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(庭。鳥の声が聞こえる。ミライは息を切らしたまま診療所を出てたち止る)
ミライ どういうことだ?台所をよったらストーブがついてなかった。じゃ、あの音はなんなんだった?いたずら?ガスライティング?(ため息をつく)落ち着かなきゃ。めまいが激しくて腰が抜けそう。アヤメには悪いが、座らせてもらう。(座る)って私の診療所なのに何であいつにかまわなくちゃならないの?
(ミライは暫く風の音を聞く。普通の鳥の声と、妙に響く一匹の山ビカツの声が聞こえる)
ミライ ああ、もう!幾ら考えてもわからない!アヤメは何かを隠している。本当にコメス病だったら今頃何が現実の過去でなにが他人の思い出か区別をつけられなくなって混乱しているはずだ。でも妙に冷静にしている。紛れもなくあの子は何かを隠している。いたずら?それとも、何らかのテスト?あの子は、私がコメス患者を報告するかどうか試そうとする検査員かもしれない。または、テーゼの資料を集めるために、日本中の診療所を廻ってくだらない嘘をついて医者たちの反応を記録しているかもしれない。博士課程学生にしては若いですけど。駄目だ!やはりわからない。
(森から兎莱の声が遠く聞こえる)
兎莱 富士本先生!こっち、こっち!
ミライ またお母さんの声。今度は、お父さんとピクニックに行った日のエングラムか。昔は頻繁にこの声を聞いた。お父さんから貰った記憶の中で一番はっきりしているのは、森に誘うこの声だった。お父さん、あの日のことを本当に大事にしたのね。
兎莱 富士本先生!こっち、こっち!こっちにいますよ。
ミライ うるさいんだよ、お母さん。半年ぶりにお会いできたのは嬉しいが、私の前に現れるなら生身で来なさい。
兎莱 こっち、こっち。こっちにいますよ。クッキーがさめないうちに来てください。
ミライ クッキー以外に美味く作れるものがないくせに調子に乗るんじゃないよ。子供の頃、毎晩美味い飯をご馳走される友達がどれだけうらやましかったと思ってるのよ?
兎莱 クッキーがさめないうちに来てください。
ミライ いらないって。シスター・ビユのジンジャーブレッドのほうが美味しいもの。
兎莱 こっちにいますよ。
ミライ うるさい!黙れ。
兎莱 クッキーがさめないうちに...
ミライ (遮る)しつこいね、お母さん。返事するしかないか。(大声で、男らしく)どこですか!
(耳をすまして聞く。鳥の声以外に何も聞こえない。ミライはため息をつく。然し数秒後に、診療所の中から足音が聞こえて徐々に近づく)
ミライ なに?お母さんがお父さんと大喧嘩した日の思い出か?あのエングラムは嫌だな!なにを言っても半時間も怒鳴れるんだから!
(ドアが開ける。ミライは怯えた声を出す。アヤメが庭に出る。山ビカツの声が聞こえる)
アヤメ 図書室にいたよ。
ミライ そう、ですか?探しちゃいました。
アヤメ でもずっとあそこにいたよ。富士本さんが出て行ってからずっと。呼ばれるまで。
ミライ そう、ですか?
アヤメ で、何かあった?
ミライ い、いえ。たいしたことではありませんが、珍しいものを見せようと思いました。
アヤメ なに、珍しいものって?
ミライ え、えっと。ほら、見てください。そこの枝に止まるあの腹の白い、シナモン色の鳥。(山ビカツの、妙に響く声が一段と強くなる)あれは山ビカツって言うんです。中国ではシャン・メイと呼ばれますけど。中国にしかいない鳥のはずですけど、なぜかこの辺りでは数匹が住んでいるみたいです。
アヤメ その鳥か?
ミライ 違います、違います。あれはただのウズラです。ほら、私が示している枝をちゃんと見てください。
(間)
アヤメ 何も見えないけど。
ミライ なに言っているんですか?鳥は一所懸命さえずっているじゃありませんか?あの子の声が来る方向を見たら、きっと。。。
アヤメ すみません、やはり見えない。私はそのシャン・メイの鳥を数回、中国にいたころ公園で見かけた。可愛い泣き声だな、と言ったら鳥の名をワン・ファンに教えてもらった。それにあたしは、この庭で少なくとも十、十五何時間を過ごしている。もしその種類の鳥がこの辺にいたら声ぐらいは聞いたに違いない。でも普通の鳥しか何も見なかったし、何も聞かなかった。
ミライ 一秒くらい静かでいれば今は聴けますよ!(間)いいさえずりでしょう?
アヤメ あたしにはなにも聞こえない。その鳥が日本にいるとも思わない。
ミライ (怒る)こんなばればれな嘘をついてなにが欲しいです?鳥はちゃんとそこにいます!
アヤメ 富士本さん、落ち着いて。目付きがおかしくなっている。
ミライ なにが目的か知りませんけど、貴女は私を混乱させようとしています!だから行き成り診療所にやってきて、行き成り中国の話をして、シスターとパンのことを、私の親友ワン・ファンの名前を口にしました。私のつらい思い出でもて遊びました。
アヤメ あたしは自分のことを語っただけ。あたしの過去と富士本さんの過去が偶然重なり合ったていら仕方がないでしょう。
ミライ 偶然にしては出来が美味すぎます。貴女は、ここが誰もいない場所だと知っていたと言いました。ほかになにを調べてきたのですか?私の過去?私の病歴まで読んだのですか?
アヤメ 読まなくてもわかる。貴女はコメス病なんでしょう。
(長い沈黙)
ミライ どうして、そんなことを?
アヤメ 誰もいない図書室でだれかと言葉をかわしたり、男の真似をしたり、いるもしない鳥の鳴き声を聞いたりするからだよ。
ミライ なにが欲しい?
アヤメ 否定をする気はないんだね。
ミライ 金?口止め料?私の秘密が知られたら医者を出来なくなります。
アヤメ あたしと同じね。
ミライ ここに来たとき、私の秘密を知っていたのですか?
アヤメ 知っていたとも。富士本さんのことなら、何でも。(間)なんか、雰囲気が不味くなったね。本当に悪気はない。病気が治るまでここに泊まりたいだけ。
ミライ 治らなかったらどうします?
アヤメ 普段は二三ヶ月で治る。
ミライ 私の場合、十年間以上も長引きましたけど。
アヤメ そうね。それは多分、富士本さんは日本のペイシェント・ゼロだから。
ミライ ペイシェント・ゼロは私ではありません。病気を日本に持ち込んだのは、日本代表チームの選手たちでした。
アヤメ でも貴女は、そのチームの先に病気になったでしょう。貴女も言ったじゃないか?中国には、他人の記憶を吸収しすぎて自分のアイデンティティーを失ったやからがいるって。ウイルスだろうとバクテリアだろうと、病原体は出来たてた時にこそ激しい症状を生じる。富士本さん、その出来たてた、新鮮な病原体は貴女に移ったのだ。
ミライ そこまで知っていまか?
アヤメ 推し量ったんだ。貴女が話してくれた事が、いい手がかりになった。
ミライ 私はそんな詳しく話したつもりはありません。
アヤメ そうかな。富士本さんがチンタオにいたとき、シスターがまだ75歳を越えてなかったことも、貴女が大学生だったことも、ちゃんと教えてくれた。貴女は丁度、パンデミックが始まったころ中国にいたと推測しには十二分の情報だ。(もっと優しい声で)よく、今まで隠してきたんだね。
ミライ 頑張りました。人に移さないように思いっきり努力しました。人に手を触れる仕事を全てナースたちに任せて。。。診療所に男の患者が来ると年寄りしか受けいれなくて。年寄りは、遠慮しがちですから。私は、暑い天気でも膚を見せる服を着ません。こんな風に短いスカートを着れたのは、アヤメさん、今は貴女以外に患者がいないから、それに貴女もコメス病だからです。
アヤメ お陰で富士本さんの綺麗な足で眼福できたなら、コメス病くらいは些細の代価に思える。
ミライ 馬鹿にしないで下さい。
アヤメ 心にあることを言ったまでだ。凄く綺麗だよ。貴女はちょくちょく森に潜って散歩するでしょう?
ミライ ちょくちょくじゃないけど、たまにはね。別の人から吸収した記憶が、たまらなくなるときに。過去の声から逃げるために、森に行きます。
(間)
アヤメ 理由はどうあれ綺麗なものは綺麗だ。ちょっと、足に触ってもいいか?
ミライ 駄目です!
アヤメ お互い同じ病気だ。移る心配はない。
ミライ 病気が移らなくても記憶が交換されます。それは嫌なんです。
アヤメ どうして?恥ずかしい思い出でもあるの?
ミライ 貴女の記憶をとるのが嫌です。
アヤメ あたしには楽しい思い出が多い。小学校で修学旅行に行ったときの。博物館の恐竜の足元ではしゃいだ日の。帰りに駄々をこねて、アイスをおごってもらった先生の。あたし達は甘えん坊で、先生は甘やかしだった。
ミライ けっこうです。私にも、似たような思い出が充分あります。私にも先生に甘えたことと、博物館で恐竜を見た事があります。
アヤメ (一歩近寄る)いいじゃない、ちょっとだけ。
ミライ だっ、駄目です。
アヤメ 膚に手触りを感じたのは何年ぶりかな?
ミライ やめて下さい。
アヤメ 貴女はずっと我慢してきた。人の温かさを感じない人生を送ってきた。でも今はあたしがいる。あたしの、あたしだけの体には感じていい体温がある。恥ずかしがることないさ。長年の寂しさのあと、いたずらは許されるはずだ。
ミライ やめて下さい!
(間。ミライの息が荒くなっている)
アヤメ すみません、富士本さん。付け上がったみたい。あたしだって寂しいから。
ミライ 私の中には、すでに三人の記憶が宿っています。私自身の記憶を除いて。他人からの記憶のコントロール方を覚えるまで、過去に振り返るとどっちが自分でどっちが別人なのか区別がつけるようになるまで、三年もかかりました。
アヤメ それで?起用にコントロールできるようになったつもりか?
ミライ そうよ。辛くて途中で諦めかけましたけど。振り出しに戻るのはごめんです。
アヤメ 辛い思い出を分けると、貴女は楽になるかも。
ミライ アヤメさんはまだ、この病気の恐ろしさに気づいていません。
アヤメ あたしはともかく。貴女はそれで平気ですか?このままだと、一生恋人が作れないじゃない?
ミライ 私には、恋人が出来た人の記憶が充分です。そういう関係を体験するのをとっくに諦めています。
アヤメ それは。。。ちょっと、悲しいかも。
ミライ 私のことを気にしなくてけっこうです。(間)用事がありますので、失礼します。(歩き始めるが、数秒後に足を止める)そうそう。アヤメさん。貴女が図書室から借りた聖書をどこにも見当たらないのです。あの本をちゃんと元の場所に戻してください。親から預かった大事な形見ですから。
(間)
アヤメ 聖書?聖書って、なに?