最愛の元夫を守るための最善
この物語に出会っていただき、ありがとうございます。
お好みに合うと嬉しいです。
※第1話、残酷表現があります。苦手な方はご注意ください。
「ジュリア・クルスです。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げる。
「オスカー・ウォードだ」
他の担当者の後に続けて彼が名乗った。
さらりとしたネイビーカラーの髪に、落ちつきのある整った顔立ち。深い海のような瞳は思慮深く見える。
黒いシャツにやや貴族寄りのジャケットを着ている。自分に近い、いい家の出なのだろう。
十六の誕生日の数日後。父の職場である魔法協会ホワイトヒル支部へ、魔力開花術式を受けに来た。術式のサブ担当がオスカーだった。
主担当の指示に従って術式を受けると、魔法陣と七つの水晶球が全て光る。
「ここまで全属性で高適性だとは。さすがクルス氏の、冠位魔法使いで支部長のお嬢さんだな」
主担当から褒めるように言われたけれど、微妙な気分だ。どこに行っても父の影に捕まっている感じがする。
「いや、彼女の個人適性ではないだろうか」
(……!)
オスカーがさらりと言った一言に、トクンと胸が躍った。
(彼は……、「冠位魔法使いエリック・クルスの娘」じゃなくて、私を私として、「ジュリア・クルス」として見てくれるんだ……)
それがどれだけ嬉しかったか。
伝えることはできなかったけれど、彼に惹かれ始めるのには十分だった。
術式担当の二人がそのまま研修担当になった。オスカーの話は他の誰よりわかりやすくて、聞き手への気づかいを感じる。その声を聞いているだけで幸せな気持ちになった。
彼が好きなんだと自覚するのにそう時間はかからなかった。毎日会うたびに、好きな気持ちが大きくなっていった。
そうして研修を受けていた一年目の冬に、ワイバーンが街を襲う事件があった。彼のサポートをがんばったことを褒められて、昼食に誘われた。
(初めての二人きりのランチ……!)
それだけでドキドキが止まらない。
彼の好きなものを聞いて、彼が好きな店に連れて行ってもらう。
「チキンフライ! 覚えました。ウォード先輩はこういうのが好きなんですね」
「……自分の好みを知ってもしかたないだろう」
しかたないはずがない。彼のことを知れるのは、それがどんなささいなことでも嬉しい。
「もっと知りたい……と言ったら……?」
彼が驚いたように息を飲んで、ほんのり赤くなる。裏に込めた意味が伝わったのだろう。
「……ジュリアさん」
(ひゃあああっっっ)
特別な呼び方が特別に甘く聞こえた。
「自分も……あなたが好き……」
「……嬉しい」
思いがこぼれる。じわっと目がうるんだ。
「私も……、ずっと。……好き、です……」
大好きな先輩が大好きな彼になって、大好きな旦那様になった。これ以上ないくらい大好きなのに、一緒にいるほどにもっと大好きが更新される。
平坦な道ばかりではないけれど、オスカーはいつでもどうしたいかを聞いてくれるのがとても嬉しい。
そう経たずに子宝にも恵まれた。
「クレア、という名前はどうでしょうか」
「ああ。透明感があっていい名だと思う」
命名クレア・ウォード。
(かわいい……! かわいいかわいいかわいい)
髪の色が彼に似たからだろうか。彼はこちらに似ていると言うが、とにかくかわいい。
「おかあさま、だいすき」
天使の笑顔で抱きつかれたら、どんな疲れも吹っ飛んでしまう。
クレアは明るく利発で、男の子たちの人気者だった。適齢期になって隣の家の幼なじみを選んだ時には、何人もが涙を飲んでいた。
娘を送りだして、オスカーと二人に戻って幸せに歳を重ねていくのだと思っていた。
結婚式で母への手紙を読むことを始めたのは誰なのだろう。クレアからこれまでの嬉しかったことを語られ、こう言われた。
「お母様。お母様の子で、私は世界一幸せです」
(むしろ私が、オスカーといられて、クレアが娘で、世界一幸せ……!)
彼との出会いから今までのことが心に満ちて、この上ない幸福感に包まれ、涙腺が崩壊した。娘が愛しくて、オスカーが愛しくて、世界の全てが愛おしい。
限りない幸福感が全身からあふれ出たように感じて、次の瞬間、世界は暗転した。
暗闇の中で、すぐに魔法を唱えた。何も起きなかった。何度唱えても魔力の感覚がしなかった。
オスカーもまた、魔法で、物理で、自分やクレアを守ろうとしてくれた。それはクレアも、父も母も、他の魔法使いたちも同じだ。
誰一人魔法が使えない。決して抗えない何か大きな力が働いているかのようだ。
断末魔の叫びがいくつも重なり、徐々に近づいてくる。自分が大切に思っている順を逆回しにしたかのように声が消えていく。
最後に、クレアとオスカー。
(次は私……)
そう思ったが、自分にだけは何も起こらなかった。
色が戻った世界は真っ赤に塗りつぶされていた。
全ての大切な人たちが血に染まって、それぞれがいくつかの塊に分かれている。この状態を戻せる回復魔法はない。
認識したのと同時に、自分のものなのだろう悲鳴がこだまする。
あふれ続ける涙は意味を変えた。
泣きながらうわごとのようにいくつもの言葉をつぶやく。
どれだけ多くの意味をなさない声の後にか、ひとつの問いがこぼれた。
「なんで……? ……なんで、私だけ、生きてるの……?」
『なぜと問うか、ヒトの子よ』
どこから聞こえているのかわからない、頭の中にだけ聞こえているのかもしれない、男とも女ともつかないいくつもの音が重なったような声だった。
「……誰?」
『我は世界の摂理。ヒトの子が神とも悪魔とも呼ぶもの』
「神様……? 悪魔……?」
『それらはどちらも世界の理の一面にすぎない。我は全である』
「……この状況は……、あなたに関係があるの……?」
『しかり。賢きヒトの子よ。我は汝の祖先に力を授けた代償をもらい受けた』
「祖先……? 代償……?」
『汝の祖先グレース・ヘイリー。かの者はこの世界の人類を救うために我と契約をした。最も幸福な子孫の幸福を代償に、ヒトが魔法という力を得る契約を』
「最も幸福な子孫の幸福……?」
『すなわち最も幸福なる汝の、最も幸福なる先ほどの瞬間なり』
「なら、私を犠牲にすればいいじゃない! 私の周りの、私の大切な人たちには関係ないわ!」
『否。汝の犠牲は汝の幸福をもらい受けたことにはならぬ。汝の幸福とはそれ即ち汝の大切とする者たちなり』
「そんな……、そんなことって……」
『契約は履行された。以降、汝は自由である』
世界の摂理と名乗る何かの声を聞いたのは、後にも先にもこの時だけだった。
-- オスカーに出会った日から百年後。
「伝説にすがり続けてよかった……! この歳まであきらめなくてよかった……! やっと、やっと……、あなたを助けられる……」
いくつものレア素材から錬成した、刻々と色を変える全ての色をしたようなオーブを抱きしめる。強力な魔法を発動させるための補助アイテムだ。
吹き荒れる嵐が大粒の涙を押し流していく。
強大な魔力が渦巻く世界最高峰のクロノハック山の山頂は、磁場も気候もめちゃくちゃだった。中腹までは普通の高山でホウキに乗っていられたのだが、その先は歩いて登るしかなかった。普通なら生きていないほどの高齢の体でなくても死ぬ思いをしただろう。
山頂の魔力に反応して、オーブの中で虹色が踊る。
「お願い、どうか私が彼に出会う前まで時を戻して」
自分が背負っている業は、自分が大きな幸せを感じた瞬間に周りの親しい人を失うというもの。
みんなが生きている時間に戻ったとして、長い孤独を経た今は、娘の結婚式を待たないで発動させてしまう可能性がある。
最愛の元夫を守るための最善は、彼に出会わないで自分が幸せにならないことだ。
その決心をして、失われた古代魔法を唱える。
「ムンドゥス・イウェルスム・ケンテーヌス・アンヌス!!」
多くの魔力を吸われた感覚と共に球体がまぶしい光を放つ。ぐにゃりと世界が歪んで、これまでの時間が逆回転する走馬灯のように流れていく。
そうして自分の精神だけをそのままに、時が遡った。
お読みいただき、ありがとうございます。
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