神子として異世界召喚されたら龍神の嫁として拐われた話
「神子様!どうぞ我が国をお救いください!」
マンションの扉を開いたらそこは異世界だった。
金糸銀糸の豪華な刺繍が施された中華風の衣装に身を包んだ男たちに跪かれ、懇願されて、何が起こったのかパニックになった天野五十鈴は思わず後ろを振り返り、左右を確認し、ここが見知ったエントランスではないことをようやく理解した。
仕事が終わり、コンビニでビールとお弁当を買ってようやくたどり着いた我が家……ではなく異世界。
――異世界なのに言葉がわかるのね。
どういう原理になっているのか?彼らは日本語を喋っているわけではないのに、五十鈴の耳にはその言葉が意味あるものとして聞こえてきた。
これが夢ではなく現実であることも今朝からずっと続いている靴擦れの痛みで感じ取れた。
――足痛い…早く座りたい。
自分は何のためにここに呼ばれたのか?何をすべきか?そして家に帰ることができるのか?まずは確認すべきことを頭の中で整理する。五十鈴は決心して口を開いた。
「足が痛いのでまずは座らせてください。それと人にものを頼むならまず名乗るのが礼儀でしょう?」
「ははぁーッ!」
五十鈴の強い口調に男たちはさらに平身低頭することになった。
「で、要するに雨乞いを私にして欲しいということね?」
別室に通され座り心地の良い椅子が用意され、お茶も用意された。ジャスミン茶のような芳しい香りのそれは飲むと疲れた身体に染み渡った。
男たちはいずれもこの国の王や神官、高官など最上位に位置する者たちだったが、神子として召喚された五十鈴に対して今のところは非常に謙虚な姿勢で接していた。今も全員が五十鈴の前に膝まづいている。
――雨乞いね。
五十鈴は自分が召喚された理由に一つ心当たりがあった。五十鈴は祖母から小さな頃に一つのお呪いを教えてもらっており、今も密かによく使用している。
それは西の空の龍神様に向かって指の印を結び、天気についてお願いするものだった。
ただのお呪いであったがなぜかよく効く気がしたので、今に至るまで使用し続けていた。
例えば、「明日の朝までに雨が止みますように」とか、「雨が降るのは六時以降にしてください」とかそういった些細なお願いだったが、面白いように願いが叶い、周囲からも晴れ女と目されていた。実際は曇りが多かったので、自分では「曇り女」と自称していたが。
――とりあえずあれをやれば良いのよね。
「わかりました。雨が降るかわかりませんが、降っても降らなくても元いた世界に戻してくれるなら雨乞いをしても良いですよ」
「おおっ!ありがとうございます!必ず元いた世界にお返しいたしますので何卒何卒よろしくお願い申し上げます!」
西側に面したバルコニーに案内してもらい右手で印を結ぶ。
――龍神様、どうかこの国に雨を降らせてください。
たちまち空を暗雲が覆い、雨が降り始めた。
「おおっ!恵みが!奇跡だ!神子様!」
その場にいる者全員が歓喜に湧きたち、五十鈴も上手くいってほっとしたのも束の間、西の空から何か大きく白い物が近づいてくるのが見え、歓喜は驚愕の声に変わった。
「龍神様が降臨された!」
「なんと白龍様が!」
「こちらに近づいてくるぞ!」
慌てふためく男たちの声も虚しく、龍神はあっという間にバルコニーにたどり着いた。そして五十鈴の身体を掴むとその身を翻した。
「ええええええーーー!!!???」
五十鈴の叫びはあっという間に雲の中に消えていった。
「神子様が!」
「神子様が拐われたぞ!」
「なんてことだ……」
残された者たちはなすすべもなく、ただ天を見つめることしかできなかった。
五十鈴が気がつくとそこは朱に塗られた豪奢な天蓋付きの寝台だった。着ていたはずのスーツからいつの間にか肌触りの良い絹の長衣と下衣に着替えさせられており、思わず自分の荷物を探して部屋を見渡した。
――私の財布と携帯、どこ?
部屋の床には黒曜石が敷き詰められていたが裸足の足にも冷たく感じられず、一日苛まれていた靴擦れの痕も痛みはしなかった。
「お目覚めですね。水菓子をお持ちいたしました。喉が渇いていらっしゃいませんか?どうぞこちらで潤してくださいませ」
振り返ると、黒髪の楊貴妃のような恰好をした女性が果実を乗せた盆を持って扉の前に立っていた。
「私は奥様付きの女官のシュンリンと申します。どうか何なりとお申し付けくださいませ」
「……あの、ここはどこですか?私の服と荷物は?」
「こちらは龍王様が仙境に建てられた龍宮、杏華苑でございます。お荷物とお着物はそちらの箪笥の中に置いてございます。……落ち着かれましたら、お隣に湯あみのご用意もございますので、お声がけくださいませ」
シュンリンは盆をテーブルに乗せると一礼して出て行った。人形のように整った顔は終始微笑みを湛え、人ではないような錯覚を覚えさせられる。いや、実際「人」ではないのだろう。
喉の渇きを覚えていた五十鈴は果実を一欠片口にした。皮が綺麗に剥かれた桃の実のようなそれは甘く、それでいてその果汁は水の様に喉の渇きを潤した。ふっと身体が軽くなった気がした。
落ち着いて部屋を見渡せば、窓の向こうに緑の木々が柔らかな光の中で揺れているのが見えた。朝なのか昼なのか判断はつかない。ノロノロと箪笥に向かい、中から鞄を取り出した。ビールと弁当はあの場所に置いてきてしまったがずっと肩掛けタイプの鞄を離さずにいたのは正解だったと息をつく。携帯電話も財布も無事だったが、電波は圏外だ。時間はマンションのエントランスに帰り着いてから二十時間近く立っていた。
――完全に遅刻だわ。
遅刻以前の問題なのだが、五十鈴は今日の仕事で何か特に影響はないか考えた。幸い閑散期のため急ぎの仕事はない。
――龍王様って、まさか本当に私の願いを聞いてくれていたってことなのかしら?
自分を拐った白い龍の姿を思い出す。今までお呪いをした時に龍神の姿を見たことも声を聞いたこともなかったが、実は本当に自分の願いを聞き届けてくれていたのだろか。それにしてもあれは強引過ぎだ。
そんなことを考えていると扉の向こうからシュンリンの声が聞こえてきた。
「奥様、ご体調がよろしければ龍王様がお話ししたいとのことです。御身を整えさせていただきたいのですが、入室してもよろしいですか?」
「はい!?」
思わず声を上げたが、シュンリンはそれを了と取ったようで、静かに入室して来た。後ろには数人のよく似た女官たちが付き従っている。
「ではこちらへ」
「えっあの、あれ?」
隣にある湯殿に連れて行かれ、あっという間に衣をはぎ取られ素っ裸で全身エステを受けることになった。羞恥心で気絶しそうになりながら複数の手による蹂躙に成すがままになること数十分、気が付けば五十鈴は更に煌びやかな長衣と下衣に身を包み、髪の先から爪先迄美しく飾り立てられていた。
そのまま庭の四阿に連れて行かれる。四阿は大きな池の真ん中にあり小舟に乗せられた。
そよ風が頬を撫で、髪を揺らす、小舟が四阿に近づくにつれてそこに佇んでいる長身の男の後ろ姿がくっきりと見えた。
――あれが龍王?人間に見えるけど。
小舟が岸に着き、シュンリンに支えられ降りた五十鈴に男が駆け寄ってきた。
「五十鈴!やっと其方に相まみえることができた!」
「わあ!何すんのよ!」
男が抱きついてこようとしたので、五十鈴は必死に手を突き出してそれを防ぐ。
「龍王様、奥様にまずお話をなさるおつもりだったのでは?」
格闘している龍王と五十鈴を諫めるようにシュンリンが静かに声を発した。
「……うむ。そうだったな。五十鈴まずはこちらへおいで」
四阿のベンチに座らされ、龍王が横に座る。その手はずっと五十鈴の肩を抱いている。
「あの、近いです。ちょっと離れてください」
龍王は顔を顰めたが、渋々と手を離しほんの少し距離を開けた。
「我は西海龍王ユルンである。其方が子供の頃からずっと見守って来た。どうか我の花嫁としてずっと傍にいておくれ」
「花嫁!?なんでただの人間の私が龍王様の花嫁になるんですか?」
五十鈴は「いやないだろう!?」と反語的な意味を込めて言い返した。
「其方は、子供の時から長年我に祈りを捧げて来たであろう。あの世界では我に祈りを捧げる者はいても、皆、成功や立身出世ばかり願い、純真に天候への祈りを捧げる者など其方ぐらいであった。私はいつしか其方の願いを聞き届けることが楽しみになり、其方が成長してからは其方を花嫁にと考えるようになったのだ」
龍王は続けた。
「其方、会社の同僚と良い感じであっただろう?あのままあの世界に置いていては其方を取られるので、其方をこちらの世界に連れてこようと思って、人間どもに召喚させたのだ。あちらでは我は其方に触れることはおろか、顕現することも言葉をかけることも不可能であったしな。その点、こちらの世界でなら何も問題ない」
そう言って、ユルンは五十鈴の頬を撫でた。
――はあ?じゃあ、あの召喚もこいつの所為だってこと?
「あの、つまりこういうことですか?貴方が私に会いたいために、あの国の方たちに私を召喚させたと」
「うむ。我自身はどの世界にでも自由に行けるが、人ひとりを異なる世界に移動させることはできぬからな。その点、あの国の者たちは召喚術に長けておる」
「……突然召喚されて大変迷惑なんですけど」
「しかし五十鈴は明日同僚の男と食事の約束があったであろう。今までの男達は上手く邪魔できたが、今回は難しかったのでな。強硬手段に出ることにしたのだ。まあ、あの国の者たちに五十鈴を召喚させるために数か月前から日照りを続かせておったし、こちらとしては丁度良い時期だったのだ」
五十鈴は驚くべき言葉を耳にして瞠目した。「今までの男たちは上手く邪魔できた」?五十鈴の脳裏に過去の男性関係で悉く悪天候のためにコンパやデートが流れたことが蘇った。
――あの台風も、大雪も、突風も全部こいつのせいだったの!?
中学校から大学まで女子校だったので特に男性と親密に付き合ったことがなかったが、それでも何度か機会はあった。しかし、二人きりで会おうとすると、なぜか悪天候に見舞われ結局それ以上親睦を深めることができなかった。最近になって会社の同僚と仲良くなり、週末に食事に行く約束をしていた。仕事が終わった後にそのまま近くの店に行く予定で、地下道を通るので確かに天候は関係ない。
五十鈴は怒りが沸々と湧き上がるのを感じた。龍神だからといってやって良いことと悪いことがあるだろう。
「……じゃあ、貴方が私の恋路を長年邪魔して来たというのね」
「恋路ではなく、悪い虫が付かぬようにしてきただけだ。五十鈴は我のものだからな」
「私は誰のものにもなった覚えはないわ!……今すぐ私を元の世界に返しなさいよ!このストーカー!」
「ストーカー……。いや、五十鈴、突然連れてきて悪かったが、もう元の世界に帰ることは適わん。我と幸せになろうぞ」
五十鈴の剣幕に一瞬怯んだユルンだったが、すぐに立ち直り、宥める様に五十鈴の身体を抱きしめようとしてきた。が、五十鈴はスルリと立ち上がり、その腕に捕まる前に素早くテーブルの向こうに逃げた。
「五十鈴!」
「こっちに来ないで。帰れないってどういうこと?あの国の人たちは必ず返してくれると言ったわ」
テーブルを挟んで対峙する二人。ユルンが右に向かえば、五十鈴は反対側に逃げる
「五十鈴は先ほど非時香菓を食したであろう。仙人と化したので仙境以外で生きることは適わん。あちらの世界に戻っても、誰も其方を認識することはできん」
「なんですって!!!」
あの果実にそんな効能があったなんて……。後悔しても遅いが涙が溢れてくる。もう二度と両親にも友人にも会えないなんて酷すぎる。五十鈴は声を上げて泣き出した。
「泣くな。五十鈴、其方には我が付いておる。この宮も其方に何不自由ないよう建てたものだ」
ユルンはオロオロと慰めようとしたが、五十鈴が泣き止むことはなく、逆に罵倒が返って来た。
「馬鹿ユルン!そんなこと頼んでないのに、なんで勝手なことばかりするのよ!馬鹿!大馬鹿!絶対に許さないんだからね!」
五十鈴の罵倒は彼女が泣き疲れて気を失うまで続けられた。
「奥様、龍王様よりお花が届いております。また今宵月園宮にて遊宴へのお誘いがございますが、いかがなさいますか」
シュンリンがいつものように微笑みを絶やさず声をかけて来た。ここに来てから数か月たつが、あの日以来ユルンと会っていない。最初は食事のボイコットも試みたが、仙人と化した五十鈴の身体には最早食事は必要なく、なんの意味もないことにすぐ気が付き、今では楽しみとして美味しい食事を嗜んでいた。
――いくら食べても太らないことだけは良かったわね。肌の調子も史上最高に良いし。
仙境での暮らしはすこぶる快適で、暇なこと以外に特に問題はなかった。元々何もせずにボーっとするのが好きな五十鈴は、日がな一日庭の木々を眺め過ごすこともそれほど苦痛ではなかった。
あの四阿からいつもユルンがこちらを伺ってることだけが気に障ったが、それ以上近づいてくることはなかったので放置していた。何しろユルンはあの日から毎日目通りを願ったが一度も許可をしていない。そろそろ許してやるべきかとも思ったが、今更切っ掛けを掴むこともできなかった。
「……月園宮ってどんな所?」
以前にも誘われたことがあったが結局一度も行ったことはなかった。シュンリンは五十鈴の変化に嬉しそうに答えた。
「月にありますそれはそれは美しい宮でございます。星の海に浮かぶ青い地球をご覧いただけます」
青い地球が見えるというその非日常に興味が湧く。そこでなら少しは素直にユルンに向き合えるだろうか?
五十鈴はここに来てから過去自分が願ってきたことを思い返した。あの運動会も遠足も旅行もキャンプもユルンのお陰で流れずに済んだのだろうかと。
数々の楽しい思い出にはいつもあのお呪いが共にあった。
ーー一度くらいお礼を言った方が良いわよね。
「お誘いお受けしますと伝えてください」
五十鈴は毅然としてシュンリンにそう言った。
月園宮は想像を超えた美しい世界だった。
鏡のような月面には星々が映り込み、さながらウユニ塩湖のようだ。
空に浮かぶ青い宝石のような惑星がここが地上でないことを思い出させる。
「綺麗……」
ベニスのゴンドラのように細く美しい小舟にユルンと二人切り。気まずいのか、ここに来るまでは何かと五十鈴に声をかけていたユルンも小舟に乗ってからはずっと押し黙っていた。
「五十鈴……、今宵は共にいることを許してくれて心から感謝する」
やっと口を開いたユルンの神妙な顔に五十鈴は胸がキュッとするのを感じた。
白髪のこの青年は五十鈴が今まで会った誰よりも美しい。それは表面だけではなくその心根からくるものだと分かっていた。
そしてそれに気がついてからはその声を聞くだけでツキリと痛みを感じる。自分はこの青年をどれだけ傷つけてしまったのか?この人は悪意ではなく善意で自分の願いを聞き入れ、見守ってくれてきたのだろうに、自分はその恩を仇で返してしまったのではないだろうか。
「ユルン、今まで酷い態度でごめんなさい。そしてずっと私の願いを聞き入れてくださってありがとうございました。貴方のお陰で沢山の楽しい思い出が出来たこと、心から感謝しています」
「五十鈴!では我の花嫁になってくれるか!」
「……それとこれとは別よ!初めて会った人と結婚なんて考えられないわ。それに私をそっちの都合でこっちの世界に連れて来たことまだ許してないわ!」
拗ねたようにそう言ってソッポを向くとユルンがワタワタと焦り始めた。
「そんな!我は其方の最初の願いからずっと其方を見守り、其方の願いを叶えることを生き甲斐としてきたのだ。そんなことを言わずに、どうか我の気持ちを汲んでおくれ。必ず幸せにしてみせようぞ」
「……でもでも、ユルンのせいで私はもう家族とも友達とも会えなくなったのよ。酷いわ。きっと皆心配してるわ」
五十鈴はそう言ってシクシクと泣き出した。
「では、会いに行こうぞ!あちらから其方の姿は見えぬが、あちらの姿を見ることはできる。其方が無事であることは文で報せればよい」
「そんなことできるの?」
「ああ!ではすぐに参ろう。しっかり我に掴まりなさい」
そう言ってユルンは五十鈴を抱き上げそのまま呼び出した白麒麟に騎乗した。
白麒麟は天を駆け、瞬く間に五十鈴の世界に二人を連れて行った。
五十鈴の元いた世界ではマンショのエントランスに入った瞬間、忽然と消え去った五十鈴の映像が大々的に報じられ、現代の神隠しとして話題になっていた。
「五十鈴……」
両親は、居なくなった娘を思い、打ちひしがれていたが、ある日テーブルに見たこともないような美しい紙があり、そこに娘の字でメッセージがあることに気がついた。
『お父さん、お母さん、突然消えてごめんなさい。龍神様の花嫁になったのでそちらに帰れません。でも二人のことはいつも見守っています。今まで育ててくれてありがとうございました。龍神様はイケメンで優しいので私は幸せにやってますので、心配しないで下さいね。五十鈴より』
了