最終話。運命の人
地震から十日以上経った社長宅の夜。
社長はリビングのソファに腰掛け、新聞を広げ記事に目を走らせていた。地震のあったあの日、社長は、土砂崩れに巻き込まれた人がいるかもしれないと通報した。山には捜索隊が派遣されたが、恵美たちの遺留品はなく、本当に巻き込まれたかどうかもわからないため、捜索はすでに打ち切られている。自分たちで恵美を探しにいこうにも地震の後片付けなどに追われ、出歩いている暇はなかった。
「あなたぁ。どう? 矢内さん、みつかったかしら」
ナメ子は夫の横に座り、新聞を覗きこんだ。
「いや、今日も遺体発見のニュースは載っていない。おそらく、我々よりも先に下山したのだろう。しかし、どうも引っかかる」
社長は考え込みながら、新聞を畳んだ。
「なにがよぉ」
「おかしなことだらけだ。矢内さんの夫は、服が猿に盗まれたと言っていたが、あんな格好のまま家まで帰ったのだろうか。登山口においてある車はうちの車だけだった。矢内さんたちが、他の登山口に車を置いていたとも考えられるが……」
「歩いて入山ってことも考えられるわよねぇ。矢内さん、あのザックを背負ってどこへでも歩きで行くみたいだったから」
「そうだとしてもだな、なぜ、あそこにいたのか。二時間スペシャルの撮影に使われた場に、まるで我々が来ることが最初からわかっていたかのように、あの時間にあの場所。しかも、真夏でもないのに、山の冷水で、素っ裸で行水とは全く不思議だ。矢内さんがユウちゃんを使ってやらせ撮影に協力したに決まっているのに、あの場にユウちゃんがいなかったことも、納得できない。テレビに出ていた蛇は、やらせではなく、本物の伝説の蛇で、遊園地で巡業をしていたユウちゃんは、やはり死んだ、ということなのだろうか」
社長は、持っていた新聞を、テーブルの隅に置くと、ううむ、と顎に手を当てた。
「あなたはそう思うの? そうよねぇ……うちへ泊まってもらった時、ユウちゃんを引っ張ったら、ぐったりしていたものね。あの翌日の夜にでも、ユウちゃんは死んじゃったのかしら」
ナメ子も、うつむいて考え込んでいたが、急に顔をあげて明るい声を出した。
「ねえ、あなたぁ、テレビの大蛇は、ユウちゃんそっくりだったけど、もしかすると、ユウちゃんの兄弟かなんかだったのかもしれないわよぉ。ユウちゃんが死んだから、矢内さんも蛇探しに来ていたのかも。テレビの方は、やらせ撮影じゃなくて、本当に幻の蛇だったのよぉ」
「撮影は、ユウちゃんを使ったやらせではなく、本物の幻の蛇で、矢内さんはユウちゃんのような蛇を探しに、テレビを見てあの沢へ来ていた、と言うのか? その可能性もゼロではないが……」
「可能性じゃなくて、きっとそうよ! 矢内さんも蛇探しに来ていたの。そうに決まっているわ。あなたっ、これはね、運命なのよぉ。あんなところで偶然、蛇探しをしていた矢内さんと出会うなんて、ロマンチック……ぬふふ……それも素っ裸なんてねぇ。あなたとあたしのあの頃みたいに、うふっ」
ナメ子は、厳しい顔の社長とは対照的に、明るい妄想に、唇から上下の歯を覗かせた。
「あなたも感じなぁい? 矢内さんとあたしたち、きっと運命で固く結ばれている。必ずまた会えるわ。あたしたちよりもひどい変態夫婦なら、気が合うと思うし、末永くお付き合いしてもらえるに決まっているわよぉ。あなた、ワクワクするわね。どうせなら矢内さんのご主人も一緒にここに住んでもらえばいいじゃないの。矢内さんさえ見つかれば、すべての謎が解けるわよぉ。矢内さん夫婦と一緒に蛇探しなんて、楽しそうよぉ」
夫はひとりで盛り上がる妻に合わせて、少しだけ笑って見せたが、すぐに真面目な顔に戻り、現実問題を提示した。
「それもいいが、地震で逃げてしまった楽園の子を探す方が先だろう。今日、石川君が一匹捕まえてくれたが、まだ見つかっていない子がいる」
地震でガラスの一部が割れてしまい、社長宅の屋上の蛇飼育舎、通称『楽園』から、数匹の蛇が脱走してしまったことは、この家だけの秘密だった。屋敷の塀の外へ毒蛇が逃げたかもしれない情報は、世間一般に伏せ、逃亡した蛇探しは、運転手の石川ひとりにやらせていた。
「セーラの言うとおりに、すぐに矢内さんを探したいところだが、この状況で出歩くのは無理だ」
「せっかく矢内さんたちを見つけたのにねぇ。残念だわよ。地震騒動が終わったら、絶対に探しに行きましょうね。うふふふ……矢内さん、待っていてね。必ず探し出してあげるぅ。これは運命なのよ。あたしたち夫婦と矢内さん夫婦は、運命の赤い糸よりも、もっと強力な鋼鉄の鎖で結ばれているのよぉ」
「矢内さんが我々の運命の人か。おもしろい考えだ。確かに矢内さんさえ見つかればすっきりするのだ」
「そうよ、矢内さんは、運命の人なのよぉ。きっと見つかるの。ぬふふふ……」
妻の笑顔につられ、社長も表情をゆるめた。清潔そうなロマンスグレイの紳士の微笑は、二人の仲をさらに熱くする。夫婦で見つめ合うと、ナメ子は、頬をほんのりとピンクに染めた。
「あなた、今夜は踊ってくださいな。ユウちゃんの遺品踊りで、パワーを高めて、矢内さんが見つかることを祈って」
「よし、久しぶりにあれを」
夫婦は寝室へ移動し、引き出しにしまってあった“遺品”、唐草模様の入った緑色のトランクス二枚を取り出した。
ほい、ほい、と妻の手拍子と掛け声とともに、両手にトランクスを持った社長が、軽やかに舞う。手足を適当に振り回して、腰をくねらせ……
夫婦の寝室の騒ぎは深夜まで続いた。
同じ日の夜。恵美と祐二は引っ越した狭い洞窟の中で、蛇姿で身を寄せ合っていた。
「祐二? もしかして、また地震が来るとか言う?」
「いや、誰かが俺のうわさをしているような……それよりも、恵美、もう体はどうもないのか」
「うん。地震の時はごめんね。あの時は気分が悪くって」
「俺、恵美が死んじまうと思って、泣いちまったぜ。落石が当たって、死にかけているんだと思った」
「死ななくてよかった。祐二のおかげであたしたち、今日も生きてる」
「だから言っただろう? 俺の勘は当たるって」
「うん。あたしたちの元のすみか、入り口埋まっちゃってたもんね。やっぱりあそこは危険だったんだ。祐二はすごいよ。でもさ、これに関しては予知してなかったんでしょ」
恵美は、顎を動かして、自分の腹のすぐ横を示した。
「おう、まったく予知できなかったぜ。俺はお袋から何も教えてもらっていなかったからな」
「そういう大切なことは、ちゃんと聞いておいてよね。あの時はもう、ザック背負っているのもつらかった。気持ち悪いし、体が熱いし」
「まさか、これだったとはな」
祐二は恵美の横の地面に、愛しげな視線を投げかけた。落ち葉が丸く集めて敷かれ、その真ん中に一つの小さな卵がある。にわとりの卵よりも一回り小さいそれは、細長い形をしており、ウズラの卵のように、黒と白の不規則な模様が入っている。あの時、恵美が産んだ、というより、吐き出した卵だった。捕食して飲み込んだ卵ではない。
「ねえ、祐二、これ、本当にちゃんと生まれると思う? 温めていいかどうかもわかんないんだから。このまま置いておけば、あと何日かして自然に割れて出てくるのかな」
「それはわからない。俺も知らないんだ」
「あの恐怖の夫婦に捕まらなくてよかったね。捕まった後、この卵を見つけられたらどうなったことか。あの人たち、またあたしたちを探しに来るかな」
「あいつらの顔なんか、二度と見たくないけど、また遭いそうな気がする」
「そうね、あの夫婦だからね……」
二人はお互いに、うん、うん、とうなずいた。
「この子の為にも、近いうちに、もっと山奥へ引っ越さなきゃね」
「で、こいつ、いつ出てくるんだ? 中身は生きているのか? あれから何日もこのままじゃないか」
祐二は鼻先で卵をつついてみたが、殻の中から、割ろうとしている動きは感じられない。
「あたしに聞かないでよ! こっちこそ知りたいわよ。あたし、こんなの自分でも信じられないんだから。なんなんのよ、もう。こんなおかしな生き物の女房になって、卵を口から産むなんて、あたしの常識ではありえないんだから」
「ふ〜ん、そうか。こういうのは嫌か。じゃあ、おまえ、俺を捨てて里へ帰るか?」
祐二は、からかうような口調になった。
「俺は、お前がどうしても人間として暮らしたいなら、反対はしないぜ。ただし、こいつは置いて行けよ。里まで下りて行ったら、ナメ子夫婦に捕まるかもな。あいつらがそんなに簡単にあきらめるわけがない。ナメ子に正体見破られて、ベロベロ舐められるぜ。おお、想像するとあいつらの声がすぐそこから聞こえてきそうだ」
祐二は、意地悪く、軽く口を開けて、カカカ、と笑って見せる。恵美は、むっ、と首を起こした。
「それは絶対にイヤですからね。不愉快だわ。あんな人たちのいる里になんか、用がない限り行くもんですか。祐二と出会ったことで、あたしはね、こんな化け蛇になっちゃって、ナメ子たちに追いかけまわされて散々だわよ。あたし、普通の人間の新婚生活を想像して結婚したのになによ。あたしの夢は粉々に砕け散ったの。あたしが、口から卵を吐き出して産む妖怪やってるなんて、今でも信じられない。もうっ、どうしてくれるのよ。今さら人間なんかに戻れない。祐二があたしを追い払う気なら、こうしてやる。大好きなんだからね!」
恵美に軽く噛みつかれた祐二の悲鳴が、洞窟内に響いた。
了
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
2009年8月 菜宮雪




