2.夢の中に彼女はいる。
マリアローゼ・フィス・カイザ。
誰もが認める『至高の姫』。
その存在は、誰もに愛されている。
その存在は、誰もに欲されている。
誰よりも美しく、誰よりも、お姫様らしい。
人々に愛されている。人々に欲されている。
それが、彼女。
それが、マリアローゼ・フィス・カイザ。
それだけ美しければ引く手数多であるというのに、婚約者は発表されていない。
だから、『至高の姫』の夫の座に収まるのは誰になるのだろうという噂がよく囁かれている。
そんな愛され、求められているお姫様は夢を見ていた。
それは、彼女にとっての昔の夢だ。
そして、それは彼女にとっての決して幸せなどとは言えない夢だ。
彼女は、マリアローゼ・フィス・カイザは夢を見ている。
幼い彼女がそこには居た。幼くても、彼女は美しい。何れ、絶世の美女と噂されるだろうという片鱗が既に見えている。
黄金に輝く髪が腰まで伸びている。幼い頃からその髪は長くのばされていた。丸々とした緋色の瞳は何時だって不安げに揺れていた。
幼い頃の記憶なのでうっすらとしか残っていない。だけど、彼女は時折、昔の夢を見る。
侍女なんていうものは存在していたけれども、決して数が居たわけでもない。ましてや捨て置かれていた側妃と姫のために真面目に働く侍女などほとんどいない。そんな環境の中に、彼女と彼女の母親は居た。
確かに母親は王の妃であった。
確かに彼女は王の子であった。
だけど、母親は平民であり、子も所詮平民の血を引いた存在である。その事実は紛れもない事実であった。
王は、彼女の母親に少なからずの愛情は抱いていただろう。その美しさに惹かれていただろう。
でもそれは寵愛と呼べるほどのものではなかった。
彼女の世界に居たのは、母親だけだった。他にも人は居ただろうが、それでも記憶に残っているのは母親だけだった。
美しい人だった。
そして、強い人だった。
「マリアローゼ、ごめんなさいね」
だけど、彼女の記憶の中で母親はよく謝っていた。
自分が平民だったから、彼女が捨て置かれていたからだ。
平民でありながら王の妃の一人になった。だからこそ、疎まれていた。幸いにもといえばいいのか、王から寵愛があったわけでもなく、マリアローゼ・フィス・カイザを生んでからは放置されていた面も強く、暗殺などといった事はなかった。
母娘の、暮らし。王宮で暮らしているについては、地味な暮らし。
その中で彼女の母親は、彼女に沢山の事を教えてくれた。沢山の愛情を注いでくれた。
父親である王の顔を彼女はよく覚えていなかった。知らなかったともいうかもしれない。父親が彼女に会いに来たのは記憶もおぼろ気な幼い頃であり、彼女は誰が父親かも当時自覚していなかった。
そんな暮らしを、『至高の姫』と呼ばれている彼女が昔していた。
なんて、今の彼女を知るものからしてみれば信じられない事だろう。
でもそんな生活をしていた事は事実だった。
彼女は幾ら美しかったとしても、平民との間の娘である。美しさだけではどうしようもない。身分というのは上級社会において重要な要素である。
「お母様。お母様」
幼い頃の彼女は、いつも母親を呼んでいた。幼くても自分たちの状況がなんとなくわかっていたというのもあるだろう。彼女にとっての絶対的な味方は母親しかいなかった。自分に愛情を注いでくれ、自分を守ってくれている母親に愛情を返すのは当然の事だった。
彼女の世界はとても狭かった。
彼女の世界には数えられるだけの人しか存在しなかった。
捨て置かれた姫であった彼女は、狭い世界の中で充実した暮らしを送っていた。
「マリアローゼ、貴方は……」
「マリアローゼ、これはね」
母親は彼女の名をいとおしげにいつも呼んでいた。心の底から愛しいと、そんな風に。
彼女が出来たからこそ、平民の侍女でありながら側妃という位置についた。
だから、今までの生活が壊れたと彼女にあたってもおかしくなかった。でも、母親は彼女に愛を注いだ。
愛しい娘、私のマリアローゼとそんな風に笑って。
捨て置かれていた姫だったけれど、母親が無償の愛を注いだからこそすこやかに育っていた。
それが壊れたのは、彼女の母親が亡くなったからだ。
彼女はしっかり覚えている。
病死した母親が最期に告げた言葉を。
何を思って、母親が亡くなったかを。
しっかり、しっかり全て、覚えている。
その時受け取ったネックレスも、大事に大事にとってある。
夢を見た彼女。
彼女が思い浮かべる昔の記憶には、母親が居る。
いや、母親だけが居たというべきだろう。
昔の彼女の世界は酷く狭く、誰もいない。
母親だけが全てとでもいえるべき状況だった。
捨て置かれた姫だった時代の夢を、『至高の姫』は見る。
夢の中にいる彼女は、母親を思う。




