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2.出演依頼

 取り払われてしまった恵美の上着は、驚いた男性の手から滑り落ちて、舗装されていない砂利道に落ちたままだ。男性は上着を拾う事もできず、恐怖と驚きが混じったうめき声をもらした。

「ザックに……蛇……」

 パンパンに膨れているザックの口は、大きく開いており、黒光りする祐二の体が丸見えに。祐二は頭を引っ込めていたが、ファスナーを自分で閉めることはできず、てらてらした黒い体は隠しようがない。

 恵美は歯ぐきを出したおかしな笑い顔を作りながら、取り繕った。

「えへへ、見つかっちゃいましたか。実はあたし、蛇つかいなんです。驚かせるつもりはなかったんですよ」

 スタッフたちは、ザックの中に縮こまっている祐二を見ようと、茫然としている犬の飼い主の男性を押しのけ、どれどれと、恵美の背後へ回った。

「うわっ、すんげえ太い蛇だ。これは商売用なんですか?」

「え、ええ」

「いつもそうやって移動しておられるのですか」

 スタッフたちは興味しんしんで、あれこれ聞いてくる。

「今日は、この蛇を連れてどちらまで?」

「えっと、あの……山の沢で行水をさせてきたところでした。都会の公園で、蛇の水遊びはさせられませんからね。あはは……」

 恵美は、そう言ってから、しまったと思った。どうして自宅の風呂で行水させないのか、と突っ込まれると困る。何でもいいからしゃべらなければ。汗が心の中まで噴き出しそうだ。

「この子ね、冷たい川が大好きなんです。やっぱり蛇ですからねぇ、川へ連れてくると、とても喜ぶのですよ。最近暑いですものね、今日なんか特に」

 季節は夏の入り口にさしかかり、晴天の日射しには夏の気配が感じられるが、水浴びしなければならないほど暑くはない。それでも、祐二を連れてここにいる理由を作らなければならないのだ。

「この蛇ね、ほんとに暑がりなんですよ」

「そうなんですか。ここへはよくお越しになられるのですか」

 先程のインタビューで、この近辺で大きな黒蛇は見たことがないと、言ってしまった後だ。見たことがないなんてとんでもない。ここにいるし。緊張で早まる呼吸を必死で抑える。とにかく言い訳を。

「この山には、たまに行水に連れて来ますよ。もしかして、伝説の蛇って、あたしがこの子と遊んでいる姿を誰かが見たのかもしれないですね。黒蛇ですしね」

 ついつい、頬がひきつってしまうが、ここはふんばりどころ。祐二の姿を見られてしまったからと言って、別にたいしたことはない。落ち着いて対処すれば、会話はすぐに終わり、テレビ局の人とはお別れできる。

(恵美、がんばれよ!)

 頭の中で、祐二が笑いながら、応援してくれている。恵美も、自分の無理やりの言い訳に笑いそうになっていたが、奥歯に力を入れてがまんした。

 スタッフの中で、リーダーだと思われる背の高い男性が、職業的に恵美に笑いかけた。

「川遊びですか。ちょうどいい。ちょっとこの蛇を撮影にお借りできませんかね。これなら幻の蛇として通用しそうです」

「撮影って……これはあたしのペットですから、幻の蛇じゃないですよ。人を飲み込んだりしませんもの」

「それはわかっております。我々にとって重要なのは、あなたの蛇が幻の蛇かどうか、ということではありません。幻の蛇らしき姿を撮影したいだけです。いかにして視聴者を引き付け逃さない映像を撮るかが大切でして、黒い蛇の映像を撮影しないと、我々は帰れません。一応、二時間スペシャルの企画の撮影です」

 “二時間スペシャル”……なつかしい言葉に、恵美のひきつった笑い顔は、少し自然になった。人間をやめてから、テレビは全く見ていないので、今はどうなのか知らないが、昔はそういうシリーズが、はやっていた。

 幻の○男とか、伝説の○○金とか、散々ひっぱって、実は何も出てこないってやつ。そういうたぐいの番組が、全部そうだとは言い切れないが、ほとんどが番組の終わりまで見させるように、視聴者の興味を掻き立てておいて、何らかの手がかりが見つかるだけで終わる。最後の数分で、一瞬のそれらしい映像を繰り返し出す、というのも見たことがあるが、すっきりとは終わらないのだ。

「蛇の映像は、最後の数分あれば充分です。それも、遠目でかまわないので、大きな黒蛇とわかるものが映っていれば、番組としては、上出来です。放送時間のほとんどは、スタッフたちが蛇を探す様子を出すので、どうかその蛇を撮影に使わせてください。この真っ黒な体、人を飲み込む伝説の蛇の演出にぴったりです」

「え……でも……」

「もちろん、出演料も少しですけど、お支払いしますよ。上着の弁償も含めて。あ、申し遅れましたが、私は斉藤と申します。この企画の責任者です」

 男性はポロシャツの胸ポケットから名刺を差し出した。受け取るしかない。


(祐二、どうしよう……)

(俺は出演してやってもいいと思うぜ。金がもらえるなら、それで服を買えるじゃないか)

(うん、だけど、もしあたしの姿が映っていて、それを両親が見たら……)


 恵美は、祐二と頭の中で話し合って、名刺を持ったままずっと黙っていた。なかなかOKの返事を出さない恵美に、斉藤は言葉を追加した。

「蛇を操っているあなたの姿は出さないようにします。蛇つかいの蛇を撮影していると思わせない演出が必要ですからね。先程のインタビューの場面は、プライバシーに配慮し、ぼかしを入れます」

「そうですか……」

「ちょっと蛇を出して見せていただけませんか?」

「ここで、ですか?」

「どこでもいいですが、大きさが見たいです」

 恵美は空を見上げた。晴天の青の中には、猛禽類は飛んでいないようだ。

 恵美はザックを下した。スタッフたちが、輪になって覗き込む。真っ黒な蛇の体に、期待が高まる。

「祐二、出ておいで」

 

 ザックが揺れ、中からぬっと祐二が頭をもたげると、おお、とどよめきがあがった。

「これはすばらしい。声をかけるだけで、言う事を聞くのですか? それなら、撮影にも時間はかかりませんね。よかった、よかった……」

 斉藤がそう言っている間に、祐二はザックから出てきた。ぬるりと全身を出すと、その場でとぐろを巻いて、首だけを三十センチほど立てた。鋭い眼でギロッと周囲を見回し、威嚇するように、口を開いた。

 今にも飛びかかってきそうな様子だったが、スタッフたちは、口々に感嘆の声を上げた。

「ちょっと怖そうなところがいいねえ。伝説っぽいじゃないか」

「これならいけそうだ。もう少し大きければもっといいが……」


(あたし、出演させるって返事してないんだけど、この人たち、喜んでるみたい。なんだか断わるのも悪いね)

(金がもらえるなら、断わることもないだろう。ちゃんと演技してやるから、心配するな。その前に、こいつらをちょっと脅かしてやろう。さっきの犬の仕返しだ)


 祐二は、急にザッと動くと、一人の男の足に絡みついて登り、あっという間に男の体をぐるぐる巻きにした。

「ひ!」

 祐二に巻かれているのは、先程の、犬の飼い主の男。首は絞められていないものの、体はぐいぐいと糸巻き状態にされている。

「く……るしい……」

 恵美は慌てずに、わざと明るい声で言った。

「駄目よ」

 恵美が、男に巻きついている祐二の首をつかんで引っ張ると、祐二は簡単に体をほどいて、恵美の肩にぶらさがるように、今度は恵美の体に巻きついた。他のスタッフたちは声も出ず、助けることもしないで、息を止めて見ていることしかできなかった。

「ふふ、これは蛇のいたずらです」

 恵美が祐二に巻かれながら、くったくのない微笑みをふりまくと、一同の緊張は解けたが、犬の飼い主の男だけは、唇まで赤色が抜けて、誰にでもわかるほどブルブルと震えていた。

「大丈夫ですか? 私の蛇は、噛みついておりませんよね?」

 男性は青い顔のまま、コクンと首を縦に振った。

「……ちょっと、おっかなかったです……本当に噛みつかないのですか?」

「はい。サービスで巻いて見せただけです。ショーでは、こうやってお客さんを驚かして、盛り上げるんですよ」

 恵美が祐二の頭を撫でてやると、祐二も満足そうに、恵美の頬に甘えるように顔をすり寄せる。

(どうだ、恵美? やったぜ! あいつの顔見てみろ)

(ありがとう、祐二。でもさ、あの人真っ青で倒れそう。よっぽど怖かったみたい)

(ざまあみろだ。伝説の俺に犬なんぞをさしむけるからだ)

(自分で自分のこと伝説って言う? なんだかなー。あはは……)

 恵美は祐二の首をやさしく引き寄せると、かわいくてたまらないというふうに、頭を撫でまわした。


 その様子を、先程名刺を渡してきた男、斉藤が、興味深げに見ていた。

「素晴らしい。それほど慣れているなら、どこででも撮影できそうですね。演技をどうしてもお願いしたいです。なるべくお時間をとらせないように、すみやかに撮影しますので」

(俺はかまわないぜ。伝説の演技をしてやらあ)

 祐二の声に恵美は、うなずいた。

「……わかりました。少しだけなら……」

 恵美は、少しだけですよ、ともう一度確認した。斉藤は、機嫌のよさそうなさわやかなほほ笑みを浮かべた。

「ありがとうございます。それなら早速始めましょう。そこの斜面の草むらの中から尻尾だけ見せてもらえます? そんなところで放したら、勝手に逃げてしまいますか?」

「いいえ。大丈夫ですよ。この子はとってもいい子です」

(ごめん、祐二。なんだか変なことになっちゃった。今日はゴミを見に行く暇なんか、ないかも)

(俺の服なんか、いつでもいいんだ。思いっきりいい演技してやるぜ)


 すぐに撮影が始められた。


 


  続く


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