6話 思惑
遂に王位決定の儀式が開始された。
王子たちの母や家臣たちの行動は制限され、逆に王子たちは十ヶ条に反さない限り何をするのも自由である。
現在、城にいる者たちは皆王族であり、それ以外の人間はこの儀式の間は立ち入りを禁止されている。その為、騎士団も暇を出されており、言ってしまえば、城の護りは手薄になっている。
過去の話をすれば、儀式中に外部からの攻撃が無かった事は一度もない。
王子たちはそれぞれ割り当てられた様々な部屋の説明を一通り受け終えていた。
サラは、自室に籠り寝る準備をしていた。既に寝巻きに着替えており、遮光布を閉めると部屋は一気に夜の影に侵される。魔法でランタンの中に光を灯しサイドテーブルに置くと、天蓋付きのふかふかなベッドに身を沈めた。
手には小さなビビの入った小瓶が握られていた。落としたわけでもなく、ただ手に持っていただけで、あの重圧が掛かった時にヒビが入ってしまった。
「これも呪い……?」
サラの左手首の内側には呪いの紋章が彫られている。それと小瓶とを一緒に瞳に宿す。
不安そうに見つめてから、腕を伸ばし小瓶をランタンの横へそっと置いた。弱気になっては他の王子たちに喰われるだけだろう。負けたくない。
悪い想像を断ち切るようにぐっと唇をきつく結ぶ。
全ては、輝かしい人生の為に。
サラが瞼を閉じるとランタンの光は消え、部屋は静寂と優しい暗闇が支配した。
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時を同じくして、静かに眠るルカの寝顔を、エルは見つめていた。
エルとルカは同室だった。母の意向である。ルカは非常に喜んだが、エルは手放しに喜ぶことは出来なかった。
「貴女にはルカの子を産んでもらいますから、その様に」
かつて、母がエルに言った言葉である。そう言う母の思惑は明白であり、何故、とは思わなかったが出来れば避けたい事だった。
王家は血を濃いまま遺す為に、近親相姦を繰り返していた。その結果、能力という魔法とは別種の、異質な力を得る事が出来たのだ。
行為は誰が言わずとも推奨されていき母もその考えを推していた。
ルカは幼い頃から従者や母など家の者達に教育され、必然とエルに家族愛以上の愛欲を抱いていた。
それを分かっていながら、ルカを傷付けない範囲で深い接触は避けていた。
「駄目みたいね」
エルは心を決めた。
すやすやと眠るルカを映す瞳は、光を宿さない漆黒に染まっていた。
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各王子に与えられた湯浴み場の一つでは水の降り注がれる音が響いていた。
濡れた長い黒髪はしっとりとラファの身体に纏わり付いていた。全身に浴びていた魔道式のお湯を止めずに、後方にある湯張りされた中へ体を沈めるべく歩いていく。
ラファが湯浴みしていた場所は鏡が割れ、床は砕け凹み、腰を休める為の椅子は原型を留めていなかった。辛うじて稼働しているのは魔道式の湯浴み機のみ。
虚しく響く水音の中、ラファは悲しみや恥ずかしさ、怒りを抑えることが出来ずにいた。
「何故、私が第九位なの!!」
叫び声と共に、床の一点に異常な圧力が掛かり鈍い音を立てて抉れた。
「オ、オメガ様……」
「うるさい!!」
扉の外から従者がラファの気を宥めようと声を掛けるが逆効果である。
ラファの今まではいつだって自分が一番であった。母もそれを認めていたし、家の者達も皆そうあるべきと振る舞っていた。
それはこれからも続いていかなくてはいけない。
ぬるま湯に浸かりながらラファの奥底に暗い感情が溜まっていった。
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「お前の予想など宛にはならんな」
薄暗い部屋に静かな男の声が落ちる。嘲笑われた相手は黙ってその言葉を受け入れていた。
「まあいい。俺が第一位であれば、何も問題ない」
天井からぶら下がった豪奢な照明に、手のひらに収まる程の光の塊が幾つも灯っていた。小さな光は、テイトの顔を仄かに照らしている。
テイトは相手をじっと見つめた。コレの存在は誰にも悟られていない。ルールを司る審判者でさえも欺いている。
「十ヶ条……あれは穴だらけだ。大方、審判者の能力頼みなんだろう。それとも……」
テイトはニヤリと唇の片側だけを上げ笑う。
「わざとか」
相手はさしてテイトの語りに興味が無いらしく、視線を窓の外へと送っていた。
遮光布を開けているが、テイトの魔法によって月光は部屋に注がれていなかった。
窓からは夜空に浮かぶ大きな月と城下、その奥に広がる深い森が一望出来た。
「いい眺めだ。お前にもそういう情緒があるのだな」
少し眺めたあと、もう寝ると言いテイトは相手に背を向けベッドへと歩いていく。
「良い夢を、ダッド」
腹の底に響くがらついた声がテイトに掛けられると、部屋には夜の帳が下りた。
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同じように窓から月を眺める者がいた。淡白く美しい月は彼の髪をより濃艶な夜へと染める。
月を映す瞳は夜空をそのまま閉じ込めた様だった。
タユタは窓際に寄せたサイドテーブルの上に独特な魔法陣を描いた紙を置くと、指で軽く触れながら月の光を魔力に取り込み、呪術を使うべく口を開く。
詩の調べに乗せて呪文を唱えれば、彼の意志に関係なくその先が紡がれた。
「アルフィ 願い叶え 朱に染る
デルィ 闇の中 孤独な舞踏会
ゼッツ 知り過ぎた者は 城に囚われ
ランデ 跡に響く 小鳥の囀り
グース 誰も知らない 彼の逝き先
ルァン 星は砕けた 月に成れない
フェイ 染まる色 果ては闇
カイン 君には誰も 救われず
オーデル 操る糸にも なれないの
踊り狂え 他者を喰らえ
誰も誰にも成れはしない」
唄い終わると、タユタはじっと月を見つめいつもの様に呪術の余韻に浸る。
唄われた言葉はとても美しく、囚われてしまいそうな魅力を持っていた。
タユタの使った呪術は先詠みと呼ばれている、所謂未来予知に近い占いである。
その結果は絶対ではなく、変えようと抗うことも可能だ。
「グース、誰も知らない彼の逝き先」
自身の部分であろう箇所をもう一度呟く。しかし、タユタはそこよりも気になる詩があった。
「誰も……誰にも成れはしない……」
手に力が入り、触れていた紙が小さく音を立てる。
タユタは相変わらず無表情であったが、声色は哀しさを語っていた。
一つ息を吐き、魔法陣の描かれた紙を魔法で燃やす。遮光布を閉めるとタユタの髪と瞳の色は質が変わった。
彼の瞳と髪は月の光によって初めて夜空色に変わる。それが夜の色。
タユタは柔らかいベッドに横になり、静かな夜へと意識を沈めていった。
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「もう寝なさい」
「でも、」
「おやすみ。良い夢をテゾロ」
「……おやすみなさい、良い夢をお兄様」
ジュジュは人形が沢山飾られているベッドに横になりながら、先程のやり取りを思い返していた。
「お兄様が第四位だなんておかしいです!」
後先のことを考えず、つい口から出てしまった言葉。それを聞いた兄の顔を思い出すと、軽率な自分に苛立ちが募る。
その後、失言のフォローをしたかったが許されず、イーシェはすぐに表情を元に戻し優しい笑みを浮かべると、上記の会話に至った。
言うべきではなかったのだ、と後悔の念に胸を支配され右手を口に押し当てる。そんなこと、兄が一番痛感しているはずなのに。
けれど、お兄様は第四位で収まるわけがないという気持ちは全く消える気配がない。
第三位になった男はもちろん気に食わないが、第二位のあの女。あれの存在は、兄の事がなくとも到底認めたくなかった。
魔導師が発狂しても動揺せず、刺されても尚冷静に言葉をかける勇気ある凛とした姿。
第二位に選ばれても表情一つ変えない気丈さ。
もしも男であったら、第一位になっていたのはあの女かもしれない。
そんな有りもしないことを真面目に考えてしまう程に、ジュジュはエルに魅入られていた。
そうして、それをも凌ぐ第一位の男。何が起きても心乱れず、全てを見下し笑っていた。
テイトの表情を思い出し、ゾクリと背中が寒くなる。ジュジュは布団の中で小さく身体を震わせた。
アルファとデルタは別格。たった数時間で脳裏に焼き付いてしまった。勿論、ジュジュの中で兄のイーシェが一番であることには変わりないのだが。
……自分はどうなったって構わない。
今一度、自分の決意を振り返る。
「お兄様が幸せになってくれれば……」
お気に入りの人形をギュッと胸に抱き締め、ジュジュはゆっくりと眠りの世界へ入っていった。
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皆が寝静まった頃、未だに起きている者がいた。
眉間に皺を寄せ、部屋の壁に手を付いている、ダンだ。よく見れば彼の額には汗が滲んでいる。呼吸も荒く、苦しそうだった。
「アルファを殺す、ラムダを拐かし、審判者の目を誤魔化して…………」
その先は言葉に出来ないのか、小さく呻くと壁から手を離し肩を預けながらズルズルとその場に座り込んだ。頭の中では血みどろの様子が永遠と繰り返されている。
ダンの能力は手に触れた物の記憶を垣間見るもの。
自分の感情では無い憎悪が腹に燻り、それが吐き気となって襲ってきていた。そういう物だと頭で分かっていたが、身体が追いつかない。
今見た記憶の中の王子は先程の言葉を実行する最中、別の王子によって腹を割かれ内臓をぶちまけ逝った。
額を手で覆い深く呼吸をする。嫌な物を見るのは初めてではない。この程度でショックを受けていてはこの先が思いやられるぞ、と自分を叱咤した。
「……絶対、見つけ出す」
この儀式には不可解な点がある。城の記憶を少しずつ盗み見ていたダンはそう感じていた。
今の記憶からも分かる通り、十ヶ条の、「例え自身より下位の者でも攻撃してはならない」に「反した場合相応の罰を与える」は、何かしらの抜け穴があるのだろう。
中立者が詠み上げている時も、回りくどいとダンは思った。王子たち同士で命の取り合いを禁ずる、訳では無いと言うことなのだ。
こんな事に屈してなるものか。
呼吸が整うと、立ち上がってベッドへと足を運ぶ。
こうして、想いが叶いますようにと誰もが願い、夜は更けていった。