて、実家にいたころに姉さんたちの化粧をやらされていたからだから。ある程度顔の作りが近いから、男っぽいところをごまかしちゃえばこんな感じ」

「……そうなんですね」


 ルーカスが首元を手で示す。エリは首全体をおおっていて、フリルで首の太さがわからない。手元は長いそでが中指の第二関節くらいまでを隠している。顔まわりも長い髪が輪郭をごまかしているのかもしれない。

 結果、すごくきれいなお姉さんにしか見えない。

 地声は男性の中ではやや高めだけど、女性のものではないのは明らかで、通りがかりに聞いた人から何度か二度見されている。


「オスカーに話を戻すと、魔法使いとしても将来有望なんだ。魔力値は高くて、使える系統も多いし、呪文の覚えもいい上に、上司たちからも高く買われてる」

(そうね……)

 彼の優秀さはよく知っている。二十年、そばで一緒に働いていたのだ。そのころの自分はずっと彼の背を追いかけていたけれど、最後まで追いつけなかった。


(最後まで……)

 意識を持っていかれそうになったのを必死に振り払う。

 娘の結婚式が終わったら二人で冠位九位を授与される話もあった。忙しくならないように時期を延ばしていた。一緒に対応することが多かったから自分も入っていたけれど、彼の功績が大きいと思っている。


「こんなお買い得な男はそういない。……んだけど、ジュリアちゃんはほとんど、わかりきってるっていう顔だね?」

 指摘されてハッとした。

 ルーカスを前に、とりつくろうのを忘れていた自分の失態だ。


「……父から少し聞いています」

 嘘ではない。観劇の帰りの馬車で似たようなことを言われている。その後ろのニュアンスはだいぶ違うが。

「あはは。クルス氏がジュリアちゃんの前で若手の男を褒める気はしないから、そう思ってたけど買い被ってたとかそういう文脈かな」

(なんでわかるのかしら……)

 苦笑しつつ、いい機会だと思って気になっていたことを尋ねる。


「……あの、ボランティアの後くらいから、父が私の不調はウォードさんのせいだと思いこんでいるみたいで。否定したのですがあまり納得していないようで……、私のせいでウォードさんが父から何か言われていたり不利益を受けてたりは……」

「ああ、それは問題ない」


「あはは。始業前とか休憩の時はさっき言ったみたいな感じだけど、仕事に持ちこむ人じゃないからね。直属でもないし、そのへんは大丈夫だよ」

 オスカーだけなら問題があっても問題ないと言ってくれそうだけど、ルーカスもそう言うなら本当にそうなのだろう。ホッとした。

「時々、目が合うと軽くにらまれてるくらい?」

(問題あるじゃない……!)

 頭を抱えたい。


「ああ。実害はないから問題ない」

「本当にすみません……」

「気にしなくていい。自分も気にしていない」

「ありがとうございます」

 自分のせいで職場の居心地が悪くなっているのだろうに、そう言ってくれる彼は本当に優しい。

(大好き……)

 絶対に口にはできないけれど、その思いは大きくなるばかりだ。


「んー……、わからないなぁ……」

 ルーカスがこちらの顔をまじまじと見ながら、あごに手を当てて二回こすった。

「ジュリアちゃん、オスカーといれたら幸せになれそうなのに、幸せになりたくない……、……いや、むしろなっちゃいけない……。さっきそんな感じがしたんだけど、それはなんで?」


 ゾクっとした。


(……思いだした。ルーカスの異名)


『どくしんのルーカス』


 歳が上がっても結婚には縁がなかったことによる『独身』と、まるで人の心が読めているかのような言動による『読心』をかけて、ある時期からそう呼ばれていた。

 二つ名と違って本人には言われない、けれど本人も知っていた、裏の通り名だ。


 オスカーもカンがいい方だけれど、それは自分や娘など、彼が関心を向ける相手に発揮される印象だ。言う時にはすごくタイミングや言葉を選んでくれていたし、言わないで見守ってくれたことも多い。

 一方のルーカスはひょうひょうとしながら誰の心でも読んでしまう上に、軽く口に出してしまう。

 そんなルーカスから距離を置く人も多かったけれど、当時の自分たちには裏表なんてなかったから、頼もしくて親しい友人でいられたのだろう。


 友人としての記憶が大きくてすっかり忘れていた。何かを隠さないといけない相手になると、この上なくやっかいな男だと認識し直す。

 父やオスカーの話をしているようでいて、実は自分が観察されていたのだろう。「つきあっちゃえば?」という軽い言葉も、探られていたのだとすれば不思議はない。それに気づいてももう遅いけれど。


(ウソとかごまかしは通じないわよね……)

 相手はルーカスだ。簡単に見透かされて、恥ずかしいことになる気しかしない。

 自分がやらかしたことを、オスカーは指摘しないで飲みこんできてくれた。それは彼の優しさなのだろうし、そんな彼が大好きだ。

 そういう意味では、ルーカスは優しくない。手加減してもらえる気はしない。言える範囲で本当のことを言うしかない。


 大きく息を吸って、ふぅと吐きだしてから、まっすぐにルーカスを見据えた。


「……はい。ルーカスさんの言うとおり、私は幸せになってはいけないごうを背負っています。それが何かは話せないし、話しても信じてもらえないと思います。呪いみたいなものだと思ってください。

 今ここで言えるのは……、いつかウォードさんが私に、幸せを……願っていると言ってくれたように……、……私も、ウォードさんには幸せに生きてほしい……と願っている、ということだけです」


 泣きそうになって声が震える。ぐっと歯をくいしばる。

「そのために、もう会わないという決意をしています。……それでは」

 なんとか言い切って、席を立って店を出る。

 オスカーの顔は見られなかった。

(これで……、本当に本当に、おしまい)

 自分に言い聞かせる。

 何度もくり返したけれど、今度こそ終わりなはずだ。

 その決心は揺らがないのに、今日もまた涙が止まらない。


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