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3.上着だけでも

「お疲れ様でした。いい映像が撮影できました」

 撮影が終わり、登山口に停めてある、車のところへ戻ると、責任者の斉藤が恵美に書類一式を渡した。

「こちらが支払い用の書類です。この書類一式を書いて返送してください」

 恵美はもらった書類一式をぱらぱらと目を通した。斉藤の印鑑の押された、会社宛ての経費申請書には、幻の蛇企画調査費と書かれている。それと一緒に、銀行口座振り込み用紙と、書類返送用封筒が、クリップで止められている。金額のところにはなにも書かれていない。恵美が一番知りたかったのはそこだったが、撮影途中では、聞きにくかったのだ。

「あの、いくらいただけるんですか?」

「出演料は、経理が決めますので、ここに金額は書いてありませんが、上着の弁償も含ませてもらいますので、通常よりたくさんお振り込みできると思います」

 恵美は思わず眉を寄せた。

「これは……銀行振り込みってことですか?」

「はい、そうです」

 銀行振り込み……なあんだ……テンション急降下。恵美は落胆を隠し、普通の顔を作って聞いてみた。

「この場で現金払いにしていただけませんか?」

「すみません、それはできないんです。お店でレシートが出るものなら、私が立て替えて、すぐにお支払いできるのですが、個人に支払うお金は、あいまいになってトラブルの元ですので、当局ではこういう形にしております」

「そうですか……」

(ごめん、祐二。お金手に入らないよ)

(はぁ? どうしてだ。俺、ちゃんと伝説っぽく演技したぜ。ほめてくれよ)

(だってさ……)

 人間をやめた今、印鑑どころか、保険書も免許書もない。『矢内恵美』としての、OL時代の自分の口座はあるかもしれないが、それも何年も放置しており、番号もわからず今はどうなっているか不明だ。新しく口座を開いて、そこへ振り込んでもらおうにも、口座開設のさい、どうしても必要な身分証明書を持ち合わせていない。ない、ない、何もない。恵美が恵美である証拠はどこにも。

 唯一、自分を証明できる方法は、北海道にいる両親に証明してもらう事だろうと思ったが、今さら両親に会ってわざわざ心配させることはしたくない。行方不明者として登録されているだろうという事を考えると、わずかな振込金の為に、両親を呼び出して、自分の事情をすべて説明することは賢い案だとは思えなかった。

(ほんと、ごめん。書類が作れないから、お金はもらえない。受け取れないの。ただ働きになっちゃった。祐二の演技が悪かったんじゃなくて、つまり、えっと、相手の都合なの)

(ふ〜ん、そうなのか? よくわからないけど、金は入らないんだな? それならそれで、別に俺は気にしないぜ。重労働したわけじゃないし、なかなかおもしろかったぞ。木の上から、あの犬連れ野郎の上に落ちてやったら、大受けだっただろう? あいつの、ひきつった顔なんかさぁ)

 祐二は思い出して、ゲラゲラ笑っていたが、恵美は笑えなかった。銀行振り込みのことが何もわからない祐二。恵美は恥を忍んで、犬の飼い主に頼んだ。

「あの、すみませんが、上着、弁償でなくていいので、あなたの上着をいただけませんか? 自分の上着は破れてしまってみっともないですし、このままでは、蛇が見えてしまうので困ります。お願いですから」

 恵美は、ザックから首を覗かせている祐二を指差した。

「確かにこのままでは丸見えですね。私の上着がお役に立つのでしたら……」

 男性は快く上着を脱いで渡してくれた。グレーの薄手の長袖シャツ。山へ入る為に着ていたものだ。

「お返しできないかもしれませんけど、よろしいですか?」

 恵美を安心させるように、男性は「お詫びに差し上げます」と言ってくれた。これで、とりあえず、祐二用の上着をゲット。

 撮影の人々に挨拶して、恵美は、早速、もらった上着を掛けて、祐二の顔を隠し、破れた自分の上着を手に持った。

「それでは、私はこれで」

「ご協力、ありがとうございました。放送日時が決まりましたら、そちらの書類の連絡先へご一報さしあげます」

 仕事がはかどり、明るい顔をしたスタッフたちに見送られ、恵美は、やれやれ、と歩き出した。

 結局、その日は、恵美は服を拾うことができず、裏登山道から洞窟の住まいへ向かった。用心して、先程の表登山道を避けた為、蛇探しスタッフに再び会う事はなく、無事に帰り着いた。



 洞窟内で、恵美は蛇に戻り、ザックから出てきた祐二と、ふぅ〜と体を伸ばした。

「お金も欲しかったけど、それよりも、どんな番組になるのか見たいね。せっかく祐二が、がんばってくれたんだもん」

「まあ、気にするなって。俺の上着だけでも、手に入れてくれてありがとう。金なんかなくても俺たちは何も困らない。俺は、恵美さえいてくれればそれでいい」

 やさしい祐二の言葉に、恵美の心に幸せの花が開いた。

「うん……そうだね……ありがと。また今度、町へ服を拾いに行こうね」

「なあ、恵美」

「ん?」

「ちょっとだけ、ごほうびくれよ」

「キャッ!」

 恵美が返事をする前に、祐二は恵美に飛びかかっていた。




 祐二を撮影した、『幻の蛇伝説を追え!』のスペシャル番組は、編集を経て、無事に放送にこぎつけた。


 テレビ画面の中で、女性スタッフがマイクを手に、後ろの山を示している。

『私の背後にあります、こちらの山が、恐ろしい大蛇の目撃情報が寄せられた山です。大昔から、この辺りには、巨大な蛇が人を襲い、飲みこんでしまう、と言い伝えがあります。大蛇は、はたして今もいるのでしょうか。登山者や、地元の方たちにお話を伺いながら、今日は徹底的に大蛇を探してみたいと思います』

 カメラの視点は変わり、こんもりと木が茂る山が大写しになり、次に、登山道の入り口が映しだされた。

『ちょっと地元の方のお話を聞いてみましょう。すみません、幻の蛇のお話を……』

 マイクを向けられた恵美の上半身は、モザイクが入った状態で出ている。



 この番組を、自宅のテレビで、食い入るように見つめている男女がいた。ロマンスグレイの男と、小太りの中年女。女性の方は、隣に座っている男性の腕をつついた。

「ちょっと、あなたっ! この人、蛇つかいの矢内さんじゃないの?」



  続く


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