第壱話 唐柿ガ割レタ、其レハ大惨事ダ。
『五〇人が死亡した福雅国務局襲撃事件で実行犯が【唐柿】を名乗る組織に所属していることが分かりました。主犯格である里見淳、太宰涌爾、坂口涼ら十五名はいずれも逮捕され、白虎牢投獄が命じられました。』
昨日、漁業地区福雅で起こった事件のニュースが食卓で流れていた。ニュースを観ながら食パンを頬張る少年・尾崎淕はモニターに向かって「唐柿かあ。」と呟いた。淕の父親である海運は国務官の制服に着替えながら淕に忠告した。
「同じノスタルジアとして恥ずべき行為だ。淕、争いは争いを生むだけだぞ。唐柿には絶対に関わるなよ。」
「淕はそんな度胸無いでしょ。じゃ、行ってきまーす。」
淕の姉である浴希はそう言うと、颯爽と部屋を出ていった。
「父さん、心配しないでも姉ちゃんの言う通り、そんな怖いことできないよ。」
淕は頭を掻いて笑った後、口に含んだ食パンを牛乳で胃に流し込み、急ぎ足で部屋を出ていく。
「行ってきます。父さんも国務官の仕事頑張って。」
「いってらっしゃい。」
海運はそう言うと、トマトが模られネックレスを首からかけた。
首都・京楼から南の都市・鹿々手を挟んで離れた小さな町、高良にある高良学園は初等部、中等部、高等部から成る、ごく普通の学校である。
高等部二年三組――。淕が所属するクラスである。
クラスメイトの一人が淕の机の前にやって来た。
「おい、淕。今日もあれ出せよ。」
「うん。」
淕はノートを取り出すと、髪を茶色に染め、だらしない格好の男に渡した。男は、そのノートを、淕の前で、じっくりと読んだ。
「そう!これこれ!淕の漫画!まじで、面白い。」
「ありがとう。」
「お、ザッキー、『LINK』の続き、描いたの。読ませて、読ませて。」
クラスメイトの女子も一人、淕のノートを舐めるようにして読んだ。
「まさかの展開だったわー。主人公がぐわーってなって、最高。」
「あ、ありがとう。」
この二人は、初等部の頃からの淕の友人、梶井吏と五十嵐心である。
「淕、お前なら漫画家なれるって。進路調査書に国務官以外俺も書きてえ。」
「吏はサッカーチーム続けないの。」
「うーん。そうだなー。趣味程度には。人間諦めたモン勝ちってな。現実見て俺はみんなと同じように国務官目指すわ。」
吏はサッカーチームのロゴが入ったリストバンドを見つめながらそう言った。
「僕も国務官って書くよ。」(本当はなりたい気持ちもあるけど……。)
「えー、もったいない。カジーはともかく、ザッキーは夢持てるよ。」
「俺も夢がないわけではない!」
三人はお腹を抱えて笑った。
「はーい。授業始めるぞー。」
今日もいつもと変わらない始業のチャイムが鳴った。
終業のチャイムが鳴り、高良学園の高等部二七〇人が帰路に着く。淕、吏、心の三人も他の生徒と同じように帰路に着いた。
吏は帰り道の途中、思い出したかのように口を開いた。
「淕の漫画の『LINK』で主人公が所属する組織、モデル唐柿だろ。」
(ギクッ)
「おお、図星か。同じ古代血種、ノスタルジアとして気持ちは分からなくもないけどな。」
「ザッキーもしかして肯定派。」
古代血種、通称【ノスタルジア】では無い心は淕に冷たい目を向けた。その目を受けた淕は手を左右に振って否定した。
「……なわけないか。ザッキー、現にさ死人も出ているんだし、唐柿意識して漫画描いているなら私は読まない。」
「まあまあ、そう言わないで。」
「カジーもカジー。気持ちが分かるって、どこに。国務官を平気で殺せちゃうところ。」
心は吏に怒りの目を向けた。
「いや、違うって。俺とか淕みたいに幸せに暮らせているノスタルジアもいれば、ここよりずっと離れた地方で国務官にもなれず、人並みの幸せが無いノスタルジアだっているって聞いたことがあるからさ……俺もそんな立場だったらって考えるんだよ。」
「二人とも落ち着いて、僕も全部唐柿モデルとかじゃないから。ね。」
淕は二人をなだめ、口論は落ち着いた。それと同時に、三人の腕時計型の端末から通知音が鳴った。通知メッセージを見て三人は啞然とした。
「法……改正……ノスタルジアは……捕縛……。」
「ノスタルジアは捕縛、大人しくしない場合は国務官による殺傷も許可。」
「これ、どういう――。」
「父さん、姉ちゃん。」
「おい、淕。」
心の動揺を遮り、淕は一目散に家の方向に走り始めた。
淕は家に着く。少年の息が荒くなっているのは、走ったからだけではない。家の扉が開いている。淕は、不安とともに家の中に入り、震える足をゆっくりと動かす。
「――」
淕は、口を左手でふさいだ。目の前には、赤、黒――赤黒い澱みとともに横たわる浴希の姿があった。
「姉……ちゃん。」
淕が驚き恐れる時間はほんの数秒であった。奥の部屋から銃を持った国務官の男が現れたのである。
「お、もう一人いたか。」
「姉ちゃんを殺したのはお前か。」
「この女と違って、君はお利口さんでいろよ。大人しくしてれば、こんな風にはならない。」
国務官の男は、しゃがみ込むと、銃で浴希の亡骸の頭部を小突いた。暫時静寂が続いた後、淕の後ろから声が聞こえる。
「何してんだ。そのガキと死に身を車に乗せやがれ。この街はノスタルジアが多いんだ。早くしろ。」
もう一人の国務官の男が扉の外から家の中に向かって大きな声を出している。淕が振り返ると外には国務官とともにトラックが一台止まっている。そのトラックの荷台から腕が一本飛び出していた。手首にはサッカーチームのロゴの入ったリストバンドがついている。
「はあ……はあ……。吏……。」
「尾崎さんにはお世話になったからなあ。お前にはパパの遺言くらいは聞かせてやるよ。」
淕は家の中の国務官を息を荒げながら、睨みつけた。その男の首からは父・海運のネックレスがぶら下がっていた。
「『こんな時代もすぐ終わる。だから耐え抜け。』だとよ。大人しく捕まる道を選べ。」
そう言い放った国務官に向かって、淕は、飛びかかろうとした。その瞬間、淕の頭の中で声が鳴り響く。
《世界に一矢報いる感情は――》
《立ち向かうという覚悟でもなく、この現に寄り添う諦観でもなく――》
《その時に必要とされた感情だけ。》
《それは今日この瞬間では――》
《 ”憎悪” である。》
淕に向かって男は引き金を引いたが、それと同時に胸元のネックレスに施されたトマトが飛び出した。そのトマトは肥大化し、口を開き、淕の頭部を飲み込んだ。
銃弾を跳ね除け現れた者は、胴体が人、頭部がトマト。頭部のトマトには口があり、白い息を吐いていた。
「憎悪を注げよ、少年。」