1.幸福の中に少女はいる。
少女は理想を描いている。
頭の中で描く理想。少女が目指す理想。
その理想が叶う事を、少女は知っている。
それが叶った記憶を、少女は確かに知っていた。
少女の理想。少女が望む未来。少女が幸せだと描く未来。
そこには、お姫様は居ない。
誰もに愛され、誰もが手を差し伸べる、そんな『至高の姫』は居ない。
彼女の理想の中には、彼女の望む幸せの中には寧ろ少女の望む人物しかいない。
少女が思い描く未来は、少女にとって絶対的な未来でしかなく。
そして少女が思い描く理想は、少女にとって叶うのが当然という認識の理想でしかなく。
少女は、自らが、”エンジュ・アンジェ”であることを、心の底から幸福に感じている。
これから先の未来は、崩れるはずがないとそんな風に少女は思い込んでいる。
確かに少女が思い描く理想の未来は、完成しつつある。いや、完成しつつあると、少女は思っている。
故に少女は、幸福を感じている。
「ふんふふ~ん」
その日、エンジュ・アンジェは珍しく一人だった。男たちに囲まれている事が学園に来てから当たり前になっていた日常の中で、珍しく一人である。
中庭を歩く少女は酷くご機嫌であった。
嬉しそうに鼻歌を歌いながら、幸福だとでもいう風に歩く。
その姿を見て眉を潜めるものが多く居る。
その姿を見てひそひそと話すものが多く居る。
だけど、そのことを少女は気にしない。
少女にとって彼らは気にするべきでもない、そんな価値もない存在たちでしかないのだ。少女にとっては、そういうものなのだ。
少女の中での分類は、価値のある人間と価値のない人間でくっきり分かれている。
価値のない人間は、少女にとってどうでもいい存在で、少女にとって気に留めるべきでもない存在である。
そんな少女にとって価値のない存在に、声をかけられた。
「エンジュ・アンジェさん、少しお話いたしませんか?」
「ええと、ごめんなさい」
「……マリアローゼ・フィス・カイザの事で、話したいのですよ。貴方にとっても悪い話ではないのです」
『マリアローゼ・フィス・カイザ』は、少女にとって価値のある人間であった。それが良い意味の価値か、悪い意味の価値かはともかくとして、気にすべきではないその他大勢とは違い、気にしなければならない存在の内の一人である。
そんな価値のある存在の話をしたいという人物を少女は見る。
それなりに顔立ちの整った、こげ茶色の髪を持つ女子生徒である。が、その女子生徒の事を少女は知らなかった。
「そうですか。貴方は?」
「………私は、タリナーラ・リツィア」
女子生徒は少女の言葉に、一瞬眉を潜めて、だけど次の瞬間には笑みを浮かべて自己紹介をした。リツィアはこの国でも権力を有する貴族である。少なくとも、伯爵家であるエンジュ・アンジェの実家よりも爵位は高く、侯爵家を賜っている家だ。
その家の令嬢に挨拶をされたのだ。少女のすべき行動は、
「リツィアさんですね。それで、お話とは?」
こんな風に気さくに話しかけるべきでは決してない。そのことに少女は気づかない。
少女は理想の海の中に居る。
少女は来るべき未来しか見据えていない。
「マリアローゼ・フィス・カイザを――――したいの」
「まぁ、そうなのですか」
「貴方も、でしょう?」
「そうですね」
少女は、そういって女子生徒を見た。
そしてしばらく何かを考えたのちに、少女は口を開く。
「でしたら、私は―――」
「あら、そうなのですか。だったら」
和やかな二人の女子生徒の会話。笑みを浮かべて、二人は目を合わせる。
しばらくして、その会話は終わる。
「では、そういうことで」
「ええ、そういう事で」
そう告げて二人は別れる。去っていく少女の後ろ姿を見ながら、女子生徒がどんな表情をしているのかも少女は気づかない。いや、気づいたとしてもきっと気にしない。
なぜならその女子生徒は、幾らこの国において有力貴族の娘だったとしても、少女にとっては価値のない存在でしかないのだから。
女子生徒が何かをしたところで、少女の理想は崩れない。少女の理想を崩せるのは、少女にとって価値のある人間だけなのだから。
少女はそう思っている。少女はそうとしか思っていない。
少女の幸福な未来の中に、その道筋の中に、先ほどの女子生徒は居ない。
ただ価値のある人間にかかわる事だからかかわっただけであり、少女にとって都合の良い事だから少女は話を聞いただけなのだ。
少女の心は歪んでいる。
価値のあるものと、価値のないものとにわけている時点で、その心は歪み切っている。
でもそんなこと、少女にとってどうでもいいのだ。
少女にとって重要な事は、理想の未来を生み出す事でしかない。
「ふふふ、予想外の事もあったけれど、やっぱり私は幸せになれるわ」
そんな風に一言言って笑った少女は、ご機嫌な様子で寮へと向かうのであった。
少女は前だけを見ている。
少女は理想の未来だけを信じている。
少女は理想の未来のためのものしか見ていない。
少女は自分が理想の未来に向かっていると確信している。
幸福の中に居る少女は、嗤っている。




