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地球が開国ならぬ開星をしてより数十年。昨今では、広い宇宙には、地球人と交流することの可能な知的生命体が存在する星が無数にあり、さらにはその中にもすでに他の星と外交する星もあれば、在りし日の地球のように他の星とは全く交流の無い星もあることがとうに常識になっていた。地球人はその貪欲さを発揮し、既存の外交ルートを視察したり、宇宙進出のしていない星にはあの手この手で開星を促したりと、積極的に宇宙進出を行った。結果、地球は小さいがそこそこ多様な文化を成熟させた星として人気が出た。壁に貼るタイプの紙状のテレビはレトロ、赤いポストは奇抜、丸いマンホールに至ってはなんだかよくわからないけれど素晴らしいと、地球人にとっての日用品が宇宙マーケットの珍品流行ランキングで首位に立ったこともある。
地球よりも進んだ文明をもつ星も多く、それらと交流を続けていれば当然、地球人の科学技術も更に向上し、かつて空想でしかなかったことが現実になった。地球内であれば3秒で裏側まで移動できるし、山ほどのモノを掌サイズに収めることもできるようになった。
ただひとつ、タイムマシン――時間を自由自在に移動することを可能にする機械――についてだけは開星前と変わらず、発明はいまだに不可能であった。地球人は相対性理論の他、ありとあらゆる理論を総動員した結果、未来への移動の可能性は見出したものの、過去への移動方法が見つからず、そのためせっかく編み出した未来への移動も試すことができずにいた。行ったはいいが帰れません、では、どうしようもない。宇宙進出に伴い、過去に移動する技術及びそれを持つ星の探索がひとつの大きな課題であり地球人の関心事ではあったのだが、今のところは全ての星でその技術が開発されていないということがわかっただけであった。
そんな中、ひとり、気違いと呼ばれた人間がいた。名をスカリ・コルチというその科学者は、一貫して過去への移動は可能だと主張していた。コルチの唱えた過去への移動方法はそれまでの想像上のタイムマシンとは異なり、宇宙のどこかに、今まで起こった全ての出来事の記録があり、それにアクセスすることで過去への移動は可能になる、というものだった。未来への移動は現在の理論上可能なのだから、その記録にアクセスできる環境に未来への移動装置があれば、タイムマシンにすることができると、コルチは考えた。
もちろん、他の科学者からは冷笑された。その様な膨大な記録を扱える「何か」がこの世にあるとは誰もが想像できなかった。どんなに巨大な、高品質の記録媒体があろうと、世界中のすべての出来事を保管することは不可能である、というのが、地球人の大多数の意見だった。コルチは躍起になって、「記録の在処」と名付けたその「何か」を探し出そうとしたが、結局はその人生を賭けても、見つけることはできなかった。
そして、気違い科学者の説は証明されずに終わった。
しかし、どんな世界にも、無謀に思える説ほど確かめてみたくなる猛者がいるものである。
いかに少数とは言っても、分母が多ければ実質数は増えるものだし、先の宇宙マーケットの珍品流行ランキングしかり、地球は宇宙の中でも変わり者扱いとなっており、そのために熱狂的な地球マニアも宇宙には存在するようになっていた。そこにコルチの「記録の在処」説である。一部の熱狂的地球マニアの更に一部が狂喜し吹聴しまくった結果、地球人の言うエキセントリックな説を検証したい地球マニアと、知らないものは見てみたいやってみたい冒険家たちと、純粋に「記録の在処」を信じ目的をもって使いたいという野望を抱く者と、金になるなら何でも欲しい無法者が「記録の在処」をめぐって旅に出るようになった。
目的が同じ者たちは張り合うもので、かくして、広大な宇宙ではほとんど無視できる程度の規模ではあったが、随所で乱闘も伴う事件が発生していた。