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 境森(さかいのもり)はターシャ村から見て東に伸びる名もなき川を渡った先にある。川は高低差のある急流で、アザモミの板を結んで繋いだだけの粗末な木造の橋がある以外に、こちら側からの入口はない。


 ヌスビトハギやムコウズネノケが雑然と生える、足場の悪い獣道を淡々を進む。硬くてギザギザした葉や、やけに細長くて絡んだ脚が痒くなる(いや)しい下生えに阻まれながら、壮年と少年の二人組は言葉少なに歩いていた。


「先生」とガーランド。


 ドリュアスは答えない。


「先生」

「……」

「先生ッ!」

「うるさいな聞こえてるよ」

「だったら返事してください」

「はいはい」

「はい、は一回で良いです」


 お前はおれの(かかあ)か、とドリュアスは内心毒づいた。表情に思ったことがそのまま出る性質(たち)だったから、面と向かっていたらさらに会話が進まなかっただろう。


「はい、どうぞ。我が優秀なる教え子ガーランドくん」

「……。なぜ呪いの術式が今世まで残り続けているのでしょうか?」

「大味な質問は白魔術の本義に反する。もっと要点を突きなさい」

「そうではなく。黒魔術がなぜこうも容易に人の手に渡るのかが、先ほどから疑問なのです。白魔術はかくも難しく霊妙であるにもかかわらず、黒魔術の方が扱いやすいいわれはないはず。だとしたら、わからないものが何をもって幾星霜(せいそう)の時を生き延びるのですか」


 ドリュアスは苦笑した。こいつは十一歳だというのに、覚えたての小難しい言葉を使いすぎる。


「ハッキリ言っておくがな。逆だぞ、少年。人間は〝わからない〟から憶えないんじゃない。むしろそういうものの方が、正しい知識よりも残りやすいんだ」

「……?」

「実物で説明しよう。あの樹はなんだ?」

「アザモミです」

「では、あそこで鳴いてる野鳥は?」

「ナキムシクイと……カゼカマドリでしょうか」

「そうだな。あともう少し高いところでクロボロが抜け目なく地表を狙ってる」

「えっ。あっ、ホントだ」


 クロボロは、〈風の賢者〉と二つ名を持つ大鳥である。


「ところで、おれたちがこうやって呼びつけている名前はどこから来たものだ?」

「えっと、わかりません」

「だろうな。おれも知らん。おそらくおれよりもずっと昔の物好きなおっさんだろう。とにかくだれかがそう呼ぶようにしたのは間違いないわけだ。なぜだと思う?」

「……役に立つからでは?」


 拍手。


「その通り。動物・植物・鉱物の三界ことごとくに名を与えて呼び習わすのは、それがおれたちにとって意味があるからだ。いわば祖先から脈々と受け継がれてきたでっかい遺産みたいなもんさ。おれたちがせっせとお勉強してるのは、このおこぼれってこと」

「……つまり、呪いも決して無意味ではない、と言うわけですね」

「マ、導師連が聞いたらめくじら立てて怒るだろうけどな」


 これは秘密にしといてくれな、と指を立ててほくそ笑む。


 やがてふたりは、森の傍らにぽっかり空いたような沼へとたどり着いた。ツノムグラがにょきにょきと草むらを作って青く濁ったような水面に生臭い色を添えている。

 別にさしてきれいとも言えない景色──しかし樹々の狭間から開けて現れたこの場所には、確かに〝いる〟のがわかった。


「なるほどなぁ。たしかに水辺はいるよね」


 独りごちる。ガーランドもこの時ばかりは緊張して茶々を入れる余裕もない。


「よく見とけよ。祓魔師による黒白(こくびゃく)式なんて、願ったところで見られるものじゃないからねえ」


 準備体操をして身構える。浄めの水を玻璃瓶(はりびょう)から振りかけると、黒いローブのすそをまくる。動きやすい服装に様変わりしたかと思ったところで、即席の儀式場を組み立て始めた。

 キヨメガシ材を磨いて作った霊櫃(みたまのはこ)箪笥(たんす)のような引き出しを数段開いてきざはしに見立てると、その頂きに濁り水晶の塊を安置する。四方に呪木と縄を張り巡らせて結界を組む。漏れなくガーランドもその内側に立った。


 ドリュアスは銀の短刀を取り出す。それを親指の腹に押し当てると、瞑目し、記憶の底に刻み込まれた聖なる章句を引用した。その文言は正確には神聖古典語によって成り立っていたが、意味だけを汲み取ると次のような内容となる──


(かたち)なきもの、名に留まらぬもの、言ノ葉のひらよりこぼれ落ちるものよ。われはなんじに救いを与えん。忘れの河の果つるところまで、この悔いと嘆きを運び去らん。

 われら罪のしるしを刻まれしもの──みな同胞(はらから)なり。然れどもその権能(ちから)において優劣あり。是れたましいの由縁に基づくものなり。引きも切らず終わりをも知らぬ輪廻の鎖の最中において、神々のことわりはいまなお我らの罪を指摘し、想起を促し給うなり。ともに打ち剋たん、互いに恥を偲びて踏み留まるべし。ともに彼方へ旅立たん、おのれが手脚を伴いて。あなやなんじよ、すがたかたちを取りて我が眼に非業の魔を示せ──〟


 親指に傷をつけ、血を流す。静かに滴るものを五、六と沼に沈める。するとたちまちにして応答(いらえ)があった。

 沼の表面は、すでに繁茂し粘着質な生命力をみなぎらせている。そこから突如ブクブクと泡が立ったかと思うと、中心部分から陥没して見えないものの存在を屹立(きつりつ)させた。ねばつく水面が存在を基軸に波紋を広げる。それは延々と森じゅうに広がる気配でもあった。


 ふと、鞭打つような激しく鋭い音がドリュアスやガーランドの耳朶(じだ)を打った。しかしそれは見えない壁によって阻まれ、乾いた衝突音を轟かせるのみである。結界の効能は早くも成果を表しつつあった。


「いまのはカザヨミサマのお祈りとは全く違う調伏(ちょうぶく)の言葉を投げかけられたから、その分の〝お返し〟ってわけ。そもそも〈救済〉とか〈輪廻〉の概念なんざ、ここの土着信仰的には『ハァ? 何それふざけんな』って感じなのよね」


 ガーランドはこくこくうなずいてるが、ちょっと怖かったらしい。


「大丈夫さ。結界見たでしょ? もうあっちの信仰のほうが〝弱く〟なってるから、あとは駄々っ子を黙らせるようなモンだ」


 ドリュアスは教え子の表情などさして気にせず、黙々と形代(かたしろ)を用意した。

 今回のかたちは粘土で捏ねたクロボロの象徴である。そこには髪の毛と唾液を練り込んで、自分の分身として機能するよう支度していた。彼は仰向けに寝て、形代をへその上に置いた。目を瞑る。いつでも《記憶》に繋がれる──


「しばらく()つ。お留守番ヨロシク」

「えっ、ちょっ──」


 少年の戸惑いを尻目に、ドリュアスの意識は風に乗って遠くへ飛んだ。

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