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さて、「記録の在処」の件を差し引いても決して安全とは言えない宇宙を、小型の旧式宇宙船で無謀にもたった2人で旅をしている猛者がいた。
「ねー、ライラックー」
宇宙船の操縦席からそう呼びかけたのは、10歳にも満たないであろう少年である。コックピットとその隣の船室の間の壁を破って作られた居間のような部屋の前方、無数のボタンやレバー、タッチパネルに囲まれた小さなコックピットにいながら、何でもないように回転いすに安全ベルトで身体を固定しくるくると回っている。手狭のはずが、やせ型で身長が100センチメートル程度というその小柄のために、空間には余裕があるようにすら感じられる。上はネイビー、下はカーキの宇宙服を身に着けており、一般的には成人が座るはずの操縦席にいることを除けば、ごく普通の利発そうな少年のようであった。
「キャプテンとお呼び」
「あ、今日はそっちの気分なの? じゃ、キャプテン・ホワイト」
「苗字で呼ぶのはおやめなさいっ」
「面倒臭いなぁ。キャプテン・ライラック。これでいいの?」
「いいわ」
そう、悦に浸りながら応えたキャプテン・ライラック――フルネームはライラック・ホワイト――は、背が180センチメートルはある偉丈夫である。重力を制御する装置を動かすためのエネルギーをケチっているために、部屋の中途半端な高さでショーウィンドウに飾られたマネキンのようにポーズを決めたまま、ゆっくりと回転しつつ漂っている。宇宙服は細かいラメの入ったショッキングピンクを上下揃えてセレクトしており、節約のために絞っているライトに反射して不要な輝きを放っている。しかもサイズが小さめなのか、その逞しい筋肉がしっかりと浮き上がっていた。腰まである茶髪はぐるぐるとカールされ、無重力状態により醜く乱れないよう頭の頂点近くでしっかりとひとつに束ねられており、顔にはその存在感を存分に引き出すメイクが施されている。
「どうせまた呼び方変えさせるくせに。何の意味があるんだか」
「やかましいわね、アルス。オンナゴコロと秋の空。気まぐれは天気とオンナの特権なのよ」
アルスと呼ばれた少年は、眉間に皺を寄せた。
「……おんな?」
「その不躾な目はおやめなさいっ」
「言い始めたのそっちだし、ボクよりライラックの方が男だ女だっていうのにはこだわってると思うけど。そもそも、地球人の肉体的な性別は性染色体XとYの組み合わせから決まるものでXXのときに」
「その頭でっかちな理論もおやめなさい。オンナはね、芸術品なのよ。オトコはロマン。なるならオンナ、恋をするならオトコでしょ」
力説するライラックは、しかし、すでにキャプテンと呼ばれていないことに気付いていない。
「それ、一般的な話なの? 女に恋する人も事もあるでしょ」
「ふっ……ばかね、いえ、あたしもまだるっこい言い方をして悪かったわ」
ライラックは胸を張り、あえて頭を大きく振って髪をなびかせ、薄暗い明かりを数倍反射させるかのように自信満々に言い放った。
「あたしこそがオンナ。あたしが惚れた相手こそがオトコなのよ」
どやぁ、とでも効果音がつきそうなその有様も慣れたもののように、アルスは冷たい視線を投げた。ライラックはいまだに宙を漂い続けている。
「性別なんてわけわかんないけど、ライラックこそ世界の七不思議だよね、理解しがたい」
「考えるんじゃない、感じるのよ」
「……もういいや。そんなことよりさ、そろそろオリオンの真ん中あたり。ここから知的生物反応がある星は3つ。どこにする?」
「決まってるわ、1番近くから順に全てよ」
「だろうと思った。3つのうち2つがここからほぼ同じ距離なんだけど。黄色か赤、どっちにする?」
「ピンクは」
「ないよ」
「しょうがないわねぇ、じゃあ、黄色」
「了解」
ディナーのデザートは何にする? というくらいの気安い声で会話をし、アルスは操縦席のパネルをタップした。
「さぁ、次の星にあたしの恋人はいるかしら?」
「知らないよ。シルエットは人型だけど」
「そうね、そこは捨てがたいわ。ついでにあたしよりも背が20は高くて、胸筋で谷間が作れるくらい筋骨隆々だといいわね」
「実際にそういう男性がいたんだから、地球も捨てたもんじゃないよね。地球に帰りたくはないの」
「あたしは過去のオトコに興味ないの」
またも、どやぁっと言い切ったライラックを、アルスは完全に無視した。