妹は天使
姉妹のうち一人が周りから愛されてもう一人の好きな人あるいは婚約者も夢中にさせ、もう一人は貶められるみたいな話が好きなんですが、シリアスかつ鬱な話が多いのでコメディー寄りにしてみました。
序
妹は天使だ。
勿論妹は人間であり、真白い羽が生えている天の使いというわけではない。比喩である。
つややかなストロベリーブロンド、陶器のようなつるつるの白い肌、大きなサファイア色の瞳にちいさなさくらんぼ色の唇。神の使いというのもあながち間違いではなさそうなほどに、計算され尽くした最適な位置にそれぞれのパーツがある。
その美貌は姉の私にはないものだ。一応、「まあ可愛らしいわね」と褒められることもある。が、その言葉は引きつった笑顔で痞えながら吐き出されるものだ。自然と感嘆のため息が溢れてしまう妹の容姿とは比べるべくもない。
これでも我が家はそれなりの爵位を持った貴族であり、であるからには領地を有している。然程大きいものではないが、騎士団という名の私兵を持てるくらいには裕福で恵まれている。執務と生活を熟せるくらいの大きさの屋敷もあり、家臣団やら使用人やらといった存在も身近であった。
つまるところ、お嬢様たる私と妹には専属の侍女や騎士がつけられるのが当然なのだった。
しかし、私には専属の侍女も騎士もいない。代わりに、妹にはたくさん付き従っている。特に若い騎士が妹の側に侍っていることが多い。騎士達は妹を事あるごとに褒め、持ち上げ、恭しく扱う。
お嬢様としては尋常な対応であるが、もう一人のお嬢様である私にはそのような対応はない。怯えるようにひたすら下手に接される。
妹は彼らによく愛されている。それはいうまでもない事実であった。
ときどき、妹は私とは全く違う生き物なのだと思うことがある。私にはできないことをする自由があり、皆に愛され、大切にされている。
妹より容姿が数段劣る私を蔑む人もいた。筆頭は両親――いや、あるいは、彼らは蔑んだわけではなく私など眼中になかっただけなのかもしれない。彼らは昔から妹を愛するのに忙しかった。常に私は後回しで忘れ去られる存在だった。誕生日なんて私ですら忘れそうなほどに何もなかった。
それでも私は妹を恨むことなどできなかった。当時、ちいさな妹はまだ四つを数えたばかり。私の後をちいさな足でよたよたと追いかけるのが好きで、片手にお気に入りのぬいぐるみを持って雛鳥のようについてきた。そんな妹が可愛くないわけないのだ。
私もまた、妹に魅了されたものの一人であった。
それでも幼い妹と比べられ、蔑まれ貶められ忘れられる日々が辛くなかったかといえば嘘になる。けれど、そんなものはもうどうでもいい。
その日々は、忘れもしないあの春の日に終わったのだから。
破
ふぅと無意識に息を吐き、それから慌てて周りに誰もいないことを確かめる。淑女として溜息をつくなどしてはいけないことである。私はなおさら、しゃんとしていなければならないのだから。
姿見に写る、制服を身につけた自分は冷たい眼差しでこちらを見つめていた。プリーツスカートやリボンタイが乱れていないことを確認しつつ、その目を見返した。
鞄を持ち、部屋から出ると妹がいた。
ここは貴族が教育を受ける学園――その学生寮である。私と二つしか離れていない妹がここにいるのは当たり前であり、彼女が入学してから一ヶ月も経つ今となっては既に妹がいることには慣れていた。妹の周囲に広がるのはある種の異様な光景ではあるが、人間慣れるものである。
「ミシア、おは……」
「「「おはようございます姉御ッ!!」」」
大合唱であった。妹の後ろに跪いた女生徒達が一斉に叫んだのだ。腕を組む妹は心なしか不機嫌そうにサファイアの瞳を光らせていて。
あ、これやばいなと悟った時には遅かった。
「テメェら姉御の挨拶遮ってんじゃねェ! ぶちのめされてェのか!」
可愛らしいながらドスの効いた声が廊下に響く。誠に残念ながら、天使のような我が妹の台詞である。
「すんませんボス!」
妹のすぐ後ろにいた女生徒が素早く謝った。続けて他の女生徒達も口々に謝罪している。大合唱の次は輪唱か。
「アァ!? オレに謝ったって意味ねェだろうが!」
「「「すんません姉御ォ!」」」
大声の連続にそろそろ頭がクラクラしてきた。もう少し音量を下げて欲しいが、彼女らは声の大きさで誠意を表す慣習を持つらしく、注意すれば小さくなるがすぐに元の音量に戻る。
心なしか頭痛を訴える脳を休ませるようにそっと言う。
「ミシア、遅刻してしまうわ」
「ハイ姉御!!!」
妹は従順に天使のような笑顔で頷く。何も喋らなければ最高に可愛い私の妹は、今日もヤンキーであった。
そもそも、妹は四歳くらいまではほとんど喋らない、静かな子だった。
勿論舎弟(?)とかいうグループを作って同い年のご令嬢たちをヤンキーにしようなんてこともなく、騎士たちに喧嘩を売って勝ち、同じく舎弟にしたりなんてしなかった。
今でもあの日のことは鮮明に思い出せる。
そう、あの春の日、妹が小首を傾げていった言葉を。
その日、私は家庭教師について勉学に励んでいた。妹はまだ早いということで、両親とお茶を飲んだりしていたらしい。
今日の授業が終わり、息抜きに庭に出た私をたまたま妹の部屋から出てきた両親が見咎めたのだ。「ミシアはあんなに可愛らしく、礼儀正しく、聡明だというのにお前は」と。
今にして思えば、六歳の子供と四歳の子供を比べるなど意味もないことであるが、その時はひどく自分が劣っていてどうしようもない人間なのだと認識していた。物心がついた時から妹と比べられて蔑まれていれば、当然の思考だろう。
私は何も言い返せず、俯いて「申し訳ございません」と呟くしかなかった。だが彼女は違ったのである。
そう、俯く私と蔑む両親の間に割って入ったのは、妹であった。
彼女は私を庇うように両親に向き合い、息を吸い込んだ。いつもは眠たげに閉じかけの瞳がかっと見開かれる。
「姉御に何いってんだクソアマとハゲジジイ」
今の妹よりも甲高い子供の声でも、末恐ろしいヤンキーの脅しである。だが妹の容姿と言葉のギャップに思考が停止した両親は怯えるよりクエスチョンマークをいっぱい浮かべていた。同じく思考停止した私であったが、その時抱いた感想は「姉御より姉様って可愛く呼んで欲しいな」というものである。姉バカここに極まれり。
「姉御は世界一美しくて可愛くて優しくて頭が良い素晴らしい人なんだかんな」
妹に褒められるのは嬉しいが、「姉御馬鹿にするとぶち殺すぞ」という物騒な副音声が聞こえてしまった私はそれどころではなかった。
そして両親は状況は理解できていなくても、言葉を表面上理解していた。条件反射で返答を紡ぐ。
「み、ミシアの方が可愛いさ」
「そ、そうまるで天使のようで……」
「オレが天使なら姉御は女神だ」
私は神ではない。が、妹は天使であることには同意したい。
しかし、妹自身はどうやら私を自分より上に置きたいらしく譲らない。妹としての分を弁えていると言いたいのだろうか。そんなこと気にせずとも良いのだが。
結局、その後妹はよくわからないがヤンキーとして覚醒し、騎士を従わせたり私を姉御として彼らに敬うよう指導したりと好き放題やり始めた。年上の彼らに低い声で姉御と呼ばれるのは何とも奇妙な気持ちになるのでやめて欲しい。
しかし妹を叱りつつも、最後の最後は妹の好きなようにしてしまう私も私である。
急
ふと窓に目を向けると、眼下にある男の姿があった。淡い金髪を風に靡かせ、紫紺の瞳を細める彼はこの国の第一王子殿下である。確か、誰に対しても冷淡かつ無感情に接するためつけられたあだ名は氷の王子なのだとか。その名の示す通り、中庭に一人佇む彼は無表情だった。それでも麗しいそのかんばせは魅力を損なうことはなく、寧ろ増している。美人は得だなと妹は勿論、彼に対しても思う。
私は胸にあるもやもやとした感情に内心首を傾げた。何故だろう、彼を見ていると何か……。
私が顎に手を当て考え込んでいると、いつの間にか殿下は去って行ったようだ。人影など影も形もない中庭に、もやもやとした感情を置いて私もそこから去った。
*
騒がしい、と思いながらその場に近寄ったのは、好奇心のためではなく妹が起こした騒ぎかもしれないと懸念したからだった。
人混みをすり抜けて、妹のストロベリーブロンドを探すが見当たらない。彼女ではないのだろうか……この音量の具合はてっきりあの舎弟たちだと思ったのだが。
最前列のあたりまで来たからか、叫びがはっきりと聞こえた。
「テメェ、兄貴のこと馬鹿にしたな!?」
ああ、これはうちの妹ではないなと私は悟った。妹が怒るのは私――姉御のことに関してのみである。兄貴という誰かのことは聞いたこともない。そんな私と同列に置くくらいの大切な人がいたら妹は必ず私に紹介すると確信する程度には、妹からの愛情を疑っていない。
それに、この叫びは男がしているようだ。何故か妹はこの学園では女のみを舎弟とし、男には手をつけなかったのだが……。
なるほど、他にも妹の同類がいたのか。
騒めく観衆のひそひそ話から何となく状況は掴めた。どうやら、妹の同類はこの国の第二王子殿下であるらしい。……この国はもうダメかもしれないな……。
そして、第二王子殿下が兄貴と言うならば該当人物は一人だけだ。この間中庭で見かけた、第一王子殿下その人である。馬鹿にしたというのは、実は第一王子殿下は平民の血が入った庶子であることから侮られ蔑まれることがあるようだ。兄を大切に思っている第二王子殿下は、舎弟を率いて兄を馬鹿にした者を恫喝する活動をしているとのことである。一見兄弟愛を窺わせる経緯であるが、結果としてはただのヤンキー行為であった。
「オラ兄貴に謝れェ!」
言葉遣いも妹に似ている。第二王子殿下の目線を追うと、第一王子殿下がひっそりと彼らを見守っていた。氷の王子は無表情なまま、紫紺の瞳で絡まれるものを見据えるだけである。
何故か、また、もやもやする。その瞳の中の感情を知りたいと思ってしまう。
「兄貴はなァ、俺なんかより数億倍もすごい人なんだよ! つまり神だ!!!」
――『姉御は女神だ!!!』
ああ、そうか。氷の王子の瞳を、私はよく見ている。そう、あれは、鏡の中の私の瞳だ。
妹にひたすら賞賛されて目が死んだ私と同じだった。
……褒められるのは嬉しい。だが、何やらよくわからないうちに神として崇められたり、名前も知らない人や年上の人に姉御と力強く呼ばれるのは遠慮したい。そんな相反した気持ちは私の目のハイライトを殺すのである。
このもやもやは、同志を見つけたという歓喜だ。彼は、私と同じ。だってほら、なんだかんだ弟を止める彼の顔には弟への愛情が見えるのだから。たとえその目に光がなく表情筋が死んでいても。
話しかけたい、と思った。この想いを。
語り合いたい、と思った。この喜びを。
だが、私は一介の貴族令嬢。王族に軽々しく話しかけられる地位にはない。どうしようと思っていると――弟を宥めていた彼がこちらを向いた。
まさか私の視線に気づいて、と驚く私をよそに、背後から勢い良く声がした。
「神は姉御だァ!!!」
「姉御万歳!」
「姉御は女神!」
「姉御のおかげで世界は回る!」
新手の宗教だろうか。
重なる賞賛の合唱に一体どんな恐ろしい有様なのかと振り向けず俯く私に、抱きついてくる妹。何故か第二王子殿下を威嚇している。「テメェどこ中だァ!」と言っているが、中って何だ。
彼が私を見ている。弟の頭を撫でくりまわしていた手を止め、満面の笑みの妹に抱きつかれる私を見ている。その瞳は、すでに死んでいない。少しの戸惑いと、そして期待と歓喜の光を宿していた。
姉御姉御とはしゃぐ妹の髪を優しく指で梳きながら、私も彼を見つめ返した。
その時の私たちは、目だけでお互いの気持ちを何となく理解した……今思い返しても、以心伝心すぎるが。
「私は……エリシア、この子はミシアと言いますの」
「知っているかもしれないがわたしはティード、弟はルードだ」
自然と私たちは自己紹介を交わしていた。お互いにくっついてくる弟妹を撫でながら。私と彼は通じ合っていた。想いも全て共有された心地よい空間であった。氷の王子らしからぬ彼の穏やかな笑みに周囲が動揺していた気もするがどうでも良い。ついでに普段表情筋が仕事を放棄している私の方も久しぶりに表情筋が動いたことで妹が驚いていたが、とりあえず置いておく。
「君にはわたししかいないように……わたしには君しかいない」
頷く。妹が第二王子殿下と睨み合いながら器用に私に向け不機嫌そうな顔をしていたが、妹はあくまでも私の妹であって、同志にはなれない。正直他にも妹の同類がいることは私にとって青天の霹靂であったため、これから先新たな同志に出会うかなどわからない。おそらく出会わない確率が高い。だからこそ彼はここで出会えた同志を逃してなるものかという気持ちでいっぱいなのだろう。私もである。
「私たち、とても仲良くなれると思いますわ」
私と彼は歩み寄り握手を交わした。引きずられた弟妹が拗ねていなければ、その場で抱擁していたかも知らない。それほどに、私と彼は言いようもない幸福感に包まれていた。
三日後、実家から書簡が届き、彼との婚約が結ばれたらしいことを知った。
何故だ。
登場人物
*エリシア(主人公、姉御)
どがつくほどのシスコン。妹が可愛い。が、姉御として舎弟たちに崇めさせるのはやめて欲しい。妹の予想もつかない行動に驚くのに疲れ、表情筋がストライキした。妹よりは劣るが充分美人なので、(妹があれな性格だし)密かに人気がある。
ティード(第一王子)のことは同志と思っていて、自然と表情筋も動くため(ティードも同じく)、周囲からは「無表情が常の二人が微笑み合うなんて政略結婚ではなく恋愛結婚じゃね?」と思われている。
*ミシア(妹)
ヤンキーかつ天使な妹。覚醒と言っているが、前世の記憶が蘇ったとかそういうことはない。が、まあたぶんうっすらと無意識下には前世のあれこれがあるのかもしれない。
姉が大好きなどシスコン。相思相愛だね!!!!
ヤンキーにならなかったら、よくあるシリアスダークで鬱な姉妹話になっていたかもしれない。だがこの場合、姉の婚約者はミシアのことを弟の同類としか思っておらず、またミシア自身も姉についた悪い虫と彼を捉えているため、恋愛対象にはお互い全くならない。
*ティード(第一王子殿下、氷の王子)
どがつくほどのブラコン。弟が可愛い。が、同年代どころか兄の同級生だとか城の官吏達をも舎弟にして、兄貴は神と崇めさせるのはやめて欲しい。最近自分の乳兄弟も感染しそうで悲しい。
無感情と称されるのは、あまり負の感情を出すと弟が暴走して原因を殴りに行ってしまうから。心配されるのは嬉しいが、無差別に喧嘩を売りに行くのはやめて欲しい。かつて弟に対して劣等感を持っていたが、弟のヤンキー覚醒後はなくなった。
まさかの同志を見つけ、思わず微笑んでしまうほど嬉しい。弟の可愛さや弟のヤンキー行為や弟の暴走について語りたい。
婚約を手配したのはこの人。婚約者が弟のお眼鏡にかなわないと弟が暴走しそうだったが、エリシアならばうまくあしらってくれそうだし、ミシアが迎撃してくれそうだから。
*ルード(第二王子殿下、弟)
兄を神と崇めるレベルのブラコン。お兄ちゃん大好き。
ヤンキーに覚醒したのは兄が庶子だからと家庭教師たちに暴力を受けている場面を見たから。兄とあまり会えなかったのは兄が離宮に幽閉されていたからだと知り、色々と暴走して結果官吏たちを舎弟にする。自分の母(正室)が兄の母(側室)に対しての酷い行いや兄に対しての虐待の事実を知り、憤慨しまた暴走した過去も。
そのような経緯があり、兄への悪意に敏感。常に威嚇状態。
いつか兄に王になってもらい、自分は兄の側近として働くのを夢見ている。だが兄は弟に王になって欲しいので、そこだけは兄弟喧嘩になる。
エリシアのことを調べたら、文句のつけようのないほど理想的な女性だったのでぶすくれている。ミシアとは喧嘩友達になった。弟妹がじゃれるのを兄姉がニコニコしながら見ているので、まあいいかと思っている。
2019 5/27 続編的な何かを投稿しました
https://ncode.syosetu.com/n5601fn/
連載版できました