幕間 とある異教徒、又は共和主義者の禁書
※注意! この幕間を読まなくても本編を楽しむことができます。「こりゃちょっと合わないかな~」って人は読み飛ばして次話に進んでも頂いても全く問題ありません。
神とそれに準ずる精霊、彼ら存在は…否、彼らの登場による『実在の証明』は、人類がそれまで培ってきた信仰の価値基準を一変させた。
後に帝国を打ち立てた高祖が、いと高き丘の上で出会った超常の存在、三神と七柱の精霊達と最初の誓約を結んだとされる。この歴史的な邂逅はそれまで魔物に生存領域を追いやられ、大陸僻地で縮こまりながら生きるしか無かった人類に力を授けたのだ。
神々は誓約を通してその圧倒的な力を貸し与え、魔力を持って生まれて来た者にはその埋もれた才を見抜き、それを術として扱う為の知識も授けられた。対話可能な上位存在はしばしば人の願いを聴き入れ、数多の奇跡をもたらして絶望から人々を救った。
もはや魔物の牙や爪は信仰を誓った誓約騎士の鎧を貫けぬ。かつては人の槍や矢じりを跳ね返した鉄の如き甲殻は容易く引き裂かれ、松脂で塗り固めたように丈夫な毛皮は今や難なく剥ぎ取られて嘲笑の的にすらなった。生態系は逆転し、人と魔物は獲物と狩人としての立ち位置が入れ替わる。瞬く間に駆逐された魔物達はかつての人類の様に大陸隅へと追い詰められ、世界中に散らばっていた人類は肥沃な土地に移り住んで村や町、そして国を作ってその生活圏を拡大させていった。
ただ悲しいかな、皮肉なことに土地と食物を余らせた人々は、今度は人間同士で争うようになってしまった。七柱の精霊達も“何故か”互いに憎しみ合っていたものだから、人類同士の争いを焚きつけて己の信者を増やす好機として戦乱を煽り続けた。これは帝国黎明期の国家形成に深く関わってくるが、それはまた別の話。
話を戻そう。本来宗教とは人の高度な発明品であった。諸魔族に虐げられ、飢えに苦しみ、気まぐれな流行り病によって集落が滅ぶ。宗教とは、峻厳たる現世に苦しむ者が最後に縋ることのできる空想の砦である。空に、海に、大地に、己の力ではどうすることもできないこの残酷な世界に、超越的な存在や神秘を見出して救いを求める。祈りという代償行為は創造の及ぶ限り何ものでも描き得る無限のキャンパスによって初めて機能する。星空に描かれた星座は、それを見るものの心から抽象された願望なのだ。飢饉を避けるために豊穣の神に祈り、雨乞いのために儀式を行う。供物を捧げれば、少なくとも“己の力が及ぶ限り”の努力を尽くしたということになる。人事を尽くしたからこそ天命を受け入れる覚悟を持つことができるのだ。
また、古代の宗教(現在の宗教と区別するため、ここでは便宜上このように呼ぶことにする)には様々なバリエーションが存在していたことも確認されている。それは共同体の秩序を維持するためのモラル、原始時代の規範でもあったし、それは死に逝く父祖といつまでも共にありたいという素朴な願いでもあっただろう。また、上述した苦しみに対して自己の内面を掘り下げて、束縛や執着から逃れようとする初期の哲学的省察に近い試みもなされてもいたようだ。幻想から生み出された神話は禁忌(近親相姦や魔物を呼び寄せる行為がこれに代表される)を戒める寓話として機能していたし、また怒りや性欲などが原因で犯す人の衝動的失敗を押し付けるためのスケープゴートでもあった。このように古代における宗教とは人間が心の均衡を保ち、厳しい世界で生活を営むために必要な技術であった。
だが、神と精霊による歴史の表舞台への登場がその全てを変えた。神とはもう空想の産物ではない。闇を照らし、邪を祓い、魔を討滅する現実の救世主となった。人々は曖昧で祈りが通じない旧来の諸宗教を捨て去って、この実益を運ぶ新たな神々を歓迎した。人類が増え、文明が発達し、現在のような宗教学や信仰の体系が発達するにつれて、人々の信仰心や思考の様式そのものが大きく変わることになる。
より強きものからの恩恵を受け入れることは隷属に似ている。神々は精霊を御し、精霊達は誓約した人間を従わせ、その一部の人間達は他の人々に対して地上の支配者として振舞った。水が高きから低きへと流れるが如く、あらゆる暴力、あらゆる権利、あらゆる権威は上位の存在から許しを得て初めて下位に伝達されることになった。必然精霊に近しい誓約者達は『貴き神々に近しい者』として人間世界における道徳基準の最上位に君臨する。支配と統治の根拠は誓約と強化された武力それ自体にあり、旧時代の合議制や大衆の支持といった対等の存在同士で担う政治的要素は急速に価値を失っていった。
誓約者は氏族単位で精霊と誓約し、当主が死んでも『信仰宣誓』によって次代の当主が誓約の更新を行えた為に子々孫々へとその力を引き継ぐことができた。魔術や聖典鎧といった一家相伝の秘術は必然支配者層を固定して、伝統的な血族統治は権威のみならず圧倒的な武力支配を加えたことでより絶対的なもの(青き血に実益が宿る!)へと変化し、王侯貴族の支配と世襲は絶対的な形で完成する。今日まで続く『神権世界』の誕生である。
より深く神に愛された者が、より長く精霊と契った一族が、より多くの契約者を生み出した国家が、強く、賢く、偉大となれる。これが我々の生きる世界の絶対法則である。だがここに、我々人類の価値基準が垂直縦軸となって階層の固定を許したことで最も罪深い堕落を生んでいることに注意を向けなくてはならない。何故なら―――
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― カラミア・グノーシス『宗教比較による倫理価値の再考と隷属の精神』2章より抜粋 ―
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