『壊れた人形』 牧一夜
【設定】
牧 一夜
元天才作曲家。
ある日を境に、一曲も作ることができなくなった。にもかかわらず、本人は悲しむことも焦ることもせずに子どもたちと意味のない『作曲ごっこ』をし続ける。その様子を見た関係者たちに『壊れた人形』と呼ばれている。
ヒロインは純粋で元気な女の子。子どもたちと公園で作曲ごっこをしているときに出会う。
世界は音で繋がって、輝く。
そう信じてやまなかった。
俺の作った曲が、俺の奏でた音楽が、みんなを幸せにできる。
なぜだか、あの頃の俺はいっそバカらしく思うくらい、自信に満ち溢れていた。
言ってしまえば、たぶん世界中のすべての人を愛してた。
愛して、その分理解したくて。
理解したらみんなの願う譜面が頭に思い浮かぶ気がして。
世間の声に耳を傾けて、理解して。
そうして俺は気づきたくないことに気づいてしまった。
世界が俺の曲を求めたのは一瞬のことで、今求めているのは俺の名前だけだってこと。
失墜の音は留まることを知らなくて。
一度軋んだ音は、もう綺麗な音色を奏でることはなくて。
「これが、新しい俺の曲だよ」
それは近所の公園で遊んでいた子どもに、『作曲ごっこ』をさせてできた、でたらめな音符。
好きなラインに丸を書いてと、そんな愚かな遊びと俺のすさんだ心でできた不協和音。
そりゃあ少しは手を加えたから、それが功を奏して神曲になったのかもしれないね。
もしかしたら、少しは軽やかな音色が入ってたかもしれない。無邪気な子どもの笑顔とか。
でも、それは決して洗練された音じゃない。
気づいてほしかった。「らしくない」とか「質が落ちた」とか。
否定されることを望んでいた。
――『牧一夜はやっぱり天才だ』
こんなにも悲しい言葉を俺は知らない。
称賛の声が、心を殺す。
もう俺の曲は誰の心も揺らさない。
求められるのは『天才の牧一夜が書いた』曲。
誰かが作った曲に、俺の名前がつけば、きっとそれでいい。
なら、俺はもう、いらない。
たったひとつの存在価値が消えた俺は、世界に捨てられた壊れた人形。
―――
「この曲、知ってるよ」
君は目をキラキラにして、かつて俺が懸命に作った曲を聴いていた。
心が軋むから、その顔を見たくなかった。
「有名な曲だもんねぇ、それ」
誰もが聴いて、誰もが賛美をくれた曲。
本当にいい曲だよ。俺の自信作。
でも君は、君にとっては……俺の駄作だって、賛美歌に変わるんでしょ。
「牧一夜の曲はどれも傑作だからねぇ」
自分で言うなんて、笑える。
でも君にとっての俺は『牧一夜』じゃなくて、素性も知れない『ただの牧くん』だから。
君の本音も本性も、俺はすぐに暴ける。
「傑作かぁ」
君は顎に手を当てて、考えるような素振りを見せる。
「私、音楽に詳しくないからあんまり分からないんだけど。その曲は本当に好きで、その前に出した曲も全部聞いたの」
――どれも好きになった。
それ以上は聞きたくない。耳を塞ぎたい。
あれからどうして、俺の周りを取り囲む音は歪になってしまったのだろう。
どうして――。
「でもあの曲の後から、作風が変わったんだよね」
音が、変わる。
「変わった……?」
「うん。なんていうか、何も伝わってこないっていうか響かないっていうか」
待っていた言葉が、どうして今更流れてくるんだろう。
どうして、あのときこの言葉が聞けなかったんだろう。
どうして、君に――もっと早く出会えなかったんだろう。
「牧くん?」
「ん?」
「……泣いてる」
「え?」
俺が? 嘘でしょ。なんで……。
もう心なんて、消えてなくなったはずなのに。
壊れた人形に涙なんて流れるはずないのに。
「ははっ、この曲がいい曲だからかも……?」
無理のある言い訳をして。君から顔を隠したいのに。
君は無邪気に笑うから、その笑顔から目を離したくなくて、顔を隠せないじゃん。
「あ、それは分かるかも。この曲って、なんだか聴いてる人のことを『愛しくて愛しくて仕方がない』って言ってるみたいだよね」
そうだよ。そう思いながら、作ったんだよ。
君には、届いてたんだ。
俺の曲が、俺の想いが――。
「牧くんって意外と感性豊かなんだね」
からかうように笑う君が愛おしくて。
音が弾けて、俺の頭の譜面に色を付ける。今すぐ奏でたくて仕方なくなる。
まだ、俺は書けるかな。
まだ、奏でられるかな。
君のための、音楽を――この指で紡ぎたくて収まらない。
「……ねぇ、君は」
そっと君の手を握ったらその気持ちがドッとあふれて、洪水のようで。
早く紙に記さなきゃ、取り逃がしてしまいそうな音。
でも君を思えば、何度でも頭に浮かぶ気もして。
「俺が……もしも、こんな曲を書いたら見直してくれる?」
今度は世界じゃなくて、君のためだけに。




