2.母親の思い
少女は賽を投げた。
彼女が中心である世界を壊すために。
少女は壊したかった。
彼女の当たり前を。
そして壊した先にこそ、自身の幸せがあると疑ってなかった。
自分の幸せのために、彼女の幸せを壊そうとした。
目論見はほぼ成功した。
魅了の魔法は解かれた。
けれど彼女は変わらない。
彼女は微笑んで、少女が自分のものにしたと思っている少年に問いかけた。
そして少年は、少女の望まない答えを発した。
「ふふ、当然よね。私は綺麗だもの」
マリアローゼ・フィス・カイザはアイゼスの言葉に、当然だというように笑った。
アイゼス・トールは、彼女の元からエンジュ・アンジェの元へと行った。周りの生徒たちは、彼女よりも少女を選んだとみていた。
だけどアイゼスは当然のように彼女の言葉に同意をし、彼女もそれを当たり前のように受け止める。
周りの生徒たちはわけがわからない。
一番わけがわからないというのは、渦中にいる少女だろう。
「なんで」
「あら、どうかしたの。アンジェさん」
わなわなとふるえて告げた問いかけに、彼女は笑って答える。
「どうしてアイゼスは私が……」
「ふふ、まぁ、そのことはともかくとして答え合わせをしましょうか」
アイゼスをじっと見つめて絶望に染まった表情を浮かべる少女に、彼女は告げた。
周りに聞こえるような声量でただ続ける。
「ねぇ、アンジェさん。このネックレスにね、魅了の魔法がかかっていようとも何も問題はないのよ。それが解かれようと私への評価は何も変わらない。その意味、わかるかしら?」
ずっと首に下げていたネックレスに魔法がかけられていても何も関係がないと彼女は言う。そして解かれようとも何も変わらないと。
周りでその様子を見ている生徒達もその言葉に確かにと口々に言う。
「確かにマリアローゼ様は相変わらず綺麗だ」
「魅了の魔法がかかっているなんて言ってたけど、何も変わってない」
「マリアローゼ様は私たちの憧れだもの」
「魅了の魔法だっていうのならもっと……」
そう、何も変わっていない。魅了の魔法はその名の通り周りを魅了する効果を持つ魔法だ。それが本当に彼女にかかっていて、それが解かれたというのならばもっと周りから見る彼女が違ってくるはずなのだ。
だけど、彼女は全然変わらない。周りから見た彼女は、相変わらず綺麗で『至高の姫』として相応しい。
「何も変わらないって、魅了の魔法を使っていたのに……」
「アンジェさん、これは私のお母様の形見よ。そしてこれにそんな魔法がかけられていたというのならお母様がこれをかけてくれたという事なの。それなら、意味わかりますよね? 仮にも貴族の令嬢の端くれであるアンジェさんなら、その意味が」
「……わからないわよ!!」
「……そうですの。まぁ、でしたら説明をしましょうか。私のお母様は元々侍女で、貴族の血も入っていない平民ですわ。私のお母様はその中でも魔力なんてほとんど持っていなかったわ。だから、これに魅了の魔法がかけられていたとしてもそれは些細なものにしかすぎないの。解いても解かなくても対して変わらないほどの効果しか、これにはないわ」
そう、誰もが知る事実だが、彼女の母親は平民であった。取るにとらない侍女でしかなかった。
そんな母親は、魔力なんてほとんど持ち合わせていなかった。
だからたとえこのネックレスに母親が思いを込めたとしてもほとんど効果が得られない魔法しかかけることは出来ない。解いても解かれなくても決して問題がない程度の。
少女は彼女の言葉に固まっている。
そんな少女に彼女は続ける。
「お母様は私をずっと最期まで心配してくださっていましたの。私は忘れ去られた王宮の片隅に居る姫でしかなかったから。お母様が亡くなってから私が一人で生きていけるか心配で、こんな魔法をかけて逝かれたのでしょう。その事が、私は嬉しいと思うの」
忘れ去られたお姫様。
一人ぼっちになるお姫様。
そんなお姫様を心配して、母親が最期に彼女が生きていけるようにそういう魔法をかけたと思うと、彼女は嬉しかった。
彼女は言葉を紡ぎながら、母親の最期の言葉を思い出す。
『マリアローゼ、誰にでも好かれるようになりなさい。貴方には味方がいないから、味方をつくりなさい。誰よりも、魅力的であればきっと誰かが貴方を助けてくれるから。
ごめんなさい。貴方が大きくなるまで傍に居れない母親で。貴方が大きくなるのをずっと見ていたかった。私は傍には居れないけれど、きっと誰かが貴方の味方になってくれるから』
母親は誰よりも魅力的であれといった。
ただでさえ味方がいない状態だったから。
魅力的であればきっと誰かが助けてくれるからと。
頑張っていればきっと誰かが味方になってくれるからと。
だから彼女はひたすらに、自分を磨き続けた。
魅力的であろうとした。味方を増やしていった。
だからこそ、彼女は『至高の姫』である。彼女は自分の力で味方を掴み取ってきた。
けど、もしかしたらきっかけを母親はくれたのかもしれないとネックレスに、ほとんど感じる事もないほどに小さな魔力でかけられたたった一つの魔法を知って思うのだ。
本当に本当に小さな魔法。なくなっても気にならないほどの小さな魔法。
だけど、彼女は母親の形見であるネックレスを不安な時は握っていた。ネックレスに触れては母親の事を思いだし、頑張ろうとしていた。
効果なんてほとんどないものだけど、それでも彼女にとってこのネックレスは勇気をくれたものだったのだ。
彼女はネックレスにかけられた魔法を嬉しく思う。
なぜならそれは母親からの愛情の証だから。
亡き母親が確かに彼女を愛していたからこその魔法だから。
母親の思いを感じて彼女は笑う。
心の底から嬉しそうに、只笑う。




