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感染  作者: Alper Kaan
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(ミライの寝室。彼女は部屋に入ってドアを閉める。ドアには二つの鍵がある。ミライはその二つの鍵を二回ずつ回す)



ミライ よし。そして、金庫、金庫。(金庫をあける)マスターキーはここ。日記を入れよう。念のために、パスコードも変えよう。新しいパスコード。。。何にしようかな。この前は、私がワン・ファンにあった月日でしたし。今度は、ワン・ファンの身長にしよう。百八十っと。よし。(金庫を閉める)もう日記のことなど忘れてしまってもいい。お母さんの声がうるさくなるだろうけど、ほっといて置けばいい。(間)それにしても疲れた!あのアヤメという女、朝は自分で消えてなければ力ずくでも追い出してやる。今夜は寝よう。(パジャマに着替え始める)今でも、スタイルは悪くないな、私。腹が平らだし、胸も大学のときと同じ。肉付きもいい。この病気さえなかったらどれだけ楽しい人生を送っていたんだろう。



アヤメ 確かにいい体だ。(ミライは息を呑んで振り返る。部屋の中に確かにアヤメがいる)昔は背がもっと高かったけど。


ミライ 何しに来た?それより、どうやって入ってきたんだ?(声が小さくなる)鍵はかかっているのに。


アヤメ さっき借りた日記を返しに来たんだ。


ミライ 借りただと。おうだつの間違えでしょう。


アヤメ 元々あたしのものです。どうぞ。(日記を持ち出してミライにのばす)


ミライ 何の真似だ。日記はとっくに金庫の中にある。


アヤメ もう一冊の日記があるかもしれない。ほら、読んでみて。


ミライ 何をたくらんでいる?


アヤメ べつに。貴女には、事実を知って欲しい。それだけ。


ミライ 事実。事実ならこっちからお前に教えてやろう、アヤメ。あんたが持っているその日記は本物じゃない。


アヤメ そうかな?


ミライ 本物の日記は金庫の中に閉めて置いた。それは偽物。。。幻と言ってもいいものだ。物理的に存在しているものではない。


アヤメ 本物に見えるけど。


ミライ あんたが読んでいた聖書と同じ。あなたの手にあるように見えて、あんたにとって存在もしているが、実はない。貴女はその日記を、内容まるごと私の記憶から引き出している。


アヤメ じゃ、読んでみようか。(日記を開ける)「秋田への旅行。一月二十日。雪は絶えることなく降っている。写真で見た事があったが、自分の目で見るまで実感がわかなかった。これが大雪。温泉の布団は意外と居心地いい。子供をここで出来たら雪と名づける。といったら嫁に叱られた。短気な女に絡まれたようだ」これはこの診療所の創立者、富士本先生の言葉ではないか?


ミライ 私の記憶にある言葉とそっくりね。でも実の日記と比べて見たら、多少の違いがあるかもしれない。


アヤメ なら、比べて。


ミライ その必要はない。鍵がかかったドアを通り抜けて部屋に入れたとき、あんたがそれを証明した。アヤメ。あんたは人間ではない。あんたもその日記と同じく、幻と言っても良い存在に過ぎまい。


アヤメ さすが、幻に詳しいコメス患者だね。面白い仮説を出してくれる。


ミライ 仮説ではない。私にはコメス病がある。あんたも、同じ病気にかかっていると言っている。さっきあんたと直接に接触したときに。。。


アヤメ あたしにビンタをうったときに。。。


ミライ 私からあなたへ、そしてあなたから私へ記憶が流れたはずだ。あの瞬間まで私の記憶になかったものを、あたしは思い出せるようになったはずだ。然しそんなことはなかった。私とあんたは、同じ記憶を共用しているから。つまりあんたは、幻だから。


アヤメ あたしが、幻?


ミライ そうよ。だからあんたのことはもう気にしない。私は寝る。朝になるとあんたが消えているかもしれないし、消えなくてもどうせ私に損害を与える事があんたには出来ない。


アヤメ いえ。あたしは幻ではない。


ミライ じゃ、金庫を開けてみて。あんたが実在しているなら、あんたの手と指が実在しているなら、その手と指はパスコードの数字を入力できる。パスコードを知っているでしょう。


アヤメ 1-8-0。


ミライ あたり。


(間)


アヤメ 一つだけ、見落としている事がある。物理的にあるものは本当に存在しているとは限らない。幻こそが、本物かもしれない。わかる?


ミライ 馬鹿馬鹿しい。夢は夢。現実は現実。手で触れるもの、現実の世界に効果を及ばせるもの。それが実の存在。残りは蜃気楼。ただのイリュージョン、ただの夢。


アヤメ 古臭いほど、現代的な考え方だ。


ミライ 私は寝る。明日までどっかに消えてくれると助かる。(ベッドの掛け布団を開く)


アヤメ 一つ聞いてもいいかな。


ミライ なに?


アヤメ あたしの身長、なんセンチだと思う?


ミライ さあ。百五十センチくらい?


アヤメ 百六十六よ。


ミライ 馬鹿な。それは私の身長だ。


アヤメ 人間は自分の体を全身鏡でしか見れない。そして全身鏡に映る姿は、だれの姿であろうと同じサイズに、鏡を見る人と同じサイズに見える。鏡の世界には、背の高さも低もがない。富士本さん。。。仮に貴女をこの名で呼ぼう。富士本さん。貴女の記憶の中には、自分の体の外から見られた姿が記録されている。しかしそれは、貴女の目で見た姿ではない。それは貴女自身の記憶ではない。恋人の、ワン・ファンの記憶だ。だから貴女が、自分の体のことを考えると脳裏に浮ぶものは、十五年前の貴女の体の姿、ワン・ファンが見た貴女の姿だ。(間)バスケ選手の体格を持ったワン・ファンの視線から見ると、貴女は小柄な女子だった。ちょうど、あたしみたいに。


ミライ 何を言いたいか知りませんが、気にしないことにする。(ベッドで横になる)


アヤメ 診療所のどこにも鏡がない理由はなに?


ミライ 全部壊れた。


アヤメ 誰が壊した?自分の顔を見たくない人?別の人の顔を、自分の顔と混乱している人?鏡を見ると、自分が誰なのかわからなくなる人?


ミライ (眠く)どうでもいいのよう、そんなこと。昔の話だから。何年も経ってるから。もう消えてくれ。


アヤメ 消えるよ。でも。。。寝る前に、一つ頼みがある。


ミライ しつこいぞ。


アヤメ 一つだけ。


ミライ なに?


アヤメ おとぎ話。おとぎ話が欲しい。



(間。兎莱の、妙に響く声が聞こえる)



兎莱 なら、眠れる森の美女を読もうかしら。


アヤメ (子供っぽい声で)僕はお父さんのおとぎ話がいい。


兎莱 お父さんは疲れているよ。知っているでしょう、アヤメ?お父さんはお医者さんなの。病気の人を癒す大変な仕事をしている。


アヤメ (子供っぽく)お父さんのおとぎ話がいい。


兎莱 駄々をこねてはいけない。お父さんは疲れているの。



(アヤメの子供っぽい声には少しの響きが混ざる)



アヤメ 僕は大きくなったら医者さんになって、お父さんに手伝う。そうしたらお父さんは疲れないから。


兎莱 お父さんの子だね、アヤメ。アヤメがお父さんのことを好きでお母さんも嬉しいけど、お母さんにもちょっと優しくしたらもっと嬉しいよ。


アヤメ お母さんなんて大嫌い。お母さんはいつもお父さんを独り占めにする。だからアヤメはお母さんが嫌い。


ミライ (半ば寝ているような声で)駄目だ、アヤメ。お母さんも愛して。お母さんを愛しないと、お父さんも君の事を愛しない。


アヤメ (遠くなった、子供っぽい声で)ごめん、お父さん。アヤメはお母さんも好き。でもお父さんがもっと好き。


ミライ (寝言みたいに)お休み、アヤメ。


アヤメ お休み、お父さん。



(長い沈黙。ミライは深い眠りに落ちていて、ゆっくりと息をしている。アヤメは、優しい声で彼女にささやく)



アヤメ 今は眠ってもいい、あたしの姫。あたしのワン・ファン。貴女はあたしの中にいる。あたしの記憶、あなたの記憶、お父さんの記憶、お母さんの記憶。あたしたち四人は、変わった家族として一つの屋根の下で暮らしている。今は目をさめなくてもいい。あたしは側であなたを見ているから。これからもずっと、あなたを見てあげるから。あなたが目覚めようと決める日まで。お休み。お休み、あたしの姫。あたしの恋人。あたしの娘。お休み。お休み。お休み。



(「お休み」と繰り返すうちにアヤメの声が徐々に消える。風に揺れる森の音)



 終わり

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