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11.揺れてラブモード

 ナメ子たちは、元の登山道まで戻ったが、恵美と祐二の姿は暗い森の中に消えていた。

「どこへ行った。まだその辺りにいるはずだ」

 社長が目をとがらせながら、木々の生い茂る奥をぐるりと見たが、恵美たちは見つからない。

「駄目ねえ。これじゃあ、登って行ったのか、下りて行ったのかわからないじゃないの」

 ナメ子もきょろきょろと眼球を動かすが、視界に人間の姿は入って来ないので、声を張り上げた。

「矢内さぁーん、どこぉー」

 返事はどこからもなく、木々が微風でざわめいているだけだ。

「社長、これからいかがなさいますか」

 石川がいつもの静かな声でたずねると、社長は、ううむ、と眉だけを動かした。

「確かにこれでは、どちらへ行ったかわからない。とりあえず、登ることにする」

 登り道を指さす社長の提案に、ナメ子が、やだっ、と顔をしかめた。

「あたし疲れたわぁ。足が痛いの。もう登るのいやあよ。車で待っているから、あなた、矢内さんたちを捜してちょうだい。あたしは下山するわ」

「社長、それでは、下ることになさったらいかがでしょうか。奥様はお疲れになられたご様子です。本日の蛇さがしはこれぐらいで」

 石川は、帰れる喜びを悟られないように、わざと声を落とし、残念そうな顔をしてみせた。社長は、登山道の上を見たり、下を見たりと、首を回して考え込んでおり、返事をしなかったので、石川はもう一度言った。

「蛇が捕まらず残念でございました。下山し、奥様を車までお連れしようと思います」

「石川君」

「はい」

「それならば、君が少し登って彼らがいないかどうかを見てきてくれたまえ」

「私が一人で、でしょうか」

「そうだ。頂上まで登る必要はないから、彼らの痕跡を探り、登って行ったかどうかがわかればそれでいい」

「かしこまりました。その辺まで見てまいりますので、私が戻るまで、ここで待っていただけますか?」

「いや、家内がゆっくりしか歩けないようだから、のんびりと蛇を探しながら下りて行く。君の足ならば、すぐに追いつくだろう。大急ぎで見てきてくれ。途中で会えなかったら、車で待っている。車の鍵は持っているから大丈夫だ」

「はい。では行ってまいります」

「頼むぞ。さっさと行ってくれ」

 石川は、ひとり背を向け、登り道へ向かって行った。彼は不快そうに口元を曲げていたが、夫婦はそんなことは気がつかず、トレッキングステッキで、そこら中の藪をつついていた。


「ユウちゃんやーい、どこにいる」

 藪に刺さるステッキが、ガサガサと音を立てる。

「あなたっ、きっとその辺に隠れているわよぉ。あのザックの中は空だったわ。矢内さん、自分は夫と逃げたけど、ユウちゃんは連れていなかったものねぇ」

「もしかすると、さきほどの川の中に隠れていたかもしれない」

「戻るの? でも、矢内さんがユウちゃんを連れて来ていたのかどうかはわからないわよぉ。巨大黒蛇の姿は、テレビで見ただけですもの。どうしましょう。矢内さんをもう一度呼んでみましょうか。もしかすると、逃げたのではなくて、その辺で、用足しでもしているかもしれないわねぇ」

「夫婦で野糞か?」

「きっとそうだわ! 並んで仲良く……」

 ナメ子が丸い顔をもっと丸くして、ぬふふ、と笑う。つられて社長も険しい顔を弛めた。

「そうか。だから、黙って姿を消したかもしれない」

 社長は、目に焼き付いている恵美の素肌を思い出し、手で口元を隠した。ナメ子はそれには気がつかず、口に両手を添えて、大声を出した。

「矢内さーん、どこまで用足しに行ったのー。終わったなら、返事してちょうだいなー」



 恵美と祐二は、登り道を選び、途中にある獣道へ入りかけていた。遠くから、ナメ子の呼び声がかすかに聞こえる。恵美と祐二は、びくりと首をすくめ、顔を見合わせた。


『矢内さーん、どこでしているのー。おなかの具合が悪いなら、お薬があるわよぉー』


 あれは確かにナメ子の声。恵美は、くすっ、と笑った。

「何よ。私の腹具合が悪いから、隠れてトイレへ行ったと思っているのかしら。あたしは元気ですよーだ。ん? 祐二?」

「恵美」

「どうしたの? さっきからそんなに震えて変だよ。祐二こそお腹の調子が悪いんじゃないの?」

「違う。すぐに蛇になって木に登れ。全部捨てていいから」

「えっ? なんで? 蛇に戻ったら、服は誰が運ぶのよ。祐二はあたしの服じゃあ小さいし、そんな腰巻きだけの格好で山にいること自体が変なんだよ。それに、あの人たちに見つかっちゃう」

「い、いいからっ、服なんか代わりを拾えばいい。この木でいいから、上へ行くんだ。はやく」

 祐二は早口で、どもりぎみだった。何をあせっているのかと、恵美はもう一度周囲を見回す。ナメ子たちの姿は見えない。

「ねえ、そんなのダメだって。もうすぐナメ子たちが追いついてくるって時にどうして急にそんなことを言うの?」

「やばい感じがする。俺の勘を信じてくれ」

「ナメ子たちならまだ――」

 その時、ギャー、と鳥が出す警戒音が山中に響き、バサバサと鳥の群れが木の上の方で飛び立ったと思ったら、地鳴りがし、いきなり地面がぐらぐらと激しく揺れ始めた。

「地震が!」

「恵美、早くこっちへ来い」



 急に揺れ出した地面に、ナメ子夫婦は悲鳴を上げた。地面はぐわん、ぐわんと大きく横に揺れている。夫婦は、慌ててその場にしゃがみこんだ。登山道ぞいの木々は、揺れて枝と葉がこすれ合い、葉の間から洩れた光が、不規則に、暗い登山道に落ちる。

「あなたぁ、怖い」

「セーラ、落ち着け」

 社長は、揺れる視界の中、歯を食いしばって必死で周りを見回した。生い茂る木々から、枯れた葉がはらはら落ちる。激しい揺れは、なかなか収まらない。ナメ子は、しゃがんで揺らされている恐怖に耐えられず、夫にしがみつこうとしたが、バランスを崩し、小さな悲鳴と共に、ドスンとしりもちをついた。太い足が放り出される。社長も両手を前に付き、転がらないように足に力を入れた。

 揺れはやがて収まった。

「ふう……驚いた。すごかったな。震度はかなり大きいだろう。向こうの方で、大きな音がしていたが、落石かもしれない。石川君は大丈夫だろうか」

「あ……あなたぁ……怖かったわよぉ。わああぁん!」

 ナメ子は、泣き叫びながら、夫に飛び付いた。はずみで、社長は、湿った落ち葉の上に押し倒されたが、妻の重みを受け止めた。

「よしよし……セーラ、もう泣くな」

 熱い口づけの音がした。




 一方、激しい揺れで、登山道にしゃがんでいた石川は、ほっと息を吐いた。

 地震の間、呼吸を忘れていた。何秒ぐらい揺れていただろうか。まだおさまらない動悸と共に、細かい呼吸を繰り返した。目の前数メートル先は、上から崩れ落ちてきた土砂で登山道はすっかり埋もれて小山ができている。もう少し先を歩いていたなら、今頃はこの土砂の下でつぶれていたことだろう。

 石川は、汗びっしょりになっていた首筋をタオルでふいた。立ち上がっても、まだガクガク震えているが、登山道の続きがなくなったことに少し安堵をおぼえた。これなら、情報のないまま戻っても社長に許してもらえる可能性は大きい。

 耳を澄ます。地震の間、あれほどこすれあった木々の音も、ガラガラと落ちてきた岩同士が当たる音も、今は、なくなった。しんとした森の中は、穏やかな風が抜けていくだけで、人の気配は近くにはない。

 恵美たちがどこへ行ったかも気にはなるが、今は、余震に備え、とりあえず下山して広い場所へ出ようと思った。

 石川は、崩れてきた山の欠片に背を向け、トレッキングステッキにすがるように、腰を曲げつつ元来た方向へ戻って行った。

 やがて、社長夫婦らしき人の姿が登山道の脇に見えてきた。二人とも倒れているように見え、あっ、と足を速めた。

「社長! 奥様! お怪我は」

 石川は、足と言葉を止めた。ナメ子の下で、つぶされるように抱き合った状態になっていた社長が、這い出てきてむっくりと顔をあげた。二人の服装は乱れてはいなかったが、共に赤くなった唇と頬が、何をしていたか物語る。

「石川君、邪魔をしないでほしかったな。まあ君だから許してやろう」

「あらぁ、石川さんに見られちゃった。恥ずかしいわぁ」

 ナメ子が、まるまるとした頬を染める。石川は二人に頭を下げた。

「……申し訳ございませんでした……」

 石川は、だから私を一人で行かせたのですか、と続けそうになったが、こらえた。夫婦は、何事もなかったかのように、にこやかに立ち上がり、髪や服についた落ち葉をパンパンと払い落している。石川がわきあがる様々な感情を押し殺し、目をそらしていると、社長が口を開いた。

「石川君。矢内さんは見つかったのか?」

「いえ、登山道が落石で埋まってしまいまして、先へは進めませんでした。私も危ないところでございました」

「そうか。石川君が無事でなによりだった。おっ、余震か」

 地面が再び揺れ出したので、一同は、しゃがみこんだ。今回は先程の揺れとは違い、弱く小刻みですぐに終わった。

「今度の揺れは、たいしたことはない」

「社長、この山は危険です。土砂崩れの恐れがあります」

「うむ。私もそう思う。残念だが、ただちに下山するしかなさそうだ。仕事を休んで来ている以上、こんなところで、遭難して報道されるわけにはいかない。矢内さんのことは次回だ。彼女たちが土砂に埋まってしまった可能性もあるが、どこへ行ったかわからない以上どうしようもない。一足先に下山していることを祈ろう」

 さすがのナメ子も、蛇探しを継続するとは言わなかったが、ぼそりと口の中でつぶやいた。

「用足しで埋まってしまってたら、かわいそうねぇ……」

「勝手に用足しに行ったのだから、捜してやることもないのだ。彼女が尻丸出しで死体で発見されたとしても、我々の知ったことではない」

 尻丸出し……石川は想像してごくりと唾を飲み込み、のどぼとけが大きく動いたが、誰も気がつかなかった。

「セーラ、歩けるか? さあ、戻るぞ」

 社長が、石川に先を歩けとうながす。石川はちらっと後ろを振り返って、笑いそうになったがこらえた。社長夫婦は仲睦まじく、腕を絡めている。

 

 ――社長たち、いい歳して。あれでは山は歩きにくいでしょうに。どうして地震で恋愛モードになっているのか、わけがわからないです。あの変態女のどこがいいんだか。いや、社長の方が変だ。まさにあなたたちは、最高の変態夫婦。しつこいところまでそっくりですね。地震のおかげで、私は、しばらくの間は蛇探しをしなくてもよさそうで……ありがたいですよ……ええ、とても。


 石川は、心に舞う笑うを漏らさないように、無表情を装い、黙って彼らを先導した。

 


 

   続く

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