7話 朝と魔法石
朝、遮光布が開かれた窓から注がれる温かい太陽の光によって、ルカはゆっくりと目を覚ました。
眠気まなこを擦り部屋を見渡すと見慣れない調度品たちが飛び込んでくる。ぼやけた頭でここは何処だと考え、そうして自分が儀式の最中である事を思い出す。同室であるエルの姿はない。
湯浴みに行ってるのだろうと想像し、自分もそうしようと決めた。思うが早いか、大きく伸びをしてからベッドを下りて歩き出す。
向かう途中、エルと同じ湯浴み場へ行こうかと悩んだもののルカには実行するだけの勇気はなかった。
ルカはエルにそういう意味合いでは避けられている事を分かっていた。嫌われている、などと思ったことは一瞬たりともないけれど。
きっと、自分が男として頼りないからなんだ、とルカは常々思っていた。
生まれつき身体が弱く、よく病床に伏していた。心配した家の者たちが、昔からの習慣にある魔除けとしてルカに女の子の格好をさせていた。
それは今も尚続いている。ルカは寝間着としてレースのあしらわれたワンピースを使用していた。
脱衣場の扉を開けると既に女従者が数名待機していた。恭しく礼をし、ルカの柔肌を傷付けないよう丁寧に服を脱がせる。
ルカの健康に異常がないことを探知・保護魔法で確かめてから、湯浴み場へ入った。
「あね様も湯浴みしてるの?」
「その通りでございます」
「そっか……」
お湯を浴びながらルカは少しだけ頬を緩ませた。エルと同じ事をしている、それだけで今日の朝は素敵な色に塗り替えられた。
従者に優しい手つきで身体を洗われ、その心地良さに身を任せていると。
「失礼致します……、痛みますか?」
従者がルカの右の二の腕……、呪いの紋章が刻まれているところに触れそう尋ねた。
ルカは、いいえ、と首を振りながら答える。
傷一つない真白な肌に呪いの紋章は酷く目立つ。従者は痛ましいとでも言いたげな顔でそれを見つめ、心を込めてルカの身体を洗い流した。
従者のお陰でさっぱりしたルカは、自室へと戻ってきていた。エルがいると思ったが、その予想は外れてしまった。
従者はこの部屋には入れない。もっと言えば、ここの辺りには全く近寄れない。
最低限、王子の身の回りの世話が出来る範囲でしか、出歩く事を許可されていないのだ。
だから、従者にエルの居場所を聞いても湯浴みを終えたことしか分からなかった。
部屋でじっと待っている気分にもならず、ルカはエルを探すべく城を散策することにした。
❁❊❆❅✾
ダンは日課となっている朝の訓練を終え、騎士団へと顔を出していた。
丁度よく待機していた隊員数名が、ダンの元へ集まってくる。
「隊長~~!!」
「おい! 今はゼータ様と呼べと、さっき言ったばかりだろう!」
「あはは、そうでした~。ゼータ様!」
「皆、元気か?」
「ええ、変わりなく」
「はい!!」
ダンは王子という立場では異例の騎士団隊長に上り詰めていた。類まれなる身体操作と、持ち前の溌剌とした性格で隊員たちからの支持も厚い。
二言三言会話を交わし、最後にダンは隊長の顔になり「何があるか分からないから身を引き締めるように」と忠言した。
隊員たちは胸に手を当て返事をすると、待機場所に戻っていった。
しかし副隊長だけはその場に残り、皆が居なくなるや否や声を潜めダンに話しかけた。ダンよりも十歳程上の、強面の男だ。
「ゼータ様、コレを先程見廻りの途中にて拾いました」
そう言って副隊長が差し出したのは紫色の美しい石だった。ダンは石を凝視し、恐る恐る手に取った。
「魔法石じゃないか」
「ええ……。勿論、王子様方以外がこのような物を所持する事は禁じられております故に……」
魔法石には一般的に二つの使われ方がある。一つは魔力の無い者や少ない者が魔法を使う時の助けとして。もう一つは、難度の高い魔法や禁術を扱う時に消費する莫大な魔力の助けとして。
「……」
「出過ぎた真似とは百も承知でございますが、ゼータ様、呉々も御身大切に。誰が何を企てているか、」
「それ以上は」
そう言ってダンが副隊長の言葉を遮った。何処で誰が聞いているか分からない。当然の事ながら、ダンが騎士団隊長である事は周知の事実。
隊員たちは公平に平等に城の守護をしているが、言葉一つを論って「やはりゼータを贔屓している」と思われては困る。
「も、申し訳ございません!」
「いいや、ありがとう。それじゃ、よろしくな!」
大きく笑顔を向け、ダンはその場を後にした。
待機場所から城へと戻り、ダンはある場所へと向かっていた。
手のひらの中にあるこの石の記憶をもう一度見る。
月がその姿を太陽に変え始めた頃、一人の女が城を歩いていた。その手には、魔法石が握られている。
確かな足取りで、騎士の巡回ルートである廊下まで来ると、廊下の隅にそっと魔法石を置いた。
決して落としたのではなく、はっきりと意図を持ってその女はコレを置いたのだ。
ダンの足が止まる。目の前には、魔法石の記憶で見た女が立っていた。女は動揺した素振りもなく挨拶を述べた。
「御機嫌よう、ゼータ様」
「ええ……、御機嫌よう、デルタ様」
ダンの前には、一切感情の読み取ることが出来ない笑顔を携えたエルが立っていた。
「お茶でもしましょう?」
エルはにこやかに、しかし有無を言わさない雰囲気を纏いながら言った。ダンは頷くより他がない。
そもそも、自分よりも上位の王子を敬う事は暗黙の了解だ。その為にも、謎を解く為にも、二重の意味でエルの後を着いていくことしか出来なかった。