その後の話
ぶっちゃけ4日程遅刻しましたが、この拙い作をある方に捧げます。
要はものっそい自己満と勢いで書き上げました。
河童が居た。
あの河童である。
頭には皿が有って、甲羅を背負い、皮膚は淡い緑色。水場に潜み馬や人を引き込んでは、尻子玉と呼ばれる魂的なモノを奪うと言う。
河童が居るのは別に問題ではない。普通に妖怪が暮らし、物の怪が住まうこの世界では至ってありきたりな光景だ。例えばこの河童――弥一と言う――などは、ともすれば一昔前の人間の百姓とさして変わらない生活を物心ついた頃から続けている。穏やかな湖畔の側に居を構え、太陽の昇るのに合わせて起床、家の近くに拓いた小さな畑を耕し、例に漏れず好物の胡瓜を育てたりしている。
問題は其処ではないのだ。むしろ問題とは、弥一の抱える其であった。
遡る事数日、彼は湖へ水を汲みに行った先で地面に突っ伏していた男性を拾った。
弥一は積極的に誰かと関わるようなタイプの河童ではない。男を助けたのは単純にコイツが行き倒れだとして、このまま此処で死なれては臭いや景観の点で著しく己の快適を犯すのでは、と不安に駆られたからであった。
「然し、よく食うな…」
溜め息混じりに呟く。一体どのくらい物を口に入れていなかったのか、男は出された料理を驚異的な速度で胃袋に納めていた。
この界隈は年中温暖な気候で、食糧、こと野菜には全く不便しない。要は蓄えには余裕過ぎる程余裕が有るので、相手が幾ら家の物を喰おうとその点では支障ないが、にしても異様なペースなのだ。
兎に角食事に集中していたいらしい男は対座する形で呆れ顔を眇める河童に一瞬視線をやっただけで、まともに返事もせず箸の往復を再開する。無礼千万甚だしいが、不思議と苛立ちが湧いて来ない。
改めて目前の珍客に視線を据える。
纏う洋服はヨれて色褪せていたものの中身、つまり見た目からは年齢の判別が付け難かった。老成しきった好々爺にも、やたら瑞々しい若造にも映る。姿はまるっきり人間だが、ヒトに来れないこの世界に居る以上、元々がそういう妖怪か、或いは化けているのか、何れにせよヒトに非ざる事は間違い無いのだが。
男は奇妙な程生々しった。常に何かを享受しているような風だった。
そうでなくては嘘だろう、とでも言いたげに。
自ずから言葉を発する機会こそ少ないものの、彼の拾い客が一端の――特に食べ物に対して執着にも似た独自の礼節を持ち合わせていた事は、そう対人スキルの高くない弥一を驚かせた。朴訥と評するにはやや捻ねており、かと言って嫌味を含むものでもない。宿飯の恩義に報いるつもりがある事は伝えられていたし、気付けば稀にではあるが農作業の手伝いを買って出るというのが屡々あった。
気付けば、と言うのは要するに、男の畑仕事はかなり堂に入ったものだったのだ。手馴れている。邪魔にならないどころか、河童としては重宝出来るレベルだった。
怠け癖と称してしまえば其れ迄だが、必ずしも有用でない辺り男は大変「妖怪らしかった」。
兎に角気紛れである。
昼夜問わずふらっと家から居なくなり、気付いた頃に帰って来る。近所の連中に聞いた話では、辺り気侭に散歩しているらしい。弥一の見る限りそれ以外の主な行動パターンは食うか寝るか、ゴロゴロするかだ。
意外と言っては何だが、彼は己が体を器用に使う術を心得ていた。
今もそうだ。箸を扱うにしても、椀を傾げるにしてもそう。「ない」ものを「ない」と感知させぬ生活をソツなくこなす。座布団のように寝伏せる体勢からよく起き上がれるものだと、弥一などは半ば感心の念を込め見ていた。
男は、隻腕だった。
腕が一本、というのはさして珍しくない事だ。足が一本だったり、顔が無かったり、身体中に眼球が生えていたって珍しいとは言われない。思いもしない。
ただ、男のそれは明らかに「あった」ものが「なくなった」状態だった。拾った際、既に塞がって肌に呑まれた傷口を確認している。
その事について男は自ら何も語る事はないし、弥一とて、敢えて踏み込む無遠慮さも屈託の無さも持ち合わせてはいない。
つまり、謎である。謎はほじくるだけが能ではないのだ。
話を戻す。
「なぁ」
河童が口を開いた。男は絶えずもぐもぐと咀嚼しながらも、耳だけは此方に向けている。と信じる。
「何時まで居るつもりなんだ」
この家に。
問題とは、果たして男に此処を出る気が有るのか否かという所にあった。はっきり割り切れば恩義や手伝云々よりも其方が先決だ。三桁を数える年の間独りで住んで来た根城に何時までも居候が腰を据えているのは、実は狭量な河童には耐えられそうもないのである。
繰り返される質問に辟易するでもなく、男はもうすぐ仲間が迎えに来てくれる筈だから、というような事を答えた。繰り返される答に辟易して、弥一は再び声を上げる。
「また其れか……本当に居るんだろうな。仲間」
頷く。次いで大丈夫だ、とお世辞にも頼りがいの有るとは言い難い気勢で紡がれる。ますます訝しげになる河童の視線を物ともせずやや遅い昼食は何度目かの「おかわり」の茶碗に散らばった米粒を綺麗にしてから、飯に対しては律儀な相手の合掌で締められた。次いで恒例化しつつある遠回しな要望が始まる。
「ビッグマ○クの方が美味しかった」
失礼な男である。こうして上げ連ねると怒りを覚えない的な表現は撤回せねばならぬやも知れない。
ビッグマ○クが何なのかは未だ判然としないが、根気良く呟きを拾った結果どうやら肉が食いたいらしかった。弥一はこの拾い客が実際問題、喰えれば何でも良いタイプの大食らいである事は確信済だったので、肉を与えないと致命的な状況になると判断しない限りわざわざ都合するような面倒はすまいと心に決めていた。
因みに致命的な状況とは、例えば河童ってビッグマ○クより美味しいのかなみたいな事を真顔で口走り始めた場合が其にあたる。
「俺が言っているのはな、お前の為でも有るんだぞ」
飛びかけた話の筋を返そうと、今まで語らなかったもう一つの理由を明かしてみる。不条理な奴だから不条理に接しても良いだろうと考えていたが、そうもいかなくなってきた。
「今だからこの辺りは穏やかだけどな、近い内騒がしくなるんだ……面倒に巻き込まれたくないなら、早くこの場から離れた方がいい」
男は首を傾げる。詳しい説明が欲しいらしい。
「……ここら辺がどういう所か、分かるか?」
自然が豊富な水辺で、小さな民家と畑が並び、気候は温暖。風は吹くし、花は咲くし、桃源郷が存在するなら正にこのような場所であろう。
男は珍しく饒舌になった。悪い気分はしない。
「桃源郷は言い過ぎだが、住み良い土地だ。然し三日もすればそうでなくなる」
赤舌、という妖怪が居る。文字通り舌がホオズキのように赤い化物で、水辺に現れるとされる。話題に上る赤舌も――名を赤光と言うが、男が昏倒していた湖の周りを根城にしている。
此が性格の悪さにかけて並ぶ者の居ない捻くれ様で、怪しい術を使って黒雲を起こし完全に日光を遮ったり、嵐を呼んで一帯吹き曝したりと好き勝手やるのだ。なまじ妖怪としての力が強い分手に負えず、辺りに住まう妖怪達の悩みの種である。
「気紛れな奴でな、大抵は家を空けて彼方此方ブラつているんだよ。つい最近も旅に出ていたんだが……三日後に帰って来る」
赤舌の使い魔は黒い鶴のような姿をしている。晴れ渡った空に実に不似合な不気味さで、陰鬱な報せを運んでくるのだ。
主が帰る、と。
「赤光とは関わらないのが一番だ。次何時出て行くかも分からないし、当てが有るなら迎えを待つより探しに出た方がいい」
紛う事なき事実であり、欠片も心配していないと言えば嘘になる。圧倒的第一義として「これ以上プライベートを侵させない」を掲げる河童にとっては良心も傷まぬ口実で、案外上手い策になりそうな気が、俄にした。
然し招かざる客は、厳密には不本意ながら招かざるを得なかった訳だが、斜め上の着眼点を得る。
お前はどうする
聞いてきたのだ。此は弥一の頭にとって少なからず驚きを以て迎えられた。
「俺は何もしない。日が当たらないのにも、嵐にも、慣れている」
男は再度、首を傾げる。
まさか心配を返されるとは思っていなかった。静かに動揺しながら次ぐべき言葉を探す。
「どの道畑仕事を除けば家から出ないんだ。三日の間で屋根に重石をして、扉と窓に板を張る。それで防げなければ、それまでだ……お化けは死にはしない」
何時もの対処法である。赤光は飽き性でもあった。
男は何か考え込むように、まぁ何も考えていない風にも見えるが、取り敢えず黙って頭を捻る。やがて顔を上げると事も有ろうに
それは詰まらない、と言った。
話にならない、と。
それがどういう意味なのか河童には理解出来なかったし、よしんば分かったとして話になるかどうかは、酷くどうでもよかった。
故に苛ついた。
「だから何だと言うんだ」
声を荒げる。
男は無表情だった。何時からこんな仮面のような顔だったか、或いは初めて相見えた時からそうだったかも知れない。其れが今無性に弥一の琴線に触れた。
「お前の方が余程話になっていない。赤舌が来るというのは、そういう事なんだ。刃向かった所で敵う訳でもない」
言っていて情けなくなってくるが、動かし様の無い事実である。コイツに一々指摘されなくたって
「あぁ、詰まらないさ。詰まらないものだろう、生きている内は」
「もう生きた」
「何?」
「もう、充分だ。詰まらないのは、沢山だ」
客が腰を上げる。
「やっと此方側でやれるんだよ。話が無いようじゃ、アがったりなんだ」
彼が居ないなら。
自分が何とかする、と言うような旨を男は言ってのけた。弥一は己の耳を疑って、その後相手の頭を疑って、やっと納得した。理解を通り越した納得は河童の生涯において初めての、恐らく一回切りの経験であった。
「まぁ、最期に描いたのも自伝みたいなもんでしたし」
何故か得意気に口を尖らせ、彼は背を向けた。数日の付き合いながら常に見ない、覇気とも称せるものを纏っていた。
「……何処に、行くんだ」
食器を片付けに。
三日後。
顛末だけ掻い摘まむと、話は単純過ぎる程単純だった。
赤舌が黒雲と鶴を引き連れバオーンと現れ、待ち構えていた男と弥一が迎える。
「……何だ、お前ら」
まさか出迎えが居るとは思っておらず面食らう赤光と、サシで話すと言って聞かないアホを置いて案内役の河童は一旦去る。「来てもいい」と呼ばれたのは其れから15分程経った後だった。
「……何してんだ、お前ら」
物凄い仲良くなっていた。赤舌は通常なら触れられる事すら忌避している移動式の雲に男を腰掛けさせ、男に至っては傍らに鶴を抱きかかえている。
「いや、コイツ面白いな! めっちゃ話分かるし」
「……そうか? 大概意味不明だぞ」
「河童はマジメだからなァ。気楽なクセに」
赤舌がクスクス笑う。この傍若無人な妖が如何様に笑うかを、弥一は知らなかった。
「戦争は止めだ」
「?」
「腹が減るだけだそうだ。今言われた」
「戦争……?」
「鈍いな。嵐起こすの何のは、やらねぇつってんだよ」
しかも協定が成立していた。
「……嘘じゃないだろうな」
「確かに俺の得意技だがな、河童。俺は自分で在る為に嘘をつく。自分を欺いて迄嘘はつかん」
妖怪は己自身だけは化かせない。どんな力持ちでも己の身体は持ち上げられないのと同じだ。
手法は解せぬものの、本当に何とかしてしまったらしい。
赤舌が新たな決まりを皆に触れて回ると宣言し何処ぞへと去った後、相変わらず怪鳥と戯れている男に疑問を向ける。
「何したんだ、お前」
話をした、という。確かに何やら術を使ったとか、増してや戦闘の痕跡は見当たらなかったが、聞きたいのは其処ではない。
「何を言ったんだって。あの性悪を説き伏せるのは」
「探しましたよ」
背後から割り込む者が居る。
振り返ると随分前から待たされたような顔で、辺りでは見ない少年らしき妖怪が立っていた。一昔前の学生服の上からかなり奇特な衣装を纏っている。
「灯台下暗しでした。こんな近場に居るなんて……地獄まで見に行ったんですからね」
何となく度々話題に上がった「仲間」である事は察せたが、男は安堵と評するには少しぎこちない表情だった。後ろめたいのが見つかった子供のよう、とは言い過ぎだろうか。ビジュアルは丸っきり逆だが。
「取材旅行も良いですけど、取り敢えず皆に会って下さいよ……待ってたんですから」
やっと絵になった、と少年は言い募る。拾い客は笑顔ともつかぬ微妙な口の曲げ具合で、ああ、とだけ返した。弥一は今度は、我が子にせがまれて答えに迷う親の姿を想起した。此方もまた、しっくりとは来ない。
しっくり来ないまま、その時だけが来た。
「やぁ、ごめんよ。此処に来る前に色々聞いた……世話になったみたいだね、手間のかかる人だったろ?」
「……いや」
少年は丁寧に謝辞を述べたが、河童は上手く反応出来なかった。ただ、今相対している彼は明らかに自分より男が何者を知っているな、と胸中で考えていた。
或いは、その「彼」が男の一部、分身であるかの如く映っていた。驚く程自然に彼の存在を受け入れた不思議な情動は、其処に所以するのだと弥一が気付いたくらいで、黒鶴と別れを惜しんでいた英雄が徐に立ち上がる。
もう行くらしい。
少年が男の元へ向かう。一週間程度寝食を共にした当人は、平凡な河童に視線を合わせた。
重なり、揺れる。
大した事では無かった。
もう行くと。
感慨は特に湧かない。ただ、三日前に声を荒げた事を謝っておこうと思って手を振った。
「悪かったな」
男はカクンと首を傾け、それから何か呟いて、少しだけ笑うと「また飯を喰わせてくれ」と言った。まだ喰う気なのか。いい加減にしろ。
少年につられ礼をする。顔を上げると二人はもう居なかった。
空を見上げる。
詰まらないのが嫌ならば、俺の家はどうだったのだろうか。畑仕事は。食事は。今頃気にする事でも無いのだが。
鶴が鳴いた。
この世は、詰まらない事だらけである。
物語の根幹たる「起承転結」の「起」と「転」が有りません。其処のパートを書くと誰を意識したのか一瞬で分かりそうだったのでブッ飛ばしたんですね。
きっと皆さん、知っている方です。
私には信じられない出来事でした。
未だに受け入れる事が出来ていないのかも知れません。そうじゃなかったらこんな意味分からん小説書かない。
ネットの端っこで恥ずかしい文章を晒すのが、今の俺の精一杯。
では